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人型潜行機動兵器〈伊號〉  作者: 樫野そりあき
一章 『傭兵と海賊と』
21/34

番外編 ミルカ

【人型機動兵器計画】

 国連において『国際紛争対策会議』が開かれ、歩兵を様々な形で援護する兵器の必要性について話し合われた。結果、各国でAFMを研究開発することが決定。現地において、多国籍軍が活動するときの利便性を考えて、部品は規格化、他国の部品も流用できるように開発することが『人型機動兵器計画』の協定に盛り込まれた。日本でも、紛争地域へ自衛隊を海外派遣させることが多くなっていたため、AFM開発を決断。数年後、各国のAFMは完成する。




  *   *   *  




 四歳のザミラ・タラーソヴィチ・クレイバノアは、九歳の姉から“ミルカ”と呼ばれる。ミルカは姉と同じベッドで眠っていたが、妙な不安感に襲われて目を醒ました。不安の原因はすぐに分かる。姉の姿が見当たらなかったのだ。


 母親よりも姉の腕に抱かれて眠ることが多かった彼女は、誰よりも姉のそばが好きだ。三歳くらいまでは、眠るときも姉に抱かれて眠ることが多かった。今もそこが、いちばん落ち着いて眠ることができる場所であったが、最近の姉は、一緒に横になってくれるが「もう四歳なんだから」という理由で、前のようにくっついて眠ってくれることがなくなったのがミルカには不満だった。


 さて、ベッドから消えた姉を恋しんで泣き叫ぶのではなく、自分の足で探しに行くことを最近に知ったミルカは、枕の近くに寝かせてあったウサギのぬいぐるみのイルーシュカを抱いてベッドから滑り降りた。


 家の廊下はまだ暗い。だがリビングの扉から漏れている光を見付けると、そこには姉の姿があった。ドアの隙間から中の様子を覗いているようだ。ミルカは姉のパジャマを掴む。寄り添うようと言うよりもへばり付くと言った方が適当だった。姉はミルカを疎ましいがらずに優しく額を撫でたが、そうしながらもリビングから聞こえる声に耳を傾けているらしい。


リビングには父と母がいるらしく、二人の声が聞こえた。いつもミルカに語りかけるときとは違い、真面目な声で難しい話をしていた。


「近頃、この辺りで厳しい報道規制を敷いていたが……」

「兵隊を集めた方がいいわ。政府軍の奴ら、きっと強引な手段にでたのよ。最前線の義姉ねえさんの連絡からもう一時間よ。有事には三十分後に電話が来る筈なのに」

「まだわからん」

「……なんだと思う?」

「妙な地響き、と言っていたか」

「戦車……ではないんでしょうね」

「ましてや車でもない」

「各国の軍事企業の関係者が首都のキエフやオデッサに集まっているって情報があったわね。何か関係あるんじゃない?」

「例の新兵器の噂か」

「政府の報道規制と今回の連絡。絶対にヤバイわ。西の連中は世界中の目が私達に向いていないのをいいことに、この国内問題を強制終了させるつもりなのよ。ついでに新兵器の実験場を提供することで国際社会に恩を売れる。私達の血を代償にしてね」

「だが銃声の一発も起こらない。変に動けば敵に我々を攻撃する大義名分ができる」

「まんがいち……」

「それには備えなければなるまい」


 何を言っているのかミルカには分からなかった。自分がどこの国の人間なのかしっかりと理解していない彼女である。姉には親の会話の全てが理解できているようでミルカには頼もしく見えた。姉の顔にきをとられていると、いつの間にか扉が開かれて父が立っていた。


「二人ともよく聞きなさい。お父さんとお母さんは戦いにいかなければならない。ターシャはお母さんの言うことをよく聞いて忘れないこと。ミルカはお姉ちゃんにちゃんと付いて行きなさい。いいな」


 ターシャ、と呼ばれた姉は力強く頭を縦に振った。両親がどうして戦わなければならないのかミルカには分からない。それでも、姉のターシャに付いて行けば間違いないことはよく知っている。ミルカは、自分のことを力強く引っ張ってくれるターシャの手が好きだった。


 二人は準備を始めた。ターシャに時間を訊くと明け方だったらしい。動きやすい外用の服に着替えて子供用のコートを羽織り、マフラーを首に巻く。ターシャは、手早く銀色の後ろ髪を三つ編みにしていた。短い長さの編み込みで右肩から前に下ろしている。羨ましくなってミルカがねだると、ターシャは笑ってミルカの髪を編んだ。姉妹同じ色の頭髪で同じ三つ編みであったが、ミルカはターシャの対になるように左肩から下げる。それだけの違いしかなかったがミルカは満足げに姉に笑って見せた。


「さ、急ぎなさい」


 母は一瞬笑ったがすぐに真面目な顔に戻った。

 ターシャは黒くて重そうな物を自分のバックに詰め込んでいる。


「使い方は大丈夫だな」

「うん。何度も練習したもの」

「あれはオモチャだが、それはホンモノの“ヤリギナ”だ」

「最後の手段だよね」

「そうだ。それが分かっていればいい」


 重そうな物を抱えている父は、そう言ってターシャの頭を撫でた。両親は、何やら鉄の塊を組み立てていた。窓に備え付けられた物は対戦車ライフルであり、いま家族全員が持っている物が武器弾薬の類いであることなどミルカに分かる筈もない。リビングの灯りも消されて、大人が見れば臨戦態勢であるとすぐに理解できるだろう。ターシャはミルカに向き直る。


「忘れ物はない?」

「だいじょうぶ」

「ウサギさんは?」

「イルーシュカだよ! ほら!」


 ミルカはぬいぐるみの耳を掴んでターシャに突き付けると、彼女は笑って「じゃあ行こうか」と言って手を握った。ターシャは目的地を母親に教えられていたが、それは一ヶ所だけではないらしい。ここがダメだったらそこ、そこがダメだったら次はここ……。そんな事を、母親から姉が聞いているのを見ていたが、ミルカは「そこ」や「ここ」がどこなのか分からない。ミルカはただ姉について行くしかなかった。


「お医者さん道具は?」

「持った」

「よしよし、お姉ちゃんが困ったときは助けてね」

「まかせてよ」


 誇らしげに、にんまりと笑うミルカ。姉のターシャは勇敢だが、それ故にケガをすることも多かった。大好きな姉が傷付くことは当然、ミルカにとっての一大事である。結果、彼女が最近覚えたことはケガの手当てである。最初は、ちょっとした打撲でも患部を包帯ぐるぐる巻きにしてしまうほどいい加減なものだったが、母親から正しい知識を学び、切り傷の止血と応急処置くらいはできるようになっている。よって、ミルカが背負ったバックの中には救急セットがしっかりと入ってるわけだ。


 二人は、まだ暗い町が少し不安だったが、どこか遠足気分でもあった。言い付け通りに行けば、また両親と再会できると、その程度にしか考えていない。それは彼女達の年齢を考えれば仕方のないことだった。


 姉妹は外に出た。二人の家は、十字路の角に位置した低い建物の二階で、階段を降りて道路に出た。時間的には明け方でも、まだ暗い夜道である。街灯がある橋からの光は、我が家の窓を照らしていた。


 二人だけの夜を、通りの建物に切り取られた月のない空が覆う。石畳の道は、薄暗い街灯で冷たく光っていた。ミルカは、夜の町を歩くのが初めてだった。生気を失っているかのような町の雰囲気と、どす黒くてよく見通せない細い路地の暗闇が無性に恐ろしく感じられたが、やはりターシャの存在は大きい。手を繋いで手を軽く揺さぶりながら歩き、鼻歌混じりに先を行く。姉の様子を見て安心したミルカも夜の散歩気分になってくる。


挿絵(By みてみん)


「まるで世界から人間が消えちゃったみたいだね」


 ターシャが歌うように呟いた絶望的な言葉にさえ、好きな絵本を開くときのような高揚感に似たものを感じてしまう。なぜだか可笑しくなって二人でくすくすと笑いあってしまった。


 突然、一つの笑い声が途切れた。

 黙ったのはミルカのほうだった。


「な、なに? どうしたの?」


 急ブレーキをかけたミルカに引っ張られて驚いたターシャ。大通りをもとにして、ムカデの足の様に伸びる多くの路地の一つ。ミルカはその暗い道の先を凝視している。路地の向こうは少し明るくなっていて隣の通りが見える、筈であった。


 その通りだけは何も見えなかった。真っ暗だったのだ。路地の隙間の上の方に視線を移す。そこからは建物の最上階部分が見えていて広告の看板を照らすライトが切れかけて点滅している。


 ――つまり“何か巨大なモノが路地の出口にを遮っている”という事なのだ。


「……あ!」


 その暗闇に光が灯る。

 紅い蛍光色の光だ。数はひとつ。

 まるで目玉のようにぎょろぎょろと動く。

 そして、小さな地震を起こしながらその場を移動し視界から消えた。


「……お化け」

「……まさか」


 ミルカはもう見ていなかった。ウサギのぬいぐるみを力強く抱き締め、震えながらターシャの影に隠れた。その“何か”について行く様に、何人かの人間が音もなく走って行く。普通の格好ではない。両親と似ている物を持っている。つまり武装している者達だ。その内の一人がこちらを見た気がして、ターシャとミルカは隠れた。となりの通りにはただならぬ気配がある。


 ミルカが騒がないよう口に指を当てるターシャ。しかし、ミルカは限界だった。いまにも大声を出して泣き出したい衝動に駆られ、鼻がつんとしてきていよいよ泣き叫び出そうになったとき、ターシャがミルカを強く抱き締めた。少しの間ターシャの胸でミルカの声を圧し殺す。大きな涙をひとつ落として、息を荒くしていたが、大声は我慢することが出来た。そしてミルカは、落ち着いた所を見計らったターシャに促されるまま彼女に背負われる。


 ミルカをおぶさったターシャが走り出そうとしたとき、重い銃声がミルカの背中を叩いた。ターシャが振り向く。彼女の背中からミルカが見たのは、自宅の窓から突き出された鉄の筒が二回目の火を吹く瞬間。二人の両親が対戦車ライフルで攻撃していたのだ。さっき見た何人かの兵隊が家に突入していく。二人は物陰に隠れながら逃げつつ様子を窺う。そして、アイツが姿を現した。黒い塊が街灯に照らされてその全貌が明らかになった。


 ――黒い巨人。


 そうとしかミルカには言い表せられない。

 光る一つ目。背中のトゲトゲ。

 背中に立ち上る揺らめく陽炎。

 少女の二人にそれは大きな悪魔にも見えた。


 身長は、二階の窓に頭が届くか届かないかというくらいの高さで、しっかりと二本の足で歩行してる。首があり、腕が両脇に二本。手には相応な大きさをしている小銃のような火器を持ち、背中には各種アンテナがトゲのように光っている。腰の辺りにはエンジンがあるようで、重機がマフラーから吐くような陽炎を吹き出していた。戦車でもなく車両でもない。二人にとってそれは人を型どった機械の塊だ。


 応戦しているのは両親だけではない。回りの家々から見覚えのある人達が武器をもって飛び出して来て攻撃を始めた。見馴れた町の風景は一転。ミルカとターシャは生まれて初めて戦場を見る。


 機関銃の連続した発砲音。

 各所で人同士の撃ち合いが展開される。

 ミルカに振り返ってターシャが銃声に負けない声で言う。


「走るから! しっかり捕まりな!」

「うん……」

「怖かったらお姉ちゃんだけを見てる! いい!?」

「……わかった!」



 走り出すターシャ。ミルカは姉にしっかりとしがみついた。戦っている両親を思い、もう一度家の方を見る。そのとき目にしたものは、町の人が巨人に対して、グレネードランチャーが撃ち込まれる瞬間だった。


 巨人は軽快な動きでその攻撃を回避。

 弾は、自宅とは別の角のビルに激突して爆発した。


 援護するように放たれる対戦車ライフル。

 弾丸は巨人頭部の光る目玉に命中。

 割れたガラスのようなものを飛び散らせる。


 それでもまだ巨人は動く。

 攻撃もとに走り、急接近する。

 文字通り、その鉄拳を建物の窓に叩き込んだ。


「お姉ちゃん、おうちが!!」


 そこは、両親がいる自宅の家の窓。悲鳴のようなミルカの声にターシャもまた振り向く。巨人が瓦礫から腕を引き抜いている。街灯が、その腕に濡れた赤黒いモノを照らす。それはミルカには見えなかった。ぎょっとしたように驚くターシャの顔を見ていたからだ。


「おうち。もう帰れないの?」

「……今はね」

「いつ帰ってこれる?」

「お父さん達がアイツらをやっつけたら帰れるよ」

「お父さんとお母さんはだいじょーぶ?」

「大丈夫。ちゃんと逃げた」

「そうなの?」

「うん。ミルカが頑張って走ればまた会えるよ」

「……わかった、がんばる」

「いい子。よし。ずっと遠くに逃げよう。本当は最初に髭のおじいちゃんちに行くんだけれど近すぎる。次の、眉毛のおばちゃんちも危ない。リョーカお兄ちゃんの所に行こうか」


 ミルカは背中から降りてターシャの手を握る。頑張って走ればまた家族で幸せに暮らせる。姉に付いて行けば間違いないのだ。今までもそうであったように。ターシャに引かれてミルカは逃げた。必死に石畳を蹴って、姉に歩幅を合わせようと跳ねるように走る。脱兎になったミルカの腕でイルーシュカの長い耳が揺れていた。




  *   *   *  




 従兄のリョーカは不在だった。歩き疲れた二人は、勝手に家の中で休ませてもらうことにした。中には誰もいない。ここは町外れに位置し、ちょうど山と町の境目のようなところだった。リョーカの両親は他界しており、この家にはリョーカ一人で住んでいたので、彼が居なければ家は空になる。一人暮らしには広すぎる家だ。そんな家は、ミルカにとって絶好の遊び場所であったし、ターシャもこの家が好きらしく、家族でここに来るとなれば二人は大喜びであった。だが今回は状況が違う。


 朝御飯の時間は過ぎて日が高かった。ターシャがバックから潰れたパンを取り出して、ミルカがそれを受け取る。逃げているときは空腹を感じなかったが、椅子に座った瞬間に胃が目を醒まして食欲を甦らせたのだ。


「……かたい。でもワガママ言わないで食べるよ。偉いでしょ」

「……」

「お姉ちゃん?」

「え!? あ、なに?」

「食べないの?」

「食べるよ……って、硬いなあ。美味しくない」

「ワガママ言わないの」

「はいはい」


 ミルカはちぎったパンをイルーシュカの口に運ぶ。もう片方の手でそのぬいぐるみの口を動かし、あたかも食べているようにして遊んでいる。普通だったら注意してくるターシャが何も言ってこない所を見て、ミルカはおかしいと思った。


「お姉ちゃん、元気ないね」

「……うん? そんなことないよ。ミルカは?」

「だいじょーぶ、お姉ちゃんがいるから!」

「……そだね」

「それに頑張って逃げたからお父さんお母さんにも会えるでしょ? いつ会えるの?」

「……」


 いたたまれないように、ターシャは席を立って窓に駆け寄った。ターシャは、リョーカの家に着いてから様子が変だった。明らかに元気がなくなっている。ミルカも姉の異変に気が付いてはいたが、それを口にしていなかった。何故ならば、その理由をミルカは何となく理解していたからである。子供ながらもカマをかけるようにミルカは言う。


「リョーカお兄ちゃんいなかったね」

「うん」

「お姉ちゃんは好きなんでしょー? お兄ちゃんのこと」

「え? うん好きだよ?」


 後ろ姿のミルカはやはり元気はなかったが、ターシャの銀髪から覗く耳が少し赤くなっていた。予想が的中したのが嬉しいのかミルカはにんまりと笑う。ミルカは、この家に来るとターシャがリョーカばかりを見ていることに気付いていたのだ。ターシャがゆっくりと振り向く。ミルカは驚いた。耳が赤かったのは恥ずかしかったのではなく、泣いていたからなのだ。


 突然、正面玄関の扉が開かれる。

 冷たい空気と共に男が入ってきた。


 軍人の様に武装した若者は二人を見て僅かに微笑んだが、それが最後の力だったらしく、がっくりとソファーに崩れ落ちる。姉妹と同じ毛の色。その短髪は土埃と赤いものに染まっていた。


「リョーカお兄ちゃん、血が出てる!」

「ああ、これかい?」頭を押さえるリョーカ「これは僕のじゃないよ。でもこっちは結構ヤバいんだけどね」


 リョーカは右脇腹を抱えて呻いた。濃緑色の上着に黒い染みが出来てる。よく見れば彼が歩いて来た所にも黒いペンキのようなものが転々と落ちている。ただでさえ白い彼の顔が透き通る様に色を失い、微動する青い目が二人を見ていた。ターシャは彼の武装を慣れた手付きで外していき、ミルカに見せないようにべっとりと濡れた上着を捲って患部を見た。指図されずともミルカはバックの救急用品を取り出して姉の指示を待つ。


「嘘……こんな……」

「お姉ちゃん?」


 口を押さえて嗚咽するターシャを見て狼狽えるミルカ。リョーカは諦めたような顔で苦笑いした。止血するだけでいいと言うリョーカ。ターシャは躊躇ったが言われた通りにする事を決意したようでミルカに大きな当て布と包帯を所望した。せっかく生還して再会したというのに言葉を全く交わさない両者を、ミルカは口を“へ”の字にして不思議そうに見比べていた。


「さて、もう時間がない。二人とも聞いてくれるかい」


 一通りの処置を受けたリョーカ。息をするのもつらそうな彼をミルカは見つめた。介抱するため、隣に寄り添うターシャは俯いてリョーカを直視していない。なのでリョーカの話にはミルカだけが声をあげる。


「もう……終わりにしよう」

「何を?」

「僕の親や……君たちの親の『戦い』を……だよ」

「お父さんと母さんは何と戦っているの?」

「分からない。僕には自分なりに、この戦いの意味を見出すことが出来なかった。だから……終わりにするのさ」


 リョーカは、ミルカと話しつつもターシャを見ていた。どちらかと言えばターシャを諭すような言い方だったが、それにミルカは気が付かない。


「僕が、世界中を旅をしていたことは知ってるね。その旅路の途中に両親が死んでしまったことを知った。親孝行することも出来ずに自分の我儘だけを通してしまったことを痛く後悔したよ」

「……だからお父さんたちの『運動』に参加してたんだ」


 ターシャの小声はリョーカに届いていた。

 彼は力なく首を縦に動かす。


「けれどダメだった。僕には自分なりの戦う理由を見つける事ができなかった」

「罪滅ぼし、が理由じゃダメなの?」

「ダメだ」

「どうして?」


 断じたリョーカの目は厳しかった。


「それは親の死体を背負っているだけだからさ」

「立派な親孝行じゃない」

「亡霊に取り付かれているだけだ」

「死んだ家族のために戦って、何が悪いの……!」


 膝の上で拳を握り締めるターシャ。

 こんなにつらそうな姉をミルカは初めて見る。

 零れたターシャの涙をリョーカの指が拭う。


「そうか、もしかして、お父さんたちのこと……知ってるのか」

「うん……見た」

「ミルカは?」

「お父さんとお母さんは後で会えるの」

「……」


 リョーカは一瞬だけ笑った。

 それに答えてミルカも笑う。


「ターシャ、敵をやっつけるだけが『戦い』じゃない」

「何が言いたいの?」

「降参だ。白旗を上げて、敵に投降しろ」


 リョーカは手を伸ばしてテーブルクロスを手繰り寄せた。真っ白い布。それを目一杯広げて見せる。それを見たターシャが勢いよく立ち上がる。彼女の顔は強張って嫌悪感に満ちている。その状況にミルカは漠然と不安感を募らせた。


「ケガをして臆病になったね、リョーカさん」

「それは違うよ」

「違わない。いままでのリョーカ兄さんはそんなこと言わなかった……! 血を見て、臆病風に吹かれたのよ!」


 ターシャは素早い動きでバックの中に手を入れる。出したものは黒い鉄の塊。父親から渡された拳銃“ヤリギナ”だった。それを握りしめる両手に力が入る。


「私は違う」

「ターシャ。怖い子になったな」

「でもね、リョーカ兄さん。貴方の名誉は私が守る。兄さんには、私の憧れのままでいてもらいたいの、だから……」


 ターシャの目が鋭くなる。ミルカの鼓動が高まった。姉が義兄を撃ち殺してしまうと思ったからだ。咄嗟に姉の前に飛び出してリョーカの盾になるように立ち塞がった。


「何をするのお姉ちゃん!」

「どきなさい、ミルカ」

「お兄ちゃんは大ケガしてるんだよ!」

「……何もしないよ」

「うそだ!」


 いつもならば姉の言うことに忠実なミルカだが、今回は様子が違った。ターシャの方もミルカの思いがけない態度に怯んでいる。ミルカがターシャに楯突いたのは初めての出来事だったのだ。


「まったく、今はミルカがまともだな」


 リョーカは力なく笑っていた。ターシャも我に返ったかのように呼吸を整えてから銃をしまった。安心したミルカは、その場でぺたんと座り込んでしまう。そして少し後悔した。落ち着いて考えてみれば、リョーカのことを敬愛しているターシャが彼を傷付けるわけがないのだ。


「……この気持ち、リョーカ兄さんだけは、分かってくれると思ってた」


 悔しいのか悲しいのか、ターシャの声は沈んでいる。

 やはり傷が痛むのか、リョーカは脇腹の包帯を押さえながら言う。


「……裏口を出たら、すぐそこにある橋の下に隠れるんだ。森に入っては行けない。川の下流に歩くと暗渠になって町の下に行ける。そこで五つ目のマンホールで地上に出れば前線の外側だ」

「え?」

「攻めるも守るも、まずはここから逃げなければならない。ここに来るとき敵は巻いて逃げて来たが、ここも時間の問題だ。僕が囮に残る」

「でも!」

「いいんだ。行って欲しい。考えてもみれば、ターシャは僕に似て、人に言われた通りに進む人間じゃないからな。自分の信じた道を行ってくれ」

「……わかりました」


 ターシャは最後にリョーカを抱きしめた。

 だが、彼はそれに応える力が、もうなかった。


「ミルカ」


 身を固くしているミルカにリョーカが語りかける。


「お姉ちゃんをよろしく」

「私が?」

「そう。どうやら君がターシャの支えになっているらしい」

「え? それは逆だよ?」

「同じことさ。ミルカ、幸せに暮らせる平和な世界を探すんだ」

「へーわ?」


 ミルカは首を傾げたが、リョーカはそれ以上何も言わなかった。別れの挨拶に彼を抱きしめる。また会えると信じて。リョーカの身体は以前に比べてかなり冷たいものになってる。失われた彼の温もりが恋しかった。一抹の寂しさを振り切るようにターシャの背中を追ってミルカは走った。




  *   *   *  




 最後のときが来た。リョーカはここまで自分の生命が保たれていたことに一種の感動を覚えていた。家の回りは敵兵に満ちている。突入前に降参の意を伝えれば生き残れるかもしれない。二人は立ち去った。もうリョーカがどうなろうと彼女達に危害は及ばないだろうし、むしろ保護を頼んだ方が賢明だろう。しかし不幸なことに、彼は律儀な男だ。囮になると言ってしまった以上、それに背くことができない人間なのだ。


 正義は向こうにある。

 何の為に戦うか遂に見出だせなかった。

 そんなリョーカに、正義を主張する権利はなかった。


 ――正義がない?


 否。たった今、彼に正義が生まれた。自分の死でターシャを改心させることが出来るのならば本能と言える。勿論、自分の最後をターシャが知り得るか分からない。それでも賭ける価値があるように感じられた。根拠もなく、無意味に、そう信じたかった。それが命を捧げる人間の心理なのかもしれない。


 玄関が開いて、数人の兵士がなだれ込む。

 複数の銃口がリョーカを睨んだ。

 手榴弾の安全ピンは解除している。

 それを、敵の兵士の足元に転がしてやった。


 結局自分は、こんな気難しいことを考えても、実質的に彼女達の支えにはなれない。絶望はあったが、そんな憂鬱も照らして、帳消しにするほどの光と衝撃が、リョーカという若者の全てを終わらせた。




  *   *   *  




 マンホールをなんとか押し上げると、そこから顔を出し、周囲を確認したあと、ターシャはミルカを呼んだ。鉄の梯子に手をかけてよじ登る。最後はターシャの手によって地上に引き上げられる。既に夜になっていた。地下の悪臭から逃れられる事に、ミルカは喜んだ。


 町は死んでいた。住民の気配は消えて、あるのは哨戒する兵士の足音だけ。あの巨人は近くにいないようだ。その小さい手に重そうな拳銃を決して放さないターシャ。物陰に隠れては行く先を窺い、次の遮蔽物に走る。ミルカはそんな調子の姉に引っ張り回されていた。いつも頼もしかったその手が、今では強引で痛い。いま自分がどこに向かっているのか彼女には分からなかった。だからそれを、ミルカは何度も訊いた。しかし、姉からの答えはない。


「少し休もうか」


 リョーカの家から出て、初めて優しくターシャは言う。建物の影に腰掛けて地面に尻を付く。誰かの家の壁に背中を預ける。ターシャが取り出した食料は、ビニール製の袋にくるめられ、更にその中でラップが巻かれていた。おそらく地下水道を通るための対策らしい。リョーカの家から持ってきた食料は分厚いクッキーのようなもので、美味しくないが不味くもない。だがすぐに腹が膨れた。そういうふうに作られた物なのだと姉が説明した。


「よく聞きなさい」

「うん」


 イルーシュカを抱きながら、曖昧に返事をする。


「父さんと母さんにはもう会えない」

「どうして?」

「もう帰ってこないの」

「何で?」


 死んでしまったから――。


 ターシャは、はっきりと言った。ミルカは人の死を完全に理解できるほど大人ではない。だが死んだということは、居なくなって消え去るという意味。単純な解釈は可能である。姉だけ居てくれれば大丈夫と豪語していた彼女も、やはり親の消失には堪えられない。泣くしかなかった。ミルカの涙がイルーシュカの頭を濡らした。


 次第に大きくなるミルカの声は、夜の町に響いた。休憩場所を兵士のいない所を選んだらしく、ターシャはミルカの口を塞ごうとはしなかった。ただ、肩を抱き、頭を撫で、最後には抱えるようにしてミルカを慰める。やはりターシャの手は暖かかった。ミルカのよりどころは、もう、ここしかない。言葉の意味は理解できる。だがその現実を受け入れられなかった。


 何がいけなかったのだろうと考える。

 誕生日が来ても一人では眠れなかったから?

 ミルカがいつまでも甘えていたから、神様が罰を下したのか。

 ではなぜミルカではなく、

 リョーカが傷付き、父や母が失われてゆくのだろう。

 なぜ、こうなったのかミルカには分からない。

 一昨日までは家族で幸せに暮らしていたのだ。

 すべてが平和だった。


 ――全てが平和だった?


 リョーカは探せと言った。

 家族で暮らせる平和な世界。

 そんなものはもうない。存在しない。

 存在していた平和な世界は壊れてしまった。

 いや、その平和を、実感すらしていなかった。

 だから、ミルカは「へーわ」を知らない。


 ――では家族は?


 目の前を見る。

 そこには大切な人がいる。

 ターシャである。

 まだ、家族は存在している。

 全てを失ったわけではないのだ。

 もうこれ以上、ミルカはミルカの幸せを奪われたくはない。

 

 ミルカは両親に抱かれている記憶が少ない。幼い頃の殆どの断片的な思い出はすべてターシャの背中だった。それは勿論、両親が育児放棄しているということではなく、ターシャが進んでミルカの世話をしていたことに他ならない。


 ウサギのぬいぐるみのイルーシュカもそうだ。四歳の誕生日のプレゼントに悩んでいた父親に、ターシャがミルカの欲しいものを進言していた。それは父親からのプレゼントとして受け取ったが、自分は何もしていないかのように振る舞っている姉を尊敬した。


 ――わたしのことをお姉ちゃんが守ってくれるから、わたしもお姉ちゃんを助けてあげたい。


 じつは、母親から学んだケガの応急措置はその為のものである。この決意を、ミルカは絶対に語らない。言ってしまえば、それはただの子供の戯れ言になるからであろう。この気持ちに説得力と実効性が加わるまで温めて置きたい。小さな彼女にとって、それは大きな秘密。


 ターシャの手がミルカの額を撫でた。

 彼女は、まるで猫のように目を細くする。

 心地よくなって、そのまま眠りに落ちていった。




  *   *   *  




 どこに行ってもターシャの敵だらけだった。ミルカはターシャ背中で眠っている。敵しかいないのにも関わらず銃を向けなかった。幼い復讐者は深夜の夜をたださ迷うだけで、ただ逃げ回っているだけとも思えた。また、人の気配を感じて逃げようとしたが、異様な人影に思わず足を止めた。


「ウサギ……」


 街灯に照らされて伸びる影の頭部は、確かにウサギのような耳に見える。恐る恐る、その影の実体を探し、見つける。そこに、息が止まるほど不思議なものを見た。スーツを着てネクタイをしめ、拳銃を握る手には白い手袋がはめられている。そして何よりもおかしな点は、ウサギの顔をした人間の姿だったこと。普通の兵士には見えない。父親やリョーカたちの味方にも見えなかった。滑稽で、奇妙で、不気味な姿である。


 その顔がターシャの方を向いた。

 突然にウサギのマスクと目が合ったのだ。


 驚いたターシャは顔を引っ込めて、息を整えた。拳銃を握る。音は出していない。ターシャが隠れているところは、街灯が照らさない陰になっているところで、あちらからは見えにくい筈である。それでも、まるでターシャの気配を察知したかのような動きでこちらを見たのだ。


 もう一度、頭を出さないようにウサギ人間の影を見る。

 動かないでこちらを見ているようだ。

 一歩踏み出す足音が聞こえる。

 ターシャの心臓が跳ねた。


「どこへ行く! バニーヘッド!」



 その呼び止める声に救われた。


「タダで雇っているんじゃないんだからな。報酬分の仕事はきっちりとしてもらわねば困るというものだ」


 バニーヘッド、と呼ばれたウサギ人間は、どうやら雇われ者らしい。彼の足音が遠退いて、影も引っ込んでいく。とりあえずターシャは胸を撫で下ろした。


「気になるところがあった」


 バニーヘッドが言う。奇妙な声だった。野太い声と、鼻をつまんだような高い声が混同したもので、機械で生成された音声らしい。どのような人物かまるで想像も付かない。あるいはそれが狙いなのかもしれなかった。


「どうだかな」


 男は、吐き捨てるように公用語で言う。その声の方角を窺う。次にターシャは別のものに目を奪われていた。巨人である。機体を注意深く観察する。それは、自宅を襲撃して両親を殺した巨人とは違った。濃い緑色の外皮、腰の部分には、どこかの国を示す印がある。白い下地に赤い丸、どこかで見たことはあったが、ターシャは、それがどの国を指すのか思い出せなかった。


 近くには、他にも数人の外国人の姿が見えた。外国人だと判別できた理由は聞いたことのない言葉で話をしていたからだ。そこにはコートを着込んだ二人の技術者が立っていた。二人が会話しているのが聞こえる。ターシャはその様子を暗闇から見ていた。


「しかし……後方支援では運用テストにならんな」

「そ、そうでしょうか。もともと『AFM』は歩兵部隊の支援が目的では」


 先ほど怒鳴って不遜な態度をとる者と、どこか気が弱そうな者。どちらも男性である。二人は部下と上司の関係のようで、部下の方はリョーカと同じくらいの年頃に見えた。上司の方もそこまで年寄りではない。


「その通り、だが最前線での話だ。動かずに生態スキャンをかけるだけならば装甲戦闘車両(AFV)、いや、ただの戦闘車両(FV)でも十分に事足りるだろうさ」

「しかしマツナガさん、わが社の索敵装備の性能を示す好機では――」

「分かってないな、マエダ。これは装備品のテストではない。装甲戦闘機(AFM)の実戦テストなのだ。その本体をこのように突っ立ったままにしていては意味がないと言っている」


 マツナガと、部下のマエダから呼ばれた男は巨人を見上げた。


「それでも“場所取り”には俺も食い下がったさ。そしたら国連の監督官の連中なんって言ったと思う? 日本は後方支援が得意な国だからここが適当だと判断する、だと。それもこれも、先人たちの長過ぎた戦後の戦争アレルギーが原因だ。そのしわ寄せを食らったってことだよ」

「使用するのは陸上自衛隊です。ここだけの話ですが、そこまで戦闘最前線での性能が求められるとは思えません。それこそ生態スキャン機器の方が災害時等にも役立つかと」

「はっ! 災害時だと?」


 マツナガは嘲笑うように笑い飛ばず。

 ムッとしたようにマエダは顔をしかめた。


「いやそれはもちろん、災害のときにAFMは役に立つだろうさ。悪路の踏破性能は従来のどんな車両にも勝る」

「その通りです。“有事”には、その機動性を発揮すれば障害物で閉ざされた道を踏み越えて、迅速に孤立した地域に駆けつけることが……」

「それは否定しない。だがなあマエダ、これはなんだ」


 マツナガは、AFMと呼ぶ巨人の足を拳の甲で叩く。

 その意図を測りかねるマエダは閉口して頭を傾ける。


「こいつは重機ではなく兵器だ。AFMを開発するときに考慮するべき“有事”とは“災害”ではなく、兵士が命のやり取りをする“戦闘”だろう。違うか」

「それは、そうですが……」

「たしかに、戦闘という極限の状況において使用することを想定して開発されたのだから、災害時でも有効に稼働することが出来るだろう。だがそれは、あくまでもオマケ的な用途になる」

「オマケって……それで救われる命もあります」


 マエダは初めて声を荒らげたがマツナガは冷徹だった。


「こいつは人殺しの道具。一昔前の漫画アニメに出てくるようなヒーローではないのだぞ」

「バカにしないで下さい。自衛隊が使用する兵器であることは理解しています。それに、その自衛隊が使用するのなら、国民を守る為の兵器と言うことも出来るではありませんか。災害での使用がオマケだとか、人殺しの道具だだなんて、乱暴な言い方ではないのですか?」

「では訊くが――」


 マツナガはひとつ声を落として、マエダ迫るように言う。


「満足に戦うことが出来ない兵器で国民を守れるか? いや、あえて乱暴な言い方をしよう。搭乗者の命を守れず、敵兵士を殺す事が出来ない兵器で何が守れるというのか?」

「……」

「次世代の兵器を開発する我々は、AFMを立派な兵器として世の中に送り出す義務がある。このAFM〈試製壱号〉の完成は、日本の兵器開発の夜明けになる。そのためには、最前線での戦闘データが欲しい所だった。そう言うことさ」


 マエダは観念したようで頭を垂らした。


「……マツナガさんの考えは分かりました。私も兵器造りに携わる者として留意すべき所だったと思います。ですが、日本の兵器開発の夜明けとはどういう意味ですか?」


 マツナガは一瞬あいだを開けてから話を続ける。

 その顔は、頭上から降る街灯の光で目の窪みが影になっていた。


「日本の兵器を世界に売り出す」


 マエダは顔色と言葉を失った。

 マツナガは終始冷静で、AFMを見上げながら歩く。


「どうしても世界から戦争はなくならない。理想や願望とは別に、それは仕方のない現実だ。兵器の市場が消えることはあり得ない」

「しかし兵器の自由な生産、販売、輸出は認められていません。日本は特に厳しいですが、概ね他国も似たようなものです。厳重な機密保持のために」

「今までの兵器はな。ところがAFMはどうだ。こいつは世界で最初から規格化された兵器だ。アプローチの仕方はそれぞれ違うとしても、全ての国のAFM部品は流用が効くように設計される。それにいくら隠しても、多国籍軍の現場では設計を開示し合うことになる。こんな兵器に機密はないも同じだろう。そうだ、見たか? イギリスの破損した試作機に、もうアメリカのスペアパーツが付いていたが、あれはイギリス側が金でアメリカのパーツを買ったんだ。もうAFMの自由貿易は始まっているのさ」

「し、しかし……わが国はそれを許すでしょうか」


 マツナガはまた嘲笑う。


「許すも許さないも、そういう性質の兵器を俺たちに開発させたと言う事実があるだろう。自衛隊の海外派遣が多くなってきたことも要因のひとつだろうさ。他国に対しての体面もあるからな。人型機動兵器計画には参加するしかなかったんだよ。いま日本は大戦後のアレルギーから脱却しようとしている。いい傾向だ。我々はこれから儲かるぞ」

「金儲けですか……」

「どうもお前は……潔癖症だな。この職には向いていないと見える。いいか、金がなければいいものは造れない。いままで、限られた予算で兵器を開発していた技術者と、そんな未熟な道具を持たされて“これで戦え”と言われていた自衛官たちを思えば涙が出る。儲けの為に武器を売るのではない、まともな武器を造る為に儲ける、その金によって、富を欲する者は安らぎを手に入れ、武器を欲する者は最高品質の兵器が手に入れる。『兵器によって世界と経済と平和は廻る』これが我々の考えだ」

「我々?」


 マエダはその言葉に違和感があったらしい。


「そんな経営方針は社内で聞きません。あなた個人の考えではありませんね。誰なんです? その”我々”とは」

「それは、どうでもいいことさ。日本は建国当初の原点に帰る。富国強兵だ。だが増強されるのは“兵隊”ではなく“兵器販売”だ。同じことの繰り返しと思うな。これは国家と世界の選択した進化なのだからな」


 マツナガは意味深に笑ったまま、もう語らなかった。その様子をターシャは黙って見ていた。彼女にとって聞いたことのない言語なのだから、会話の内容を理解することは出来ない。彼女の注意は自然と護衛の方に向いていった。


 バニーヘッドは注意深く周囲を哨戒している。特にターシャの隠れている方角を気にしているようだ。気付かれていると思った。こうなったら無理に近付く必要はない。あのウサギ姿と巨人に気をとられていたが、いまは逃げるが先決であることをターシャは理解している。一刻も早く父親の同志と合流しなければならない。どこかに生き残っている筈だ。彼らを探しだしてミルカを預け、自分も戦いに加わることだけを考えていた。


「あ! ウサギ!」


 ミルカが叫び、ターシャの背中から飛び降りる。いつのまにか起きていたのだ。小さいとき、家族そろって行ったサーカスに、似たような姿の道化師がいたが、それと勘違いしているのかもしれない。敵の護衛には見える筈もないであろう。


「ミルカ、出ちゃダメ!」


 ターシャが呼び止めたときにはミルカは飛び出していた。

 ミルカの姿が街灯に照らされて露になる。

 バニーヘッドは既に迎え撃つ体勢に入っていた。


「待て! 子供だ!」

「いや! 自爆攻撃かもしれん!」


 先ほどの外国人二人が何かを叫ぶ。

 バニーヘッドが引き金に指をかけた。

 やられる前にやるしかない。

 ターシャも飛び出して銃を構える。


「お姉ちゃん?」


 ミルカが振り返る。

 同時に銃声。

 ミルカの幼い顔に赤い穴が空いた。


「ミルカッ!!」


 悲鳴染みたターシャの声。

 ターシャも反撃する。

 だが反動で上が跳ね上がって狙いが外れる。

 その弾丸は、バニーヘッドではなく、二人の技術者の肩と喉を貫いた。




  *   *   *  




 ミルカは、何が起こったのかわからなかった。後頭部を叩きつけられたあと、体が前のめりに吹き飛んでしまう。なぜか、自力で立つことができなかった。最初は身体中が痛かったが、すぐにそれは消えていく。


 周りが騒々しかったが静かになる。まさに無音だった。気が付くと姉のターシャに抱かれていた。


 ターシャは涙を流していた。

 ミルカは、上手く喋れなかった。

 姉は、走り出した瞬間、何か叫んでいた。

 きっと、自分が間違った行動をとってしまったに違いない。

 ミルカは謝りたかったが、もう何もできなかった。

 

 ターシャの涙がミルカの顔に落ちる。

 そしてターシャはしっかりとミルカをだき抱えてくれた。

 涙も、腕も、姉のすべてが温かい。

 熱いほどだった。


 しかし、自分を包んでくれるターシャの熱が、ミルカには懐かしく、またどうしようもなく嬉しかった。そして安心したからなのか、猛烈な睡魔に襲われたミルカは深い眠りに落ちていった。




  *   *   *  




「マエダさんが肩の大動脈をやられた! 出血が酷い!」

「マツナガさんは喉だ! こっちもかなりヤバイぞ!」


 戦闘意欲をなくしたターシャよりも、技術者二人の命の方が重要であったらしい。その場にいた外国人は、重症を負った二人をどこかに運んで行った。バニーヘッドも、しばらく座り込んだターシャの前に立っていた気もしたが、ターシャはよく覚えていない。気が付くと一人になっていた。


 腕のなかの真っ赤になったミルカは、冷たくなっていく。ミルカは何度も小声で謝罪を繰り返していた。その度にターシャは頭を横に振った。状況を理解できていなかったミルカに罪はないのだ。


「じゃあ……行こうか」


 すっかり動かなくなったミルカを背負うターシャ。

 背中からミルカの赤いものが流れる。

 町は、また夜の静けさを取り戻していた。


「まるで世界から人間が消えちゃったみたいだね」


 いつかのように、ターシャが歌うように呟き、クスクスと笑う。彼女は歩き出す。朱色に染まった子供の足跡は、さ迷うかように夜の闇へと延びて行った。




  *   *   *  




【ウクライナの内戦】

ロシアを除いたAFMを所有する国々は、ウクライナ政府軍の対テロ部隊にAFMを供与する。政府軍は親ロシア勢力を攻撃。AFMの初陣となる。日本も開発されたAFMを投入している。当然、ロシアも親ロシア勢力の反政府組織にAFMを供与。早くも、AFM同士の戦いが始まり、内戦はさらに泥沼化する。反政府組織のなかで、対AFM部隊が結成。


 なかでも、同部隊でひとりの未成年女性兵士が政府軍のAFMパイロットを惨殺することで知られ、恐れられた。しかし、その女性兵士は、目立った戦闘が沈静化し、膠着状態に入るにつれて噂もその姿もウクライナ国内から消えていた。


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