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人型潜行機動兵器〈伊號〉  作者: 樫野そりあき
一章 『傭兵と海賊と』
18/34

13

「アラ? あなたが新人アルか?」


 艦内食堂で甲高い声が上がる。声の主は小さな食器搬入口から顔を覗かせたがすぐに姿を消す。手をタオルで拭きながら厨房から出てきてカイトと対面した。他の社員とは異なり、紅いチャイナ服をきた女性である。年齢は分からない。だが少々大人っぽく見える理由は、女性として恵まれた体型をしているからであろう。


「アタシ、リンリーっていうアル。ヨロー」

『ヨロヨロー』

「アラ、可愛いAIネ」

『そうです! ヨナは可愛いのですよ!』

「へっ」

『カイトさん鼻で笑わない!』


 憤慨するヨナを見てリンリーは小さい唇を手で隠すようにして小さく笑った。その表情にも、どこか少女にはない女性の仕草が見え隠れしている。


「ワタシ、コックを任されてるネ」


 小柄なリンリーは万事任せろと言うかのように、手を腰に当て、そのでかい胸を張る。思わず視線を反らしたカイトは、ベンチに座ったウッズに目のやり所を求めた。


「手を出すなよ」

「――っ! 誰がこんな小娘に!」


 真面目に言った副長にカイトは動揺していた。少しだけ必死になったカイトを見て、リンリーはまたくすくすと笑う。


「まあまあ副チョー。やっとダイバー乗ってくれたんだから大事にしないとダメネ。傭兵さん、今日は何食べたいカ? 好きなモン作ってヤンヨ」

「そうだな……中華……とか、得意そうだな」

「中華はむりネ」

「は?」


 ベンチに腰かけたカイトは、虚を突かれたような声をあげて目を点にした。確かに、チャイナ服で調理場に立っているの人間が中華料理を作れると言うのは一般的なイメージと言えるだろう。


「中華、超苦手アル」


 リンリー曰く、そう言うことらしい。それでもポカンとしているカイトにリンリーは綺麗なつり目を鋭くした。


「……ジャ、聞くけど。ニッポン人、みんなニッポンの料理が得意カ?」

「いや、違うかもな……」

「デショウ! 中国もオナジ! それに中華飽きタ! モット別なの食べたし作りたいネ! ダカラ!」

「……す、すまん」

「じゃニッポンの料理でイイカ?」

「……得意なのか?」

「ニッポンの美味しい。ダカラ好きネ」


 言いたいことを言った彼女は、カイトからの了承を得ると足早に厨房に戻って言った。「好きなのは日本料理だそうだ」と、あまりにも遅い注釈を言うウッズに、カイトは腹を立てる気力もなかった。


「なかでも、一番好きなものは『お好み焼き』だとか。こんなところで日本料理が食えるとは思わなかったろう?」

『……それは『日本の食べ物』ですが『日本料理』ではないのでは?』

「たまにはマトモな指摘をするんだな、ヨナ」

『む、ヨナは立派な人工知能なのですよ?』


 しばらくしてリンリーが持ってきたお好み焼きは、それなりに美味しかったようだ。カイトとしては、心中には釈然としないものがあったが、美味かったと言われて花が咲くように笑うリンリーを見てしまったとき、細かいことは気にしないことに決めた。どんな料理であれ、美味いメシを作るコックは海の上では貴重な存在なのだ。関係を大事にしておくことに越したことはない。


 リンリーが「次からは自分で持ってキナヨ」と言って空になったお盆を片付ける。そのときを待っていたかのように、ウッズは話を切り出した。


「さて、食い物に文句はないな。次は部屋のことだが……」

「おう、案内してもらおうか」

「断る」


 眉ひとつ動かさずに答えるウッズ。組んでいた太い腕をほどいて頭をかいた。その顔は「うんざり」と言う言葉を貼り付けたかのようなしかめっ面だ。


「自分には仕事がある」

「俺を案内するのも仕事なんじゃないのか?」

「もっと大事な仕事だ。いつまでも操艦を艦長にお任せしているのは申し訳ない。移動時の航行くらいは自分がやらねば。こんなときぐらい、艦長には休んで頂きたいのだ」

「はっ。副長ってのは、ただのオートクルージング装置だったけか? だとすれば、楽な仕事だな」

「傭兵。貴様のメシを待っただけありがたいと思え」


 一瞬だけ二人の間で火花が散ったが、ウッズは憤りを鎮めるためか目をそらす。格納庫前にいたときとは違い、しっかりと感情を押さえられているようだ。


「……ふん。速成でも副長は副長というわけか」

「当然だ。到底、貴様とは仲良く出来そうにないがな。さあ、もうこんな話はいいだろう」


 ウッズは立ち上がると、カイトの後ろに視線を投げた。その直後、誰かが後ろに立つ気配を感じる。振り返ると、そこには、一人の社員が立っていた。


「……いつからいた?」


 現れた若い男にカイトは問う。その細身の男は、つなぎで紺色の乗員服を着ており、作業帽を被っている。カイトに声をかけられた後、躊躇いがちに頭から帽子を取った。


「さ……最初からいました……」

「水測長のサブロー・キタだ」


 ウッズの言葉でペコリと頭を垂れた彼、サブローの右目は黒い眼帯で隠されていた。生きている左目が鋭くカイトを見下げている。

 彼の顔は見たことがあった。先ほどに通路で見かけた眼帯を付けた人間であることにカイトは気が付いたのだ。目付きは悪いが、そこに敵意は感じられなかったので、カイトは軽い調子で話しかけることができた。


「もっと存在感を出せ、存在感を」

「はあ……すいません」

『ヨナは存在を感知してましが、誰からも話しかけられないので幽霊なのではないかと分析しているところでしたよ』

「うっ……」

「どっかの回路がイカれてるんじゃないのか?」

『むー! 柔軟な観察性能を持っていると言ってくださいよっ』

「何でもいいが」と、ウッズは通路に向かいながら顔も合わせずに言う「後はサブローに任せる。わからない事は彼に訊いてくれ。では自分は仕事に戻る」


 ウッズが足早に食堂から出ていくと、食堂には二人だけが残された。何か言いたげにしているが口を開かないサブローに対し、カイトは向かいのベンチを親指で指した。


「まあ座れよ、しばらくは同じ艦の仲間だ。仲良くしようぜ」


 少しだけ表情を緩ませたサブローは、勧められたとおりに腰を下ろす。カイトは、また煙草を出そうとしたが途中で手を止める。食後のコーヒーを運んできたリンリーに見られてしまったのだ。「ダメヨ。吸っちゃ」と早口で言うリンリー。二人分のカップを置くと忙しそうに厨房に戻っていった。


 カイトはカップに口を付けた。じっと一つの目で見つめるサブロー。カップを持ったまま固まっている彼のことを、カイトもいよいよ不審に思えてきた。


「コーヒーは苦手か?」

「いえ……」サブローはカップに目を落とす「なんと言うか……何から言ってよいか分からなくて……」


 静かな食堂に響くのは、厨房から漏れてくるリンリーの鼻歌と低く聞こえるスクリューとモーターの回転する音。カップをカウンターに置くときの硬い音が一層に沈黙を浮き彫りにしていた。それでもカイトは苛立つことはなかった。いちいち小言を言うウッズと比べて、余計なこと口に出さない目の前の男の方が、彼には好ましく思えていたのだ。


「……やはり、僕のことは覚えていないのですね」


 そう言うサブローの顔は少しだけ悲しそうに見えた。カイトはもう一度だけ彼を見る。知っている顔かもしれない。そうも思えたが、やはりハッキリとは思い出せなかった。どう言って謝ろうか考えるカイトに先回ってサブローが口を開いた。


「三島さんに記憶障害があることは聞かされていましたから、わかっていたことなのですが」

「……すまん」

「いえ、障害がなかったとしても僕のことは覚えているとは限りませんから」


 サブローの声量は細くて小さく、努めて聞いていないと聞き取れないほどだった。そして、更に語尾につれて声が消え入るように小さくなる癖があるようだ。幸い、食堂は静かであった為、しっかりと聞き取ることができた。


「よかったら話してくれないか」

『カイトさん!?』ヨナは驚きの声をあげた『過去に興味がなかったのではないのですか!?』

「ただ話を聞くだけだ」


 サブロー無口である。だったら喋れる事を言わせればよい。彼との言葉の交わしかたが分からなければ、今後の仕事にも支障がでるであろう。サブローはカイトにとって、コミニュケーションの練習が必要な相手だと判断できた。促されたサブローは、コーヒーを飲んで一息つく。遠い過去を思い出すように宙を眺めながら話を続けた。


「四年前の合同演習です。覚えていますか?」

「そういえば、ボスも同じことを言っていた」

「あぁ、それは当然です。僕はボスのバディですから」

「お前も企業軍のダイバーだったのか」

「ええ」


 少しだけ微笑んで頷くサブロー。ボスのバディという事はロンボクサウンド海戦の生き残りでもある。カイトはあらためてサブローを見た。カイトより若く見える彼は、海戦時はもっと若かった筈である。それであの地獄を生き残ったという事を思えば、驚かずにはいられないのは当然である。


「そう……あれは、ブルー小隊とリリィ小隊による模擬戦闘でした。僕はリリィ4。ボスのユーミ社長は小隊長のリリィ1だったわけです」


 一瞬、頭痛がカイトの頭を貫いた。

 鋭い光のようにひらめいた記憶。

 それは、正確に襲ってくる演習用水中弾だ。

  

「模擬戦闘? 通例の護衛訓練じゃないのか?」

 

 カイトは、痛みを紛らわすために指でこめかみを押しながら言う。


「いいえ。特殊な演習でした。たしか、AFM-Dに搭載する開発中の戦闘AIに必要な戦闘データをとるための模擬戦闘だった筈です……どうかしました?」 

「ちょっと覚えている」

『心拍数が急激に上昇。カイトさん、無理しないで』


 ヨナの言葉はカイトの耳には届かない。また、水中弾がかすめる断片的な記憶が頭痛を伴って甦り、首にも冷たいものが流れた。

 逃げても逃げても弾丸はカイトを捉えてくる。息を潜めてアクセルを絞っても、無音潜行しても位置を的確に掴まれる。カイトと戦った分隊は優秀な索敵能力と射撃能力を有していた。アクセルを踏みしめるように足に力をいれるカイト。そのときもそうした気がしていた。

 

「リリィ2の斉賀茜さんとリリィ3の四日市洋介さんの分隊。二人はうちの小隊の主力でした。しかし三島さん、それでもあなたは二人に勝利した……」

「……」

「と、とにかく、その時に顔を合わせているだけなので、僕のことなんて、むしろ覚えていなくて当然なんですよ」

「……そうかい」


 カイトにとって忘れた記憶を引っ張り出そうとすることは苦痛でしかない。本当のところ、記憶を取り戻そうとすることに興味がないわけではなかった。それをいちいち説明するのが億劫になったとき、カイトは「興味がない」と言うのだ。例のごとく、カイトは考えることをやめた。冷めたコーヒーをひとくち飲んで呼吸を整える。話を変えようと思ったとき、ヨナが口を挟んだ。


『ところでサブローさん、その目はどうしたので?』

「あぁ、これかい?」サブローは眼帯を隠すように手のひらを右目に押し付けた「ちょっと浮揚軍港で危ない橋を渡っちゃってね。参ったよ」


 笑っていたがサブローの顔は引きつっていた。浮揚軍港がどんな所なのか知らないカイトではない。恐らく軍港の幹部の機密に触れてしまったのだ。つまるところ、落とし前を取らされたらしい。


「何を探った?」


 カイトの一言でサブローの動きが止まった。ごまかすための笑いは消え失せて黙りこくり目線を膝に落とした。カイトがさらに追い討ちをかける。


「ボスに何を探るように言われたんだろう?」

「それは違う!」


 荒々しく立ち上がったサブロー。思いがけない彼の行動にカイトは目を丸くした。しかし、サブローはすぐに謝って小さくなるように椅子に座りなおした。


「……全部、僕が勝手に調べたんです。責任は僕にあるんです、僕に……」


 ただでさえ小さいサブローの声が、また小さくなっていく。テーブルの上に置かれた彼の拳が硬く握られていた。それが後悔なのか、思い出された目を失った時の激痛からくるものなのか分からなかったが、サブローの鋭い目だけは真っ直ぐにカイト見つめていた。


「……この艦に乗ってしまった以上、三島さんにも、あることに協力してもらうことになります」

「あること……?」

「ボスはそのために貴方を連れてきたのでしょうから」

『差し出がましいかもですが、ヨナとカイトさんは余計な仕事はしませんよ』

「それはどうかな?」


 サブローはカップのコーヒーを一気に飲み干すとゆっくりと立ち上がり付いてくるようにカイトを促した。それは、明らかにカイトを部屋に案内するわけではないのであろうことがわかった。サブローの顔は出会って一番に険しい顔付きに変わっていた。影が強くなった彼の口から飛び出した言葉に、カイトは衝撃を受けることになる。


「スクリュー音のない潜水艦」


 サブローの一言でカイトは反射的に立ち上がる。その衝撃で金属製のカップはテーブルから転げ落ちて軽い音が響いた。推進音のしない潜水艦。いや、正確に言えば、推進音を限界までに小さくしている潜水艦。それにはカイトも覚えがある。


「そいつは……まさか……」

「知っているようですね」


 当然であった。自分の分隊を無視するように素通りした、あの艦である。カイトは、その艦に見殺しにされた事をしっかりと覚えていた。それが原因で隊長の命を諦めざるを得なかったことも。


「そいつの音は……AIには認識できない」

「その通りです。そしてその艦が――」


 サブローのひとつ目が刺すようにカイトを見た。


「あの『ロンボクサウンドの悲劇』の元凶だとしたら?」


 カイトの心臓が跳ね上がるように鼓動する。口から内蔵が飛び出しそうになる感覚を覚えた。それを飲み込むように喉を鳴らす。沸き上がってくるのは、怒りではない。


「来てください。ボスが……いえ、リリィ1隊長が待っています」


 カイトは、心がざわついて仕方がなかった。それでも、足だけはサブローが促した方向に向いて動き出していくのだった。


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