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南下する伊號の機内で、カイトは鼻歌を歌う。機体を背面航行させてい理由は、体が寝そべるようになるため楽だからだ。視界モニターの上から下に流れる水面は遠くて暗い。省エネモードなので速力は遅かった。
燃料電池が正常に稼動しているという情報が、コントロールパネルに表示されていた。燃料電池は、背中ハンガーに装備されている。水素と酸素を化学反応させることによって発生する熱を電力エネルギーに変えて取り出すもので、低速時の使用に適している。
伊號は、航続距離が短い。護衛艦載機として設計された物の宿命である。追加の電源装置として、燃料電池ユニットが装備されることは珍しくないが、危険が皆無というわけではない。機体の背中に装備されているタンク中の、水素と酸素が過剰に反応すれば爆発につながりかねない。取り扱いには注意が必要だ、ということである。
『何の曲です?』
ヨナは、鼻歌についての疑問をカイトに投げかける。うーん、と少し考えてからカイトは口を開いた。
「大昔の映画の曲だった気がする。タイトルはど忘れしたが……、ディーゼルの機関音に合っていて潜行していると思わず歌いたくなるんだ」
『……AFM-Dに、内燃機関は搭載されていません』
「細かいことは言いっこなし、そうだろ?」
陸戦AFMとは違い、水中戦AFM-Dには原動機が搭載されていない。自力で発電することはできないということである。
「ところで……」
カイトがソナーの方向を後ろに向けると、コンソールに示された聴音範囲の中で光りが点滅した。音源を捉えている。もっとも、追われていることは、出港直後にわかっていたことだが。
「後ろのネズミの様子は?」
『変わらず、ですなぁ。呂號クラスの潜行機、数は判然としません』
「どうやら海賊のアミに」
『引っかかっちゃったみたいですねー』
相手は深く深度をとっているようだが、スピードが一定ではない。これではすぐに気付かれる。あまり腕の良いダイバーではないようだ。カイトは、視界モニターに半透明な海図のウィンドウを立ち上げた。
「そろそろ海底が浅くなる。ヤツらは航行深度を上昇させるしかない。なにか起こるとすればそのときだ」
『非常時に備え、燃料電池のバックパックはパージしておきますか?』
「ヨナ。増槽を捨てるっていうことは『こちらが敵の存在に気がついた』ということなんだ。今はヤツらを刺激したくない。武器もないしな。だまされているふりをしておこう」
『襲われてからでは遅いのでは?』
「そのときは、そのときに考えるさ」
のん気な台詞を吹くカイト。
くつろいだ様子で、また鼻歌を歌いだす。
水面直下を泳ぐイルカがモニターに映る。その群れが目の前を横切った。忌々しい海賊さえいなけれは、最高の遊覧潜行であろう。
音波を発するアクティブ・ソナーは、スイッチを切っていた。機能しているのは聴音のパッシブ・ソナーのみで、積極的な索敵はしていない。格闘戦をしかけるにしても、伊號では、海賊がいる深さまで潜行することはできないので、相手が動くのを待つしかなかった。
時間だけが過ぎていく。しばらくしてヨナが、無駄話以外のことを口走ったのは、海底深度計の針が振れたときだった。
『海底がせり上がってきました。浅瀬に入ります』
カイトは飛び起きて、聴音用レシーバーのスイッチを入れた。機体はゆっくりと横転し、背面から復帰する。音は後方から聞こえていたが、前方に新たな音源を聴取した。洋上船のスクリュー音だ。
「海賊の母艦か?」
『音紋を照合中。……そろそろ〈きりしお〉との会合地点です』
「潜水艦の音は?」
『ないですね』
苛立ちを隠せない人差し指が操縦桿の上で小刻みに動く。カイトという人間は、予定通りに事が運ばないことが許せない性格だった。神経質などということではない。単純に、トラブルに対応する臨機応変さに欠けているだけなのだ。
後方で音が聞こえた。
海水を吐き出すブローの音だ。
「きりしおか?」
『残念ですが、潜行機のネズミ三匹です。音紋解析終了……海賊です』
後方の潜行機が浮き上がってくる。通信機から聞こえるのは、カイトの背後に近づく海賊たちの騒ぎ声。問題はそれが公共電波のチャンネルで発信されていること。ラジオ放送局のような状態だ。
「伊號だぜ、伊號! そこらへんのスクラップとはわけが違う」
「高く売れる、へへ」
「飛べますかね」
「飛べるわけねえだろ」
「馬鹿か」
「馬鹿じゃないっすよ!」
などという他愛のないトーク内容。カイトには本当にラジオでも聞いているかのように思えた。
「トーシロ集団か?」
『後方から探信音。これはまるで、追い込み漁ですよ』
「他に仲間はいないか探すぞ。アクティブ・ソナーを打て」
『了解です、ピンガー発振』
超音波が伊號から放たれる。自分の居場所もばれてしまうが、すでに気付かれているので出し惜しみする必要はない。音波が返って来ると、カイトは探信儀に表示された点を目の当たりにしてがっくりと顎を落とした。その探信音に感応した無数の点が、伊號を取り囲んでいたからだ。
「コイツは……」
反応は弱い。これは、おそらくソノブイと呼ばれる対潜航空機から投下された探知装置。こちらの動きは、思っているよりも筒抜けだと言うこと。これでは逃げようもない。
「しまったな。敵のアミのど真ん中だ」
『ずいぶんお金持ちな海賊ですなぁ。対潜ヘリを持ち出すなんて』
「ヤバいぞ。上空の動きなんてわかるはずがない」
悲痛な顔で海面を見上げてみても、上空を飛んでいるであろうヘリの様子が見える筈もなかった。海面が一部が薄暗くなる。そのシミを中心として漣が起こった。それが、前方に二つ。洋上でヘリが最低二機は飛んでいるということになる。
『何か来ます!』
丸い物がヘリから投下された。大渦を巻き起こして伊號の行く手を阻む。空気中から巻き込んだ気泡が消え失せる。現れたのは単座戦闘潜行機だった。
「つぎから、つぎと……」
前方に二機。後方の三機はすぐ後ろに迫る。全機は右アームをカイト機に向けると三本指のハンドを開く。手の内にある鈍く光る穴は、ハイ・スピアガンの銃口だ。カイトの舌打ちと同時に通信機からコールを受けた。電波の方位は左前の潜行機だった。
「聞くがよい、伊號の傭兵よ」
「……貴様は!」
一方通行の通信。カイトの応答を待たずして、無線通信特有の雑音とともに、聞き覚えのある声がコクピットの中に響く。全身に力をこめるカイト。操縦桿がぎしりと悲鳴をあげる。カイトは、その声と口調を忘れてはいなかったのだ。
「クーロンの野郎かッ!」




