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損傷信号を痛みとして認識する機械も珍しい。クーロン機のマニピュレーターから伸びる溶断棒を注射針に例えるなら、ヨナは注射を嫌がる子供のようだった。ヒートカッターが脚部装甲に触れようとしたとき、カイトにとって予想外な形で阻止されることになる。
コンソールのソナーに反応。浮き上がるスクリューの音。それは海上の海賊船の背後を取るように動いていた。
潜水艦〈きりしお〉である。
カイトは、モニターに表示されている〈きりしお〉の識別マークを見つめた。間違いなく仮契約中の潜水艦であった。
「そこまでにしてもらおうか。クーロン」
聞き慣れない声が通信機から発せられる。その言葉を受けてクーロンの潜行機が静止する。交信相手である正体不明の声は、老いた男のものだった。謎の男の声に、クーロンの潜行機はピクリとも動かない。それは、カイトにとって好都合であった。
「離れな」
「ぐっ……!」
その隙に伊號を素早くスピンさせ、クーロン機を振りほどくことに成功。それを待っていたかのように潜水艦の男は話を続ける。
「クーロン。その伊號は我々と仮契約している傭兵の機体だ。諦めてもらおう」
「……貴様らは何者か」
「傭兵統合局に通報させてもらった。お前たちは終わりだ」
「何者かと言っている」
通信機の雑音が漏れるスピーカーから出力させるのは、言葉のキャッチボールとは程遠い対話。カイトは静かに耳を傾ける。
「……こちらは〈きりしお〉だ。伊號から離れろ。さもなければ、貴様の母艦に魚雷をお見舞いする」
「……」
「答えろクーロン。船員の命はお前の判断で決する」
「潮時か……是非もない」
クーロン機が水を吐き出して浮かんでいく。無抵抗だった。流石に諦めたらしい。それを確認して、伊號を戦闘モードから通常航行モードに切り換えるカイト。一つため息をつく。長い前髪を眼前から払い除けたそのとき、クーロンからの通信が入る。
「見事な腕であった、名前は」
「自分で調べな」
「……ふふ。そうさせて貰うとする」
『操縦補助AIのヨナに、ダイバーはカイトさん。以後よろしく。あと、お願いですからヒートカッターの使用は控えてください。嫌いです』
「……随分おしゃべりな人工知能であるな」
平然としたヨナの暴露。ヨナは、分け隔てなく人間と仲良くしてしまう。ヨナとは、そういう人工知能なのだ。
「合点がいかないな、クーロン」
首を傾げるカイト。先程まで執拗の攻めてきた相手だけに、諦めが早すぎるのではないかと疑問に思ったらしい。
「ちょっと、諦めが良すぎないか」
「私は海賊ではない、曲がりなりにも傭兵。母艦が捕まれば報酬はなかろう。ボランティアなど、する気にはならんのでな」
逃げ惑う海賊母船から、クーロンに向けられた通信がカイトにも聞こえている。まあ、いまから「あの潜水艦を何とかしろ!」などと言われても、対処不可能であることは誰にも理解できることだ。
報酬が得られないとなれば退散。クーロンの判断は傭兵として当然の行動だ。それがカイトにも納得できる。同じ傭兵として今後の参考にさて貰うことにしよう、と感心してしまうカイトであった。
さて、近くの傭兵が束になってやってくる。海賊は拘束されるわけだが、カイトには一つ気にするべきことがあった。傭兵統合局に連絡して集まってくるのは、なにも傭兵だけではない。彼等の後ろに付いてくるスクラップ回収船である。
その船が寄ってたかって、海上傭兵たちの仕事場に浮かぶ廃品を回収する。この海域で拾える物と言えば、戦闘不能になった単座戦闘潜行機であろう。これがどれ程の価値があるかカイトには分からない。ただ、彼には“その専門家”を呼び寄せる義務があるのだ。
「〈きりしお〉聞こえるか。ブルー2だ。応えろ」
「艦長のチョーソカベだ」
「チョーソカベ艦長。俺のスポンサーに連絡してほしい。いま周波数を送る、確認してくれ」
「受信した……廃品回収屋のダグ、間違いないか」
「連絡をしてくれ。野郎とんでくるぜ」
「この周波数は、浮揚軍港ポートノース登録の回収船ではないのか?」
「それが?」
少し間をおいて、次にチョーソカベは言う。
「当方はかまわないが、浮揚軍港ポートノースより現在海域までは遠い。ポートウェストの回収船に先を越されるのは明らかだ」
「あんたは、ダグの船のエンジンルームに何が詰まっているのか知らない」
「何が言いたいのかね」
「アイツの船は、とんでもなく速い魔改造船だってことだ」
「……まあいいさ。すぐに報せる。……待て、うちのボスが話したいらしい」
ボス、という人物。カイトには、それが誰なのか分からなかったが、それは一瞬だけのことであった。
「私よ。君を待っていた」
女の声が返ってくる。いつぞやの女社長だ。音声通信が入ってから一拍子遅れて映像画面が視界モニターの隅に表示される。潜水艦の発令所を背景に映し出された彼女は、少し勝ち誇ったように笑っている。まるで、賭けに勝ったような顔が、カイトには少し気に入らない。たった一人で戦闘をしているのを〈きりしお〉は、ただ静観していたのだから。
「へっ。そう言われてもイイ気はしないね。海賊に取り囲まれたとき、助けてくれてもよかったんじゃないか?」
「不満なら後で聞いてあげる。本艦の艦首、格納ハッチにまで来てちょうだい? 仕事の話はそれから。ただ私が今言いたいのは――」
無言のカイトは彼女が続きを言うのを待った。
「君の判断と健闘を嬉しく思う。それだけだ」
「……そうかよ」
彼女からの通信はそこで終了。
どっと疲れが押し寄せる。
緊張していたカイトの目が、眠たそうな半目にもどる。そしてゆっくりと機体を前進させ、海賊と潜水艦に接近していく。自分も傭兵。カイトには、あとどれくらいで同業者たが到着するか、何となく分かる。もう少しだ。
『血中酸素濃度、低下中。レベル、レッド。ヨナは、酸素の供給を推奨します』
「あいよ」
カイトは、座席の後ろに縛っておいたバックから、酸素缶を取り出してマスクを口に当てる。噴射ボタンを押して大きく深呼吸をした。
計器を確認。バッテリー残量はギリギリといったところか。サブバッテリーも確認。異常はない。接続して電力を供給し持続時間を延長させる。潜水艦の機体格納庫は、セイルの前方にある。カイトは、伊號の針路をゆっくりと艦首に向けた。
…………。
甲板ハッチが左右に開き、艦内の格納庫の床が見える。機体を固定するための接舷装置から信号を受け取り、そこにアンカーを撃ち込んで投錨する。しかし、先の戦闘でワイヤーはカットされており、両手のアンカーを使用できなかった。
『ノーアンカー。手動でのタッチダウンです』
「オーケー。任せろ」
機体が、艦の上から降下する。推進器の回転を止めて、タンク調整だけで機体を制御している。着艦の管制員らしき声が驚きの声をあげている。
「ちょ、ちょっと待ってよぅ! アンカーなしってどういうこと!?」
若い女性声だ。少女と言われても違和感がない。そんな若い人間まで〈きりしお〉には乗せているようだ。
「危険! 危険だよぜったい!」
慌てる管制を無視して降りようとしていた。潜水艦が、わずかに浮き上がる。カイトは舌打ちしながらもバラストを調整し、伊號は少々荒っぽく格納庫の床を踏みしめた。
「タッチダウンだ。収容してくれ」
『さすがカイトさん。ヨナの操作補助も不要ですね』
「あったりめーだ」
「信じられない……。レーザーガイドもなしでなんて……」
管制員の彼女は、独り言のように呟く。床が下がり、ある程度降下したところで左右に開帳したハッチが固く閉ざされ排水が始まる。これには数分の時間を要する。完全に海水が吐き出されると、防水扉が開かれて整備作業員が飛び出してきた。
カイトは、自分が降りやすいように機体を屈伸させ、方膝を立てて、身を低くする。それでもコクピットは高いので作業員内の二人が梯子のようなものを抱えて持ってきていた。
『潜水母艦は久しぶりですね』
「そうだっけか。いい職場になればいいがな……」
ぼやきながら、体を固定するベルトを外すカイト。伊號の目の前には、長身の女性が駆け寄ってきた。さっきの着艦管制員かもしれない。ピンク色の癖毛が作業帽からはみ出して見える。両手には、他の作業員が身に付けている手袋とは異なる、黒いグローブがはめられていた。
若いな。
それだけ思ったカイトは、耐圧殻と隔壁を開放する操作を実行した。逆流してくる潮の飛沫が一瞬顔を叩く。艦内とはいえ、伊號の機内比べれば新鮮な空気だ。ありったけの肺機能で酸素を供給するように、大きく何度も呼吸する。ダイバーの誰もが言う。空気は旨いものだと。
梯子がかけれるのを待たずして、コクピットから体を躍らせる。整備員のどよめきのなか、腰にヨナの端末を吊るしたカイトは潜水艦に降り立つ。
「そこのピンク。艦長を呼べ」
目の前に俯いて佇む整備士に視線を向けた。癖毛頭の彼女とは目が合わない。作業帽のツバで顔の半分が隠れているからだ。彼女は、何かを呟いたがカイトにはわからなかった。
「艦長を呼べ、と言った」
カイトは、もう一度同じことを言う。やはり返事はない。諦めて立ち去ろうとしたとき、彼女は初めて初めて発音した。
「よかった」
「は?」
「本当に無事で……」
どこかで会っただろうか。
そうカイトが思った次の瞬間。
「よかったよおぉぉぉぉおおぉぉっ!!」
彼女は、カイトの脇を抜けるように走り去り、伊號の足にしがみつく。驚いたような、呆れたような顔のカイト。その表情に理解を示すように他の整備員はニヤニヤしていた。
「変人か」
『奇人ですね』
「はっ! それは、AI端末!」
ヨナの言葉に、今度は、突然に顔をこちらに向けたかと思うと最高速度で接近される。興味は伊號からヨナに移ったらしい。彼女は、カイトの腰からむしり取るような勢いで端末のヨナを弄くり回した。
「凄い! 対話機能付きの人工知能だぁ! しかも、兵器操作補助システムも搭載されてる! こんな汎用性が高いAI初めて!」
『当然です。ヨナは高性能なので』
「頭もいいね……! ヨナ、って名前なんだ。私はノエル、よろしくね」
『こちらこそ。お友だちになりましょう』
「ほんとっ? うれしい!」
高性能という言葉に気を良くしたのか、ヨナ機嫌が良い。テンションが高いのはいつもことだが。カイトは、会話が終わるのをじっと待っていた。しかし、ヨナは止まらない。
『こちらは僕のパイロットであり、友だちカイトさんです』
「……おい」
「お話は聞いています。日本のあおば電機社のエースダイバー、三嶋海斗さんですね?」
『やだなぁエースだなんて、照れるじゃん』
「今は違う。ヨナ、お前のこと前じゃない」
『半分はヨナのことですよぉ』
ノエルと名乗った彼女は、感心したように伊號を見る。機体のあちこちを見回して良いため息を漏らした。
「疑いようもなく確かな腕です。戦闘後の機体にも関わらず、こんなに綺麗な状態なんて。しかも今のフルマニュアルでの着艦、感動的」
「お、おう……」
「そうですよ。こんなことができるダイバーは、そういません」
カイトに接近するノエル。
一歩、二歩と進み出る。
二つの大きな瞳は輝いていた。
「尊敬します。是非、ご一緒にお仕事しましょう!」
詰め寄られたカイトは気圧されたように半歩引く。何を言ってよいかわからず、曖昧に頷いてみた。それを見たノエルは、軽く跳ねて喜ぶと、カイトの脇をすり抜けて伊號の整備員かかる。彼女も梯子を使わず、兎のように機敏な身のこなしでコクピットに滑り込んでいった。
「アイツやっぱり変わってる」
『そうですか? 見る目があります』
やはりヨナは、高性能と言われて気を良くしているようだ。




