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ヒツジさんの執事さん  作者: 美琴
第二章
38/67

37・執事見習いの日常



 毎朝、日が昇る前に起床する。

 この世界に時計はあるのだが、小型化はされていない。貴族の家には大きなのっぽの時計があるけれど、一般家庭には当然無い。

 王都には、ロンドンにあったような、…あそこまでの大きさは無いけど大きな時計塔がある。それで一般のヒトも現在の時間を知れる。

 田舎は…朝・昼・晩に鳴らされる鐘の音と、自分の体内時計での自己管理だ。田舎で暮らす分にはそれで平気だった。規則正しく生きてれば充分。

 …ていうか、長さや重さの単位違うクセに、なんで時間は1時間1分1秒なんだろう。いや覚えやすくて良いんだけどさ…

 細かいことは置いといて、日が昇る前にはあたしは起きる。

 アラームなんかがある訳ではないのだが、すっかりそういう生活リズムになってしまっているので、勝手に目が覚める。

 まだ暗い部屋を灯す為にランプに一個だけ火を入れて最低限の視界を確保。

 顔を洗って、髪を梳いて編み直し、着替えてとちゃちゃっと身支度をする。

 結構髪が伸びたな。特に邪魔だと思ってないから放置してるけど、編むのに時間がかかるのでそのうち後ろも切ろう。前髪は適当に整えてる。

 あたしのお嬢様は未だお休み中。

 起こすにはまだ早い。点けたランプを持ったまま、部屋を出る。


 寮から出て、ちょっと歩くと校庭がある。

 まあ広大なこの敷地内、校庭と一口に言っても何個もあったりするのだが。

 ここは寮から一番近くて、手頃な大きさである。大体、小学校にあるような校庭と同じくらいの広さ、じゃないかな。

 端にある木製のベンチにランプを置いて、火を消す。

 日の出はまだだが、空は白んできているので、そう視界には困らない。

 ぐーっと伸びをして、そのまま柔軟体操。しっかり準備運動はしないと、どんな怪我をするか解らない。きっちりやる。


「おはようございます、マリヤさん」

「あ、おはようございます」


 そのうちに、あたし以外の生徒もちらほらと姿を現し始める。

 彼等も、あたしと同じで自主的な朝錬をする子達だ。元からの習慣だったり、体力が欲しいと願って始めたりとヒトによって理由は様々。

 毎朝顔を合わせて挨拶する間に、それなりに気安く声をかけあえるくらいには仲良くなってきた。


「毎朝早くて感心だね。2年になっても続けて欲しいけれど、無理はしないようにするんだよ」

「きっと2年になっても続けますよ、昔からの習慣ですし」

「そうは言うけれど、2年になると授業も更に厳しくなる物が多いから」


 朝錬の時間になっても目覚めないくらい、疲れてしまったり。置いていかれるまいと予習復習にかかりきりになって、こちらに来られなくなる生徒が多いらしい。

 そう言って苦笑する茶色いわんこさんは、3年生で役人科の先輩である。

 なんというか、さらさらの長い毛並みにすらっとした鼻筋。きっと、美形のお兄さんなのではないだろうか。

 とても穏やかで頼れるヒトで、よく声もかけてくれるので嬉しい。

 当然ながら、中には先輩風をぴゅーぴゅーに吹かすヒトも多いのでね。特に、貴族科の先輩方は、やっぱりあたしが気に食わないみたいで。主にレオン関連で。

 ……幸いながら、後輩いびりをするほど、暇ではないようだけどね。

 あたしに突っかかってレオンに睨まれるのもだが、問題を起こして辞めさせられるなんてのも、折角そこまで進級したんだ。そりゃイヤだろうし。


「皆様、今朝もお疲れ様です」


 柔軟の後に、1・2・3年と織り交ぜてマラソンしたり、腹筋だの背筋だの軽く筋トレして大分空が明るくなってきた頃、やってくるヒトが居る。

 ふわふわというか、もこもことした白い毛並みのお嬢様。

 メルルじゃないよ。ポーラ様だ。

 無論お1人でもなく、後ろにはメイドさんを連れている。

 彼女が現れると、周囲の空気が急に変わる。

 もうノルマを終えた子は浮き足立ち、終えてない子は突如全力で走ったりなんなりとエンジンが掛かる。

 流石、学園でトップクラスの美少女。その存在感は半端無い。


「今日もリネール水をご用意致しましたわ。お疲れでしょう、お飲みになって下さいませ」

「「「ありがとうございます!!!」」」


 朝錬参加男子陣が、体育会系のノリで綺麗にお礼の唱和をする。

 ちなみにリネール水ってのはレモン水の事である。運動後には特に美味しいね。


「それにしても、最近は毎朝こうして差し入れをして下さって…。大変有難いのですが、どうなされたのですか?」

「毎朝ご自分を高める為と努力なさる皆様のお姿に、心打たれたのですわ。残念ながら、わたくしが参加してはお邪魔になります。ですが、ささやかながら皆様のお役に立ちたくて…」


 わんこ先輩も、ここ最近急に姿をあらわすようになったポーラ様が不思議だったのだろう。尋ねると、彼女はにっこり笑ってそんな風に返す。

 ……まあ、それもあたしがお弁当の時に『毎朝ここで朝錬してる』って言った次の日からなので、つまりそう言うことなんでしょうけどねー…

 それを公にすれば、迷惑がかかると思っているのだろう。


「マリヤさんも、どうぞ」


 決してあたしを優先したりえこひいきするような態度は取らない。先輩方を最優先、憧れの瞳で殺到した同級生へお水を配ってから、あたしにも渡してくれる。

 あたしとレオンが友人なのは周知の事実で、レオンとポーラ様は最近急接近と言う噂。この流れで、あたしとポーラ様が多少親しくしててもあまり気には止められない……嫉妬の視線は浴びるが、この場では無い。

 レモン水を有難くお礼を言って受け取ると、彼女は嬉しそうに笑った。

 ……なんかこう、ナイショのお付き合いでもしてるみたいなノリですね。

 実際全くそんな事はないんだけどね。

 大変申し訳ない事に、あたしから彼女へは好意はあるが、その好意は男女としての恋愛的な好意ではない。好意というか、好感か…?

 男としてどうなのと言われたってどうしようもない。

 種族の隔たりは大きく、頭の中身は女なのだから…

 当人満足そうなので、今の所は好きにやっててください状態である。戸惑うけど致命的に困ってる訳でもないしね。




――――――




 日が昇り始めた頃に戻って、お部屋中のカーテンを開ける。

 寝過ごさない限り、お嬢様のお部屋には踏み入りませんよ。踏み入ったって怒られないだろうけれど、相手は思春期真っ只中の娘さんだ。それくらいは弁える。

 …こっちに来てからは、流石に一緒には寝てない。

 汗をたっぷり吸った服を洗濯機代わりのタライに突っ込んで、お湯を被ってさっぱりする。

 次に着替えるのは制服だ。上着はまだ着ない。代わりにエプロンをつける。

 汗臭いと文句言われるのはイヤなので、朝錬中に着ててさっき突っ込んだ服はそのまま洗濯してしまう。

 洗濯機回すノリで魔法使っちゃう訳だが。減るのは電気ではなくあたしの魔力なので、むしろあれより気軽なもんだ。脱水は手だけどね。

 朝ごはんより前に、先ず今日はお弁当の日なのでそっちからかかる。

 3段の重箱につめる分のおかずを作るのは結構大変だ。尚、主食のパンは流石に焼くの大変なので、食堂で買っている。

 サンセさんとエルミン君とポーラ様は大抵の物は美味しいって食べるけど、なんせメルルが肉嫌い、レオンは極端な肉好き、なのでそこでも困る。

 皆喜んで食べる卵焼きは鉄板だけどね。ちなみにあたしは甘めの味付け派。

 この国の卵料理の基本はオムレツで、あたしが作る出汁巻卵は珍しがられた。

 とりあえず、トマトやコーンなんかの野菜を使ったマリネ。パプリカをきんぴらっぽくした炒め物。そしてジャガイモは……ニョッキにしちゃおうか。クリームソースで…

 レオン用のお肉だが、夏の間にトマトケチャップもどきを作ってみたので、今日はそれで焼いたチキンに味付けするか。

 本当は鳥なら照り焼きが好きなんだけどなー…。あー、醤油欲しい。

 醤油って手作り出来るのかなあ。本来出来るんだろうな、昔の日本の家庭では味噌も醤油も手作りだった筈だ。

 しかしあたしが生まれた時代には、もうその辺は買う物になってたし…

 どっちも大豆から、醸して作るのは間違いない。大豆(とほぼ同じ豆)はあるの知ってるし手に入るけど、詳しい作り方とか知らない。

 どうして日本の食べ物って、味噌醤油といい豆腐といい、作り方が独特なのが多いんだって全部大豆原料じゃないか。大豆すげえ。

 …あれ、まてよ。この世界普通にチーズはあったけど、レンネットってやっぱり牛さんの…胃から取った酵素? それともファンタジー世界だし、他になんかチーズを固める為のなんかの添加物があるのかな…


「まりや~、……おはよ~」

「あら、おはようメルル。朝ごはんもうちょっとで出来るから、待っててね」

「うん~…」


 考え事しながらお弁当を作り終え、朝ごはんの準備を始めた辺りでメルルが眠そうな目を擦って起きてきた。

 眠そうではあるが、部屋から出てきた時点で着替えているし、毛並みもきちんと整えられている。

 お嬢様だけど、そういう自分の事は自分で出来るように、が我が家の教育方針だったので、メルルもきちんとしているのだ。

 しかし、なんだかこの会話、一般家庭のお母さんと子供みたいなんだが、どうなんだろうか…

 関係的には、家政婦さんとお嬢様の方が正しいのかもしれないが。


「マリヤ、パンにジャム欲しいわ~。ジャム~、この間作ってたベリーのジャム欲しい~」

「…はいはい」


 だめだ、やっぱりお母さんと娘だ。

 今度のサンセさんとのお茶会の時にスコーン焼こうと思ってて、それ様に作ったんだけど…、まあ元々保存食だし多めに作ってあるから朝食に食べたって大丈夫。

 朝から甘いジャムをたっぷり塗ったパンにありつけて、上機嫌になるお嬢様を眺めながら一緒に朝食を摂った。




――――――




 相変わらず学院の校舎は広い。

 3学年、4クラスずつしか無い筈なのに、この尋常じゃない広さは何なのか。いや1年生は5クラスあったね、そういえば。

 総面積は何ヘクタールあるんだろう。

 …日本のでかい大学だって、バスで移動するようなトコがあったけど。それを思えばそこまでじゃないのかもだが、徒歩で端から端とか軽いスポーツになるし。

 一応、王都の『中』にあるんだけどな、この学校…

 多分だが、学者街の1/4がこの学院、…くらいじゃないか。

 講義とか受け持ちながら、それぞれ自分の研究してる先生だって居るもんね。ほんと、大学みたいなもんだよね…

 さておいて、メルルと分かれて自分のクラスに入り、エルミン君と朝のご挨拶。

 エルミン君と言えば、涼しくなってきたなーと思ったら、なんだか毛並みがまだら模様になって行き、今は殆ど白い毛並みになった。

 ……うん、オコジョだもんね。

 メルルだって、冬毛になるもんね。なんとなくそうじゃないかとは思ってたけど君ほどハッキリ夏と冬の毛の違いが出る動物少ないから、ちょっと驚いたよ…

 それにしても、白毛並みの多いグループになった。羊、パンダ、冬毛オコジョにホワイトライオン…。


「マリヤ君は良いですよね。僕ら程ごっそり生え変わったりしないんでしょう?」

「ええまあ…。抜け毛はありますが、皆ほどでは…」

「ショートの子達は良いわよねー。夏も冬もそんなに変わらないでしょう? 私達なんて夏になると抜け毛が悲惨で、掃除も大変なのよ」

「いや、短いから楽だなんて、それは大きな勘違いです。僕の経験から言わせて貰うと、毛足が短い方がびっちりと密集している分、生え変わり時の量が多くて…」


 大変、だね。アニマルな皆様は…

 とりあえず、そんな雑談が普通に出来るくらいには、クラスの子達とも大分打ち解けてきた。

 あたしとエルミン君は成績は良いので、解らなかった所を先生に聞きに行く前にあたし達の所に来る事も多くある。

 聞かれるのは、時間が空くとメルルの所に行くあたしより、エルミン君の方が多いだろう。

 なので、最近は随分と仲の良い子が増えて、彼も毎日楽しそうだ。

 …友達難民のこじらせによる懐きはあんまり変わってないが。


「そろそろ先生が来る頃ですから、座りましょう、皆さん」


 フィズィ先生はオッサンよりも真面目な先生で、鐘が鳴るよりも前に教室に来る事が多い。

 その時に慌てて席に座るより、先にぴしっとお待ちした方が心証も良い。

 あたしが声をかけると、皆も心得たもので自分の席に素直に着席していく。使用人科に、あまり反乱分子は無い。そりゃそうだ、ヒトの言葉に無意味な反発心を抱くような子が、ここに所属するはずが無い。

 無論、納得いかない事があれば、使用人科同士意見をぶつけあう事もあるが、これはそれとはまったく別である。


「皆さん、お早う御座います」

「「「お早う御座います」」」


 着席してから大して間も置かず、蛇のフィズィ先生が扉を開けて入ってくる。

 音も無く歩く、というか這うその後ろで、静かに尻尾で扉を閉める姿はなんというか、…それって後ろ手で閉めるようなモンじゃないのかな、とか余計な事を考えてしまう。後ろ手っていうか、足…?

 朝のホームルームは、点呼と連絡事項を伝えるくらいだ。

 提出物的な物があまりないので、日直みたいなのは居ないんだよね。

 使った黒板に書いてある文字は、最後まで見ていたヒトが消すみたいな暗黙の了解。他の科がどうしているのかは知らないが、あたし達はそうしている。

 先生のお話の後、各々自分が選択している授業へと向かう。まあ今日は礼儀作法の座学の方なので、このまま教室待機だが。


「そういえば、レオン殿下がこの間生徒会長とお話していたのよ! やっぱり、2年か3年になったら生徒会に入られるのかしら?」

「……入るんじゃないですかね。当人が嫌がっても周囲が頼み込みそうではありますし、彼の立場を思えば良い経験になると思います」


 生徒会はある。

 が、あれだ。よくある学園を裏から牛耳る物凄い集団! ……みたいなありがちな物ではなく、本当に極普通の生徒会だ。

 要するに生徒会って、生徒達の意見を纏めて先生に提案したりとか。生徒達が企画なんかで使う予算の計上したりとか。なんか揉め事が起こった時のケアとか。

 ……雑用係、とまでは行かないが。なんでも屋さんよね。

 勿論、生徒達の代表となり、意見に耳を傾け実現の努力をする、とても大事なヒト達だ。

 レオンはこの国の王子様なんだし。その彼を置いて、誰が生徒会長やるって言うのかねって話にはなるだろう。


「マリヤ君は? 入るの、生徒会?」

「入りませんよ」

「殿下は参加確実なのにですか?」

「生徒会に入ったら、確実に忙殺されますから。私は可能な限りメルル様の傍を離れないようにしたいですし、彼女も入ればとなると、また要らない噂を呼びそうですからね」

「あー……」


 冷静な目で見れば、メルルからレオンにベクトルが向いてないのは一目瞭然。

 だが、冷静な目で見れない貴族科の子女達はそうではない。

 2年3年と学年を重ねて、レオン目当てなだけのお馬鹿さんが淘汰されれば違うかもだけど、妙なやっかみを受けることも減るかもだけど。

 自分から目立つ事はしたくない。ただでさえ、存在だけで目立っているのだから自己顕示欲はそれだけで満たされている。本意ではない。

 こういう記憶引継ぎチートものならよくある、世界をよりよく変えたいって感覚も殆ど無いんだよね。だってこの世界、平和で素敵なんだもの。少なくとも、今見えている範囲は。

 便利なものはある程度あればいいと思うけど、やりすぎて目つけられるのも御免だし。

 あたしは田舎で執事さんをやりたいのである。平和大事。壊したくない。




――――――




 授業が終わった後、ちょっと買い物に出た。

 明日のお休みにはポーラ様がお部屋に遊びに来るそうなので、お持て成しお菓子の為の材料がちょっと欲しかったのです。


「すいませんねエルミン君、付き合ってもらって」

「いいえ! 僕がマリヤ君のお役に立てるのは荷物持ちくらいですから」


 そんな事はないんだけどなあ。

 エルミン君と話してるのは楽しいし、努力家の彼はあたしにとって尊敬対象であり、和みキャラとして一緒に居るとほのぼのする。

 あと、歴史とか国語とかは基礎知識が割りと乏しい方なので、教わる事だってあるのだ。助かります。


「あ」


 お菓子の香り付けに使うリキュール類とか、フルーツなんかを買った辺りで、露店通りからちょっと離れた所に見覚えのある馬車を見つけた。

 普通は白い幌を使った馬車が多いんだけど、その馬車は後方半分が黒い。

 まあ、行商馬車だとそんな風に個人を特定出来るように色を付けたり変わった形にしたりするのが多いんだけどね。


「お兄さん、お久しぶりです」

「……ああ! 前に干した海草を沢山買ってくれたお坊ちゃんだね、覚えてて貰えて嬉しいよ」


 馬車の横でがっくり肩を落としていた、アリクイの輸入行商さんに声をかける。

 あたしもだが、向こうも覚えていてくれたらしい。

 まあ、覚えやすいよね。人間だし。それに売れ残ってた大量の昆布を買ってったのもあるし。


「また要るかい? 君に会えるかと思って、また持ってきたよ」

「はい、そろそろ無くなりそうだったので、助かります」


 ごそごそと、馬車からまた大量の…こないだよりは少ないが、昆布を出してきてくれた。

 乾物だから、保存にさえ気をつければ日持ちするし、良いよね!

 ついでに、しいたけっぽいキノコも最近出てきたので、これも自分で干してストックしてあったりする。キノコって良いダシ出るよねー。


「…随分落ち込んでらっしゃいましたが。また、何か残ってるんですか?」


 見つけた時、アリクイさんはまた凹んでた。

 春に最初見た時も、大量の昆布どうしようと落ち込んでたのだ。

 ……しかし、輸入品の行商なんて、それこそ文化が違うものを持ち込んでるんだし、売るの大変だろうし、毎度毎度余らすねえ…

 このお兄さんの商才が心配だ。随分若いみたいだし、これからだろうけど。


「ああ、今回はペイシェの調味料を持ってきてみたんだがね。うーん、僕は濃厚で複雑で美味しいと思うんだけどね。しょっぱすぎるって、皆イヤがってね」


 ペイシェとはお魚さんの国だ。昆布もそこからの輸入品。

 ペイシェはアニマリアから見て、レプティリアを挟んで更に向こうの島国、というか、なんていうんだろう。小さな島に色んな文化があって、それが連合を組んでいるみたいな国のようだ。

 アニマリアからはかなり遠いので、あまり交流は無いし、その文化もこの国のヒトから見れば独特で、故に受け入れ辛いのかもしれない。

 ……前の世界での、日本みたいな立ち位置かな。日本の文化も世界的に見て一種独特だったし。


「調味料、ですか」

「ああ。ペイシェの食文化ってのは、主に野菜と魚でね。他の国には無い物が沢山あって面白いんだ。これは特によく使われている、ビンテから作られたソースなんだよ。見た目は悪いが、香りと味は…僕は良いと思うんだが」


 ビンテ、は大豆とほぼ同じ豆。

 ……って、待て。大豆から作った調味料だと?

 アリクイさんの言葉に、きっとあたしの目の色は変わっただろう。

 それには気付かなかったようで、お兄さんは馬車からコーラ瓶くらいのサイズのガラス瓶を一つ、持って来る。相変わらずガラス加工技術の高い世界なので、長期保存は大抵瓶詰めだ。

 そこに詰められていたのは、黒い液体。

 なるほど、ソースと言えば白だったり茶色だったりするこの国で、真っ黒で粘度も殆ど無いソースは変に見えるだろう。


「……味見を、させて頂いても宜しいですか」

「お、興味あるかい? 干し海草の使い方も知ってたみたいだし、もしかして君はペイシェのヒトなのかな」

「そういう訳ではないですが」


 他のヒトにも味見はさせていたのだろう、既に封を切ってある瓶から、一口分だけ金属製の小さな器に入れて、あたしとエルミン君にもくれる。

 ……銀の小皿にちょっとだけ入ったその液体は、本当に真っ黒だ。


「い、インクみたいですね。本当に食べ物なんですか?」

「香りは調味料っぽいですよ」


 エルミン君が尻ごみするのも解る。もしかしたら黒に近い茶かなと思っていたのだが、真剣に真っ黒い液体にしか見えない。

 パっと見、ただの墨だ。そりゃあ何も知らないこの国のヒトには、ウケも悪かろう。見た目の第一印象って大事。

 でも香りはとても良い。あたしのよく知っている香りとほぼ同じに思える。

 ちろ、と僅かに舌先で舐め取り、口の中で転がす。


「ぶっ!?」


 渡された分を全部口の中に入れたエルミン君は、見事吹き出した。

 理由は単純。しょっぱいのだ。

 塩を一匙そのまま口に放り込まれれば、誰だって塩辛さに口から出そうとする。それと同じようなもんだ。

 それはいいけど、今日はお風呂で念入りに洗えよエルミン君。毛並み、白いのに口元に黒い斑点ついたぞ。


「す、…凄いしょっぱい、ですね」

「まあ、本来原液で使う物じゃないからね」

「それにこの色、料理に混ぜたら全部真っ黒になるんじゃないですか…」

「うーん、かなり薄めれば茶色っぽくなるんだけど」


 エルミン君の感想が、これが売れなかった原因だろう。

 料理ってのは見た目も大事だ。真っ黒な料理は、あまり食欲をそそらないんじゃないだろうか。

 多分使っても実際には真っ黒にはならないんだろうが、これだけ見たらそうなるんじゃないかなって思うのは無理もない。


「お兄さん。…どれくらい余ってるんですか」

「うん? ああ、えーと。…20本くらいかな」

「全部買います」

「え?!」


 このサイズの瓶で20本。

 封を切らず、暗所に保管すれば充分持つし、毎日使うなら消費も可能の筈だ。

 それ以上に。


 念願のお醤油が目の前にあって、黙って見過ごすなど日本人の風上にも置けん!


「ほ、本当かい?!」

「はい。あと出来れば、今後も干し海草とこの調味料、持ってきて貰えませんか」

「それは、構わないけども…」

「客が私だけでは商売として成り立たないのは解ります。ので、…お兄さん、料理は出来ますか?」

「そりゃあね、ある程度は」

「次にお兄さんがこの国に来るまでに、この国のヒトでも食べたくなりそうな料理のレシピをいくつか用意してきます。次回以降はそれを試食して頂いてレシピをお教えしてはいかがでしょう。きっと、売り上げもあがる筈です」


 珍しい食べ物の試食販売は、基本中の基本だ。

 それが美味しいと解れば、そして使い方が理解出来れば、買うヒトはいくらでも出てくるだろう。


「そりゃ助かるが…なんでそこまでしてくれるんだい」

「欲しかったものに出会わせてくれたお礼です。…それと、私は3年後には卒業してしまいますが、良ければカルネイロ領にも持ってきて下さいませんか」

「か、カルネイロ領かい?! だが、あそこは実績と信頼のある、最高に優良だと認められないととても商売できない場所なんだよ…?」

「私が紹介状を書きます」


 つーか全力で説得して通す。

 肉食系の多い王都より、草食系の多い田舎の方が、絶対お醤油は受ける。

 野菜に良し、魚に良し、当然肉とも相性良し。煮物、焼き物、そのままつけても美味しい。お醤油は万能です。

 あ、いやこの醤油は薄口醤油も吃驚の塩辛さなので、そのままはつけない方が良いかもしれないけど。

 でもその塩辛さの濃度を調整すれば真っ黒ではなくあたしの知った通りの色くらいにはなるだろうし、味や旨みは醤油のそれだ。確信した。


「ついでと言っては何ですが、もしかしたらペイシェには、ビンテを漬け込んで作った茶色い泥のような見た目の調味料もありませんか」

「あ、ああ、うん、あったね。あれは流石に見た目が酷いから、売れないと思って持ってこなかったんだけれど…」

「是非、次回はそれもお願いします」


 思わず、がしっとアリクイさんの両手を掴んで迫ってしまった。

 醤油があるなら、当然味噌もある。あの二つは相方みたいなもんだ。

 味噌があるなら、味噌汁が作れる。

 これでお米があれば完璧なんだが、あるだろうか。…いや、きっとある、お魚の国への信頼感はあたしの中でマックスだ。

 …もう少しアリクイさんと仲良くなって、カルネイロ領の出入りが許されるくらいになったら、是非お米を、というかもみを持って来てもらおう。

 前の世界のお米は涼しい地方の方が名産っぽかった気がするが、ペイシェは南の島国だ。暖かい地方のものではあるんだろう、が。

 水は綺麗だし。温室もあるし。育て方はなんとなくだが知ってるし。

 きっとやれる。頑張れる。というか頑張る。

 プルミエ村の皆様、農作物を作るの上手だし! あと、土地もまだまだ未開発の場所多いし! 未開の地が多いからこそ、平和なんだろうけどこの国。土地を他の国から奪い取る必要が無いからね。


「なんだか、いつになく目が輝いてましたね、マリヤ君…。それ、そんなに美味しいですか?」

「どんなものでも、使いようです。正しく使えば、美味しくなります。次のお弁当は楽しみにしておいて下さい」


 20本の醤油瓶は流石に抱えられなかったので、夜までには寮に届けてくれるという事になった。

 思わず足取りも軽くなる。

 夜までにって事は、夕飯に使えるかな。煮物食べたいな煮物。お芋の煮物。レオンには鳥の照り焼きを作ろう。濃度の調整すれば焼き魚に醤油かけられるかな。味噌がきたら柚子味噌作ってふろふき大根したいな。は、醤油があればめんつゆもどきも作れるんじゃないか。小麦はあるんだし、うどんもいいな。おそばは無理でも足ふみ式のうどんなら作れる、いける。


「夢が広がりますね…」

「……そんなに嬉しそうなトコ、初めて見ましたよ」


 思わずほうっと息を吐いたら、エルミン君に珍しい物を見る目で見られた。

 だってこっちの世界に来て早4年半。日本人として、醤油への想いは捨て去れるものではないのだよ。親の顔忘れてんのにね。酷い話もあったものじゃない。

 それくらい、食って大事なんだよ!!

 さて、次回アリクイさんに会う日まで、美味しいレシピを準備しておかなきゃ。



 ちなみにやっぱり、お醤油はメルルに大好評頂いた。

 お野菜更に美味しくなるよねー。うん、やっぱりお醤油万能。最強。






 お醤油最強。


 というわけで、なんのことはないマリヤさんの日常でした。

 本当に極々普通に生活しています。日常を満喫しています。楽しんでます。

 のんびりほのぼのまったり。


 ペイシェはお魚の国。群島諸国のうちの一つに、日本に近い文化を持つ場所がある様子。

 地理的にそうそういける場所ではないですが。

 アリクイ兄さんも、1年に二回行き来するのが精一杯。

 カルネイロ領は更に遠いので、1年に1回になっちゃいそうな勢い。

 それでも、マリヤさんは醤油の調達ルートを離すつもりはありません。全力でお父さんと交渉し、将来的に安定して手に入れられるよう画策してます。

 もういっそ、国中に広まればこっちまで来るよねとさえ思ってます。試食用レシピの開発には余念がない。




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