1÷0=
ちょこっと思いついたまでです。
赤穂第二小学校の算数の時間。時男は、ものすごく退屈していた。どうして学校はこんなにつまらないんだろう。時間の経つのが遅すぎる。それより気になるのが、今日夕方にある再放送のアニメだ。担任の竹下久美子先生は、割り算を必死に掛け算と複数のものを多人数で分けることについて力説していたが、そのことの何がそんなに大切なことなのか時男にはちっともわからなかった。
副担任の"豪胆"壇上先生が教室の一番後ろで弁慶よろしく仁王立ちしている児童の間ではこの先生に怒られると殺されるって噂だ。学校に入ってきた野良犬の腹部を一蹴りし捕獲、見ていた女子児童が可愛いそうと泣き叫ぶ中、恐ろしく遅れた保健所の係官に渡したことでこんなアダ名がついた。
せめて窓際の席だったらな、、。他のクラスや他学年の体育の授業や外を走る車の色当て(大概は白)予想ゲームができるのに、、。時男の席は教室のどまんなかだった。これが、残りの学期中続くのかと思うと泣きそうになる。
「宇宙の中心だな、、」小さい声で時男はつぶやいた。
「それでは、このプリントをやってみてください」
得意満面の竹下久美子先生。
でた、プリント攻撃。どうして先生たちはこんなにプリントを配りたがるのかも時男は理解できなかった。
「うーん」
前から回ってきた算数のプリントを適当にやっていく時男。6÷3=、、、12÷4は、、。
掛け算と連動していることぐらい、もうわかっちゃっているもんね、、、。時男はスイスイといかないまでも、えっちらおっちら解いていった。ただ面倒くさい。
時男はあまりのやる気の無さに4がぐるーっと回っていて真ん中に穴が開いている事に気がついた。でも三辺で囲まれた4の真ん中は市の教育予算が思いやられる再生紙100パーのざら版紙だ。
教育予算の少なさも彼の発想を助けたかもしれない
『ゼロみたいだな』思わず時男はそう思ってしまった。別に他意も悪意もないただ単純自由発想式連想で、そう思ったから仕方がない。
『ゼロで割ったらどうなるんだろう?』limも無限大も知らないただの小学3年生の時男はただそう思っただけだ。
掛け算から答えを予測していくだけの単純作業から、えらく数学的いや哲学的、いや全人類的、いや、歴史的いや、普遍的、脅威の学問的発達を幼い三年生の脳内で展開し始めたことに、三年三組いや、赤穂第二小学校そのものが気づいていなかった。
学校教育における官僚的な責任上としては副担任の"豪胆"壇上先生や、担任の竹下久美子先生が気づくべきだったが、この二人はどこにでもいる公立大学の教員課程を卒業しレールに載ったまま市の採用試験を必死に勉強しただけの極々平凡な教諭にすぎなかった。
この全人類的問題に問題に取り組んでいることに時男はおそらく手を上げて担任の先生に提起するというのが一番時男(彼の成績)のために成ったかもしれないが、時男はそうしなかった。
時男は前の教卓にいる竹下久美子先生がこっちを見ていないことを確認し、後ろを軽く見て"豪胆"壇上先生が窓の外をアホ面で見ていることをチェックすると、机の中に給食の残りのパンこそないが、授業中の児童間の連絡用にいつでも使用できるように不正貯蓄と不正保存された手のひらほどの紙切れを取り出し、恐るべきスピードで数語記すと、右斜め前の若干の好意を寄せているみゆきの机に投げ込んだ。
みゆきは、最初驚いたふうだったが、これも学童間の暗黙の了解に従い気づかないふりし、さーっと左手で隠し、ゆっくり開き読みだした。
【すごいことがおきるかもしれないよ】
みゆきが受け取ったメモにはそう書いてあった。みゆきは返事のメモを書くのもばからしくなり、
「バカ」と時男の方を振り向いて口マネをしただけであった。
すこしがっくりした時男は、この数分の間に全脳細胞を屈しして行き着いた答えをこのプリントの余白に書き込むことにした。
ゆっくりと、素早く、そして21世紀にして漸くここまでにたどり着いた人類のひとりとして恥ずかしくない威厳を込めて。
1÷0=、、、、、。
人が数学上のタブーをいや、数学というくびきを人間が超える時がやってきたのだ。
時男のシャープペンがイコールの先に触れた瞬間。
超宇宙がそこに生まれた。
テッド・チャンに近いと言われたら、うれしいですし、グーの音も出ません。