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海底は緩やかな登り坂。地形を把握することができる海底測探機のモニターには、何の起伏もない丘陵のような地形が合成映像になって映し出されている。外観から察するに、地質は砂か泥で岩礁のようなものは見当たらない。ポラードは安心して海底ギリギリを航行することができた。
丘のような地形は、登るこちらにとっては見通しが悪い。登頂部を越えた先は、待ち受ける側にとって絶好の潜伏地点といえる。だが、敵はチョーソカベである。それを逆手にとった作戦を立てていることが考えられる。ソナー室からは何の報告もない。まるでこの先にチョーソカベなど存在していないのではないかと思ってしまうほど静かであった。
――本当にヤツが待ち構えているというのか?
脅迫状の差出人はキングモークァンと記されていた。もし本人がこの文面を作成したのなら、この名前を使うことはありえなかった。何者かによる代筆か、潜隊指令の言う通り完全なブラフなのかもしれない。ポラードにとって確かなことは、あの脅迫状の自信と挑発に溢れた文体からチョーソカベを連想することはできないということだった。
その答えも、いまに分かる。用心に越したことはない。ポラードは頭の中を整理するために、あらかじめ考えておいた事を反芻した。
足が速い原潜が逃げの一手をとるかぎり、鈍足な通常動力型潜水艦は追いつくことは出来ない。通常動力潜水艦というものは、待ち伏せするには最適な性能を有するが、実際に水道を封鎖するとなれば、複数に艦を配置するのが定石である。
そうなれば、連携する戦力が必要不可欠になってくる。この浮揚軍港が点在するアジア海域という環境と軍社の性質上、投入しやすい戦力と言えば、やはり傭兵ダイバーという選択になる。つまり、敵は潜水母艦一隻とダイバー複数となる可能性が高い。
四門の発射管には、対潜機魚雷二本と通常魚雷であるマーク48を装填されている。すでに戦う準備は整っていた。
「スクリュー音探知!」
パッシブソナーが右後方に艦を捉える。
ポラードは艦内マイクのスイッチを入れた。
「まさか後ろからとはな。速力は」
「本艦と同じ。距離をピッタリとキープしています」
「音紋解析」
「アイアイサ」
原潜は索敵のために速力を落としていた。
不明艦は距離を詰めてくる。
「キャプテン。こいつはフランス製の旧式潜水母艦です」
「前方に注意。海底を登りきったポイントにダイバーがいるぞ」
後方の潜水艦からは通信はこない。当然である。警告は、あの脅迫文章で終わっているのだ。次にあるのは戦闘だけ。交わされるのは言葉ではなく魚雷の応酬と命のやり取りになる。そのゴングが鳴るのをポラードは待った。
海底の丘を越えた。
痺れを切らしたかのように副長は早口で意見する。
「速度を上げて、ふり切りましょう!」
「試して見るか? 全速をかけろ」
原潜が走り出す。艦の加速度に対応するために、ポラードは足を踏ん張った。だが、相手の準備は万全であった。
「前方上方から魚雷発射音! 雷数ひとつ! これは短小魚雷です!」
「ダイバーか!」
「間違いありません! 魚雷キャニスタからの発射です!」
副長は忌々しそうに顔をしかめるた。
AFM-Dに搭載できる魚雷である。
小さいと言えど対艦魚雷だとすれば破壊力は侮れない。
「本艦へのコースです! 回頭して下さい!」
「ソナー。魚雷の到達ポイントは左右どちらか」
「わずかに本艦の左側!」
「面舵45だ。急げ」
高速な艦の艦首が右を向く。
原潜がその老体を軋ませて身を翻す。
魚雷は真っ直ぐに迫っていた。
「艦長! ノイズメーカーと囮の射出を!」
「敵艦との距離はそう遠くない。同士討ちを防止するために、こいつは探知設定がオフになっている。マニュアル照準で射たれた魚雷だ」
魚雷は少し逸れたコースで爆発する。遠い衝撃が艦を揺さぶる。ポラードの予測通り、当てる魚雷ではなかった。行方を遮る為の目眩ましだったようだ。爆発で撹乱され、しばらくソナーは役に立たない。一時的な目隠し状態で艦は旋回している。
「このままやり過ごして、わきを抜けますか」
「現時点で現海域の突破は難しい。ダイバーが上にいるのが危険だ。AFM-Dの雷装は二本が限界だが、敵機の数が分からん。潜水艦は艦載機に取り付かれたら終わりだ」
「どうします?」
戦闘時の赤い照明で、副長の顔は汗で光っている。空調は万全に機能していても艦内は暑く感じられた。ポラードが落ち着いた表情で淡々と答える。
「排除するしかあるまい」
副長の固唾を飲み込む音が聞こえる。
ポラードは汗の一滴もかかずに、前方を見ていた。
「雷撃するのですか」
戦いは、手段や方法が変わっても本質は昔から変わらない。殺すか、殺されるかである。敵は魚雷を撃った。例え相手に当てる気がなくても、こちらが不覚をとれば、乗員140名は海の藻屑となるのだ。それがわからない副長ではない。発令所の乗員たちも、ポラードが発した一言で覚悟を決めたように顔をこわばらせた。
「舵戻せ!」
ポラードは操舵席に駆け寄って号令を発した。
その声と顔には鬼気迫るものがある。
「敵魚雷発射ポイントへ対潜機魚雷発射。近接信管有効」
艦首は左へ傾く。副長の命令で発射準備が進められた。ポラードはソナー室に敵潜水艦の位置を確認した。チョーソカベはポラードを油断させるために攻撃不可能な距離まで接近したつもりなのだろうが、それが裏目に出ていた。敵は、ポラードの攻撃を阻止する行動をとることが出来ない。
「一番ゲートオープン!」
副長はポラードに目を向ける。
雷撃の準備が整ったのだ。
「始めろ」
ポラードは迷いのない声で言い放つ。
艦長の命令を受けた副長は次の指示を飛ばす。
「一番、発射!」
重い振動が艦を揺らす。魚雷が放たれ、指定されたポイントに疾走する。AFM-Dの推進音を探知したわけではないので、この魚雷は短小魚雷の発射地点を到達地点として射たれた。一見、当てずっぽうのように見えるがポラードには考えがあった。
「第二波準備。シーカーはアクティブにセット。通常信管」
間髪いれずに二段攻撃の準備が進められる。
後方の敵潜水艦にも注意を払う必要があった。
「ソナー。敵潜水艦に動きはないか」
「スピードを落として距離を離していますが、まだ発射可能の最低距離圏内です」
安心はできなかった。近くても雷撃してくる可能性はゼロではない。ポラードは艦の速力を落とすように命令した。少しでも距離が離れるのを遅くし、敵潜水艦が攻撃してくるまでの時間を稼ぐためだ。
「魚雷、目標到達まで十秒」
その数秒後、遠い爆音が軽く艦を揺らした。
爆発が早すぎるので命中ではない。
「迎撃されました。ハイスピアライフルです」
「発射音はひとつか」
「三回聴こえました。位置は同じ」
「……ダイバーはひとりなのか?」
ダイバーの所在を確認することこそが狙いであった。迎撃されやすくするための近接信管の魚雷だったのだ。ハイスピアライフルの発射音でダイバーの位置が把握できる。どうやら、このダイバーはほとんど位置を変えていない。驚いたのは、ダイバーが単騎しか存在しない可能性があることだった。見くびられたものだな、とポラードは内心舌打ちした。
「第二波、攻撃開始」
「二番ゲートオープン、シュート!」
二本目の魚雷が走る。一本目の爆発で、ダイバーに発射を探知される確率は低い。ダイバーからしてみれば、いつの間にか発射された二段目の魚雷が突然に目の前に現れることになるのだ。
「後方から発射音! 魚雷ひとつ!」
発射の直後、ソナー室から後方の潜水艦の魚雷発射の報告が入る。
「早すぎる! まだ発射可能な最低距離を確保していないはずでは!?」
「魚雷の探信音は?」
「ありません!」
「ではシーカーはアクティブではない。機関停止。ダウントリム20度。海底すれすれを航行しろ」
敵潜水艦から射たれた魚雷は、スクリューの音を追尾するパッシブに設定されている可能性が高い。スクリューの回転を止め、魚雷とコースをそられせるため、艦の頭を下げる。これで魚雷は回避できるとポラードは踏んだ。
それと同時に、ポラードの射った魚雷もダイバーに殺到している。ソナーは、ハイスピアライフルの発射音を何回か聞き取った。迎撃しようとしたようだが、今回は通常信管なので、弾頭に直撃させなければ魚雷を止めることはできない。
「到達まで五秒前!」
この時点で、対潜機魚雷は弾頭部の被帽部が脱落。なかには十数発のスピア弾が装填され、圧搾空気によって一斉に発射される。針のようなスピア弾が散弾のようにAFM-Dを襲うのだ。水中艦載機向けに開発された新型の魚雷である。
その性能通り、スピア弾が発射される。
ソナーマンが耳を澄ます。
「命中確認!」
「……」
ソナーは、複数の弾が機体を破壊する音を確認した。しかし、ポラードが気になることがあった。他のダイバーの援護が全くないことである。傭兵と言えど、ダイバーは必ずバディと組み、二人一組で行動する。この海域に一人以上のダイバーは確認できていない。まさか本当に単騎なのだろうか。ダイバーの動向を注意深く観察したいが、今は確認できている敵を叩くしかない。ダイバーには浅くない傷を与えたのだから、脅威にはならないとポラードは判断した。
「敵の魚雷は?」
「三秒後、直上を通過します!」
魚雷の推進音が発令所の天井を追い越す。ポラードは違和感を覚える。この間抜けな雷撃はなんだ、と。チョーソカベがこのような無駄な攻撃をするだろうか。答えはすぐにわかった。
「魚雷が方向を転換! 本艦前方の海底に着弾します!」
「なんだと!?」
ポラードは考えを巡らす。彼にとっても計算外の事態だった。魚雷は目と鼻の先で降下する。向かう先は海底。その時、底の地質を思い出した。砂と泥である。
「スクリュー反転!」
「スクリュー反転! 後進一杯!」
魚雷が海底に突き刺さる。
すぐに爆発はしなかった。
不発ではないことがポラードには理解できる。
――遅延信管……!
遅延信管は、命中の衝撃を受けてもすぐには爆発せず、目標物に魚雷を深く突き刺さした後に爆発する。つまり、命中後にワンテンポ遅れて起爆するのが遅延信管だ。それを海底に使用したのである。
「面舵一杯!」
艦が右に傾く。その直後に爆発が起こる。魚雷は海底に深くめり込んで起爆した。地質が砂にせよ泥にせよ、それが舞い上がって水中に大きなキノコ雲を作り出す。これがチョーソカベの狙いだったことにポラードは気がついた。
――こいつは“泥嵐”だ……!
その中に突入するわけには行かない。降るかかる泥土の嵐で、ソナーは雑音で閉ざされ、潜水艦の耳は効かなくなる。そこを攻撃されてはひとたまりもない。
「敵潜水艦は!」
「後方より消えました!」
この雑音の中では無理もない。戦いは振り出しに戻った。また敵を探すところから始めなければならなかった。今の状況で、敵が距離をとって攻撃を仕切り直すことはあり得ない。考えがあってこのような戦法をとってきたのだから、次の一手が必ずあると思うのが自然だ。
艦は右旋回を続け、泥嵐を左に見ている。先ほどまで後方だった方角が探知可能領域になり、ソナーによる音源の探知を実施しているにも関わらず、敵潜水艦は依然として不明のままである。敵はどこに姿を隠したのだろうか。
ポラードは数分前の彼我の動きを振り返る。
そこから敵潜水艦の動きを予想しする。
彼が考えたのはひとつの仮定だ。
ポラードの原潜はダイバーへ魚雷を発射した後、後方から敵潜水艦の攻撃を受けた。この間に後ろの敵潜水艦は、原潜の真後ろに移動する。ポラードの旋回に合わせてその反対に舵を切り、自ら発生させた泥嵐の裏側に回り込んだとする。さらに、この泥嵐を迂回するように進めば、一周した頃に艦尾を向けた原潜を正面に捉えることができる。遠回りしたのだから、雷撃に適当な距離を確保することが出来るので、すぐに攻撃を加えることが可能になるわけである。
ポラードは泥の泥嵐の手前を旋回している。
敵は、この向こう側を旋回しているに違いない。
――だったらその裏をかいてやろう。
「一番、二番、対潜機魚雷装填。三番、四番も差し換えろ」
「……全門を対潜機魚雷にですか?」
「そうだ、急げよ。取り舵一杯。艦を反転させる。泥嵐を反時計回りに進め」
敵は、索敵のために原潜がこのまま直進すると思っている。そこを反転して進み、迂回して進んでいる敵潜水艦に対して出会い頭で攻撃を仕掛けることをポラードは画策した。
出会い頭という性質上、雷撃は超近距離で行われることになる。通常の魚雷ではこちらも被害を被る。そのための対潜機魚雷というわけだ。前述の通り、この魚雷は近距離でスピア弾を射出する魚雷である。すなわち、爆発性の兵器ではないため、攻撃側も被害を被ることはないのだ。四本全弾を敵潜水艦の顔面に叩き込むことで、魚雷発射管の開口扉を破損させ、攻撃不可能な状態に追い込んでしまえばポラードの勝利である。
「衝突の可能性が……」
副長の心配は尤もなことだ。狭く見通しの悪いカーブで対向車を気にすることと同じである。だが、ポラードもそれを考慮していないわけではない。
「前方のよりスクリュー音!」
「全門、ゲートオープン!」
副長はすぐに攻撃準備に入った。
だがソナー室からの報告に発令所は浮き足立つことになる。
「スクリュー音ふたつ! こいつは魚雷です!」
ポラードは手に握っていた艦内放送のマイクを握り締める。ここまで読まれているとは思わなかった。ポラードがこのコースをとることを確信して放たれた魚雷である。同時に、ポラードも確信を得た。目の前現れた敵の潜水艦長はチョーソカベで間違いない。なぜならば、ポラードにこのような屈辱を与えることができるのはあの男を置いて他にはいないのだ。
アクティブシーカーの探信音が艦を叩く。
魚雷は確実に原潜を捉えた。
「魚雷を発射しろ!」
「まさか、対潜機魚雷で迎撃を!?」
「そうだ! 敵の魚雷を蜂の巣にしてやれ!」
「了解っ! 全門発射!」
大きな衝撃が艦を揺さぶる。四本の魚雷は、すぐに敵の魚雷を発見する。被帽がとれて、無数のスピア弾が前方に飛び散った。同時に、敵の魚雷からも弾頭から散弾が発射される。相手が発射した魚雷も対潜機魚雷だったのだ。
「魚雷相殺!」
爆音ではなく鉄と鉄が衝突する鈍い音が響く。安堵のため息が、発令所の隊員たちの口から漏れる。
「待ってください」
その声を上げたのはソナーマンだった。ソナーからの次の報告を求めて、全員がスピーカーを見上げた。
「衝突のポイントに何かいます」
「何か、とはなんだ」
「それが……」
「状況を正確に報告しろ!」
苛立ちでポラードが声を荒らげる。
戸惑ったソナーマンが報告を続けた。
「砕けて落下するスピア弾のなかで、異質な衝突音が聞こえます。何かにスピア弾が衝突したり、転がったり、落ちる音です」
ポラードは想像した。粉々になったスピア弾の破片のなかに、何かが潜って進む様を。下から敵潜水艦が浮上してきたのだろうか。
「潜水艦か?」
「いえ、もっと小さいです」
そのとき、金属音が一回聞こえた。スピア弾が一本だけ弾かれたような甲高い音だ。魚雷の相殺したポイントに突然現れたのだから、水中を自由に動けるもの。鯨などの海洋動物の類いではない。かといって潜水艦の大きさでもない。
――となれば、まさか!
「モーター推進音! こいつはAFM-Dです!」




