番外・ヒツジのお嬢様
・新年、遅れましておめでとうございます!
・今年は未年、メルルの年!
・と言うわけで、メルル視点のお話になります。
・どうぞ本年もよろしくお願い致します。
朝、カーテンの隙間から零れ落ちる日の光で目を覚ます。
しばらくは、そのまま暖かなお布団に包まってぼんやりしてしまう。朝はちょっとだけ苦手なの。
本当はもう一度、心地よい眠りに落ちてしまいたいけれど。
でも、何時間か後には学院の授業もあって、理由も無く遅刻をすることは許されない。
それ以上に、わたしよりも遥かに早く起きて家事をこなしている義弟を思えば、義姉であり主であるわたしがだらしない生活をするなど、わたしが許せない。
愛しのお布団とお別れをし、寝間着から制服に着替え、自慢の毛並みを梳かす。
ロングでふわふわなわたしの毛並みはお父様譲りで、誇りであり自慢だけど、朝の身だしなみの時間だけはちょっとだけ大変だと思う。
せめて、レオン殿下みたいにサラサラと櫛を通してくれる毛質だったら。
……でも、マリヤはわたしのふわふわの毛並みがとても好きらしい。
今より小さい頃から、折を見てはよく撫でたり抱きしめたりするのは、きっとわたしの毛並みの素晴らしさに魅了されているのだと思う。
じゃなかったら、いつまでも男の子であるマリヤがわたしを嬉しそうに抱きしめてふかふかするなんてこと、流石にしないと思うし。
この毛並みが、わたし達が異種族の異性別である事の壁を一つ壊し、親友であり家族になる役に立ったって事よね。
だから、毛並みのお手入れは欠かさないし、手を抜かない。
……抜きたくない、けど。
「……マリヤ~…」
「はいはい。おはようメルル、どうしたの?」
「眠いの、…今日は、すごく、眠いの……」
「あらら。ちょっと待ってね、一杯紅茶飲みましょうね。毛並みは今整えてあげる」
たまには、こんな日も、あります。たまによ?
わたしが声をかけない限り、マリヤは勝手にわたしの部屋に入ってこない。逆を言えば、呼べば彼はすぐに来てくれる。
エプロンをつけて朝食を作っていたらしいマリヤはわたしの様子を確認すると、一端キッチンの方へ戻って、紅茶を一杯淹れてきてくれる。
ドレッサーの前に座っているわたしにそれを差し出して、わたしはそれを受け取る。
そのまま、愛用の櫛でわたしの毛並みを梳かし始めてくれた。
ふわふわだけれど、その分絡まりやすいわたしの毛は、朝は結構な惨事になっていることが多い。
それを根気よく、けれど手際よく丁寧に、マリヤはほぐして梳かす。
子供のころから何度もしてきた事で、最初の頃は引っ張られて痛かったり、時間がかかったりしたけれど、今じゃそんな事もない。きっと、わたしが自分で梳かすよりも、早く綺麗に整えてくれる。
そういう所はとても執事っぽくて、同時に男の子らしくない。
…いえ、この学院に来てから、わたしの知るヤンチャで乱暴な『男の子』像は決して男子の大半を占めている訳ではない、と理解はしたけれど。
マリヤは女の子に対してとても丁寧で、親切。貴族の子達はまあ大抵そうなんだけどそれはそういう教育を受けたから。マリヤはそうではなく、最初からそうだった。
というか、最初の頃はそれこそ、女の子みたいだったと思う。きっと言ったら……怒りはせずとも喜ばないだろうから、言わないけれどね。
――――――
マリヤはわたしの義弟。血の繋がらない、義理の家族。
でも、本当の家族であるお父様やお母様と変わらないくらい大事で、大切な家族。
身寄りのない彼を、お父様が引き取ったあの日から、わたし達は家族なの。
……それ自体は、そこまで珍しい事でもないと思う。貴族間の養子縁組は、頻繁とは言わないが普通にある事。後継ぎに恵まれない家が、親戚の子を養子として迎えたり。
ただ、マリヤはそうじゃない。
彼は、わたし達とは違う種族。…今はもう滅んでしまったと言われている、アンスロスという国にかつて住んでいた、ニンゲンという種族。
初めてマリヤに会った時、正直わたしは警戒した。
家に見知らぬ、薄汚れた他人が来たというのもあるけれど。それ以上に、ニンゲンだったから。
アンスロスとアニマリア、二つの国家間にかつて何があったのかは、この国に住むヒトならばなんとなくは誰でも知っている。誰もが、幼いころにおとぎ話で聞くから。
『誤解の果てに、二つの国は仲たがい』
『和解することなく、アニマリアはアンスロスのニンゲン達を滅ぼした』
これらは、誰もが知っている事。
大抵のヒトはニンゲンを気の毒だと思う。自分たちが、かつて犯した過ちを繰り返すまいと、もしも生き残りを見つけたなら、普通は助けようと思う。
私だって、ニンゲン達が可哀想だとは思うの。
でも、わたしはこうも思う。
例えばわたしなら。むかしむかしのご先祖様達を誤解で沢山殺したヒト達の事を、あっさり許したりするかしら?
そのせいで、自分や家族がつらい生活を送る原因になったのなら、憎んだり恨んだりしても仕方がないのではないかしら?
そんな中、同情を向け手を差し伸べたら……これ幸いと、恐ろしい仕返しを計画したりするのではないかしら?
多分、わたしは村の中でも異端なのだと思う。だから、こう思った。
―――この子は、この家で悪さをしようとしてるんじゃないかしら?
じろ、っとわたしはお人好しのお父様が連れて帰った彼を睨むように見つめる。
ばさばさして触り心地の良くなさそうな金色の毛並みと、村の子達と比べても、粗末で汚れた服装。
きっと、お父様も村のヒト達も、彼を心配し、同情し、優しく接したと思う。
わたしだって、別にニンゲンが嫌いな訳じゃないし、彼らとの確執とその終焉は悲しみ反省すべきだと思ってる。
……でも、だから彼らに何をされてもいいって訳でもないと思うの。
彼の意図を探ろうとして、わたしはこの子をじっと見る。視線を合わせる。
悪いヒトは、後ろ暗いところを持つヒトは、じっと見つめられると耐えられなくなるって、ラビアンに聞いたことがあるから。
わたしに見つめられる彼は、まっすぐ私を見返した。
その子はわたしと同じ年頃だろうけれど、怯え萎縮した様子もなく、睨む私に反発心を抱き睨み返す事も無かった。
ただ冷静にわたしの視線を真正面から受け止めて。…何故か、わずかに苦笑した。
その笑い方が、とても子供らしくないと思った。まるで、わたしが悪戯や我儘をした時に、お父様がわたしを『仕方ないね』って許すときのような、あの雰囲気。
警戒心は、その瞬間に興味に摩り替った。
少なくとも、向けるわたしの視線から彼は目を逸らさなかったし、薄汚れた姿だったけれど、瞳はまるで宝石みたいに綺麗だったから。
突然やってきたニンゲンの少年は、…マリヤは、本当に不思議な子だった。
普通この年頃の男の子と言ったら、我儘で乱暴で聞かん坊で、というわたしのイメージを根底から覆すような子。
とても温和で、穏やかな子。
ムッカのような内気で大人しい、とは違う。大人しいのではなくて、落ち着いているというのが正しいと思う。
突然貴族の家の養子になる、なんて普通に生きてきた…、…か、どうかも最初のあの薄汚い様子だとちょっと怪しいけど、そんな子にとっては劇的過ぎて困るだろうから。
この家に慣れるまで、メイド達のお手伝いをして、落ち着いたらゆっくり話せば良いと思っていたのだけれど……
……本当に、毎日手伝いばっかりしだした。
それが、ここで自分に与えられた役割だ、と言わんばかりに。
文句の一つも言わず、言いつけられた事をすべてこなして。
周囲の大人に、引き取ってくれると言ったお父様にも、唯一の同年代であるわたしにも、彼は誰にも甘えたりしなかった。
子供の筈なのに、子供らしくない。
いつもきちんとした敬語を使い、周囲から一歩引いているような。
わたしが最初に危惧したような、取り入って悪い事をしようとか、そんな様子もなくただ毎日を働いて過ごしている。
確かに、村には毎日家業を手伝っている子なんていくらでも居る。
でも、勉強するために皆学校に通うし、遊びに行く事だって当然ある。それらは、子供の大事な時間で、権利だって聞いた。
それらを思うと、マリヤは少しも子供らしくはなかった。
「……彼がどんな境遇で生きてきたのかは解らないけれど。きっと、辛い日々だったのだろうね」
お父様に聞いて見たら、とても心配そうに視線を伏せてそんな事を言った。
このカルネイロ領はとっても平和で、子供達も自由に生きているけれど、そうではない場所だってあるのだそう。
アニマリア国内には少ないけれど、貧しい土地では子供達は学ぶことも遊ぶことも出来ずに、延々と働き続けさせられるって。このアニマリアですら、かつてそんな時代もあったって聞いた。
…ニンゲン達は、故郷を滅ぼされ、もう何十年もその姿を確認されていない。
でも生き残っている、マリヤという子供が存在する以上、きっとどこかにある程度の数が隠れ住んでいるのだと思う。
けれど、他との交流を断ち切り隠れ住む、というのはとても難しい事なのだと、お父様は私に語った。
「例えば、メルルが食べている食事、その材料の野菜がどんなふうに作られているか。メルルは知っているね?」
「ええ。のうかのヒトたちが、毎日はたけをおせわして、いっしょうけんめい、いっぱい時間をかけて作ってくれているの」
「そうだよ。…でも、農家のヒト達が畑を世話する為に、鍬や如雨露や、たくさんの道具が要るね。それを作る鍛冶屋さんも大事だ。そして、鍛冶屋さんも、鉱山で働いている鉱夫達が金属を取って来てくれなければ、道具が作れない」
「……おやさいを作るだけでも、たくさんのヒトがひつようなのね」
「そう。他にも、家や服を作るのも直接作るヒト以外にも、沢山のヒトがそれぞれの仕事をして繋がりあって出来ているんだ。…狭い範囲で隠れて係わりを持たず生きるというのは、それらを圧倒的に少ない人数で、自分達でやらなければいけなくなるんだ」
……それはきっと、物凄く大変なのでしょう。
支えなくてはならない人数も減るのだろうけど、作る人数も少ない。例えばヒトが減ってしまったら、その分を誰かが更に背負わなくてはいけなくなってしまう。
子供だとしても、マリヤくらい大きければ、普通に働き手に数えられても不思議じゃないのかな、と納得できた。
「マリヤが何も言わないから、本当の事は解らないけれどね。ただ、大人の私達がこうしなさい、と言って彼が従ったとしても、『大人に命令されて』変えたのなら、あまり意味が無いのかもしれないね」
だから、お父様もお母様も、心配はしているけれど、なかなか口に出せないみたい。
彼の中で、もしかしたら大人は『自分が従うべき絶対者』なのかもしれないから。
お父様達はマリヤにも子供らしく、学んで遊んで目いっぱい子供らしく生きてほしいのだけれど、違う種族、違う生き方をしてきたマリヤに、悩んでいるみたいだった。
とっても優しい、お父様とお母様。成り行きで引き取った養子に、心を砕いている。
……わたしだけが、警戒しながら見守ってるというのも、おかしいわよね。
そもそも、ずっと見ていたけれど、全然何かを探ったり企んだりしている様子も無い。ただ、メイド達と仲良く働いて、お茶して、たまにお喋りをしているくらい。
部屋の中で何してるかは知らないけど、こっそり他のお掃除中に入って調べてみたけど、別に何もなかった。
少なくとも、悪い子じゃない。
悪い子じゃなくて、このうちの子になったなら。
わたしが先にこの家に居る子なんだから当然わたしがお姉ちゃんで、あの子は私の弟で、お姉ちゃんならちゃんと弟の面倒見てあげなきゃいけないと思う!
「お父さま、わたしにまかせて! オトナが言うのがダメなら、同じコドモのわたしがマリヤに、ちゃんとコドモらしくいっしょに遊びなさい! って言ってきてあげる!」
「……。…そうしてみてくれるかい?」
「ええ! だって、わたしお姉ちゃんだもの!」
胸を張って、お父様に頷いて見せた。
子供が仲良くなるのなら、子供の方が適任に決まってるわよね。
お父様にお願いされたのもあって、やる気たっぷりの足取りでお昼ご飯を終わらせて、後片付けのお手伝いをしようとしていたマリヤの手を引いて、わたしのお部屋で直談判をする事にした。
―――まあ結果として、別にそこまで深刻な大人への畏怖がある訳でもなく、単にお手伝いが結構好きなだけ……みたいな印象だったんだけど。
あと、どっちかというと隠していたのは、女の子みたいな感性と言葉使いだったみたい。
自分が男である自覚はあって、変だから隠そうとしてたみたいなんだけど。わたしやお父様が珍しいけど別に良いよって言ってあげたら、その後は大抵開き直ってた。
……口調と感性以外の、立ち振る舞いや言動は男らしくしようと、結構頑張って治してたみたいなんだけどね。
――――――
「メルルー、紅茶冷めるわよー」
「にゃ、……ごめん、飲む、今飲むから…」
マリヤに声をかけられて、ハっと目を開けた。
危ない、いつの間にか眠りの世界に漕ぎ出しかけていたみたい。…というか、だいぶ昔の夢を見ていた気がする。
懐かしいわ、マリヤは初めて会った頃、すっごく小さくて可愛かったっけ。
……今も可愛くないと言ったら嘘になるけど、身長がすっごく伸びたのと、ちょっと顔が変わったから、どっちかというと格好良い。
声もいつのまにか、ちょっと低くなった。レオン殿下よりは高いけどね。エルミンはマリヤより高いわ。
小さいころは男の子なのか女の子なのか、可愛い見た目と女の子の喋り方のせいで解らないくらいだったけれど、最近はしっかり男の子している。
…口調は、普段は相変わらずだけどね。学校では執事らしく、って敬語で通してる。
うん。とても優しくて、気が利いて、頭が良くて運動も出来て、料理も美味しくて、完璧で自慢できるわたしの大事な義弟で、執事ですとも。
彼にも自慢して貰える立派な義姉で、淑女にならなければ。
決意を改め、マリヤが入れてくれた紅茶をゆっくり口に含む。
少しだけ温度が下がった紅茶は、むしろ飲みやすくて悪くない。
いつもの香りが広がるのかと思ったら、初めての味と香りに、ちょっとびっくりして瞳を瞬かせた。
「……リモネでも入っているの? なんだか、スっとした香り」
「ああ、この間エルミン君と街に行ったときに見つけてね。最近バーダムの方で流行ってるお茶なんですって、寝起きに良いかと思って」
「ふうん。確かに、スッキリするかも」
「でしょう。名前なんて言ったかしら。××××××に似てるとあたしは思うけど、確か違ったのよねえ」
……?
爽やかな香りの紅茶に興味津々で、意識をそちらに向けていたのと、まだ少し眠気で鈍った頭だったので、マリヤが何を言ったのかを聞き取れなかった。
たまに、マリヤはわたしにはわからない言葉を喋る。
それは大抵、わたしを含めて誰も知らない言葉である事が多い。アイスクリームとか。
稀な事なのだけれど、会話の途中にポンっと突然聞き取れない単語が入ったりするから、たまに面喰ってしまう。
純粋に知らないだけ、ではないと思うの。
マリヤは、とても綺麗な三国共通語で普段は話している。なのに、そういう時は間違いなくまったく違う、聞きなれない発音の別の国の言葉になっている……気がする。
少なくとも、今では話すヒトもほとんど居ないって言う、古アニマリア語ではない。わたしも喋れないし、なんとか文字を追うくらいしか出来ないけど。
アンスロスの言葉なのかしら??
普通に共通語で話している時に、突然別の発音で喋れるなんて、器用ねえ……と思うのだけれど、どうやらマリヤにとっては自然な事なのか、当人は全く意識している感じではないのも、また不思議。
「はい、おしまい。メルル、目は覚めた?」
「ん~……、…うん、おおよそ…」
「朝ごはんはサラダと野菜たっぷりのオムレツと、ジャムつきトーストね」
「ジャム! もしかして、昨日作ってた新作?!」
「ええ。珍しい果物が手に入ったからね、結構自信作よ」
マリヤの作る甘い物は、とっても美味しい。ジャムはパンに合うし紅茶にも合う、素晴らしいペーストだと思うのよね!
思いがけないごちそうに瞳を輝かせて振り返ると、楽しそうな表情のマリヤの笑顔。
……昔に比べたら男の子らしくなったし、格好良いと思うけど、やっぱり家族だしポーラ様みたいなドキドキ感情にはならないわねえ…
一緒に暮らしてて大変じゃありません? なんてもじもじしながら聞かれたけれど、やっぱりマリヤはわたしにとって、男の子って言うより家族だ。
警戒心も何もあったものじゃなく、彼も全く同じだと思う。
男だからってマリヤに警戒する必要性とか、これっぽっちも感じないしね…
よし、マリヤの朝ごはん食べて、頑張って勉強しよう。
今日はお弁当の日だから、お昼も夜もマリヤのごはんって事だもの! 元気も出るわよね。
諸事情で、お正月に更新する筈が遅れてしまいました。
皆様、昨年はたくさんの閲覧、ブクマ、コメントなどなど、本当にありがとうございます。
のんびりペースになってしまっておりますが、どうぞ今年も宜しくお願い致します。
…余談ですが、いつだったかマリヤさんは『文字は解らないのに、言葉は日本語として喋れるし聞こえる』と言って(考えて)ましたが、実際そんなわきゃありません。
一話冒頭を除けば、作中ではマリヤ当人を含め、誰も日本語喋ってません。
皆、三国同盟締結後に公布された共通語を使っています。
が、マリヤだけは極稀に日本語の『単語』は口走っていることがあります。
本人にその自覚はありませんが、周囲からすれば流暢な英語を喋ってる途中で突然普通の日本語が混ざるような違和感。
どういう事なのかは、またいずれ。




