02 剣の浄化と謎の少女
いや……長らくお待たせしました。
ここまで書くのが大変だった……
―――ゲームクリアしたぞ!お前見かけによらずスッゲェ上手いのな。RPG系は特にだけど!
そんな懐かしい声を最後に、夢は覚める。目を開けると視界に入ってくる6畳ほどの薄暗く小さな部屋に、エストは小さく苦笑した。
「随分と古い記憶だな……アイツも、ここに来れたらある意味喜んだろうに……」
身を起こしながら呟いても、勿論誰からも返事は来ない。感傷に浸っている気分を押し込めていつもの無表情に戻り、布団から出て、旅に出る為に揃えた服装に着替えようと上衣を脱ぐ。と、その瞬間。
バンっ!!
「エストエストエスト!ラジェット司祭が頼みたい事があるんだっ……て……?」
朝っぱらから騒がしくノックもせずに扉を開けた相棒、カリンにエストは今日最初の溜息をつく。一体何年経ったらノックを覚えてくれるのやら。
怒り以前に呆れの様子を見せたエストとは裏腹に、大きく扉を開けたまま固まったカリンの顔は、どんどん茹蛸のように赤くなっていく。このままだとオーバーヒートしそうな彼女を冷静にするため、エストは無表情を崩さずに言った。
「おい、扉を閉めろ。それから着替えるまで出てけ」
冷たく言い放つ上半身裸のエストに、フリーズしていたカリンはこくこくと頷き、物凄い勢いで扉を閉めて部屋から飛び出て行った。
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教会の朝は早い。特に女神に祈りを捧げるため、神官はもっと早い。日が昇ると同時に起床し、それから1時間祈りの間で世界の安寧を祈り続ける。
その祈りが終わり、間から出てきたラジェットは、出口前の柱に寄りかかっている少年と、うつむいた少女を見つけた。
「おや、エスト君。待たせてすみません。カリンさんも有難うございました」
笑って頭を下げても相変わらずエストは無反応、そしていつもだったら「どういたしまして!」と元気よく頭を下げてくる筈のカリンは、チラリと上を向くと再び慌てたように下を向いてしまった。しかも何やら顔が赤い気がする。
「どうしました?カリンさん」
体調でも悪かったのかと心配そうに尋ねれば、何でもないというように頭が振られる。困ってエストを見れば、肩を竦めるだけで終わってしまった。
尤も、体調が本当に悪いようならエストが黙っていないだろうから大丈夫だろう。そう判断して二人に依頼を回す。
「頼みたいことというのは、お使いです。少し【赤の神殿】まで行って、この間他のチームが採ってきた【赤の魔石】を渡してきて下さい」
【魔石】の採取と聞いて、ピクリとカリンは顔を上げた。パチパチと目を瞬かせるのは、【魔石】の希少性をよく理解している証拠だ。一方のエストも、ほうと珍しそうに呟いた。
「【魔石】?しかも採取って、どれ位深い所まで【ダンジョン】に潜ったんですか?」
【魔石】と言えば【ダンジョン】のボス級モンスターか、Lv70以上のモンスターでなければドロップはしない。つまりは、魔石採掘用の深いダンジョンに潜ったということだ。この辺りには魔石や原石採取が出来るほどの大きなダンジョンは無いので、相当な遠征に行ったようだ。
「たしかファイドロス鉱山の200階近くまでひたすら【ポーション】使って潜り続けたとか言ってましたよ?流石にそれを聞いた時は呆れましたが」
ファイドロス鉱山といえば隣国の【ダンジョン】だ。別に神殿所属者としては国を越える事自体はおかしくないが、200階という点は十分異常と言える。それなら確かにそれ相応の採掘量があっただろうが、よく根気が持ったな、と感心してしまう。尤も、ラジェットは感心では無く呆れが強かったらしいが。
「す、凄いですね……で、合計幾つの【魔石】が―――?」
【魔石】が魔力の媒介に一番良い素材である以上、【魔導士】としては喉から手が出るほど欲しい物の一つだ。
そしてそれを占有するのも神殿の役割。神殿でしか売っていないのは、勿論悪用する輩を事前に止める為なのだが、それ以上に神殿所属の【魔導士】の能力効率の為が大きい。つまりは、カリンは自分たちに回って来るかが知りたいのだろう。
「カリンさんのように複合属性の物は珍しくかなり採れてましたね……150個前後でしょうか?後でお配りしますよ。エスト君はそもそも媒介無しで使うタイプなのであまり興味は無いでしょうが、君のような単一属性の物はもっとで200個近くあった筈です」
どんだけー。そんなどこぞのオカマのような幻聴を一瞬エストは聞いたような気がしたがそれを無視し、そして呆れかえる。幾ら何でも採り過ぎだ。
「……で、【赤の魔石】を納品してこい、と。【緑の魔石】は毎日緑の者が向こうから取りに来るだろうからいいとして、他のはどうするんだ?」
基本、【赤の魔石】は【赤の神殿】へ、というように、それぞれの神殿がそれぞれの色を売る。それ故、情報を毎日回しに来る【緑の神殿】以外には渡されていない筈なのだが―――
「ああ、それは大丈夫です。他の所へは神官が届けに行きますから。唯、あまり多くの人材を外へ遣るのもいけませんから、それで頼んだのですよ」
「成程成程ー。りょーかいです!」
先程までの動揺は何処へ行ったのか。すっかり元通りに復旧したカリンに、エストは単純だと溜息をつきたくなる。尤も、その程度で溜息をついていたら自分の幸せ―――というか運はとうにゼロになっているような気もするが。その昔は溜息なんてつく事すら出来なかったのに、なんともまぁ平和な世界に来たものだ。
「で、ついでにエスト君。ちょっと向こうに【霧】に毒された剣があるらしいので、浄化手伝ってきてください」
「……は?【浄化】は【赤】が専属だろ?」
唐突な依頼にエストは目を丸くする。何故迎撃特化の【黒】所属者が、【浄化】をしなければいけないのか甚だ疑問だ。
それにラジェットは苦笑して答える。困った事に、と前置きをして朝一で来た依頼を口にする。
「……剣の効果が【対炎】属性だったらしく……」
成程。それなら納得だ。炎での浄化が基本な【赤の神殿】では浄化出来ない代物になっているのだろう。確かにそれなら自分含め数人しか浄化が出来ない。それを理解してから、エストは懸念するかのように眉を顰めた。
「了解した。因みにその場合、オレは術式起動時に『エスト』を名乗れないが構わないのか?」
それは自分の名が偽名だと堂々とばらしている台詞なのだが、ラジェットは何でもないかのようにごく普通に頷いた。
「ええ。あちらにエスト君のように【神聖文字】を理解している方はいませんし、ばれないでしょうから」
【神聖文字】。それは魔術の媒介として最上位に位置するモノ。その文字を求め、教会まで習いに来る【魔導士】は多々あれど、決して普及しない謎の文字を正確に理解しているのは恐らく片手の指で足りる程度しか居ないだろうと言われている。
勿論、ある程度は皆習い、習得できるのだが、この文字にある最大の欠点がそれ以上を阻むのだ。
「……ま、それもそうか。これで終わりなら行くぞ、カリン」
最大の欠点、それは「ある一定の威力は、ある一定以上の【スキル】を身に着けている事が条件」という、運任せな制限。しかもその【スキル】は完全に産まれつき持ち合わせているもの以外入手不可の為、どう足掻いても手に入れる事は不可能だ。
「あ、うん!」
それを持っている以上、エストの運はそこそこ良い―――筈なのだが、何故か彼の【運】ステータスは平均を遥か下回る低さ。知り合いの中ではもっぱらスキルに運を全て費やしたと言われるほどだ。因みに、他の【スキル】持ちは皆平均より遥かに高い。
それを知っているため、カリンは何とも言えない微妙な顔で追いかけた。スキル保持者でそこそこの待遇を受けられるのが良いか、持っていなくて運がもう少し高い方が良いか、甚だ疑問だ。
パタパタとかけていくカリンと、その先を歩くエスト。その二人を見比べてラジェットはポツリと呟いた。
「……エスト君、持ち前の不幸スキルを向こうで発揮しなければ良いのですが……」
その言葉自体がフラグだという事に、司祭は気付かない。
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【赤の神殿】も、基本的な作りは【黒の神殿】と変わりがない。ルビーを抱えた女神像の横を通り過ぎ、建物の中に入れば黒よりも人が多い廊下と、受付。二人は荷物を抱え直して後者の方に近づき、口を開いた。
「すいませーん、【黒の神殿】のものなんですけどー」
カリンがひょこりと隙間から顔をだして椅子に座る事務の神官に声を掛ければ、一瞬驚いた顔をしたその神官がハッとした様子で声を挙げた。
「あ、はい【魔石】ですね?少々お待ち下さい。専門の物を連れて来ますので」
そう言って立ち上がり、パタパタと駆けていく神官の言葉に従い、受付の横で待つ二人。カリンは退屈そうに周りを見回す。
「なんか前に来た時と変わってなくてつまんない」
「神殿の様子がそう簡単に変わる訳無いだろう。そもそも前っていつだ?」
「んー……2年位前かなぁ?たしか【赤】の【ギルド】と浄化兼討伐の編成を組みに」
首を傾げるカリンにエストはああと呟く。
思い出した、そういえば2年前に丁度カリンがパーティーから外れたことがあった。多分それだろう。
「あの時はエスト、禊で神殿から出られなかったからねー」
「……それはまぁ、神事が終わったばかりだったからな」
二人のような高位【魔導士】は数年に一度、儀式の時の祭事を行う義務がある。2年前は丁度それがエストの番だったので、一週間神殿の外に出る事を許されなかったのだ。
そして神殿の中でずっと籠って何をしていたのかというと、神の前で穢れた姿をさらす事のないように、禊を行い続けていた。食事は肉類禁止、血は一滴も流してはいけない事、闇属性の魔術は一切使わない事。朝昼晩神殿奥の滝で水に打たれ続ける事、他にもさまざまな決まり事はあるが、有名なものはそんな事だ。
そしてこれは酷く体力を使う事である。滝に打たれ続ける、という事は水の中に浸かり続ける事よりも消耗し、それなのに肉類禁止。
唯でさえ成長中でエネルギーを求める身体をそんな風に酷使し、最後に無事儀式を終わらせた直後、パッタリいってしまったのは致し方ないことだろう。
「……まぁ、正直二度とやりたくない儀式だな。疲れるだけだし」
「エストエスト、それは言っちゃいけないと思う」
一応は神に仕える役目なのにそんなことを言って良い訳が無い。が、あの儀式の後の脱力感は良く理解しているので、苦笑程度で止める。
「とは言っても―――」
「あー、すいません。【魔石】鑑定兼【浄化】担当の者なんですが」
ヒョコリと頭を下げてやってきたのは、赤く長い髪を後ろでひとくくりにした男とクリーム色でふわふわとした髪の女性。恐らく20代前半位であろうが、女性の方は童顔のためはっきりとした年齢が解らない。
「あ、【黒の神殿】からの使いです!えっと、ここで広げるとマズイんですが」
背負った【魔石】の入った袋を見せれば、顔を引き攣らせる二人。それはそうだろう。エストだってこんなに沢山の【魔石】など見たことがない。
「こりゃまた凄い……えーと、じゃあ【浄化】してもらいたい剣のある部屋でよければ……」
「構わない。それより、その剣はどの位の濃度なんだ?それによっては俺でも対処できるかの保証はないが……」
頭をかいて奥の部屋を指さす男にエストは組んだ腕を解いて訊く。そもそもエスト自身はそこまで浄化の力は無いのだ。せいぜいがモノに取り憑いた【霧】を祓う位。生き物に憑いたものは基本カリン頼みだったりする。
「あー、炎が効かないだけでそこまで強いものじゃないと思うんだが……どう思う?」
「そうだね……多分そこまで強くは無いと思うよ?炎弾かれるから保証はできないけど」
曖昧な返事にエストは僅かに不機嫌そうに眉を寄せるが、こうしていても埒があかないと思い直し二人を促した。
「なら部屋へ案内してくれ。【魔石】の前に【浄化】を終える」
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部屋へ入ると直ぐに感じた禍々しい空気に、カリン顔を顰めた。どうも部屋の天井に書かれている魔方陣で外には漏れないようにされているらしいが、その分逆にこの部屋にたまり続けているらしい。黒々としたそれは、最早濃霧に近い。
「部屋はこんなだけどアレ本体はそんなでも無いから安心しろ。まぁ、気分は悪くなるが触れない程じゃねぇぞ?」
「……という事は下位の【霧】だね。中位になると殆どの人が精神犯されちゃうから」
男の証言にカリンは考察を述べて剣に手を近づける。が、その手をエストが掴んで止めた。
「あまり不用意な事はするな。取り敢えず、下位なら問題なく【浄化】可能だ。少し下がっていろ」
鋭い目で三人を見れば、三人とも文句無しに後ろに下がる。壁まで寄ったのを見届けてから、エストは跪き剣に右手を翳した。
そしてそこからは、恐らく【魔術】を見たことのない者からすれば圧巻な光景だった。
目を閉じたエストの周りに煌めく、光の粒。ふわふわと空気中に浮かぶように見えて、その実少しづつ剣の周りを覆う黒い【霧】を消していっている事に下がった三人は気づいた。特に炎以外の【浄化】を初めて見る二人は興味津津といった具合にそれを凝視し続ける。
『フォボス メタメレイア 穢されたその名を貴女の代わりに清めよう 我が名は存在 天上を統べる貴女の真の理解者として アーイディオン・シノラを彷徨い続ける者となるでしょう』
一部全く理解出来ない言葉が混ざっているが、これは間違いなく女神への献上の言葉。それに目を見開けば、光は一層強くなる。
『エテレイス・エーリュシオン・エスティ・カロ』
そして最終詠唱と共に光は強くなり、周りの澱んだ空気を完全に払拭した。
「……すげ……」
「綺麗ね……」
何もかもを包み込むような暖かいそれに見とれていると、唐突にカリンは慌てた声を上げた。
「エスト!?」
その声にハッとすると、呼ばれた本人は明らかに尋常でない汗を流して荒い息をついていた。それにギョッと目を剥いて、二人はカリンの後をついて駆け寄った。
「っおいおい!大丈夫かよ!」
まさか今の術は超高難易度なのか?と無理をさせた様子に焦ると、エストはなんでもないという様に首を振った。明らかに早い呼吸だが、本人はなんてこと無い様に立ち上がる。
「……問題無い。少し休めば収まる」
「…………エスト、やっぱ【真名】の開放は……」
不安そうにエストのマントをギュッと掴むカリンに、エストはくしゃっと髪を一撫でし、【赤】の二人を見上げた。その目は決して疲れた様子を見せていないが、肝心の体に力が入っていない。
「……取り敢えず、一回休憩入れてもいいか?【浄化】は完了してある」
「え、ええ。勿論……あ、椅子持ってくるから」
パタパタと駆けて行く女性を見送りつつ、エストは深い息を吐き出す。久しぶりの浄化が、こんなにも堪えるとは正直思っていなかった。その様子に気づいた男は、流石に心配になり声をかけた。もしかして、自分たちが浄化出来ない為に彼に負担をかけているのでは、と。
「さっきの術、そんなに辛いのか?」
「ううん。エストの場合、【真名】の開放が負担かけてるの」
「は?」
確かに先程、自分の名を‘ノーチェ’と名乗っていたが、名前が魔術的要因に繋がるのは兎も角、負担になるなんて聞いた事が無い。目を丸くしてエストを凝視すれば、バツが悪そうにフイと顔を逸らされた。
「もう、エストも無茶するからこうなったんだよ?」
「……悪かったな。自分でもここまでとは思っていなかったんだ」
そう、数年前まではここまで酷くは無かった筈だ。それがいつの間に、こんなにも重労働となっているとは。気づかぬうちに刻限が迫っている事に、内心で焦りを感じてしまう。
「むー……じゃあ、今度からは私に任せてよね」
「お前がこんな所で術使ったら部屋が吹っ飛ぶから却下だ」
は!?と男は叫ぶ。浄化で部屋が吹っ飛ぶ?訳が解らない。そもそも【浄化】とは【霧】にのみ反応する術式だ。物質には影響しない。にも関わらず、エストが言った事は明らかに物質影響だ。
「吹っ飛ばないよ!ただ部屋が消えちゃうだけだもん!」
「その時点でアウトだろ、ッ!?」
本当に、彼らが言っていることは訳が解らない。と、頭を押さえた所で、突然エストが体勢を崩した。
「エスト!」
再び座り込んでしまった彼にギョッとして駆け寄れば、その瞳は宙を彷徨っている。唐突になんの反応も示さなくなった彼に、カリンはマントを掴んで揺さぶる。
「ちょ、おい大丈夫か!?」
「エスト!?どうしたの!」
あまりにも唐突過ぎてついて行けないカリンと、初めて会ったので尚更解らない男。あたふたしてもエストの視線は一向に定まらない。
丁度その時、椅子を引きずった女性が部屋に入ってきた。
「えっと、持ってきまし―――って、どうしたの?」
部屋に入れば慌てふためいた二人と呆然としたようなエスト。先程のような余裕の無い空間に驚いても、誰も事情を説明してくれない。と、エストが熱に浮かされたような声で何かを呟いた。
「…………【召喚】?」
「ふぇ?エスト?召喚?」
疑念の声をカリンが上げた瞬間。置いてある剣の周りに突如として発生する【魔法陣】。それに目を剥いて凝視していると、段々と先程のような光が集まり出す。そしてそれは徐々に人の形を型どり、弾けた。
『うわ、眩し!……てかここ何処?』
消えた【魔法陣】と現れた少女。彼女が話す言葉はカリンには理解出来なかった。黒目黒髪。この国では珍しくて中々目にしないような不思議な見目だ。着ているものも、妙に鮮やかで目立つ。恐らくカバンと思われるものも、光が反射する不思議な物だ。
「えっと、誰?」
謎だらけの少女にカリンがエストの事も忘れて首を傾げ、疑念を口にする。が、勿論この場の誰もが聞きたい事で返事など来る筈もない。そう思い男が口を開こうとした所で。
「…………さつ、き?」
呆然としていた筈のエストが、信じられない者を見るような目で、少女に呟いた。