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人型潜行機動兵器〈伊號〉  作者: 樫野そりあき
二章 『禍ツ鮫』
28/34

 時速74キロメートル。

 おそらく、想像に難くない速度であろう。

 陸上で生活する人々にとって、走行する車両の種類によっては、体感することができる速度域だ。しかし、海で同じ速度を出した場合は少し様子が変わる。水中という環境は、大気とは比べ物にならないほどの抵抗を生むのだ。


 中型漁船は15から20ノット。

 大型船は巡航で10ノット以下。

 水上軍艦は30ノット。

 通常動力潜水艦は水中20ノット以下。

 原子力潜水艦は水中で34ノット。

 魚雷は55ノット。

 伊號は20ノット。

 呂號、波號は最大35ノット。


 以上が船や兵器の速度となる。そして時速74キロメートルとは、1キロは約1.85海里という計算で時速約40海里。約40ノットである。前述のデータと照らし合わせれば、40ノットという速さがどれほど優秀な数値か理解できよう。


 その速度で、魚雷ジェネレータを背負った伊號が水中を走る。高出力化に成功したメインスラスタから噴出する推進力は、技術屋たちの筆舌に尽くしがたい研究努力と徹夜仕事の成果だった。魚雷ジェネレータから発生される途轍もなくけたたましいエンジン音が伊號の背部でうなっていた。


「耳とパッシブソナーがイカれるぞ!」

『パッシブソナーオフ。視界センサの感度を最大にします』


 カイトは耳に当てていたレシーバーを首に落とした。操縦桿を倒すが、これがまったく利かない。


「ダメだ。舵があたらない!」

『ヨナが舵角調整します。大きく利かせれば抵抗が大きすぎて潜横舵が破損する危険性ガガガガ』


 伊號にとって未知の負荷を受けていた。

 加えて背中の魚雷ジェネレータである。

 機の態勢を変えるとコクピットが大きく振動した。


『揺らさないでくださいよ! 舌を噛みます!』

「おおおお驚きだな! お前に舌があったのか!」

『コミニュケーションAIですよ舌ぐらいありますよよよよよ』


 細かく揺れながら航行する姿は力強い走りにも見える。伊號は緩やかな弧を描いて水中航跡を長く曳く。カイトは舵で旋回することをあきらめた。機の体勢を変えることで、向きを変えることはできるが、あくまで緩やかも曲線で実用的な操縦技法ではない。もはや人型無弾頭魚雷である。


『ヨナはノエルさんから機体をお預かりしたんです。もっと丁重に扱ってください!』

「てーちょーに扱ってるだろうが、こうやって!」叩き込むようにスロットルレバーを倒す。「微調整なんか意味がないんだよ!」


 さらに振動が増す。激しく切りもみにロールしたあと、プツリと静かになる。ジェネレータが停止したのだ。電源はバッテリーに切り替わり、機は落ち着きを取り戻す。


『伊號の限界速度を超過。エンジンカット』

「航続時間は」

「約10分。無論、燃料の積載量次第で航続距離は変動しますが、機体が持つ可能性は低いです。異常発生。動力オイルポンプの油圧低下。アクチュエータ稼働テスト実施。正常に作動しているので油圧計の誤作動の可能性あり」

「まったく、とんだじゃじゃ馬だぜ。このままだとゴールする前にバラバラだ」

『そうならないためのテスト航行なのですよ』

「スラスタのバッテリー消費が激しい。とっとと帰るぞ」

『了解。ドックに帰投。進路をセットします』


 ジェネレータからは、冷却水の循環モーター音だけが聞こえている。吐き出される高温の海水が、そのジェネレータが発生させる莫大なエネルギー量を証明していた。


 テスト航行を終えた伊號はノエルの待つポートサウスのドックへ頭を向ける。機の調整ははじまったばかりだが、大会の日は目前に迫っていた。


『ところでカイトさん。人工臓器の整備も必要です。医務係のリンユーさんからも矢の催促ですよ』

「あまりいじられたくないんだよ。気持ちがいいものじゃないんだ。わからないだろうけどな」

『気持ちがいいとか悪いとかではありません。必要なことなのですよ』


 カイトはため息とつくと、自分の左胸の人工臓器に手を触れる。ダイバースーツの下にある硬いカバーを感じて、カイトの気は重くなっていった。




    *    *    *



 

 カイトが上半身裸でベットに腰かけている。

 向かい合って座っているのは医務班長のリンユーだ。

 厨房のリンリーとは双子の姉妹になる。

 カイトの胸元へ伸ばされたゴム手の両腕と、姉のリンリーと色違いでもある青いチャイナ服の上に着ている白衣は、所々が赤い粘液で汚れている。それはカイトの血液だった。リンユーは肺の人工臓器のカバーを開いて中の様子を確認している。


「ヨナ。血中酸素濃度は?」

『低下中ですが許容範囲です』


 リンユーの膝の上にはヨナの端末が乗っている。画面にはカイトの体の状態がひと目でわかるように様々な数値が表示されていた。何かが臓器の中から取り出された。プラグのような、あるいはコイルのような形をしている。それを引き抜くとガーゼで丁寧に血を拭き取る。リンユーは険しい顔で部品の状態を凝視している。


「これは吸酸素コイル。肺胞の代わりの働きをする器官です」


 まるで子供に教えようにカイトに向かってリンユーは言う。そして臓器の中に指を入れて同じものを引き抜いた。状態を確認してからトレーに放り投げ、彼女はこわい顔でカイトを睨んだ。


「前に交換したのは?」

『三ヶ月前ですね』


 リンユーは、ため息混じりにカイトの人工臓器内を隈無くガーゼとアルコールで消毒する。小さなプラスチックケースの蓋開けて新品のコイルを取り出し、これも消毒したあとに口を開けたソケット部へ差し込んでいく。それを三回繰り返してすべてのコイルを交換するとリンユーは厳かに人工臓器のハッチを閉めた。


「あなたが“きりしお”にいる限り、この人工臓器の管理は私が行います。体に異常があれはすぐに伝えなさい。その体でダイバーを続けたいのならもっと自分の体を労ったほうがいいですよ」


 カイトを正面から見据え、リンユーは強い口調で言い放つ。

 そして先ほど体から引き抜いたコイルをカイトに手渡した。


「見なさい。三本のうち一本が焼き付いて機能停止。一本は動作不良。かろうじて最後の一本が生きていた。よかったわね」


 リンユーは、皮肉っぽくにこりと笑みを見せてすぐ真剣な顔にもどした。


「これが止まっていたら、あなたは酸欠。その恐ろしさはダイバーのほうがよく理解していますね? あなたは陸で溺れる可能性がある。それを肝に命じてください。あとこれ、中古のコイルですね。他人の使ったコイルを再使用するのは、注射の針を使いまわしするくらい危険なことですよ」


 リンユーの説教は続く。カイトも黙って聞き入れるしかない。彼女は間違いなくカイトの体を思って言っていることは事実だった。だが、明朗で大雑把な姉のリンリーと違い、妹のリンユーは誠実である一方で少々頑なであることは否定できない。カイトは肩をすくめてステンレス製トレーの上にコイルを捨てる。形はエンジンのプラグに似ていた。フィルターのようなところには血とは別の黒いものがへばりついている。カイトが喫煙者であることの証拠である。


「気になってたんだが、こいつはけっこう重々しい造りなんだ。素材も金属質で構成されてる。普通、こういうのってシリコンとかじゃないのか」


 カイトはシャツを着てダイバースーツに袖を通した。


「ポートノースの闇医者らしいですね」


 道具を片付けてゴム手袋を袋に捨てるリンリー。意味ありげな言葉にカイトは視線で話を続きを促した。近くのデスクに寄りかかるゆっくりとした口調で語った。


「それ、普通の人工臓器じゃないですよ。普通の医療者は間違ってもそんな手術はしません。人工臓器っていうものは本来、代用臓器という呼称が正しいのです。新しい臓器を移植するまでの代用品ということですね。だけどあなたのこれは違う」


 リンリーは続けた。


「ミシマさん。あなたの肺は特殊です。その人口肺は骨格と一体化されていて、取り外すことはおろか、新しい臓器を移植することができません。聞くところによれば、危篤状態での緊急手術だったとか」

『医者も臓器も質を求めることができる状況じゃなかったんですよ』

「なるほど。そんな危険な状態の患者にこれだけの手術を突貫で人工臓器を埋め込むことができる者は限られるでしょう」

『医者よりも人工臓器を知り尽くした人間ですか』

「はい。医者というよりは人工臓器の技術者ではないでしょうか。付け加えることがあるとしたら、かなりハイレベルの技能を持ち合わせてた人間ということかな」


 カイトにとってあの闇医者がそこまでやり手の人間には見えなかった。不潔で、だらしなく、ガサツで、やっぱり不潔。しかし、何かに尖った才能を持った人間はどこか偏った性質を持つと聞く。そんな彼の手と技術によってカイトが命を命を繋いだということは事実であった。


「あ、そうでした。ノエルにはその人工臓器見せないほうが賢明よ」


 リンユーは道具をまとめて部屋を出ようとしていたが細い足を止めてくるりと回り、カイトに向き直った。義肢であれ人工臓器であれ、メカあればノエルの中に技術屋らしい好奇心が芽生えることがあるらしい。これが存外に恐ろしいらしく、一度興味を持つと全てを理解するために解体ばらしたくなる衝動に駆られるというのだ。


 さすがにカイトも口を噤む。ノエルの、一切瞬きもしないで高揚した顔をユーミも知っているという。彼女の義足に同じような興味を抱いたことがあったのだ。修理と称して義足はノエルのもとに渡り、しばらく返って来なかったという。ようやく返された義足は前と同じものではなかったのだ。


「よくわからないけど、色々と具合が良くなっていたんだって」


 怪談話でもしているかのように不気味な微笑のリンユーは語った。性能が向上したのは嬉しいがどこか気味が悪そうな顔をしながらユーミは打ち明けたのだとという。説明なしに改造された義足をつけることは、当然気落ちがよいものではあるまい。そう、とにかく謎の英知が詰め込まれたカイトの人工臓器を見せてしまい、そしてノエルが興味を持ってしまったとき、彼の片肺は解体される危険がある。彼女が恍惚とした顔をして自分の胸に工具を突き立てられる状況を想像したとき、カイトは恐怖で肌が泡立つのを感じた。


「そういうことだから、お気をつけて~」


 ご機嫌ようとでも言うかのように手を振るとリンユーは去っていった。


『ノエルの前で不調を起こさないように、リンユーのもとへ定期点検に向かうことを、ヨナは推奨するのですよ。しかし、ノエルがどのような改造を加えるのか気になるところではありますけど』

「冗談きついぜ、まったく」

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