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人型潜行機動兵器〈伊號〉  作者: 樫野そりあき
二章 『禍ツ鮫』
22/34


「大洋において、ある特定の鯨が、時間的にも場所的にも遠い隔たりをおいて、ひとびとに認められた」


「おお、日本王モークァンよ! お前のそそり立つ汐吹きは、しばしば天空にかかる雪白の十字架になぞらえられたではないか!」



 ――メルヴィル(田中西二郎 訳)「白鯨」より




 潜水艦内の空気は冷たい。原子炉から供給される電力で稼働するクーラーの効き過ぎではない。敵襲が予測される海域に突入する直前の緊張感であった。艦長室で仮眠をしていた艦長のポラードは、椅子に座った状態で目を覚ます。仮眠はベッドで眠らないのが、彼の常だった。備え付けられた時計で時間を確認すると、立ち上がって鏡の前に立った。頬の痩けた自分の顔を見ていると気分が悪くなる。早々に艦長帽を被って部屋のドアを開けた。


挿絵(By みてみん)


 発令所入ると、副長を中心として任務に従事する乗組員たちの張りつめた空気が、ポラードの眠気を吹き飛ばした。艦長が発令所に戻ったことを確認した副長は、操艦の指揮を返すためにポラードに報告する。


「現在異常なし。まもなくセレベス海を抜け、マカッサル海峡へ入ります」

「よし。予定通りだ、全員を叩き起こせ」

「は! 総員戦闘配置!」


 警報ブザーと赤いランプ。飛び交う号令。艦内は戦闘モードに入る。非番で休んでいるものたちは、ベッドから飛び起きて自分の持ち場に走る。よく訓練された国家軍人たちの動きは機敏で動きに迷いがない。ポラードがアメリカ海軍最高のチームと自負するサブマリナーたちであった。


 ポラードは海図台に目を落とす。今では眼鏡をかけなければ、海図を見とることもできないことが彼にとって不甲斐なかった。タッチパネル式の海図を操作し、航行中の海峡を拡大する。そこはマカッサル海峡の入り口である。ポラードの潜水艦から見て、左手にボルネオ島の半島が突きだし、右にはセレベス島が横たわっていた。海底の深度は海峡に進入するにつれてせりあがる。待ち伏せするとすれば、ここしか考えられない。ポラードは艦内マイクを手に取った。


「艦長だ。これより先は、本艦に対しての妨害行為が予想される。警戒レベルを最大限まで引き上げる。海峡通過まで現状を維持せよ」


 海底の丘を這い上がるように潜水艦は進む。

 底の丘陵に遮られて前方の見通しが悪い。


 静かだった。誰かの吐息が聞こえるほどである。旧式とは言え、原子炉の冷却設備からくる騒音は極限にまで抑えられるように設計されている。発電のための蒸気タービンを止め、現在はバッテリーによってモーターでスクリューを回転させているので、艦は極限まで静粛な状態であると言える。


 だが、原潜は静粛性で通常動力型潜水艦に敵わない。

 冷たい汗がポラードの顎を伝う。


 原潜は、無尽蔵な電力供給を得て、半永久的に潜航できる機能を有する反面、原子炉という音源を完璧に隠すことができない。対する通常動力型潜水艦は大気に依存するディーゼルなどの原動機を抱えるために、定期的に浮上して発電をしなければならないが、潜航時は原潜以上の隠密性を手に入れることができるのである。


 待ち受ける敵は、その通常動力型潜水艦である。


 燃料という制限のために、遠征には不向きな通常動力型潜水艦が、もっとも長所を発揮させるのが待ち伏せ攻撃だった。それこそが正しい運用方法といえる。敵は、大いに自らに適した戦闘が可能なのだ。艦の特性だけではない。海底の把握。水温や海流の観測。すべてを計算して作戦に活かすことができる立場にあった。


 これが、どこの馬の骨ともしれない普通の軍社が相手なら、ポラードの敵にはなり得ない。問題は、その潜水艦の艦長である。ポラードは、思い出すほどに胃が焼けるように痛んだ。あの髭面を思い出せば、彼の屈辱と辛酸の日が昨日のように思い出される。


「……チョーソカベ2佐」


 かつては友好国の潜水艦長として肩を並べ、いま敵として相対している男について、ポラードは思いを馳せる。ポラードは自然と、この航海に出る直前のことを思い出さずにはいられなかった。




  *   *   * 





 アメリカ海軍管理下の浮揚軍港ニューパールハーバー。その西に沈む夕焼けは海を赤く染めて、金色の光を放っている。多目的倉庫の屋上に立つポラードは、出港準備が急ピッチで進められている原子力潜水艦を見守っているところだった。


 バージニア級の改装型で、艦首に備えられていたミサイルを垂直発射するVerticalヴァーティカル Launchingローチング Systemシステムを廃し、AFM-Dを三機収容できる格納庫に換装したモデルである。格納庫扉が開かれ、クレーンで吊るされたアメリカ製のAFMが艦内に収容されていく。


 これこそ、潜水艦が運ぶ“積み荷”の正体だった。 


 アメリカのもとで極秘裏に動くこの艦に、登録ナンバーは存在しない。このような艦は数隻ほど存在しており、これらの艦を隠語として『ノーナンバー』とも呼ばれ、国家公認で武器を密輸する潜水艦である。攻撃型原潜という性質上、商品の大量輸送には適していない。速急に商品を必要としている顧客のもとに荷物を運ぶ『特急便』のような役割を担っている艦だった。つまり、この艦はアメリカの『運び屋』なのである。


 いつかの日米合同演習のときもこのような空と海だった。そう考えたとき、あの日、ここに立っていた日本の海上自衛官のこと思い出したのだ。


 その鯨は、日本を守るためにそこにいたのでしょうか。


 日本の潜水艦長はそれ以上は何も語らなかった。その男の後ろ姿は、合同訓練での勝者とは思えないほどに小さい。彼の傲らない態度は大したものだが、敗者側のポラードにとってしてみれば少々腹立たしいものであった。


 ヒロノリ・チョーソカベ、階級は2等海佐。

 彼の言う、その鯨とは、キングモークァンのことである。


 日本最高の潜水艦長として讃えられた男は、この場所でポラードだけに最初の言葉を吐いた。まわりくどい言い回しをする彼の背中からは、謙遜と困惑がにじみ出ていた。そんなチョーソカベの態度がポラードにはやはり不愉快だった。その言動から察するに、自分が自衛官であることさえにも疑問を持っているようにも思えた。だが、記憶の中の彼に真意を求めても、答えが返ってくるはずもなかった。


 あんな脅迫状さえ来なければ……。


 こんな昔の苦い思い出を覗き見ることもなかったのだと、ポラードは内心で毒づく。足早に多目的倉庫の階段を降り、その勢いで地下に続く開かれたハッチに潜り込む。急なタラップを滑り降りると、潜隊司令のもとに足を向けた。


 指令室の前には簡易的なステンレス製の流し台と鏡ある。ポラードはそこで軽く身だしなみを確認した。老いで痩せ細り、髑髏ドクロのようになった自らの顔を好き好んで眺めたい分けではなかった。


「準備は整いつつある。終わり次第、出てもらう」


 ポラードが指令室に入るなり、素っ気なく言い放った彼こそ司令官であった。地下施設の隅の一室を小綺麗にした程度の部屋。そこにデスクを置く彼も、軍人とは思えない格好をしている。壁にかけられた摩りきれた背広。暑そうに腕捲りされたワイシャツと、それからのびる毛だらけの両腕。だらしなく出っ張った腹の膨らみ。手に持つ紙を忙しなく扇いで、暑苦しい顔に風を送っている。


 半官半民の人間には()()()()()()()な部屋だ。

 ポラードはあらためて無表情で嘲笑した。


 ポラードの目の前にいる彼は軍人ではない。最近アメリカ国内の軍事企業なか中で発足した組織『軍業連カルテル』から派遣された人間。軍席にない民間人なのだ。そんな彼が、形ばかりの階級と潜隊司令という適当な肩書きを与えられ、歴戦のサブマリナーであるポラードの上に乗っかっている。ポラードにとって見れば不愉快極まりない。ポラードは苛立ちを隠さずに潜隊司令に迫った。


「進言します」

「またかね」


 あからさまに顔を曇らせる潜隊司令。

 対してポラードは、臆せずに口を開いた。


「航路を定められては任務遂行の妨げになります。輸送コースについては、艦長である自分に任せて頂きたく思います」

「何度も言ったがそれは出来ない。君には最短のルートで行ってもらう。むこうは急かしてる。戦況がかなり切迫しているんだろう。一時間でも早く届けて欲しいとさ。早いほど代金を上乗せすると言ってきているんだ」


 ポラードは音を立ててデスクを拳で叩いた。


「その客とやらの敵は、あなたのカルテルからAFMを購入したことを知っています。その証拠に霧汐軍社から我が軍宛に脅迫状が届いているでしょう。あれは明らかに、敵側が雇った軍社からではありませんか」


 脅迫状という言葉を聞いた潜隊司令は、まるで映画の台詞でも暗記していたかのように、脅迫状の内容を声に出した。


「アメリカ海軍のSSN-XXXノーナンバーNANTUCKETナンタケット〉に告ぐ。積み荷を下ろさぬ限り、東南アジア海域を通ることを遠慮されたし。これを無視した場合、当方は、武力をもってこれを阻止せんとす。……霧汐軍社、キングモークァンより、か。ただの脅しだ」

「そう言いきれますか!」


 次第に声が高くなるポラード。

 青筋を立てて潜隊司令に詰め寄った。


「ノーナンバーの存在は米海軍のトップシークレット! 本艦のコードまで知られている。東南アジアを通ることも筒抜けではありませんか。ここまでくれば、詳細な航海コースも知られていると見るのが妥当です。どのような妨害に合うかわかったものではありません! ここは輸送ルートを変更することが賢明な、いえ当然な処置ではありませんか!」

「それが狙いなのだよ!」


 潜隊司令もポラードの気迫に負けじと立ち上がった。

 だがその声は少し上擦っていた。


「霧汐軍社は、こんなちっぽけなテキストデータを本社に送りつけ、艦を一ミリも動かさず、戦わずして報酬金を獲得しようとしている! はっ、ケチで金欠なアジアの軍社どもがよく使う手さ! それに、軍社の小細工に踊らされて輸送コースを変更するのは、我が合衆国海軍の敗北ではないのかね!」

「敗北とは任務の不完遂です。それ以上でもそれ以下でもありません」


 声量を落としたポラードは冷静に切り返す。

 彼の迫力は増して潜隊司令を圧倒していた。


「少しでも早くついて1ドルでも会社の利益になれば、司令は満足なのかもしれません。ですが、こちらは乗員の命を預かる身。合衆国のサブマリナーとして命をかける部下に、金のために死ねとは言えない」


 潜隊司令が黙り込んだのを見計らい、ポラードは左の壁にある海図を指で示した。


「ニュージーランドの東方……外回りとは言いません。だがせめてオーストラリアとの間、タスマン海を抜けます。南の海は広く深い。こちらが発見される可能性はありません」

「そんな遠回りはさせられない。本社からの指示通り、東南アジアの海を行ってもらう。それ以外は受け付けない」

「航路を知られないことが潜水艦の長所。これを潰されることが、どれだけ不利なことかご理解下さい」


 潜隊指令は椅子から巨体を起こしてデスクの上に手を組んだ。


「しているよ。だから君のような熟練者を指名したんじゃないか」


 これほど説明しても意見を受け入れられなかったポラードは、説得しても無駄だと悟る。諦めも含まれていた。歯噛みをする思いで潜隊司令を睨む。この男が司令官として階級を持っているのだから、命令として従わなければならない。暴言を噛み殺して黙り混むポラード。眼光だけが鋭く潜隊司令に向けられていた。


「この際だから言っておます。ノーナンバーの存在は軍の機密。機密とは、こうも簡単に民間に破られることのないブラックボックスです。それが簡単に漏洩したとなれば、出どころは軍業連、カルテルということになる」

「それは……」


 潜隊司令は虚を突かれたように動揺して目を游がせる。

 早口で、途中からは独り言のように呟いて言葉を濁らせた。


「……秘匿を扱っている社員は社内でも評価の高い信用ある人物だった。まさか軍社などに内部告発しようとは思いもよらなかったのさ。それも金で釣られた訳でもなく、ただ良心に従って、だと? ふざけたやつだったよまったく」

「内部告発ですと?」


 どうやら機密漏洩の原因はカルテルにあることは間違いないらしい。ギクリとした顔でポラードを見る潜隊司令。切り返す言葉を探しているに違いない。それもポラードにとって都合の悪い話をだ。それを見つけたらしく、潜隊司令はポラードの目を覗き込んだ。


「脅迫状の送り主の名前。キングモークァンとは、ヒロノリ・チョーソカベのことだったね」


 ――またチョーソカベか。


 先程の幻が、またポラードの眼前で甦る。日米合同演習において、日本の潜水艦に対し、米海軍が完全敗北した。その海上自衛隊の潜水艦長がチョーソカベ2等海佐であった。


「合同訓練で、第7艦隊の空母〈RONLDロナルド REAGANレーガン〉をしとめた艦長。それでアメリカ海軍は彼に敬意をもってこう呼んだ。キングモークァン」


 大昔、アメリカの捕鯨船の船乗りが見たと言われる、日本の近海に現れる鯨。閉ざされた日本という国を守るかの如く、捕鯨船をまったく寄せ付けなかったという。世界の名のある鯨は、船乗りたちが名を売るために好んで標的とされ、次々と狩られていったが、キングモークァンの鯨油が世界の市場に出回ることはついになかったという。まさに勝者の鯨である。だがポラードにとっては、やはり忌々しい名前であっることに違いない。


「君は、合同訓練でチョーソカベに敗北している。彼を恐れているだけではないのかね」


 この男に嫌気が指したポラードは、むしろ怒りが引き、冷めた面持ちで直立不動になってしまった。ゴミでも見るかのような目で、椅子に座る目の前の男を見下ろした。


「彼の実力は認めます。だからこそ、事を構えるとなったら、これに全力で当たらなければなりません」

「それで?」

「万が一。撃沈する可能性がある。そうなった場合、後始末を願います」

「……消息を絶つ軍社は毎年に腐るほど出る。そうだな……潜水艦のマシントラブルで沈んだ。ありそうなストーリーじゃないか?」


 ポラードが、やむを得ず霧汐軍社を攻撃し、潜水艦を撃沈した場合のことである。米原潜が軍社を撃沈したとなれば厄介なことである。それに、ノーナンバーは極秘の存在。この潜水艦が起こした事件は揉み消さなければならないのだ。


 もはや、交渉しても意味はない。この男にその価値はないのだ。こうなれば信じられるのは潜水艦長としての自分と、その部下である原潜〈NANTUCKETナンタケット〉の乗組員たちである。


「……不本意ではありますが、我々は我々の信念を信じて戦います」

「黙ってうんと言えばいいのだ。それでこそサブマリナーというものだろ」


 ポラードが敬礼をして部屋を出ようとしたとき、背中に潜隊司令の声が投げかけられた。


「信念とは愛国心のことかね」


 きっと下らない話だと思いつつも、潜隊司令に向き直るポラード。苛立ちと侮蔑。彼と同じ空気を吸っているのも耐え難い。


「ポラード艦長。AFM開発後に活性化した軍需産業は、今やアメリカ経済そのものだ。この流れが止まれば、失業者は増え、一気に多くの国民が収入源を失い路頭に迷う。軍事企業こそ、今のアメリカになくてはならないもの。つまり、我々、カルテルこそアメリカである……とは言えないかね」


 彼の言わんとしていることを理解したとき、ポラードのなかで何がキレる音がした。


「アメリカの要であるカルテルに尽くすことが、我々国家軍人が思うべき愛国心だ、とでも言いたいのか……!」

「……はっ、ちょっとした冗談だよ」


 ポラードは強かに扉を閉めた。敬礼もしない。とにかく一刻も早くここを離れたかった。準備を急がせ、原潜〈NANTUCKETナンタケット〉は西へ向かう。ニューパールハーバーはすぐに遠くなり、瞬く間に水平線へと没した。


「そのまま浮いて来るな……!」


 艦橋の上に立つポラードは独り言を吐き捨て、潜航用意の指示を飛ばすのだった。

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