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CU CHULAINN#2

 勝負あり、そう思われた瞬間に無名のチャンピオンは妖刀ドウタヌキの呪いで暴走してしまった。キュー・クレインと狂気の侍の第二ラウンドが今始まる。

登場人物

―キュー・クレイン…永遠を生きる騎士。

―チャンピオン…キュー・クレインを付け狙う侍。



数年前:日本、大阪府、阿波座ジャンクション付近


「武器を納めて下さい、と言っても無駄でしょうね」

 淡々と黒髪のキュー・クレインは言い放った。

「せめて、私とあなたのみを巻き込む戦いに終始してくれませんか――」

 その返答として、神速の斬撃が放たれ、距離を隔てた位置にいるキュー・クレインに異様な衝撃波が襲い掛かった。

 先程までは物理的な衝撃波に妖刀の魔力が混ぜられた性質のものであった。

 そして今では使い手の引き出された狂気や闘争心が吹き込まれ、ある種の穢れを感じさせた――穢れとなれば、まさにあの名状しがたいマガツ二神の本領であろう。

 キュー・クレインはそれを防ごうと両手で剣を構えて備えたが、防御の上から襲い掛かる猛烈な衝撃と穢れは彼を吹き飛ばした。

 そして騎士はバウンドしながらフェンスを突き破ってそのまま落下した。

 歩道は人通りが多く、このままだと危険であった。

 彼はすかさず槍に持ち替えると、それでビルの側面を引っ掻きながら減速し、そして下向けて大声で「危ない!」と叫んだ。

 人々はそれに反応して飛び退き、騎士は落下してごろごろと派手に転がった。

 悲鳴と気味悪がる声、そして好奇心とが向けられた。

 そこへ瘴気を揺らめかせながらあの悍ましく変貌した侍が飛び降りて、着地しながら〈質実剛健の妖姫〉(ドウタヌキ)を騎士に打ち付けてきた。

 もはや周囲の被害もお構い無しであろう。騎士は立つ間もなく槍で防御し、金属同士の激突音とその風圧は周囲の人々を大いに恐れさせた。

「逃げて下さい! 早く!」

 騎士の大声で我に戻った人々は悲鳴をあげてその場を離れ、それを尻目に再び攻防が始まった。

 凶暴なまでに振り回される妖刀の発する苛烈な振り下ろしの斬撃は外れる度に周囲の歩道のアスファルトへ穢れを浴びせつつ表面を削った。

『そのコースには誰もいない』と騎士が判断して回避した横方向の斬撃は時折穢れを纏った衝撃波で高架道路の柱に傷を付けた。

 攻撃の度に凄まじい風が巻き起こり、積もった砂や排気ガスの薄い堆積がばさばさと舞い、キュー・クレインの短めの髪もそれに合わせて揺れた。

 このまま放っておけば誰かが通報し、こうした事態にある程度手慣れているであろうこの街の警察が群集の避難をてきぱきと(こな)してくれるはずだ。

 ただ問題は、日本という国は政府で正式に登録し資格を持っているヒーロー以外の活動を法律で全面禁止しており、かような激突は法に触れているのではないかと思われた。

 なれば逮捕される前にこの男の暴走を食い止め、なおかつここから立ち去る必要がある。

 鬼神めいた様相へと変貌した無名のチャンピオンは風より速く片手で逆手持ちの斬撃を繰り出し、そして隙あらばまるで機関砲のような凄まじい銃撃を放った。

 防御の上から騎士を疲労させる攻撃――騎士の三段突きを〈質実剛健の妖姫〉(ドウタヌキ)でいなした直後の発砲、これは弾かれて上の高架にぶつかった。

 斜めから振り下ろされた隙のある斬撃をキュー・クレインが回避し、反撃しようとしたが罠、狙い澄ました発砲。

 今思えば明らかにあの隙のある斬撃は罠であり、完全に虚を突かれ、神造の鎧甲冑越しに貫き彼の肉体にダメージを与えた。

 穢れの混ざった激痛で一瞬鈍ったところへ雨嵐のごとく放たれる斬撃。

 これをなんとか捌いていたところでまたきつい一発が撃たれた。

 一方的に攻撃されている事に対する鬱憤を晴らすように槍を振り下ろして銃弾は地面を抉った。

 更に高速で動いて四方八方からキュー・クレインは猛攻をかけたが、まだ相手を気遣う迷いがあったためかこれは完全に見切られた。

 続けざまの二発の射撃は辛うじて防御が間に合ったとは言え彼を空中から叩き落とした。

 例え暴走した状態でさえ、この侍の銃撃は恐ろしく正確であった――今になってはっきりと認識したが、思えばあの侍は剣技だけでなく射撃の腕も鍛練してきたのであろう。

 かような正確性と早撃ちの技巧は一体どこで磨いたのか? それは当事者以外の誰にもわからなかった。

 これら銃撃にも穢れが乗っているものだから、騎士はそれを防ぐ度に己の肉体から活力が奪われているような感覚を覚えた。

 侍の現状における肉体の強壮さを吟味し、気遣う迷いを捨てて猛攻を掻い潜り、槍の一閃を試しに喰らわせてみた。

 しかしほんの少し出血させるに留まり、躍起になって次は本気で突きを繰り出したものの、完全に左肩を捉えたにも関わらずこれも表皮を突き破るに留まった。


 こうした神話時代じみた攻防をおよそ六〇ヤードの所でスマートフォンを取り出して撮影しようとしていた高校生がいた。

 彼は自分と遠距離恋愛中である大阪の同世代の女子に会うため休日を利用して訪れたが、たまたま聴こえてきた凄まじい剣戟音に意識を奪われ、それを眺めていた。

 少し前に喧嘩した父と仲直りするため、大阪でいい土産でも何か買えないだろうかとも考えていたところだった。

 かような非常事態故に興奮で少年の手元は随分狂い、もたもたしてボタンを押し間違えたりしながらカメラを起動し、撮影ボタンを押した。

 ちょうどその時、アルスターのキュー・クレインは穢れを溜めに溜めた侍渾身の銃撃を槍で防いだものの、そのまま進路上の植え込みを吹き飛ばしながら高架の柱に激突した。

 そして吹き飛んだキュー・クレインを追撃――ついでにリロードを済ませるつもりであった――しようと、ゆっくりと歩み出そうとしたチャンピオンの耳に少年の押した間抜けなシャッター音が車の騒音に紛れて聴こえた。

 それに反応した狂戦士じみた侍はぎろりとそちらを睨め付けた。

 その災厄が己らに向かぬよう、厳重に奉られた穢れを司る名状しがたい二神のものに比べれば、これはあくまでも薄く希釈させた程度の穢れである。

 だがそれでも、穢れを放つ侍の容貌の悍ましさは哀れな高校生の少年の心を至高の恐怖で染め上げ、窮極的な恐慌状態に陥らせた。

 目が合ってしまったため、そのあまりの悍ましさ故に彼は声をあげる事さえ叶わず、無音の悲鳴を張り上げながら見動きが取れぬまま立ち竦んだ。

 既に健全性を喪ったマガツの使途は鬱陶しい蠅を払おうとその象徴たる〈質実剛健の妖姫〉(ドウタヌキ)を斜め下から振り上げた。

 地面に接したまま突き進む穢れた衝撃波は歩道のアスファルトを削りながら、至高の恐怖をその顔に貼り付けた少年目掛けて両断せんとして迫った。


「大丈夫ですか?」

 キュー・クレインは流暢な日本語――無論標準語のアクセントを基準にしているが――で少年に語りかけた。

 しかし己の形相が今どうなっているかは想像したくなかった。

 びりびりと痺れる両手でなんとか防ぎ切った騎士は、右手に槍を、そして左手に剣を構えてそれを交差して防御し、なんとか踏み留まった。

 あの瞬間己の身が焼き切れんばかりの神速で少年の前に割り込んだ短い黒髪の騎士は、左手で逆手に抜刀しつつそれをいつもの持ち方に持ち替えながら駆け抜けた。

 槍と剣を交差させて防御態勢を取り、その衝撃故に音を立てながらがりがりとアスファルトの上を後退(あとずさ)ったもののなんとか運の悪い高校生を守り切ったのである。

「す、すみません!」

 彼には怪物じみた表情に見えたのであろうか。

「構いませんよ。それよりここは危険ですからお逃げ下さい。彼は私がなんとかします」

「は、はい! ありがとうございました!」

 我を取り戻してその場を離れた少年を見つつ、騎士は現状が芳しくない事に悩んでいた――そして無性に腹が立った。

 もしチャンピオンが無関係な人々を巻き込み、殺す事も躊躇せぬ輩であれば、これまで殺してきた悪(・・・・・・・・・・)党どもと同じではない(・・・・・・・・・・)()

 今のところジャンクション真下の道路で交通事故は起きていないが、先程急ブレーキを踏んでいた音が聴こえた。

 迂闊にももらってしまった傷もまた、戦況を悪化させていた――負傷した状態で庇うための神速の踏み込みを行なった事で、体に負荷が掛かってしまい吐血していた。

 正直なところ、彼はあくまで無闇やたらに殺すべきではないという倫理観に従っているだけであり、相手が非道であれば殺す事も厭わなかった。

 とは言え、本心ではなくマガツ二神の力を秘めた刀に操られているのであれば、殺すのは可哀相かも知れない。

 しかしそうなると、師より伝授されたあの技を使わなければならなかった。

 そう、腹の槍と呼ばれて恐れられた、あの無慈悲な殺戮兵器を扱うための技を解き放ち、そして殺さずに無力化する。

 あの技を使った時はいつもぞっとしたものだ。

 ああ、亡き友よ、亡き息子よ! 何せこの技の手加減の仕方は彼自ら編み出すしかなかったのである。

「洗脳された相手となれば無闇に(あや)めてはならないでしょう。故に…ふむ、まあ、あなたなら耐えられるでしょう」

 その言葉に反応し、侍は射撃を放とうと一瞬考えてしまった――まだリロードは終わっていなかったのに、一瞬だけそれを使おうと思考を割いてしまった。

 〇.一秒にも満たない短い間ではあったが、その隙を突いてキュー・クレインは虚空からあの尋常ならざる槍を取り出した。

 スローになった世界で、騎士が手にした槍を目にし、狂気を撒き散らす侍は驚愕で目を見開いた。

「あまりふざけていると本気で殺しますよ」

 冷たい突風が吹き荒れ、砲弾じみた何かが疾走した。


「これで、本当に終わりです」

 倒れた侍は右胸を恐るべき腹の槍で貫かれ、その槍は柄を天に向けていた。

 騎士は彼の元に歩み寄り、すると刺さったままの槍は恐るべき煙と影を残しながら消えた。

「…全く、スカした態度の、嫌な奴だな」

 侍は正気を取り戻していた。恐らくは激烈な槍の投擲を受けた事によって。今では歳相応の中年サラリーマンに見えた。

「そう見えたのであれば、すみません」

 遠くから微かにパトカーのサイレンが聴こえる。

「先程の話ですが」騎士は唐突に言った。「私はあなたがどれ程不幸なのか、それは知る由もありません。私から言えるのは、大抵の場合、生きていれば某かの気晴らしがあるという事です」

 言いながらチャンピオンの妖刀と銃を回収し、彼は背を向けた。

 彼はこれからまたあのビルまで駆け登って置きっぱなしのリュックを回収しなければならない事に少々うんざりした。

「わかったような事を」と侍は吐き捨てた。

 先程の怒りはまだ消えたわけではない。あなたは私の気紛れにによって今も生きているのですよと口にすれば、更に嫌な印象を与えるだろうなと内心自嘲した。

 長い事生きた事で己は性格が歪んだのかと自省しつつ騎士は答えた。

「そうですね。まあ、私の場合はケルトの神話通り、愛する者達…息子と親友を我が手で殺さなければなりませんでした。そんな私でも、前世の最期は堂々と討ち死にできたものですよ」

 さすがにこれを聞いて禿頭の侍は押し黙った。すなわち、かの英雄は伝承通りに腹の槍で彼らを殺め、そして自らも同様となった。

 侍の沈黙を納得か何かと受け取り、キュー・クレインは立ち去ろうとした。

「待て、何故俺がお前を襲ったのかは聞かないのか?」

「その件ですか。大体のところ、名状しがたいマガツの神々はあなたに戦士としての己、侍としての己を思い出させ、その闘争心を(くすぐ)る私のような存在がちょうど今日本にいる事を教えつつ、それに相応しい業物を手渡してけしかけた、とかなんとか。恐らくはそんな話でしょう。いずれにしてもあなたが〈質実剛健の妖姫〉(ドウタヌキ)に関する情報を詳細に与えられたとは考えにくい。おや、その顔は図星のようですね。

「それともう一つ、あなたの暴走劇ですが、途中からは確かに事態があなたの手を離れていた。それに私の推理が正しいとして、マガツ二神の申し出を断るなど恐ろしくて普通は不可能でしょう。というわけであなたにも同情の余地はある。軽い刑罰で済むのではないでしょうか。まあ、洗脳されていたらその間に罪を犯しても無罪か否かという論争はありますが…それは当事者にしかわからない苦しみでしょうね」

 キュー・クレインは友人である三本足の神から聞いていたとある洗脳された青年の話を思い出し、とても哀れに思った。

 そしてかの騎士は手で口から垂れた血を拭った次の瞬間に、その場から消えた。

 戦いが終結した事を察知して野次馬は遠巻きに集まりつつあったが、彼らの眼前から黒髪の英雄は忽然と姿を消したのであった。

 一人残された侍は、ジャンクションのごちゃごちゃした高架道路と秋晴れの空を眺めて、己の境遇を苦々しく笑った。

 ただ、暴走した時の自分が撃った弾丸があのキュー・クレインに与えた傷は大丈夫だったのだろうかと今頃になって気になった。

 そして銃を携帯して己に近付く警官隊を倒れたまま眺め、あるいは別れた妻との復縁とか、そういう類のもっとましな人生が送れるのだろうかと考えた。

 然るべき処罰を受け、それからまずは田舎に帰ろうか。もしも罪に問われたら、少しは地元の目も厳しくはなるにせよ、今までよりはましであろう。

 久々の闘争は、侍に永い安息を与えたようであった。

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