表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/17

凡人メガネに美女の影

 大学内を大股で歩く青年の前を、突然派手な彩りが遮った。

「ちょっと顔貸してくれる」

 イマドキの若者にしては古いフレーズに、青年・高梨は黒ブチメガネの奥にある、小さめの瞳をわずかに細めた。

 体育館裏か焼却炉前にでも連れて行かれるのかと、ベタな想像に呆れていると、紅く塗られた細い指先が、返事を待たずに高梨の腕を取る。

「早くしてよ。暇じゃないんだから」

 だったら呼び止めるな、と思ったが、もちろん面倒なので口にはしない。

 強めの力に引かれながら、それでも振り払いはせずに、高梨は黙ってついて行くことにした。


 ようやく解放されたのは、少し行った先にある、誰もいない教室だった。高梨の腕から離れた指は、振り返りざま、長い艶やかな黒髪を、さらりと梳く。

「あなた、高階君に何したの?」

 なんの前置きもなく切り出された内容に、高梨は常に寄っている眉間のシワを、更に深めた。


 近頃、高梨の周りで上る話題といえば、学内一秀才で男前の青年、高階の事しかない。

 高梨は今まで、一人で静かに趣味の読書をしているだけの、地味で無愛想な青年だった。

 自分に愛想がないことは十分承知しているし、すすんで振りまこうとも思わない。話しかけられれば返事をするが、用がない限り自ら口を開くことは少ない。その開かれた口から出る言葉は、率直で乱暴に受け取られる為、自然と周りに誰も近づかなくなっていた。

 しかし、本人はまったく気にしておらず、むしろ誰にも邪魔されず、自分の時間を堪能できることに満足していた。

 ところが、何故か突然、構内の有名人に構われ始めるようになり、高梨の生活は、騒がしく面倒なものへと変わっていった。

 当然、男前のファンである、取り巻きの女性たちからは嫌がらせをされた。関心がないのか、それを黙認しながら、へらへら笑っている男前に、高梨は腹を立てたが、文句を言うのも面倒で、無視をしていた。

 しかし、沸々と溜まっていた鬱憤は、取り巻きの女性たちに呼び出され、平手打ちをくらったことで、爆発する。

 口は悪いが、ケンカ沙汰とは無縁に見えた高梨は、偶然その場に現れた彼女たちの王子様を、目の前でボコボコに蹴り倒したのだ。

 土埃に汚れても、見目麗しい青年は、愛の告白にも似た言葉で、怒り心頭で立ち去る高梨を呼び止めた。


 高梨が話してくれないのなら、僕はもう、誰とも話さない。

 高梨のいない世界なら、僕はいらない。


 一体何が、彼を突き動かしているのか、高梨にはさっぱり判らなかったが、結果的に、ほだされるように、傍にいることを許してしまった。

 それから、いつの間にか隣には、細いフレーム眼鏡の変人がいて、意味の判らない言動で、高梨を振り回すことになる。

 そして、高梨いる所、高階あり。と言われる程、自身までもが有名になってしまった日常に、高梨は時々うんざりしていた。

 今目の前にいる、ヒールの高いロングブーツを履いた彼女は、まさしくその、取り巻きのリーダー的な存在であり、高梨を引っ叩いた人物でもあった。


「何もしてないけど」

 むしろ何かされているのは、こっちの方だと、高梨が面倒くさそうに短く答えると、派手なブランド服に身を包んだ女の、キレイに引かれたアイラインが吊り上った。

「嘘言わないで! 最初は高階君が、隣でただ笑っているだけだったから、私達も放っておいてあげたけど。最近のあなた、ひどすぎるじゃない。殴ったり、食べ物貢がせたり。高階君は、あなたの家来じゃないのよ! 弱みでも握ってるんでしょ、卑怯者!」

 爪と同じく、紅く塗られたキリリとした唇から、理解不能の言葉が紡がれる。

 確かに高梨は、高階を何度か殴った。それは男前の皮をかぶった変人が、高梨の滅多に切れない、堪忍袋の緒を切る行為をしたからであって、当然の報いだと思っている。何故殴られたのかも理解していないのだから、遠慮などしてやる必要はない。

 食べ物だって、高梨が買って来いと言ったことなど、一度としてない。いらないという物をムリヤリ渡されたり、食べきれない程の量があったりと、逆に迷惑をこうむっているのだ。

 一体、何がひどいと言うのか。

「ひどいのは、アンタらの王子様だろ」

 ため息交じりに思わず出たそれに、女の形の良い眉がヒクリと歪んだ。

「そう。開き直るなら、こっちにも考えがあるわ。私、知ってるのよ。・・・・・あなたの秘密」

 細くくびれた腰に手を当て、軽く口角を上げた女は、意味ありげに声を潜ませた。

 そんな大層な秘密など、あっただろうか?と、高梨の眉間に力がこもる。それを動揺と捉えたのか、女は勝機を得たかのように、不遜な態度で高梨を見下ろした。

「黙ってて欲しければ、これ以上高階君に、おかしなこと強要しないで」

 ついさっき、人を『卑怯者』呼ばわりした口が、平気で脅迫めいた事を言う。

 しかし、何を脅されているかも判らないし、そもそも、おかしなことを強要してくるのは、噂の変人の方である。

 高梨は、噛み合いそうにない会話に、言葉を返すのも面倒になり、チラリと腕時計を見やった。次の授業の予定はないが、図書館で読み物を物色しようと思っていた。できれば早々に立ち去りたい。

 この場を切り上げる、良い手はないかと思案していると、高梨の祈りが届いたのか、廊下から賑やかな声が近づいてくるのが聞こえた。

「いい? 覚えておきなさい」

 まるで悪役のような捨て台詞を残し、女が颯爽と高梨の横を通り抜け、教室を出ていく。

 入れ違いに現れた三~四人の青年たちは、黒髪をなびかせて去るキレイな女に思わず頬を染め、次いで通り過ぎた、仏頂面の高梨との取り合わせに、首をかしげていた。



 そんな事があったのも、すっかり忘れていた三日後。


 人気のないベンチで、黙々と本を読む高梨を挟むように、ただニコニコしながら隣を見つめる男前と、楽しそうに話しかける後輩の姿があった。

 高梨の高校時代の後輩である高橋は、高梨にとてもよく懐いており、単調な相槌しか返らなくとも、気にせず好きな本やドラマの話をする。

 にょきりとタテに細長く育った身体は、一九〇センチ近くあり、モデルのように完璧な男前よりも高い。しかし、分厚い丸めがねと無邪気な笑顔から、子犬のような印象を与えていた。

 身長に比例して長い脚を、もてあましながら座る二人に囲まれても、高梨は我関せずといった様子で、読書を続けている。

 それが、毎日繰り返される、今の高梨の日常。

 そこへ、非日常が訪れるのも、また日常の内の一つかもしれない。

「ねぇ、メガネ君」

 この場に不似合いな女の声に、三人は思わず顔を向けた。

 見つめた先には、ブランド服に身を包んだスレンダーな迫力美人。細い腰に手をやり、こちらに鋭い視線を投げている。

 後輩は先輩を通り越して男前を見やり、男前は先程までの優しげな雰囲気から、感情が消えた余所行きの笑顔を貼り付け、高梨は興味なさげに再び手元へと、視線を戻していた。

「聞いてるの? メガネ君」

 さっきよりも強い口調に、後輩が困った顔をした。

 一体誰が呼ばれているのかが判らない。今この場にいる者は、女を除いて皆めがねをかけている。

 女性絡みといえば男前だろうが、彼のファンたちはそんな呼び方はしない。後輩にも、こんな美人に声をかけられる覚えはないし、高梨は他人事のように無関心だ。知り合いではないのだろう。

「・・・忠告はしたわよ」

 おもむろにブランドバッグに手を入れる女に、何やら不穏な雰囲気を感じる。ナイフでも出すのかと、立ち上がりかけた後輩だったが、目の前に飛び出してきたのは、たくさんの紙だった。

 紙ふぶきにしては大きすぎるそれが、辺りにバサバサと舞い落ちる。

「高階君。貴方、このメガネに騙されているわ!」

 ビシリと音がしそうな勢いで、紅く塗られた指先が差したのは、不機嫌そうな仏頂面の黒ブチメガネだ。

 数日前、高梨に訳の判らぬ脅しをかけてきた、男前の取り巻き代表の女が、高飛車な面持ちで、指差した相手を睨んでいた。

 唖然とする後輩を余所に、指名を受けた高梨は、ヒラリと膝の上に落ちてきた紙を摘み取り、片眉を器用に跳ね上げた。

「なんだこりゃ」

 迷惑な程撒き散らされた紙は、写真だった。そこには、薄暗いレストランで、優しげな男性と食事をしている、高梨と思われる人物が写っていた。壁一面の大きな窓の外では、盛大な花火が打ちあがっている。恐らく隠し撮りなのだろう。他にも数枚、似たアングルで撮られたものが多く、テーブルに置かれた、キャンドルの灯りに浮かび上がる顔には、驚いた事に、いつも眉間に鎮座しているシワがなかった。

 笑顔でこそないが、けして不機嫌に見えないそれは、黒ブチメガネをかけていなければ、高梨だと断言し難い程、別人のようだった。

「高階君。この男は、こうやって普段から、お金持ちにたかっている、卑しい人なの。どんな弱みを握られているかは知らないけれど、もうこれ以上従う理由なんてないわ!」

 興奮気味に言い放った女は、あたかも犯人の悪事を暴いたかのように、勝ち誇った顔で男前を見つめる。

 しかし、構内の有名人は、そんな女には目もくれず、同じく拾い上げた写真をじっと眺めた後、隣へ小首をかしげてみせた。

「高梨、花火見に行ったの?」

「違う。花火はオマケだ。興味ない」

 夏休み前、高梨は男前から、花火大会を見に行こうと、しつこく誘われた。もちろん断固として拒否したのだが、偶然別件で、花火の見えるレストランへと、行く予定になったのだ。隠していた訳ではないが、言う理由もなかったので黙っていたことが、こんな形で露見するとは、厄介なものだと、大きなため息を一つつく。

 高梨は、全身から『面倒くさい』オーラを溢れ出させ、怠慢な動きで、男前の手から写真を抜き取った。

「ストーカーの追っかけも、ストーカーかよ」

 またため息をつき、奪った写真を握りつぶして、常識はずれな女に向かって投げつける。

「誰がアンタなんかストーキングするのよ! 偶然見かけただけに決まってるでしょ! ふざけないで!」

 ストーカー呼ばわりに腹を立てたのか、憧れの王子様の前にも関わらず、女が眉を吊り上げた。当たらず地面にポトリと落ちた写真を、これでもかというくらい、ヒールの高いつま先でグリグリと踏みつける。

 それを見た後輩が『ああ、ひどい・・・』などと呟きをもらした。

「だから、ふざけてるのは、どっちだっつーの。コイツの周りはなんでこう、面倒くせぇのばかりなんだ・・・」

 後半、独り言のように呟き、隣の変人を見やった高梨を、女はキッと一睨みした。変人は、高梨の視線が自分に向いたのが嬉しいのか、ニコリと極上の笑みを浮かべる。その、アイコンタクトで判り合うかのような、仲の良い様子に、女のボルテージが、ますます上がった。

「しらばっくれるのもいい加減にして! このレストラン、二ヶ月前から予約で埋まっていた程人気なのよ! しかも、花火が見える窓側の良い席に座るなんて、一体どんな卑怯な手を使ったのかしら!」

 フンと鼻を鳴らした女に、高梨が冷ややかな目を向けた。

「多少のコネを卑怯と呼ぶなら、否定はしないが、だから何だって言うんだ。アニキとメシ食って何が悪い」

「ほらね! やっぱり卑怯な・・・え? 兄貴?」

 高梨の思いがけない言葉に、高慢な態度をとっていた女が、ポカンと間抜けな顔をした。後輩までもが、驚いた声を上げ、写真をまじまじと見つめる。

「アニキの用事につき合ったお礼に、メシをおごってもらった。それだけのことに、誰かの許可でも必要なのか? アンタに一々報告しなきゃならないのか?」

 女は、何か言おうとしているが、うまく言葉にならないのか、口をパクパクと動かしている。

「そもそもの、オレがコイツを脅してるなんて、根本からの間違いは、面倒だからそれでもいいが。これがアンタの言ってた、オレの秘密ってヤツなら、勘違いも甚だしいぞ。隠し事でも何でもない」

「嘘よ! 全然似てないじゃない!」

「よく言われる。アニキは母親似なんだよ」

 すぐに強気に戻った女だったが、高梨に即座に一蹴され、再び悔しそうに歯を噛みしめた。

「それで? アンタは結局、何がしたいんだ。王子様がオレといるのがムカつくのか? それとも、オレが自分よりイイ席で花火を見たのが、気にくわないのか?」

「どっちもよ!!」

 いつになく饒舌な高梨に、容易く図星をつかれ、真っ赤な顔で怒鳴った女の声が、晴れ渡る秋空に響いた。

「お、覚えてなさい!!!」

 いつか聞いた悪役のような捨て台詞を吐き、スレンダーな美女は、艶やかな黒髪を振り乱すように、逃げ去っていった。それでも、しなやかなモデルウォークを忘れないのは、女の意地だったのかもしれない。


「・・・先輩、お兄さんいたんですね」

 まるで嵐の去った後のように、呆然と呟いた後輩に、高梨はため息で答えた。散らばったままの写真を見渡し、うんざりとする。

「高橋、拾うの手伝え。オマエは触るな」

 後片付けもしていかなかった、失礼な女の落し物を拾うべく、仕方なく重い腰を上げた高梨は、後輩に声をかけると同時に、反対側でニヤつきながら、写真を眺めている男前から、それを奪い取った。

 以前、高梨の落とした携帯電話を拾って、頬ずりをしていた前科がある変人の事だ。写真など持ち帰られたら、どんな変態行為をされるか、判ったものじゃない。しかも、兄が写っているものを、隠し持たれるなど、言語道断だ。

 言ってる側から、再び写真を手にする男前から、高梨が取り上げ、また拾う男前から、高梨が奪う。

 それを繰り返しているうちに、思いのほか早く回収できた事を、素直に喜べない高梨がいる。

 人の苦労も知らないで、ニコニコと楽しそうな男前にイラ立ちを覚え、高梨は盛大に顔を顰めた。

「高梨、大吉の前だと、とても優しい顔してる」

 そう言って、自身も優しい眼差しになった男前を、ギョっとして高梨は見上げた。

「オマエ・・・なんでアニキの名前、知ってんだよ」

 高梨にしてはめずらしく、目を見開いて驚いている横で、『縁起のよさそうな名前ですね~』などと、のん気に後輩が言っている。

「高梨の事なら、何でも知っているよ」

 女性をイチコロにさせる爽やかな笑顔で、恐ろしい事をサラリとのたまった変人を、高梨は心の底から『キモイ』と思った。




 それから何度か、派手なブランド服が良く似合う美女が、高梨に何かと難癖をつける姿が、密かに目撃されていた。


 高梨の周りは、今日も騒がしい。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ