月光の花嫁 ~婚約破棄で毒殺された私は、夜だけ現れる幽霊令嬢として「ざまぁ」を突きつけます~
「――お前は、もう存在しないことになった」
第二王子オルフェの声が、大広間に冷たく響いた。
差し出された金杯。とろりと揺れる赤い液体。その匂いを、私は前世で嗅いだことがある。
(この匂い……トリカブト系。社畜時代の危機管理マニュアルで暗記したやつね。なるほど、証拠隠滅ってわけ。相変わらず仕事が雑)
レティシア・ヴァレンティア、公爵令嬢。表向きの肩書きはそれだけ。だが私の中身は、日本のブラック企業で危機管理を担当し、過労死した元社畜だ。
「オルフェ様、どうか姉様を許してあげて。わたし、姉様を庇いたいの……でも、証拠がこんなにあっては……」
継妹ミレーヌが、潤んだ瞳で薔薇色の髪を揺らす。手にした書類の束――それは私が徹夜で仕上げた財政再建案。私の筆跡を巧妙に消し、彼女の名で書き換えたものだ。
(人の残業成果物を横取りした挙句、それを断罪の証拠に使う。パワハラ上司でもここまでやらなかったわよ)
「地味で愛想のないお前より、光り輝くミレーヌを選ぶ。当然の判断だろう?」
オルフェが勝ち誇る。この国の飢饉対策も財政再建も、すべて私が陰で回してきた。彼はその成果を、自分とミレーヌの手柄だと本気で思い込んでいる。
言い返す気力も湧かなかった。ただ、疲れていた。
(この国の飢饉対策も財政再建も、全部私が回してきたのにね。……もういいや。過労死したのに、異世界でまた過労で殺されるとは)
私は杯を受け取った。
「……いただきます。退職届も出せずに、これで終わり、と」
一息に呷る。喉を焼く痛み。視界が滲む。
「ふん。ようやく静かになる」
倒れる私を見下ろすオルフェとミレーヌの、満足げな顔が最後に見えた。
――ああ、退職届も出せずに終わるのか。
そう思いながら、私の意識は闇に落ちた。
◇
目を覚ますと、私は月光の中に立っていた。
「……あれ?」
見覚えのある回廊。王城の奥深く、夜にだけ真の姿を現すという古い魔法建築――『月光の回廊』だ。初代女王アウレリアが月の女神と契約して遺したという、伝説の場所。
自分の手を見て、私は硬直した。
透けている。
向こう側の白い石柱が、私の掌越しに見える。
「なにこれ、私、透けてる。……というか、殺されたのに残業させられてる気分」
死んだはずだ。あの毒は本物だった。喉を焼く感触は今でも生々しい。それなのに、私はここにいる。半分だけ。
「ふふ、よく戻ってきたわね、レティシア」
振り返ると、月光を織り込んだような銀の長衣をまとった女性が微笑んでいた。半透明の身体。慈愛と悪戯心を同居させた瞳。
「初代女王……アウレリア様? 死んだはずの私が、なぜここに」
「覚えていて? あなたが幼い頃、この回廊で女神に祈ったことを」
記憶が蘇る。まだ幼かった私が、女王像の前で膝をついた夜。
『どうか、忠誠を尽くした者が報われる国でありますように』
「『忠誠を尽くした者が報われる国でありますように』――あの祈りが、契約となったの。女神はあなたの祈りに応えた。あなたは死ななかった。ただし――月が昇る夜だけ、あなたは実体を持つ。陽が昇れば、透けて消える。半霊の花嫁として」
「……つまり、夜勤限定の非正規蘇生ってことですか」
「おかしな言い回しをする子ね。でも、そう。悪くないでしょう?」
私は透けた自分の手を握りしめた。あの二人は、私を殺して笑っていた。国政の実務がどれほど私に依存していたかも知らずに。
「アウレリア様。ひとつ確認を。夜に動けるなら――昼の嘘を、剥がしにいってもいいですよね」
アウレリアの微笑みが、深くなった。
「もちろん。それが、月光の花嫁の特権よ」
私は静かに息を吐いた。怒りで喚くつもりはない。私は危機管理のプロだ。
「もう我慢はしない。夜の私が、昼の嘘を全部剥がしてやる」
◇
夜な夜な回廊に現れる私には、ひとつ困ったことがあった。
毎晩、同じ場所に、同じ男が立っているのだ。
長身。灰銀の瞳。近衛騎士団長の制服。『氷の団長』と恐れられる第一王子、アルヴィス・レーゲンブルク。
そして――両腕に抱えた、巨大な花束。
無表情のまま、微動だにせず、月光の下で花を抱えて立ち尽くしている。
「団長、無表情のまま花束抱えて回廊に立ってるの、けっこう怖いですよ」
「……そうか」
短い返事。だが逃げない。透けた私を見ても、彼は驚きもしなかった。
「あなた、私が死んだと知らないんですか」
「知っている。だが、お前はここにいる」
「幽霊が怖くないと」
「レティシアなら、怖くない」
さらりと言われて、私は言葉に詰まった。
「……なぜ、私の名を」
アルヴィスは少しだけ視線を落とした。
「昔、この回廊で迷子になって泣いていた俺を、お前が助けた。覚えていないだろうが。……あれ以来、お前だけを見てきた。お前の仕事も、誠実さも、全部横取りされていたことも。俺は知っていた」
記憶の奥で、何かが引っかかる。小さな男の子。泣きじゃくる声。手を引いて出口まで連れて行った――あれが、彼?
口下手な男の、精一杯の言葉だった。
「団長。ひとつ提案があります。私は夜しか動けません。陽が昇れば消える。でも、集めた証拠を昼に王へ届ける者が必要です」
「やる」
即答だった。
「まだ内容を話していませんが」
「お前の頼みなら、やる」
私は思わず、微かに笑った。過労死してから初めて、誰かに信じられている気がした。
「……では、共犯者ですね。昼のあなたと、夜の私で。ところで、その花、毎晩どうしてるんですか」
「……気にするな」
目を逸らす団長。なぜか耳が少し赤い。
(耳、赤いですよ団長。……まあ、いいわ。今は証拠集めが優先)
私は知らなかった。その花束の意味を、種明かしの夜まで。
◇
それからの日々は、まるで社畜時代のプロジェクトのようだった。ただし今回は、私が主導権を握っている。
夜――月が昇ると同時に、私は動いた。
まず、ミレーヌの偽聖女トリック。彼女が『聖なる光』を出すたびに使う魔道具。私は夜のうちに彼女の私室へ忍び込み、隠された魔石の仕込みを見つけ出した。
「聖女様の奇跡が、電池式とはね。ミレーヌ、あなたの光は魔石仕込みだったってわけ」
次に、財政再建文書の原本。ミレーヌが名を書き換える前の、私の筆跡がそのまま残る草稿。公爵家の隠し金庫にあることは、私だけが知っている。
そこで活躍したのが、侍女のコレットだ。
「レティシア様! 透けてらっしゃいますけど、相変わらずお美しいです!」
泣き笑いしながら、彼女は金庫の鍵を握りしめていた。私が死んだとされた後も、ただ一人、私の無実を信じ続けた忠義者。
「コレット、泣きながら褒めないの。原本を昼のうちに団長へ。それと、毒杯を仕込んだ侍女の件、調べはついた?」
「はい! あの侍女、ミレーヌ様から金貨を受け取っていました。証言もとってあります!」
「完璧。夜の私が集め、昼のあなたが繋ぎ、団長が王へ届ける。三交代制の完璧なシフトね」
朝が近づくと、私の身体が薄れ始める。
「団長。今夜集めた分です」
証拠の束を差し出すと、アルヴィスは受け取りながらぽつりと言った。
「……消えるとき、痛むのか」
「いえ、別に。定時退社みたいなものです」
「また、夜に探す」
「探さなくても、ここにいますよ」
「……いや。消えている間も、探す」
その言葉の意味を、このときの私はまだ深く考えなかった。陽が昇り、私の視界が白く溶けていく。
最後に見えたのは、消えゆく私の手を、そっと掴もうとするアルヴィスの手だった。
――届かない。まだ。
だが、逆転の夜は、もうすぐそこまで来ていた。
◇
建国祭の夜。
満月の光が、月光の回廊を通り、王城の大広間へと差し込んだ。全貴族が集う、一年で最も華やかな夜。
その中央に――私は、全実体化して現れた。
「な……レティシア……!? 死んだはずだ、貴様は――!」
オルフェの顔から血の気が引く。ミレーヌが薔薇色の髪を揺らして後ずさる。
「お久しぶりです、オルフェ様。ミレーヌ。……死んだはずの私が、こうしてご挨拶に」
ざわめきが広がる。私は月光に手をかざした。女神の魔法が、集めた証拠を虚空に投影する。
「ご覧の通りですわ、皆様。偽聖女の魔石、私の筆跡が残る財政文書の原本、そして毒杯を仕込んだ侍女の証言。……全部、月光が晒します」
すべてが、光となって全貴族の前に晒された。
「そんな……これは、違う……! わたしは何も――!」
ミレーヌが叫ぶ。だが、証拠は嘘をつかない。
「そんな話は聞いてない! 俺は、俺は何も――!」
オルフェが喚き散らす。私は、淡々と一言だけ返した。
「ええ、聞かせていませんもの」
静かな声だった。怒鳴りもしない。
「昼のあなた方が眠っている間に、全部揃えました」
大広間が静まり返る。
そして、玉座から国王が立ち上がった。傍らには、証拠を届け続けたアルヴィスが控えている。
「陛下。証拠は全て、この手で確かめてございます。虚偽は一片もございません」
国王が重々しく頷いた。
「ミレーヌ・ヴァレンティア。聖女の資格を剥奪する。オルフェ――王位継承権を剥奪し、幽閉とする」
「父上! 待ってください、俺は……!」
連行されていくオルフェの背に、私は最後の言葉を贈った。
「これから思い知りますよ。私が支えていた国政が、あなた方の手で崩れていくのを。……失ってから気づくんです。何を失ったのか」
「い、いや……いやよ……! わたしは、聖女なのに……!」
ミレーヌが崩れ落ちる。オルフェの絶叫が遠ざかる。
(残業代、これでチャラってことにしといてあげる)
私は、静かに息を吐いた。
だが――東の空が、白み始めていた。
私の身体が、また透け始める。逆転を果たしても、私は半霊のまま。陽が昇れば、消える運命は変わらない。
(……あら、東の空が白み始めてる。逆転しても、私は半霊のまま。まあ、夜勤生活も、悪くないか)
そう思った、そのときだった。
◇
「レティシア」
消えかけた私の手を、大きな手が掴んだ。
アルヴィスだった。無表情のまま、けれど必死の目で、私を見つめている。
「団長……離してください。もう朝が来る。私は消え――」
「アウレリア様から聞いた。月光の呪いを解く条件を。『真実の忠誠に応える者の口づけ』だと」
私は目を見開いた。回廊の奥、いつの間にか現れた初代女王アウレリアが、微笑みながら頷いている。
「毒杯は本物だった。あなたは確かに死んだの。けれど幼い日の祈りが契約となり、女神があなたを半霊として蘇らせた。そして――真実の忠誠に応える者が現れたとき、あなたは昼へ戻れる」
「団長、待って。あなたが毎晩、花束を持って回廊に立っていたのは……」
アルヴィスの耳が、また赤くなった。
「消えたお前が、いつか戻ってきたとき。……花のない場所で迎えたくなかった」
口下手な男の、不器用すぎる愛の告白。
毎晩の巨大な花束。無表情の不審者。あれは全部――私を待つための、彼なりの求愛だったのだ。
「……そういうことは、もっと早く言ってください」
「言えなかった」
「知ってます」
東の空が、金色に染まる。私の身体が、光に溶けていく。
アルヴィスが、私の手を強く引き寄せた。
「レティシア。もう、探さなくていいか」
そして、彼の唇が、私の唇に触れた。
陽が、昇った。
朝日が回廊いっぱいに満ちる。私は――消えなかった。
透けていた手が、確かな体温を取り戻す。朝の光の中で、私はちゃんと、そこに立っていた。
「……団長。私、やっと昼も生きられます」
アルヴィスの無表情が、初めて、わずかに崩れた。
「……ならもう、探さなくていいんだな」
「ええ。もう、どこにも消えません」
回廊の奥で、初代女王アウレリアが虚空へ微笑みかけた。
「さて――次の月光の花嫁は、誰になるかしら」
その声は、朝日の中に静かに溶けていった。
幽閉されたオルフェが、崩れていく国政の中で何を思うのか。詐術を暴かれたミレーヌの侍女が、これから何を語るのか。
――それは、また別の夜の物語。
私は、隣に立つ不器用な男の手を握り返した。
(残業続きの人生だったけど。……この朝日は、悪くない。二度目の人生、今度こそちゃんと幸せになると決めた)




