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階段を降りる、ユーミの足音が響いていた。足のゆくさきは、艦首方向の艦載機格納庫がある区画だった。その、いちばん隅の部屋の前で立ち止まる。
通路には、何の機械なのか、価値があるものなのか、常人では判断できないようなガラクタが転がっている。それらは、艦のアップダウンで転がらぬよう、いかにも大事そうに固定されていた。ユーミは、物置かとも思われる入口の自動で開くハッチをくぐる。
中は薄暗かった。だが目が慣れると、そこはゴミ屋敷のような有り様であることが分かる。それらは、やはり謎の機械部品の山で、使える物であるのかさえ疑わしい。
ひとつだけ判別できるものと言えば、隅っこで静かに直立している“首のない全身義肢”くらいある。これは、義足や義手などで、全身を機械化することができるものだが、脳の生命維持装置を取り外され、代わりにCPUが組み込まれている。代わりの体のとしてではなく、別の用途で使用されているらしい。
ユーミという侵入者に気が付いたのか、暗い部屋の奥で何かが蠢く。ベットがあり、人が寝ている。シーツからは、イソギンチャクのような、または海藻のようなピンク色のモジャモジャがはみ出て見えた。どうもそれは、人の頭らしい。
ここは、ノエル整備隊長の部屋だ。これでも、一応は、一七歳女性が住み着いている個室なのである。そうは思えないが。
「ノエル。起きなさい。仕事よ」
ノエルと呼ばれたピンク色の海藻が、枕の上で一回転すると、眠そうな小顔が出てくる。そして、のそのそとベットから這い出て立ち上がった。しかし、まだ両目は真一文字に閉じている。ノッポな彼女を、ユーミは僅かに見上げた。
「いい夢は見れた?」
「伊號が帰るまで、待機じゃなかったんですかぁ?」
「待機も仕事の内だよ。寝ていいなんて言ってない」
「待機ですよぅ。起きてますもん」
ノエルは、グシグシと目を擦りながら平然と嘘を言う。だが、ユーミが目が鋭くなる前に、作業机の椅子に飛び乗り、コンピューターの電源を入れた。
「で、なんでしたっけ?」
振り返ったノエルを見下ろすユーミ。彼女の目に映る少女の肌は、ディスプレイに照されて白っぽく反射している。その好奇心に溢れる瞳が眩しかったらしく、ユーミは目を背けながら、近くの椅子に腰掛けて足を組んだ。
「集団の潜行機に対して、AFM-D単機で勝算はあるか」
「……私に訊くまでもないのでは?」
それを聞いた途端、ノエルは背もたれに上半身を預ける。下らない質問だと言わんばかりに顔をしかめた。
「ボスは、プロではありませんか。ワザワザ私に訊かなくても……」
ノエルは、どこから引っ張ってくるのか、ディスプレイ上にユーミの履歴データを次々に表示していく。
「日本の新興企業、カエデ工業に入社。ダイバーとして、すぐに頭角を見せ、若くして新人教育係に抜擢。もちろん、船舶護衛にも従事し――」
ノエルがそこまで言ったとき、突然に立ち上がるユーミ。椅子が倒れるほどの勢い。袖無しシャツから露出しているノエルの肩を掴み、乱暴に押し倒す。ノエルの小さい悲鳴が、部屋の天井にぶつかって落ちてきた。
「昔話が好きかノエル。それは良い。私も聞かせてもらいたいな。その手袋の下に隠された、左手についてな……!」
「痛い痛い! ボス痛いよぅ!」
こそ声穏やかだが、凍てついたような表情と、見開かれたユーミの目には、憤怒が満ち溢れていた。空いている手で、ノエルの左手を掴みあげるユーミ。その、ノエルの手にはめられた黒いグローブをむしり取ろうとする。
「待って! ギブアップ! ご免なさい!」
謝罪の言葉を搾り取ったユーミは、打ち捨てるようにノエルから離れる。立ち上がってグローブをはめ直すノエル。緊張で強ばった表情で、すみません、と言ってから元の椅子に戻った。
ノエルが落ち着いたところを見計らって、ユーミが話を元に戻した。数機の潜行機を相手にしたとき、AFM-D単機で勝算はあるのだろうか。
「もちろん、私も現場の人間だった。私なりに戦闘の予想はしているつもり。集団側の人心を上手く利用すれば良い。要するに、油断につけ込むんだ。でも、それだけじゃ切り抜けられないのも理解してる。私は、技術的な目線での見解が聞きたいの」
「……勝てない、とは言いません」
「説明してほしい」
ひとつ咳払いをするノエル。
ユーミは、ノエルの言に耳を傾けた。
「潜行機の、弱点の多さを利用するんです」
「ほう……」
「ご存知とは思いますけども、もとをただせば、潜行機は兵器じゃなくて、作業用に開発された水中重機。そこに潜行機の弱点あるわけです」
水中工事現場で働くため、ロボアームであるマニピュレーター部分に重点がおかれた作りをしている作業用潜行機。脚部の大きな強度と牽引力をそなえており、水中での運搬用として活躍していた運搬用潜行機。それらが、兵器技術の発展によって、水中艦載機の必要性が認められ、〈単座潜行機〉という兵器として生まれ変わった。
悪く言えば付け焼き刃である。『手』がある作業用潜行機は、近接戦闘を得意とする〈単座戦闘潜行機〉に。『足』がある運搬用潜行機は、短小魚雷などの重火器を搭載できる〈単座攻撃潜行機〉に派生していったわけだ。
「無論、伊號だって陸戦用AFMの改造品なんですが、もとより兵器として設計されているうえ、完璧にフルモデルチェンジされています」
日本では、AFM-Dの完成後、潜行機動兵器たちは水中艦載機として一括りに管理されることになる。その折に、AFM-Dには〈伊號〉、単座戦闘潜行機には〈呂號〉、単座攻撃潜行機には〈波號〉の名称がそれぞれに与えられた。呂號や波號は、伊號と名こそ似てはいるが、工業製品としての開発の系譜はまったく異なるということだ。
「具体的なスペックの差は?」
「そうですねぇ……」
ユーミの質問に、応じつつキーボードを叩くノエル。机のディスプレイに、潜行機とAFM-Dのデータが隣り合わせで表示される。呂號や波號の耐久限界深度や、水中ジェットスラスターの出力などを、伊號のそれと比べたとしたら、どちらも潜行機に軍配が上がる。
「伊號は、想定戦闘領域が浅く設定されていたので、極端な耐水圧性能を必要としません。その点、潜行機の限界深度は深いし、すばしっこい。深海での作業も想定してますし、重い物を運ぶためにスラスター出力が必要だった、ってことも理由になるでしょう」
早口で説明しながら、くるりと椅子をごと回転してユーミと向き合うノエル。その、幼さを残す真剣な顔がユーミを見つめた。
「分かりましたでしょ? 潜行機の基本設計は、戦闘を想定していないんですよ」
戦闘において潜行機は、その脆さを露呈する。兵器として開発されたもの。兵器に改造されたもの。ここに、埋められない差が生じるのだ。
武装はもちろん、戦闘機動に必須であるメイン推進器も後付けなので、重要な動力パイプラインが装甲板の外側を走っている。石を投げればどれかに当たるほど、圧搾空気の配管が密集している箇所もあるくらいだ。
「ですから、国の軍隊でも、艦載機である潜行機同士の戦闘は極端に避けようとするそうですよ? まともにぶつかれば、両軍ともに死傷者を大量に出すことになるから。日本から自衛隊を消し去って「軍」を再建するきっかけにもなった海戦のように……」
「話を、脱線させないで」
「す、スイマセン」
ぐしぐしと癖の強い頭髪を引っ掻くノエル。
誤魔化すように、回転椅子の上でぐるぐる回る。
面倒になったのか、急に明るく結論を述べた。
「まぁ。あれですよ。的確に、効率良く、スピーディーに弱点を叩くってことですね。ハイ・スピアライフルを装備。両腕のスピアガンを駆使。ポンポンポーンってやっつけちゃうー、って感じですかね」
「そうすれば勝てると思う?」
「性能的には、不可能ではないかと」
薄く笑うユーミ。モーター音を響かせて立ち上がると、ノエルが怯えるようにびくりと震えた。それを気にも止めず、ユーミは部屋の出口に向かう。
「ありがとう、よくわかった」
「は、はあ……」
質問の意味を汲み取れなかったノエルは、釈然としない顔で答える。自動ハッチが開かれ、ユーミは部屋の外に出る。しかし、すぐには立ち去らず、そこで足を止めていた。ノエルの方は見ていない。ハッチは開かれたままだ。
「分かっていないようだから、教えてあげる」
「はい?」
ノエルは、不思議そうに首を傾げる。ジャケットとスーツというユーミの細い後ろ姿。そこから発せられる雰囲気は、どこか歪んでいるように思える。それは、ユーミを見たことがある人の誰もが感じる違和感であった。
「私が言ったような戦闘をしようとしているのは、お前が手がけた伊號だ」
「はい!?」
今頃になって、ノエルは声を声をあげる。彼女は、艦が置かれている状況も理解していなかった。どう考えても、仕事がなくて引き籠っていたのが原因であろう。
「忘れたか? あの伊號は武装されていない。丸腰だ。ポートノースに置いてくるとき、武装していれば入港管制の審査が必要になるから、省略しただろう」
「はっ!」
「海賊に狙われているぞ。いまこの海上でな」
「そんなっ! あれは最高傑作ですよ!? 私のアイデアのすべてを注ぎ込んだ、可愛い伊號なんです!」
「傭兵が海賊と手を組めば、バラバラにされて売られるかもね」
「あう……。気が遠くなってきた……」
崩れ落ちるように、椅子からずり落ちるノエル。それに追い討ちをかけるように、ユーミは話を続ける。
「無事合流できたとしても、機体はボロボロかもしれないな」
「そのまま戦わせるんですかぁ!? 一度、補給させては……」
「その隙がない。複数の潜行機が相手だと言っただろう。本艦を、ここから動かすことはできない」
「それで、あの話を」
「理解した? 事前に損傷しそうなところを予想しておいて、必要な交換部品のリストアップをしておきなさいね」
「あ……アイアイサー……」
頭を伏せたノエルが返事をした頃には、ユーミの姿はなく、ハッチがしまろうとしていた。完全に閉ざされた部屋の中に残されたものは、ディスプレイの青い光りと、照らされるガラクタと、ノエルの魂が抜けていくような、か細い呻き声だけだった。




