凡人メガネの冷たい愛情
講義を終えて大学内を歩く高梨の隣に、いつの間に現れたのか、高階が寄り添うように並んでいた。
学内一秀才で男前の高階は、地味で無愛想な高梨が何故かお気に入りで、自身のファンである取り巻きの女性達には目もくれず、彼の姿を見つけては、気の済むまで側にいる。
普段よりも一層良い笑顔を振りまくことがあり、取り巻き達は『二人の邪魔はしない』という暗黙のルールの下、高階が黒ブチメガネの凡人に構い始めると、悔しいながらもその場を離れ、遠くから見守ることになっていた。
そんな二人の間に、いつしか高梨の高校時代の後輩である、分厚い丸めがねをかけた高橋が加わるようになり、彼女達はますます、麗しの王子様に近づく時間が減ったことに不満を募らせ、それ以外の暇な学生達は、また何か面白い事が起こるのではないかと、密やかに注目していた。
「高梨先輩! 今日も暑いですね~」
毎日の、うだるような日差しにうんざりしている後輩は、日陰を選んで歩く高梨を見つけて声をかけた。
にょきりと細長い体は、大股で足早の高梨にすぐに追いつき、大振りにうちわを扇ぎながら隣に並ぶ。
お裾分け程度の風に、短い前髪をなびかせながら、心なしか歩みを緩めた高梨は、首にタオルを巻きつけた後輩を見上げた。
「・・・アイスでも食うか」
「食います! 食います! おれ買ってきます! なにがいいですか?!」
先輩の提案に即座に乗った後輩は、元気よく片手を上げる。
「いや、いい。購買には売ってないから、コンビニまで行ってくる。
高橋、ソーダのでいいだろ」
言いながら、早くも方向転換しつつある高梨を、後輩は慌てて呼び止めた。
「でもそれじゃあ、時間かかりますよ!? おれダッシュで行ってきます!」
「・・・余計に暑くなってどうする。近道知ってるからいいよ」
今にも走り出しそうな勢いで、両腕をブンブンと前後に振る後輩を、今度は高梨が止める。
そして、再び歩き出そうとした高梨の肩を、もう一つの手が止めた。
今まで空気であるかのように、ずっと黙ったまま、高梨の背後にピタリとついていた青年が、にこやかに微笑む。もう片方の手には、携帯電話が握られており、その姿はTVCMのように様になっていた。
「一分以内に『チュウ兵衛』と、ソーダのアイスを、第三B棟まで持って来て」
男前はそう言うと、すぐに携帯電話をしまい、眉間のシワを濃くする高梨に向かって、「ちょっと待っててね」とまた微笑んだ。
『チュウ兵衛』とは、まさしく今、高梨が買いに行こうとしたアイスである。あるコンビニが、食品会社と共同で開発した、オリジナル商品で、侍の扮装をしたネズミを、可愛くデフォルメしたキャラクターが売りらしい。
しかし、アイス自体もネズミ色をしている為か、あまり一般的には受けていない。それでも、コアなファンがいるもので、毎年夏になると、それなりの売り上げを出している、ほんの少しピリリと辛さのある商品だった。
そのファンの一人である高梨は、何故目の前の男が、自分がそれを好きなことを知っているのかとか、なんだその鬼のような注文はとか、色々と疑問に思うところがあったが、遠くから近づいてくるエンジン音に、開きかけた口を閉じた。
「え、え、なんですかあれ?? こっちに来ますけど・・・」
ものすごい勢いでこちらに向かってくる、鮮やかな空色をした車に、後輩が戸惑いの声を上げる。
「ちょ、ちょっと先輩! 危ないですって、よけた方が・・・!!」
けして狭くはない構内だが、車が疾走するほど広くもない。学生たちの驚きと恐怖の悲鳴にも構わず、猛スピードで迫る危険物に目を向けたまま、後輩は高梨のTシャツの袖を引っ張った。
しかし、今いる木陰よりも端に寄る場所はなく、動く気のまったくない高梨は、寸前で滑り込むようにキレイに止まった、空色のセルシオをただ眺めているだけだった。
そんな冷静な高梨とは反対に、「わーーー!」と叫んだ後輩が、先輩の肩にしがみつく。逆の肩には、未だにキレイな指先が置かれたままで、高梨は淡々とした声で「暑い」と呟き、両肩の重みを振り払った。
「ユー! 一分以内なんて、むちゃぶりすぎるぜ!」
バーンと勢いよく開いた車の後部座席から、大声と共に一人の男が現れた。外側にはねた肩まである金髪に、シマウマ柄のシャツ。ド派手なピンクのパンツをはいた腰には、ジャラジャラと金属の鎖がぶら下がっている。
ちょっとどころではないほど、周りから浮いた風貌の人物は、つり気味の瞳をギョロリとさせ、高梨たちの前に、半透明のビニール袋を突き出した。
「これで足りるか? もっといるなら、持ってこさせるゼ」
少し透けて見える中には、侍の格好をした、可愛らしいネズミの姿が大量にあった。
「ご苦労様」
八重歯をニヤリとのぞかせるド派手な男から、簡単な労いの言葉のみで、あっさりと袋を受け取った高階は、『チュウ兵衛』のぎっしり詰まったそれを、嬉しそうに高梨へと差し出した。
「高梨、これ」
「・・・そんなに食えるか。
っつーか、誰に買って来させてんだよ、オマエ」
より一層笑みを深める男前の、相変わらず予測できない突飛な行動に、黒ブチメガネの奥にある小さめの瞳が、わずかに細められた。
セルシオで駆けつけるパシリなど、聞いたことがない。ましてや、こんなにたくさんのアイスを、一体どうしろというのか。
呼びつけられた本人は、何が楽しいのか、上機嫌にニヤニヤ笑っているから、大した問題ではないのかもしれないが。
高梨は、差し出されたままの袋から、『チュウ兵衛』を一本と、侍ネズミに埋もれた、ソーダ味のアイスを遠慮なくいただくことにし、ド派手な男に向かって、「ありがとな」と、一言礼を述べた。
すると、言われた方は、戸惑う後輩にソーダのアイスを渡している高梨を、まるで珍獣でも見るかのように、上から下までジロジロと眺めまわした。
すかさず、視界から高梨の姿を隠すように、スマートな動きで高階が間に割って入る。
「羽佐間。もう帰っていいよ」
高梨に対する甘くて優しいものとは違い、感情のこもらない、余所行きの笑顔を瞬時に貼りつかせた男前は、金髪の青年に追い払う仕草で、片手をシッシッと振ってみせた。
しかし、羽佐間と呼ばれたド派手な男は、そんなあしらいには気づかず、アイスを食べる黒ブチメガネに、ずいと近づいた。
「それウマイか?」
「ウマくなきゃ食わねぇよ」
何、当たり前のこと訊いてんだとばかりに、即答する高梨を、ド派手な男は無遠慮に見つめ、ニタリと口の端を吊り上げた。
「だよな! オレもこれ、チョー!イケてると思うんだ!
この味、マジで天才じゃね?!」
大口を開けて、はしゃぐように笑いながら、ド派手な男がバシバシと高梨の背中を叩く。腕につけたたくさんのブレスレットが、その度にチャリチャリと音を立てている。
叩かれた拍子に思わずむせた高梨は、露骨に顔を歪ませて、変人眼鏡と同じくらい長身の男を見上げた。
「だったらアンタも食えば?」
そう、素っ気なく言われ、つり目をキョトンとさせる金髪。高梨は隣に立つ青年の手にある、ビニール袋をアゴで促した。
「マジで? 食っていいの?」
「駄目。これは高梨のだから」
喜んだのも束の間、即座に一蹴する男前の態度に、高梨は「ふうん」と更に眉間のシワを深めた。
「じゃあ、オレがいいって言ってんだから、食えよ。溶けたらもったいねぇし。それに、元々この人が買ってきたモンだろ」
そんな高梨のもっともな言葉に、見る間に眉を八の字にしょげさせた男前は、しぶしぶ袋を差し出した。
「サンキュー! お前いいヤツだな! 今度ウチの新商品、先に食わせてやんよ」
「新商品?」
豪快にネズミ色の物体にかぶりつく、ド派手な男に疑問を投げたのは、それまで傍観していた後輩だった。すでに食べ終わったアイスの棒を、手持無沙汰にプラプラと揺らしている。
「オウ! オレんトコ食品作ってんだよ。コレコレ! コイツもウチのヒット商品!」
そう言って、大きなシルバーリングのはまった指が差したのは、もう半分ほど、食べてなくなっている棒つきアイス。
「え! もしかしてハザマって、ハザマフーズのハザマですか!?」
「そうそう、ソレ。オヤジがやってんの。
オレ羽佐間杜生、ヨロシクゥ!」
大きな瞳をますます大きくさせて驚く後輩に、ド派手な男は親指を立てて自分を差し、軽くウィンクしてみせた。キラリと輝く八重歯が、ワイルドな風貌をキュートに和らげている。しかし、軽い口調とニヤけた表情のせいで、残念なほどに、バカっぽい印象を与えていた。
お金持ちの人と近くで話すの初めてです!と、感動している後輩をよそに、高梨は密かに思い返していた。
ハザマフーズという名には、とてもとても聞き覚えがある。もちろん、『チュウ兵衛』のパッケージの裏で、見かけていたこともあるが、高梨が冬場に、毎日飽きることなく買い求めた、激甘ドリンク『ホットなチョコクリ~ミ~』略してチョコクリも、確かハザマフーズの商品だった。
以前、チョコクリは、構内最奥のひっそりとした場所にある、自動販売機一台にしか売っていなかった。ところが、それを巡って高階と、ちょっとしたケンカのようなものをしてから、突如として、すべての自動販売機で売られる事件が起こったのだ。冬限定のそれは、今では売られていないが、恐らく寒い季節になると、再び構内の全販売機に姿を現すことだろう。
高梨の為だけに。
その原因が誰でもない、まだしょぼくれている、細いフレーム眼鏡の変人であることを知っている高梨は、当時彼の影響力に少し慄いたのだが、きっとこのバカっぽいド派手なお坊ちゃまに、頼んだことなのだろう。
今更ながらに一人納得し、いいように扱われてそうな金髪の男に、同情の目を向けた。
「杜生様、そろそろお時間です」
いつの間にいたのか、空色の車の側に立つ、黒いスーツを着た男が、事務的な声を発した。それに軽く片手を振って、ド派手なお坊ちゃんは、「んじゃまたな!」と、高梨たちにもう一度ウィンクをした。
後部座席にその姿が消えるのを確認してから、スーツの男は軽く一礼し、運転席へと就く。来た時とは違い緩やかな速度で、それでも学生たちを驚かせながら、帰っていくセルシオを見送り、高梨は小さく息を吐いた。
ずっとしょんぼりしたままの男前へ、チラリと視線をやる。何をそんなに気落ちするのか判らなかったが、まだまだ残っている大量の『チュウ兵衛』が気になり、仕方なく声をかけることにする。
「オマエも食えば?」
途端にぱっと、明るい表情で顔を上げた青年は、とても自然な動きで、高梨の持つ、食べ終わりそうなアイスを、パクリと口にした。
遠くで女性の叫び声が聞こえた気がした。
「そっちじゃねぇよっ」
シャリシャリと音を立てて、冷たい食感を味わう変人を、高梨は盛大に眉を顰めて見つめた。そういえば似たようなことが前にもあったなと、どこか奥の方で記憶がよぎる。
「オマエ、やっぱ意味わかんねぇわ・・・」
諦め半分の冷めた声にもめげず、男前の青年は幸せそうに、うっとりと微笑んでいた。
その横では、後輩が複雑な面持ちで佇み、更に遠くの木陰では、日傘を差した集団が、ギリギリと歯がゆい思いで、自分たちの王子様を見つめていた。
まだまだ、暑い日が続きそうである。