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月光の花嫁 ~婚約破棄で毒殺された私は、夜だけ現れる幽霊令嬢として「ざまぁ」を突きつけます~

作者: uta
掲載日:2026/08/15

「――お前は、もう存在しないことになった」


第二王子オルフェの声が、大広間に冷たく響いた。


差し出された金杯。とろりと揺れる赤い液体。その匂いを、私は前世で嗅いだことがある。


(この匂い……トリカブト系。社畜時代の危機管理マニュアルで暗記したやつね。なるほど、証拠隠滅ってわけ。相変わらず仕事が雑)


レティシア・ヴァレンティア、公爵令嬢。表向きの肩書きはそれだけ。だが私の中身は、日本のブラック企業で危機管理を担当し、過労死した元社畜だ。


「オルフェ様、どうか姉様を許してあげて。わたし、姉様を庇いたいの……でも、証拠がこんなにあっては……」


継妹ミレーヌが、潤んだ瞳で薔薇色の髪を揺らす。手にした書類の束――それは私が徹夜で仕上げた財政再建案。私の筆跡を巧妙に消し、彼女の名で書き換えたものだ。


(人の残業成果物を横取りした挙句、それを断罪の証拠に使う。パワハラ上司でもここまでやらなかったわよ)


「地味で愛想のないお前より、光り輝くミレーヌを選ぶ。当然の判断だろう?」


オルフェが勝ち誇る。この国の飢饉対策も財政再建も、すべて私が陰で回してきた。彼はその成果を、自分とミレーヌの手柄だと本気で思い込んでいる。


言い返す気力も湧かなかった。ただ、疲れていた。


(この国の飢饉対策も財政再建も、全部私が回してきたのにね。……もういいや。過労死したのに、異世界でまた過労で殺されるとは)


私は杯を受け取った。


「……いただきます。退職届も出せずに、これで終わり、と」


一息に呷る。喉を焼く痛み。視界が滲む。


「ふん。ようやく静かになる」


倒れる私を見下ろすオルフェとミレーヌの、満足げな顔が最後に見えた。


――ああ、退職届も出せずに終わるのか。


そう思いながら、私の意識は闇に落ちた。



目を覚ますと、私は月光の中に立っていた。


「……あれ?」


見覚えのある回廊。王城の奥深く、夜にだけ真の姿を現すという古い魔法建築――『月光の回廊』だ。初代女王アウレリアが月の女神と契約して遺したという、伝説の場所。


自分の手を見て、私は硬直した。


透けている。


向こう側の白い石柱が、私の掌越しに見える。


「なにこれ、私、透けてる。……というか、殺されたのに残業させられてる気分」


死んだはずだ。あの毒は本物だった。喉を焼く感触は今でも生々しい。それなのに、私はここにいる。半分だけ。


「ふふ、よく戻ってきたわね、レティシア」


振り返ると、月光を織り込んだような銀の長衣をまとった女性が微笑んでいた。半透明の身体。慈愛と悪戯心を同居させた瞳。


「初代女王……アウレリア様? 死んだはずの私が、なぜここに」


「覚えていて? あなたが幼い頃、この回廊で女神に祈ったことを」


記憶が蘇る。まだ幼かった私が、女王像の前で膝をついた夜。


『どうか、忠誠を尽くした者が報われる国でありますように』


「『忠誠を尽くした者が報われる国でありますように』――あの祈りが、契約となったの。女神はあなたの祈りに応えた。あなたは死ななかった。ただし――月が昇る夜だけ、あなたは実体を持つ。陽が昇れば、透けて消える。半霊の花嫁として」


「……つまり、夜勤限定の非正規蘇生ってことですか」


「おかしな言い回しをする子ね。でも、そう。悪くないでしょう?」


私は透けた自分の手を握りしめた。あの二人は、私を殺して笑っていた。国政の実務がどれほど私に依存していたかも知らずに。


「アウレリア様。ひとつ確認を。夜に動けるなら――昼の嘘を、剥がしにいってもいいですよね」


アウレリアの微笑みが、深くなった。


「もちろん。それが、月光の花嫁の特権よ」


私は静かに息を吐いた。怒りで喚くつもりはない。私は危機管理のプロだ。


「もう我慢はしない。夜の私が、昼の嘘を全部剥がしてやる」



夜な夜な回廊に現れる私には、ひとつ困ったことがあった。


毎晩、同じ場所に、同じ男が立っているのだ。


長身。灰銀の瞳。近衛騎士団長の制服。『氷の団長』と恐れられる第一王子、アルヴィス・レーゲンブルク。


そして――両腕に抱えた、巨大な花束。


無表情のまま、微動だにせず、月光の下で花を抱えて立ち尽くしている。


「団長、無表情のまま花束抱えて回廊に立ってるの、けっこう怖いですよ」


「……そうか」


短い返事。だが逃げない。透けた私を見ても、彼は驚きもしなかった。


「あなた、私が死んだと知らないんですか」


「知っている。だが、お前はここにいる」


「幽霊が怖くないと」


「レティシアなら、怖くない」


さらりと言われて、私は言葉に詰まった。


「……なぜ、私の名を」


アルヴィスは少しだけ視線を落とした。


「昔、この回廊で迷子になって泣いていた俺を、お前が助けた。覚えていないだろうが。……あれ以来、お前だけを見てきた。お前の仕事も、誠実さも、全部横取りされていたことも。俺は知っていた」


記憶の奥で、何かが引っかかる。小さな男の子。泣きじゃくる声。手を引いて出口まで連れて行った――あれが、彼?


口下手な男の、精一杯の言葉だった。


「団長。ひとつ提案があります。私は夜しか動けません。陽が昇れば消える。でも、集めた証拠を昼に王へ届ける者が必要です」


「やる」


即答だった。


「まだ内容を話していませんが」


「お前の頼みなら、やる」


私は思わず、微かに笑った。過労死してから初めて、誰かに信じられている気がした。


「……では、共犯者ですね。昼のあなたと、夜の私で。ところで、その花、毎晩どうしてるんですか」


「……気にするな」


目を逸らす団長。なぜか耳が少し赤い。


(耳、赤いですよ団長。……まあ、いいわ。今は証拠集めが優先)


私は知らなかった。その花束の意味を、種明かしの夜まで。



それからの日々は、まるで社畜時代のプロジェクトのようだった。ただし今回は、私が主導権を握っている。


夜――月が昇ると同時に、私は動いた。


まず、ミレーヌの偽聖女トリック。彼女が『聖なる光』を出すたびに使う魔道具。私は夜のうちに彼女の私室へ忍び込み、隠された魔石の仕込みを見つけ出した。


「聖女様の奇跡が、電池式とはね。ミレーヌ、あなたの光は魔石仕込みだったってわけ」


次に、財政再建文書の原本。ミレーヌが名を書き換える前の、私の筆跡がそのまま残る草稿。公爵家の隠し金庫にあることは、私だけが知っている。


そこで活躍したのが、侍女のコレットだ。


「レティシア様! 透けてらっしゃいますけど、相変わらずお美しいです!」


泣き笑いしながら、彼女は金庫の鍵を握りしめていた。私が死んだとされた後も、ただ一人、私の無実を信じ続けた忠義者。


「コレット、泣きながら褒めないの。原本を昼のうちに団長へ。それと、毒杯を仕込んだ侍女の件、調べはついた?」


「はい! あの侍女、ミレーヌ様から金貨を受け取っていました。証言もとってあります!」


「完璧。夜の私が集め、昼のあなたが繋ぎ、団長が王へ届ける。三交代制の完璧なシフトね」


朝が近づくと、私の身体が薄れ始める。


「団長。今夜集めた分です」


証拠の束を差し出すと、アルヴィスは受け取りながらぽつりと言った。


「……消えるとき、痛むのか」


「いえ、別に。定時退社みたいなものです」


「また、夜に探す」


「探さなくても、ここにいますよ」


「……いや。消えている間も、探す」


その言葉の意味を、このときの私はまだ深く考えなかった。陽が昇り、私の視界が白く溶けていく。


最後に見えたのは、消えゆく私の手を、そっと掴もうとするアルヴィスの手だった。


――届かない。まだ。


だが、逆転の夜は、もうすぐそこまで来ていた。



建国祭の夜。


満月の光が、月光の回廊を通り、王城の大広間へと差し込んだ。全貴族が集う、一年で最も華やかな夜。


その中央に――私は、全実体化して現れた。


「な……レティシア……!? 死んだはずだ、貴様は――!」


オルフェの顔から血の気が引く。ミレーヌが薔薇色の髪を揺らして後ずさる。


「お久しぶりです、オルフェ様。ミレーヌ。……死んだはずの私が、こうしてご挨拶に」


ざわめきが広がる。私は月光に手をかざした。女神の魔法が、集めた証拠を虚空に投影する。


「ご覧の通りですわ、皆様。偽聖女の魔石、私の筆跡が残る財政文書の原本、そして毒杯を仕込んだ侍女の証言。……全部、月光が晒します」


すべてが、光となって全貴族の前に晒された。


「そんな……これは、違う……! わたしは何も――!」


ミレーヌが叫ぶ。だが、証拠は嘘をつかない。


「そんな話は聞いてない! 俺は、俺は何も――!」


オルフェが喚き散らす。私は、淡々と一言だけ返した。


「ええ、聞かせていませんもの」


静かな声だった。怒鳴りもしない。


「昼のあなた方が眠っている間に、全部揃えました」


大広間が静まり返る。


そして、玉座から国王が立ち上がった。傍らには、証拠を届け続けたアルヴィスが控えている。


「陛下。証拠は全て、この手で確かめてございます。虚偽は一片もございません」


国王が重々しく頷いた。


「ミレーヌ・ヴァレンティア。聖女の資格を剥奪する。オルフェ――王位継承権を剥奪し、幽閉とする」


「父上! 待ってください、俺は……!」


連行されていくオルフェの背に、私は最後の言葉を贈った。


「これから思い知りますよ。私が支えていた国政が、あなた方の手で崩れていくのを。……失ってから気づくんです。何を失ったのか」


「い、いや……いやよ……! わたしは、聖女なのに……!」


ミレーヌが崩れ落ちる。オルフェの絶叫が遠ざかる。


(残業代、これでチャラってことにしといてあげる)


私は、静かに息を吐いた。


だが――東の空が、白み始めていた。


私の身体が、また透け始める。逆転を果たしても、私は半霊のまま。陽が昇れば、消える運命は変わらない。


(……あら、東の空が白み始めてる。逆転しても、私は半霊のまま。まあ、夜勤生活も、悪くないか)


そう思った、そのときだった。



「レティシア」


消えかけた私の手を、大きな手が掴んだ。


アルヴィスだった。無表情のまま、けれど必死の目で、私を見つめている。


「団長……離してください。もう朝が来る。私は消え――」


「アウレリア様から聞いた。月光の呪いを解く条件を。『真実の忠誠に応える者の口づけ』だと」


私は目を見開いた。回廊の奥、いつの間にか現れた初代女王アウレリアが、微笑みながら頷いている。


「毒杯は本物だった。あなたは確かに死んだの。けれど幼い日の祈りが契約となり、女神があなたを半霊として蘇らせた。そして――真実の忠誠に応える者が現れたとき、あなたは昼へ戻れる」


「団長、待って。あなたが毎晩、花束を持って回廊に立っていたのは……」


アルヴィスの耳が、また赤くなった。


「消えたお前が、いつか戻ってきたとき。……花のない場所で迎えたくなかった」


口下手な男の、不器用すぎる愛の告白。


毎晩の巨大な花束。無表情の不審者。あれは全部――私を待つための、彼なりの求愛だったのだ。


「……そういうことは、もっと早く言ってください」


「言えなかった」


「知ってます」


東の空が、金色に染まる。私の身体が、光に溶けていく。


アルヴィスが、私の手を強く引き寄せた。


「レティシア。もう、探さなくていいか」


そして、彼の唇が、私の唇に触れた。


陽が、昇った。


朝日が回廊いっぱいに満ちる。私は――消えなかった。


透けていた手が、確かな体温を取り戻す。朝の光の中で、私はちゃんと、そこに立っていた。


「……団長。私、やっと昼も生きられます」


アルヴィスの無表情が、初めて、わずかに崩れた。


「……ならもう、探さなくていいんだな」


「ええ。もう、どこにも消えません」


回廊の奥で、初代女王アウレリアが虚空へ微笑みかけた。


「さて――次の月光の花嫁は、誰になるかしら」


その声は、朝日の中に静かに溶けていった。


幽閉されたオルフェが、崩れていく国政の中で何を思うのか。詐術を暴かれたミレーヌの侍女が、これから何を語るのか。


――それは、また別の夜の物語。


私は、隣に立つ不器用な男の手を握り返した。


(残業続きの人生だったけど。……この朝日は、悪くない。二度目の人生、今度こそちゃんと幸せになると決めた)

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