12
霧汐軍社が運用する潜水艦〈きりしお〉は、通常動力型潜水艦の設計をベースに開発された第一世代の潜水母艦である。葉巻型の船体は艦首方向に一〇メートル延長されており、艦載機が二機収容可能だった。
「こんな軍艦が民間に出回る時代になった。世も末だな」
副長のウッズは不機嫌であった。世の中に腹を立てているのではない。原因はカイトにある。ウッズは最初、懇切丁寧に案内をしていたのだが、カイトは彼の話を半分聞いていなかった。諦めを感じたらしいウッズは、相手が聞いていようがいまいが口だけを動かす。問題があれば、相手に強要することなく自分の中だけで対処してしまう。これが、ウッズという人間であった。
彼の後ろを歩くカイトは、興味がなさげに横たわっている魚雷を撫でる。この艦をどこから調達したか分からないが、彼にとって興味があるものでもなかった。
「いい魚雷だ」
『副長さん、いったいこれだけのモノをどこから仕入れたので? まさか、どこかの国と繋がりが?』
「ウッズでいいよ、ヨナ君。……海賊にも払い下げの軍艦が出回るいま、出所はいくらでもあるのさ」
『興味深いです。詳しく教えて下さい』
「俺はいい」
「オーケー。ヨナ君、教えてあげよう」
「ちぇ」
「伊號の傭兵、君も自分が置かれている状況を知っておくべきだ」
浮揚軍港には兵器が商品として溢れ、まるで生活用品を売り買いするかの如く、当然のように取り引きされる。AFM-Dを生産する兵器先進国は、海賊を攻撃する為に必要な武器を、海賊発生海域の近い国に“供与”する。そのため、銃弾薬から軍艦までが巷に氾濫していた。
「供与? いや違う。売り付けられているんだ」
独り言のように訂正するウッズ。売り付けられる国々は決まって兵器発展途上国であり、山ほど武器を受け入れることができるほど財布事情のよい国はひとつもない。それでも、シーライン上の海賊を取り締まる責任が発生している国は、その供与を呑むしかなかった。
「こうして、武器を消費する“市場”が生まれる」
戦争ではない。紛争でも抗争でもない。もちろんテロでも犯罪でもない。そこにはむしろ、海賊を取り締まると言う大義名分がある。その名のもとに武器商人が商売の匂いを嗅ぎ付け、傭兵が集う。その末端がカイトでもあり、霧汐軍社でもある。
「傭兵、頭上に注意しろ」
ウッズは話を中断する。
巨体を屈めて水密扉を潜った。
カイトもそれに続く。
「こういうときに日本人が羨ましくなる」
「皮肉をどうも」
『ウッズさんの身長は一九〇センチメートル、カイトさんは一七五センチメートル。これが現実です、カイトさん』
「くそう」
二人はそのまま発射管室を出る。次の区画は艦載機格納庫。カイトは近くの部屋が気になっていた。そこには、よくわからない機械がごろごろと置かれている。一見、無造作に転がっているようにも見えるが、それらは丁重に床に固定されていた。
「メカニックのノエルの部屋だ。もとは部品庫だったのだがな。まあ、人が住むようになっただけで用途に変わりはない」
「ここで人が寝起きするのか」
「彼女はここが良いと言った。クレイジーな子だろ?」
格納庫は最大二機が納められるとされている。だが、一機だけが収容されている今でも十分に狭く感じられた。AFM-Dを直立させるだけの高さはない。同時に入れる作業員は三人くらいのもので、息も詰まりそうな空間である。防水扉から、ライトに照されて窮屈そうに身を丸めている伊號が見える。クレイジーと称された彼女は、そのなかを跳ね回って作業をしていた。
「製造国同士で、情報を公開しあっているAFM-Dは法外だ。だが、軍艦は違う」
伊號を見ながらウッズが言う。供与された軍艦と言えど、国から国へ譲渡される兵器には用途上の条件が付けられているものだ。まだ機密が多い軍艦が民間などに使用されることは、気持ちのよいものではない筈である。しかし、軍社が軍艦を運用して海賊を攻撃することも事実。そのためか、軍艦が横流しされていることを知っても、武器輸出国の政府は形式上の抗議をするだけに止まっているらしい。
「分かるか。供与された武器は横流しされ、傭兵や軍社がそれを買い求める。俺達の商売道具はこうして補填されるわけだ」
言い終えたウッズは、ひとつ咳払いをしてから声の調子を明るくして、こう言い添える。
「詳しいことが知りたいときはノエル整備班長に聞いてくれ。自分が詳細に答えられるのは、艦のことだけた」
「ウッズ。俺が知りたいのは、俺のベットの位置と、飯の時間、あとは食堂とシャワー室とトイレの位置だ。それを簡潔に教えてくれ」
ウッズはカイトの言葉を聞くなり、急にUターンする。大股に近寄ると、大きな手でカイトの胸ぐらを掴む。カイトの体は少し浮き上がって喉が絞め上げられる。ウッズは、声だけ穏やかに言う。
「重要なことを教える。艦内は禁煙だ。ましてや潜航中の喫煙などあってはならない」
「しらんッ……! なあッ、ヨナ! なんか、言ってくれ!」
『一瞬だけですよ。吸ってないも同然です』
「フォローに……なってッ……ない」
ウッズの手をむしり取ろうとするカイト。大男であるウッズの握力は尋常ではない。石のような拳はびくともしなかった。ただでさえ腕力に自信のないカイトは、ウッズの手を両手でつかんで渾身の力を籠めるが、それでも無理だった。呼吸困難になるギリギリの所で解放される。
「馬鹿力がッ!」
ウッズの手から解放されると、カイトは少し喉を鳴らした。喉が締まると本気で思ったらしく、真っ先に手で首の無事を確める。ウッズは、明らかにカイトが発令所の下で喫煙したことを知っているようだった。
「自分は煙草の臭いが嫌いでね。臭いですぐに分かるんだ。今後は慎むようにしろ!」
咳き込むカイト。彼にとって、ウッズは巨人のように思えた。生身では敵う相手ではないことは理解できる。だが、カイトはウッズに噛み付かずにはいられない。
「これから……俺達は……」
「何か言ったか?」
息を切らすカイトに、ウッズは既に背を向けている。逃がさないとでも言うかのように、カイトはウッズの前に回り込む。まだ少し喉が痛むようで、首に手を当てていた。
「例え限られた間だけでも、俺達は、同じ艦に乗り込む仲間になる。そうだな?」
「それが、なんだね」
「……着艦の時の操艦はアンタだったそうだが」
ギクリとするウッズ。やはり、着艦時の艦の浮き上がりは、何かしらのミスであったらしい。ウッズを見上げるカイト。
「あんたのミスを水に流す。これからも細かいことには口出ししない」
「……それとこれとは話が違う。お前だけ特別に許すことはしない。煙草は吸うな。他の社員にも示しがつかないし風紀を乱すことになる」
「あんたとはそりが合わないが、こうなったら呉越同舟だ。傭兵としても、船乗りとしても、俺達は上手くやって行かなければならない」
「傭兵が立派なことを言うものだな」
「……分かってないな!」
ウッズに掴みかかるカイト。彼は自分の胸を強めに叩く。明らかに、金属を叩く音がした。人工臓器である。解説するようにヨナが口を挟む。
『鉄の肺です。決して丈夫な代物ではありません』
「……そうだったのか」
カイトの体の事情を知らなかったウッズは、明らかに動揺していた。彼は、はっとしたように自分の手を見る。先程まで、カイトを締め上げていた手である。そんなウッズの様子を見たカイトも、彼から手を放した。
「丁重に扱えよ。俺も、くだらないことで肺を壊されたくない。仕事ができなくなるのは困るんだ。アンタも、俺が使い物にならなくなるのは困るだろう? 俺が言いたかったのはそういうことだ」
「あぁ、そうだな傭兵……」
「あんたの言う通りに煙草は控える。だからお前も俺への乱暴は――」
「……気を付けよう」
「それでいい」
その、ちょっとした騒ぎで見物人を集めてしまったことに二人は気付く。格納庫内で整備作業をしていた社員達も例に漏れない。きょとんとしたノエルの顔も覗いている。カイトと目が合うと、彼女は誤魔化すようにニコリと笑う。そして、そそくさと隠れるように伊號の裏側へ向かった。それを合図とするように、見物人達も散っていくのだった。
一般的に「たるんでいる」と言われる企業軍よりも緩い空気が艦内にある。軍人経験者こそいるだろうが、民間企業であることに変わりはないようである。
「この先が住居区で、食堂はその奥にある。その前に、士官室の場所も教えておく。仕事の作戦会議はそこでするから場所を覚えてくれ」
「なら行こう。ここはもう居心地が悪い」
急な階段を登る。艦尾方向に進み、水密扉を潜れば発令所がある。ここは文字通り、すべての命令を発する潜水艦の頭脳だ。柱のような潜望鏡があり、モニターと操作パネルだらけの空間だった。洋上から受信している無線機からの声が入り乱れて聞こえている。その中にダグの声を聞き取ったとき、カイトはくすりと笑う。やはりダグの回収船の速度は馬鹿に速いらしい。
「確かに、ただのエンジンではないな。もう短波無線の有効範囲まで来たらしい」
奥の艦長席に腰かけていたチョーソカべ。ウッズが歩み寄ってカイトに案内を続けることを告げた後、二人は士官室へと続く通路へ進んだ。
「士官室は、発令所のすぐ近くにある。非常時、寝ているときでも、すぐに艦の指揮をとれるからだ」
『なるほど、利にかなっています』
「さらに艦長室では、艦がいま、どの様な状態にあるのかすぐにわかるように、シンプルな計器などが備え付けられているんだよ」
『まるでコクピットだ!』
「そこまで、立派なものでもないがね」
ヨナのはしゃいだ声に、なぜかウッズが得意気だった。潜水艦は基本的に、スペースを有効活用することを迫られる。〈きりしお〉では、トイレやシャワーも男女共有だし、ウッズのような役職付きの人間でも共有の部屋で生活する。平の社員の居住区比べれば少しは広いが大差はない。本来、艦内に個室を持てるのは艦長ただ一人。そう、本来ならば。
「この艦は例外さ」
「ガキの技術屋か」
「それともう一人、ボスだ」
ウッズが立ち止まる。
ユーミの部屋の扉が、目の前にあった。
「これは――」
カイトが何かを言いかけた瞬間、ウッズが人指し指を口の前に立てた。部屋の中から何か聞こえる。金属が軋む音と靴の音が交互に響く。それは、ユーミの足音に違いない。
そこは、会議室を狭くして改装された個室。粗末な社長室だ。そんな狭いスペースを歩き回っているユーミの行動は不可解であり奇妙でもある。その状況は、カイトの頭に、檻のなかをぐるぐる徘徊する猛獣を連想させた。
「考え事をするときは、いつも、ああなんだ」
押し殺した声でウッズが言う。その顔には、明らかな恐れが見てとれる。早くここを立ち去りたいようで、ウッズはカイトに先に進むよう促す。カイトは黙りこんでしまう。ウッズの顔が、真っ青になって脂汗を流していたのだ。
「霧汐軍社は何かの目的のためにある。ボスはそれを俺達には黙っているが、何かを熱心に調べているんだ。得たいの知れない何かを追っている違いがない」
「何を追っている?」
「それは分からない。ただ、時々外部の人間が来社するんだよ。軍社の経営とは関係のない雇われのスカウトみたいな怪しげな連中が」
ウッズの怯えた目がユーミの部屋に向けられた。
「ボスには気を付けろ」
「……どーして?」
「ボスは……彼女はイカれてる」
『ヨナの記録からでは鳴瀬由宇美は優秀な人間であると分析できます。イカれた人ではありませんよ』
「人間は変わるものだ、ヨナ君」
『それは……。残念ながら、否定できません』
ヨナは反論しなかった。自分のことを言っているであろうことを理解しているカイトは、口の端を引きつらせていた。
「自分に必要だと思った情報は全力で調べ上げる。異常なまでの執着だ。陰湿で、執拗で、徹底的。傭兵、君のことも君以上によく知っている筈だ」
「……じゃあ、ウッズ」
「なんだ」
「お前は何を知られた?」
カイトの言葉にウッズの顔が強張る。体も凍りついた様に静止し、目だけに異様な鋭さがあった。
――誰にでも事情がある。この艦に乗るのは、そういう人間ばかりだ。
ユーミはそう言っていた。ウッズにも、彼なりの事情がと言うことらしい。カイトは、冗談だ、と笑ってウッズの肩を叩く。彼は、何か知られたくないことをユーミに握られている。それをカイトは察して突っついてみたのだが、過剰とも言えるほどの反応をウッズが示した。
『落ち着いて副長さん。カイトさんの軽口ですよ』
「あ、あぁ……」
ウッズは荒くなった息を調えて、吹き出した脂汗を拭った。
「教えてくれ傭兵。ボスと同じ『ロンボクサウンド』の生き残りなんだろう? あの海峡で何があったんだ。何がボスを突き動かしているんだ!」
「……ロンボク海峡のことは忘れもしない。だがユーミの……ボスのことは俺にも分からない」
しかし、カイトも熱に浮かされたようなユーミの眼差しを思い出した。彼女の様子に違和感をの持っていたカイト。ウッズの話には共感できる所がある。
――突然、笑い声が聞こえる。ユーミの部屋からである。もちろん、彼女の声で。堪えれきれずに漏れたようなその声は、二人の男の背中を凍りつかせた。
「行くぞ傭兵……もう耐えられない」
カイトを置いていく勢いでウッズは歩き出す。追うように進みながらも、カイトはヨナに問う。
「ヨナ。お前の記録のなかのユーミは、あんな奴だったか?」
『現在のユーミさんの情報が少なすぎるため判断に困りますが、過去の彼女は、AFM-D部隊の素晴らしい小隊長でした』
黙って歩きだすカイト。その背中を追いかける様に、彼女のあの不気味な笑い声が通路に響いた。カイトは逃げる様に歩を速める。そして、通路進路変更の命令を下す艦長の艦内放送は、ユーミの声をかき消した。
「艦長だ。進路、〇九五。目標はポートウェスト。本艦はこれより帰投する」




