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食事を終えると電動小型トラックで移動する。カイトは助席に押し込まれると行き先も知られぬまま車は走り出す。ここのところ海上補給が続き、浮揚軍港を歩くのは一ヶ月ぶりであった。
浮揚軍港の水上建造物はその構造上、高層建造物は多くない。高低差がそこまで大きいわけではないが、二人がエレキトラックで走っている商業区は一段高いため港設備の風景を車窓から見下ろすことができた。カイトは懐かしむような眼差しで下界を眺めていた。
神殿の柱のように立ち並ぶ円柱状の設備は、ローターセイルを改良した風力推進設備である。これは風を受けて円柱を回転させることで、一定方向に推力を発生させる。風力を利用した浮揚軍港の姿勢制御に関わっている設備の一部だ。柱のようなローターが汐風を切る音があちこちから響いていた。
船渠区の格納庫の多くの屋根が光っている。レースが近いこともあり、人の出入りが激しい。あの人群れの中にノエルの命を狙う喪のがいるのかもしれないと思うと、ボスが厳戒態勢を敷くのも頷けた。
車は船渠区へ向かわない。
明らかに伊號があるドックから離れていっているさすがに妙に感じて、カイトは運転手している助手の顔を横目に見た。彼女はなに食わぬ顔でハンドルを握る。どこに行くつもりなのだろうか。素朴な疑問を不穏な状況が悪い方向に増長させる。
「観光に来た、ってわけではないらしいな」
「あら、何か見たいものでもありますか?」
「とびっきりの絶景でもあるなら」
「軍港なんて、どこも同じの殺風景です」
彼女は口角が少し上がるだけで、眼鏡の奥の目は笑っていない。言葉は軽さはノエルに似たものだったが、カイトに向けられた青い瞳の色はあまりにも冷たい。カイトは彼女の目的を測りかねた。万が一に備えて、渡されていた“もの”を対Gダイバースーツの内側にあることを確認した。
沈黙を破るように通信機のベルが鳴る。コンソールのタッチパネルに表示された交信マークを、彼女が押す。相手はノエルだった。やはりまだ忙しいようで、音声の後ろからは整備士たちの声や工具を使用する音が混じっていた。
「はい。あなたの助手です」
「……カイトさんは近くにいますか」
「いや、いない」
カイトはその瞬間自分が危険な状況にあると判断した。懐のハンドガンを抜く。だがそれは阻止される。一瞬のことである。カイトの顎を彼女の拳が撃ち抜く。激痛で顎を手で押さえた時には、カイトの手から奪われたルガーの銃口は彼自身に向けられていた。彼女は口の前に人指しを立てる。カイトは口を閉じた。選択肢はない。
「お姉ちゃん? どうかしました?」
「いや何でもないんだ」
「ならいいですけど。あとその助手って辞めてもらえないですか? カモフラージュだとしても、お姉ちゃんの笑顔、怖すぎですよ。話しかけづらいですし」
「はは、そうかな。でも完璧な変相だろ?」
「殺気が隠せていないですよ」
カイトが頷いて同意する。
ルガーがカイトの頬にめり込んだ。
「いま伊號の傭兵を探していてね。ちょっと目を離した隙にどこかえ行っちまって困ってるんだ。なにか用事があったんじゃないか?」
「そうです。機体調整が終わりそうなので装備の説明がしたくて。見つけしだい戻って下さいね」
「ああ、いまは物騒だからな。ノエルの取り巻きと言うだけで命を狙われてもおかしくないと言うのにバカなやつだ」
彼女はハンドルを回しなら、片手でルガーをカイトのこめかみに向けた。
「言っておきますけど、カイトのさんは白ですよ。おばあちゃんはどう思っているかわかりませんけど」
「それは私が判断する。イバラキの目として私が来たことはわかっているだろう?」
「やっぱりカイトさんを疑っているんですか?」
「ナルセがイバラキを通さないで勝手に艦内に入れた男だ。おまけにダイバーとして、ノエルに一番近い位置にいる。黙っているわけないだろう」
「……それで。お姉ちゃんはどう思うの?」
車が止まる。
設備管理区の変電所のバリケードの前だ。
キープアウトの錆びた黄色い看板が傾いている。
「それを、いまから確める」
「……! 待ってそれってーーー」
彼女はぶつりと通信を切る。
今までの天気が嘘だったかのように雨が降る。
スコールだ。日光で熱せられた建造物や地面が冷やされて軍港全体が白く煙る。風が吹いて、近くのローターセイルの回転数が上がった。ワイパーが止まったフロントガラスは雨水で何も見えなくなる。
「スタームルガーLC9。これを誰からもらった?」
「お前がイバラキが送り込んだ“討ち手”ってやつか」
「質問に答えろ」
彼女は全く笑わない。
カイトの問いを無視して主張を続けた。
「貴様がルガーを抜いた理由は二つに一つ。私がノエルを狙ったヒットマンだと思い込んだ。あるいは」
彼女は眼鏡を外す。
銃口が正眼に向き直る。
「お前がノエルを命を狙った大バカ野郎かだ」
「誤解を解く方法は?」
「このルガーを渡した相手による」
「なんだそれ」
「このトラックを汚すのは都合が悪い。出ろ」
どしゃ降りのなか車の外に出される。
脱いで袖を腰に結んでいたスーツの上を着る。鉄網バリケードの入り口は不用心にも半開きである。彼女の指示で敷地内に入ると、焼け焦げた設備や建造物が目に入った。詳しい人間でなくても、この変電所が機能していないことがわかる。設備は解体途中のようで、多脚式の運搬車などの黄色い重機が何台か止めて置いてあった。
シャッターが半開きの格納庫に入るように促されてカイトはやむなく従った。整備車両が収容されてようで、車両こそなかったが、焼けて溶けかけたタイヤだけがそのまま置かれていた。
「ここは1ヶ月前に海賊の破壊工作で焼かれたレーダー関係の変電所だ。電源を別のところからバイパスしたらしく、この変電所はお払い箱になった。半月後には更地になるらしい」
「なるほど、尋問するにはおあつらえ向きってわけか」
「こんなところに群がるのは軍港に巣食うスクラップチルドレンか、後ろめたい連中ばかりだ。たとえ正体不明の死体が転がったとしても、面倒だからそのまま何事もなかったかのように処理して終わりさ。掃除屋にはもってこいだろう?」
彼女はまたカイトに銃口を向けた。品定めするようにカイトを見ている。背中に冷たいものが流れる。ここで自分の潔白を証明できなければここで処分される可能性が高い。レースに出ること自体を否定的だったものは多い。万が一、カイトが死んでレース出場が無くなって悲しむのはノエルくらいだ。
皆が、婆さんや初代目と呼ぶイバラキは、カイトの存在を危険視していることは良くわかった。だからこそカイトを消してこのレース出場そのものを強制終了させるつもりでいるのかも知れない。もともと、ポートウエスト現代表であるスレイマン・イバラキの作戦だったので、打ち手である彼女をカイトに差し向けたことは十分にあり得る話だ。
ーーーヤバイぞこれ。
その場合、カイトはノエル暗殺の実行犯であると断定されているということになる。ここで無実を証明できなければ、ここで死ぬことになるだろう。カイトは手をあげながら釈明を始めた。
「俺をノエル暗殺に雇われた間抜けなヒットマンだと勘違いしているようだが、見当違いもいいところだ」
「それで?」
「むしろ、疑わしかったのはあんたのほうだろう。ノエルの助手にしては作業を手伝わないし、作業服もおろしたての物で機械整備をした形跡がない。それに、まるで伊號に興味を示さないあんたからは技術屋の匂いがしない。何よりも、このくそ忙しいときに技術屋が伊號のセッティングの手伝いをしないで、俺を連れ出すことはおかしい」
「なるほど」
悪あがきを聞いてやろうと言うかのように、彼女は僅かに笑った。
「その上、俺の前で嘘をついた。これはさすがにビンゴだと思ったね。ノエルを殺す前に外堀を埋める意味で、俺を消しにかかったと思ったんだが」
それはカイトの勘違いだったらしい。どのような関係か不明だが、ノエルは彼女のことをよく知っているらしい。姉妹には見えないがノエルが姉と呼ぶところをみれば、間違いなく白だった。
「それがこのルガーを抜いた理由か。そう私はイバラキ側の人間だ。問題は貴様だ」
尋問が始まる。
カイトは身構えて目の前の彼女をみた。
彼女は工具台によりかかると拳銃を横に構えた。
「お前の飼い主の男、ダグと言ったか」
「ダグ? あいつがなにか関係あるのか?」
思いがけない名前が出てカイトは面を食らう。
「ダグラス・バークレイ。飼い犬は主様の本名も知らないのか。では“もうひとつのスカルノ”という組織のことは?」
「スカルノ?」
「そうスカルノ・ファミリア。兵器輸送を取り扱うアジアンマフィアの大御所だ」
「それがダグと何の関係がある?」
「……ほんとうに何もしらないんだな」
まったく身に覚えがない組織に困惑するカイト。
猛獣が獲物を品定めするように、カイトを中心にして彼女はゆっくりと移動した。
「今回のポートウエストの代表選で、イバラキ派閥が軍港の中枢を守るか、スカルノの傀儡に堕ちるかが決まる。二代目スレイマン・イバラキは自分に票が集まらないことを悟って一人娘のノエルの名前を出した。解体屋でノエルの商売の才と人柄は軍港内外で知れ渡っていた。若く新しいリーダーとして票が集まると踏んだのだろうな」
「だからスカルノの連中はノエルを消そうとしている?」
「粗末な話だがそういうことだ。スカルノとイバラキは抗争の真っ只中ってわけ。これが状況だ」
言い終わると同時に、彼女は目の前で踵を鳴らして停止する。
「そしてダグラスは、スカルノの若頭“カルロ・ジョルジオ”の直近の部下だ」
それはつまり、ダグはマフィアの一端。
カイトはその配下という構図になる。
「もしこのルガーがダグラスから手渡されたものだっだら、お前は黒。真っ黒だ」
「俺がその、スカルノなんとかの鉄砲玉だって言いたいわけか」
「スカルノ・ファミリアだ」
「なんだっていい。笑えない冗談だ」
「ああ、まったく笑えない」
拳銃で殴られそうになったが、カイトはわずかに上半身をそらして回避する。しかし、態勢を崩したところで腹に拳と膝裏に蹴りを見舞われ、地面に倒れこんだ。
「もう一度尋ねよう。このルガーは誰にもらったものだ?」
カイトが見上げたときに見下ろしていたのは、彼女の青く冷たい目と、突きつけられたルガーの銃口だった。




