カフェから始まる恋は、あのショートケーキよりも甘い味。
カランカラン――
「いらっしゃいませ!」
日曜日――いつもカフェにコーヒーを飲みに来てくれる男の子がいる。名前も年齢も学校も知らないけれど、いつも難しそうな本を片手に、私が淹れたコーヒーを啜っている。
「ご一緒にショートケーキもいかがですか?」
彼はいつもコーヒーしか頼まないけれど、私がこうやって提案すると必ず、ふわりとした笑顔を浮かべて「頂きます。」と追加注文をしてくれる。その心の内で私の提案を楽しみにしていてくれてるだろうか、それとも煩わしく思っているのだろうか。それは私にはわからない。
「ご注文のお品物です。」
「ありがとうございます。」
透き通った川のせせらぎの様な、穏やかな感謝の言葉。私が一番好きな音。私が店員で彼がお客様である以上、私のこの想いが彼に伝わることはないけれど、切に来週も彼がお店に来てくれることを願っている。
土曜日――大学のサークルの帰り道、シフトは入っていないけれど、ふと喉が渇いて、私はバイト先のカフェに向かった。どこに座ろうかと周囲を見ると、自然とあの席に目が留まった。彼がいた。
どうしようか迷っている内に、後ろの扉が開いてお客様が入って来た。カランカランという音に思わず「いらっしゃいませ。」と言いかけるのグッと堪え、意を決して私は彼に声をかけた。
「あの?何の本を読んでいるんですか?」
「…はい?」
完全に困惑した顔を浮かべる彼に私は冷や汗が止まらなかった。
「えっと僕に言ってますか?」
「ええ。他にいます?」
破裂しそうなほど鼓動を早める自然をグッと抑えて、私は余裕な表情を浮かべて、彼に対面する席に徐に座った。
「ええっと...。これってアレですか?ナンパって奴ですか?」
ナンパという言葉に私の胸がどきりと跳ねた。そんなつもりはなかったが、この状況、確かにナンパである。逆ナンって奴である。やっちまったと心で叫びつつ、よくやった私と鼓舞する私も心の中には存在する。ここまで来たら――余裕のある肉食系のお姉さんを演じ切ってみせよう。
「そうです。ナンパです。」
いたずらっぽい笑みを浮かべて私はそう言い切ってみせた。すると彼の反応は意外にも好印象で、耳まで真っ赤にして恥ずかしそうにしていた。
「そ、そうですか。」
――何その反応、ちょー可愛いんですけど...!
その店の扉を開くとカランカランと音が鳴る。それを聞くと今週もここに来たんだなと実感できる。
カウンター席の少し後ろ、その壁際の席が僕がいつも座る特等席。ここなら彼女がコーヒーを挽く姿が良く見える。名前も年齢も知らないけれど、いつも綺麗に手入れされた手で、これでもなく丁寧にコーヒーを淹れる店員さんがいる。
「ご一緒にショートケーキもいかがですか?」
僕がコーヒーを注文するといつもこんな提案をしてくれる。本当は甘いものが苦手だけれど、彼女が「世界一おいしいショートケーキです。」と自信満々に紹介してくれた日から、ついつい「頂きます。」と言ってしまう。
「ご注文のお品物です。」
音も立てずに丁寧に商品をテーブルに置き、僕が飲みやすいように必ず利き手側に取っ手を向けてくれる。こういう小さな気遣いが、凄く嬉しくてついつい笑みが零れてしまう。
「ありがとうございます。」
感謝するといつも彼女は嬉しそうに微笑んでくれる。
土曜日――いつも日曜日に来るけれど、することもなくふらりとここを訪れた。キッチンに彼女の姿はなかったけれど、僕は吸い込まれるようにいつもの席に腰を掛けた。
「コーヒーと...ショートケーキを一つ。」
思わず頼んでしまったショートケーキ。いつもなら彼女が提案してくれるけど、今日はいないから自分で頼んだ。苦手だったはずなのに――
自分のおかしさにクスリと笑って、小説に目を戻した。僕の大好きなライトノベル。爽快なストーリーが仕事の疲れを癒してくれる。
「ご注文のお品物です。」
「ありがとうございます。」
小説を片手に届いたコーヒーを軽く啜る。少しだけれど味が違う。あの丁寧で繊細なコーヒーが僕はやっぱり一番好き。
「あの?」
そんな時、声が聞こえた。低く落ち着いた声だった。
「何の本を読んでいるんですか?」
「...はい?」
凄く綺麗な女性だった。思わず僕は困惑の声を漏らした。なんでこんな綺麗な人が僕に声をかけたんだろうって。
「えっと僕に言ってますか?」
「ええ。他にいます?」
当たり前だと言わんばかりに首を傾げる彼女に、僕は動揺しっぱなしだった。思わず変なことを口走った。
「ええっと...。これってアレですか?ナンパって奴ですか?」
何を言っているんだ自分はと、内心冷や汗が止まらなかった。しかし、彼女は寧ろをいたずらっぽい笑みを浮かべて、僕に対面する席に徐に座ってこう言い放った。
「そうです。ナンパです。」
予想外の返答に僕の頭は真っ白になって、「そうですか。」と声にするのがやっとだった。顔から火が出るとはこういうかとかと思うほど、顔が酷く熱かった。
「名前を聞いても良いですか?」
「えっと、秋山遥といいます。」
本当は顔を覆いたかったけれど、楽し気に質問をする彼女に失礼だと思って、平静を装って返答する。
「遥…!素敵な名前ですね。あっ、私の名前は一ノ瀬苺花って言います。苺に花って書くんです。珍しいでしょう?」
両手を合わせてふわりと笑う彼女に思わず視線が吸い込まれる。素敵な笑顔だなと心の底から思った。
「えっと、あの?聞いてます、遥さん。」
「あ、はい。聞いてますよ。確かに珍しい名前ですね。文字で見ただけじゃ読めないかも。」
「そうなんですよ。毎回『いち…かさんでいいのかな?』って先生に言われるんです。その度に友達にまただって笑われて、結構恥ずかしいんですよ。まぁ、可愛い名前だから気に入ってるんですけどね。」
名前を「好き」だと胸を張って言えるのは素敵だな、なんて感心したのも束の間。 僕は、聞き流せない言葉に思考を停止させた。
――ん?先生?友達?
背中に、嫌な汗がじわりと滲む。 声をかけられた瞬間から、彼女のことを「年上の綺麗なお姉さん」だと思い込んでいた。聞き心地の良い落ち着いた声。シックで知的なファッション。そして、僕を翻弄する圧倒的な余裕。そのすべてが「大人」を指し示していたはずなのに。
――やばい。もしかして僕、凄く失礼な勘違いを…!
「どうしました?遥さん。」
「い、いえ、なんでもないです。」
僕は内心で、目の前の「お姉さん」に全力で謝罪した。首を傾げる彼女のあどけなさに、取り繕うような笑顔を返すのが精一杯だった。
「あ、そうだ。遥さんがいつも何の本を読んでいるのか気になっていたんですよ。教えてください!」
「ああ、そうでしたね。この本は――え?いつも?」
「え?」
「え?」
互いに困惑してしまう。結局誤解が解けたのは、それから数分後のことだった。
「アハハ!じゃあ、知らない人が急に声をかけてきたと思ってたんですか?だからあんなに、『ナンパって奴ですか?』って困惑してた感じなんですね。」
「ごめんなさい。でも仕方ないじゃないですか。いつもとは雰囲気が違うんですから。」
恥ずかしそうに俯く彼を愛おしく思いながら、私は笑い涙を軽く拭った。
「いえいえ。怒ってはいませんよ。ただ可笑しいだけで。」
いつもと雰囲気が違う。確かにその通りだ。髪型、声のトーン、メイク。大学とバイトで私は色々切り替えてる。少しでも貴女に良い印象を持ってもらえるように。
私は元々、テンションが高い方じゃない。ちょっと意味は違うかも知れないけれど、昔の私はダウナー系って言われる奴だと思う。バイトも無気力で、気だるげに仕事を熟すだけだった。
しばらくして貴方が来た。仕事にも慣れて、お客様にコーヒーをお出しして良いって店長に認められた頃だった。実は貴方が初めてのお客様だった。バイトで初めて緊張してお客様にお品物を届けた。手の震えを抑えて、丁寧に丁寧にテーブルに置いた。
本当は実際に飲むところまでそこに居続けたかったけれど、失礼になるからすぐに下がった。その日、貴方以外にも何人もの人にコーヒーを淹れたけれど、その内何人が私のコーヒーを美味しいと思ってくれたかわからない。
「コーヒーどうでしたか?」って聞けるくらいの勇気があったらどれだけ良かっただろうって今でも思う。でも、もしその勇気が私に会ったら、あの日は私にとって特別ではなかったかもしれない。
あの日、貴方だけは言ってくれた。会計をする私に「コーヒー美味しかったですよ。」って。それがこの上なく嬉しかった。だから私は貴方のことが――
「苺花さん?苺花さん!」
「え?」
「苺花さん聞いてました?」
首を傾げる彼の顔を見ながら、ヤバい何も聞いてなかったと内心で冷や汗を流す。誤魔化すにももう遅すぎるし、仕方がない罪を認めよう。
「すみません。聞いてなかったです。」
「苺花さんが気になるって言ったから小説の内容をお話ししたんですけど...やっぱり興味ないですよね。」
「いや、そんなことはないですよ。」
物思いに耽っていたのは事実だが興味がない訳ではない。寧ろ大いに興味があった。
「でも話してる間に考え事してたじゃないですか。」
「そ、それはそうなんですけど、でも安心してください!遥さんのことを考えてたので!」
「へっ!?」
咄嗟に良い訳として事実を述べてしまった私。耳まで真っ赤にした彼を見て、私はまた口を滑らしたと酷く後悔した。でも、話を聞いてなかったのを誤魔化せた上で、こんな可愛い遥さんを見れたのだから、御の字と言えるでしょう。
「へぇ~。じゃあ、最終的には主人公と幼馴染の子が結ばれるってことですか?」
「そうなりますね。」
「え~。それじゃあヒロインの子がちょっぴり可哀想じゃないですか?」
小説のあらすじを話していたつもりが、「それで?」「どうなっちゃうの?」と続きを期待する彼女につられて、だいぶ先の話まで話してしまった。しかも、物語を理解する能力がかなり強い。
「確かにヒロインが可哀想だって意見は結構出てたね。でも、僕は最初から一途に主人公を見ていた幼馴染が結ばれるのが、やっぱりベストかなって思います。」
「ふーん。遥さんは一途な子が好きなんですか?」
「そうですね...。好きな人の為にずぅーっと頑張れる子は素敵だと思います。」
彼女の質問に自然と答えたけれど、自分の好きなタイプを素直に伝えたのが今になって恥ずかしくなってきた。しかも苺花さんは、答えを笑ってくれるタイプじゃなくて、真剣に受け入れてくれるタイプだから、なおのこと恥ずかしい。そこでふと思いついた。ずっとやられっぱなしだから、今こそ反撃のときではないかと――
「逆に...苺花さんはどんな人が好きなんですか?」
僕の答え方よりももっと恥ずかしい、具体的な答えを求める質問。ずっと余裕な苺花さんでも、これには少しくらい動揺してくれるんじゃないか。
「そうですね...。人の頑張りを素直に褒めれて...些細なことにも気づいてくれて...ちょっぴり抜けてる所がある人が好きです。」
意外でもなく、彼女はさらりと答えてくれた。しかも――恥ずかしさを倍返しにして。
「あれ?どうして照れてるんです?」
いたずらっぽく笑う彼女。察しの悪い僕でもわかる。今挙げてくれた特徴が全部僕のことだって。そうやって動揺する僕に彼女は更に追い打ちをかける。
「言ったじゃないですか、最初に。『ナンパです』って。」
「――っ!」
声にならない声が漏れる。顔が今日一番の熱を帯びる。頭がぐちゃぐちゃして何も纏まらない。それ程にあざとく笑う彼女が可愛かった。
「はる――」
「あの。」
彼女が更に追い打ちをかけようとしたところで、店員さんの声がした。
「盛り上がってる所悪いんですけど、閉店の時間です。」
時計の針を見ると20時を指していた。周囲を見ると閑散としていて、店内には僕たちと店員さんしかいなかった。
「ちょっと歩ちゃん...!ちょー良い所だったのに。」
「だから悪いんですけどって言ったじゃないですか。」
「ちょっとくらい良いじゃん!私も店員なんだから。」
先ほどまでの余裕はどこへやら、年の近い後輩の店員と話す姿はちゃんと年頃の女の子で、僕は思わず笑みを零した。
「でも店長が...『苺花ちゃんと常連さんが良い感じだから追い出してこい』って。」
「どゆこと!?店長は私のこと嫌いなのかな~?そうなのかな~?」
ブチ切れ寸前の彼女はキョロキョロと周囲を見渡して、キッチンで片づけをする店長を発見すると鋭い目つきで睨みつけた。蛇に睨まれた蛙のようになった店長さんは正直めっちゃ面白かった。
「あ、後店長から伝言預かってます。『――』ですって。」
「ホ――!?」
耳打ちでしかも小声だったから何を言っているのかはわからなかったが、店長が親指を立ててどや顔をしているのを見るに、何か良い感じのアドバイスでも言ったのだろう。
「はい。という訳で帰った帰った。」
店員さんに押されるようにして僕たちは店から追い出された。帰り際、「応援してますからね。苺花先輩。」と激励する店員さんに「うっさい!」と激怒する苺花さんが印象的だった。なんであんなに怒ってたのかはよくわからない。
夜風が顔を撫でる。こんなに遅い時間までいるつもりじゃなかったから、少しだけ肌寒い。横をちらりと見ると、遥さんも結構寒そうにしている。申し訳ない気持ちが胸に芽生えた。無理やり追い出して、少しだけ気まずい空気間で無言の時間が流れた。しかし、すぐに遥さんが口を開いた。
「苺花さん。お家はどこら辺ですか?」
「え?来るんですか!?」
突然の言葉に思わず同様の色が漏れる。店長のデリカシーのない伝言が頭を過った。
「いえ。お家には入りませんけど、送りますよ。学生さんを一人では帰せませんから。」
「あ、ありがとうございます。」
ホッとする。デリカシーのない店長と違って、やっぱり遥さんは素敵な...素敵な...。
――学生さん?
え、ちょっと待って。遥さんのことずっと大学生だと思っていた。しかも年下の、大学一年生か二年生かと思っていた。だって、顔可愛いし、ゆるふわ系のファッションだし、すぐ赤くなるくらい初心だし。でも――確かに大学生にしては落ち着いているし、気遣いもめっちゃ凄い。
さっきだって私の知らない間に会計が終わってて、気付いたら奢られてたし、今だって、この時間が終わって欲しくない私のこの小さな歩幅に、何も言わずに合わせてくれてる。待って、じゃあゆるふわ系後輩男子じゃなくて、おっとり系年上社会人だったってこと!?
いや、でもまだわからない。落ち着け苺花。社会人だからって年上とは限らない。だから念のため。
「そう言えば、年齢聞いてなかったですけど、遥さんって何歳なんですか?因みに私は21です。」
「ああ。そういえば言ってなかったですね。24ですよ。社会人二年目です。」
――ああああ...!やっぱり!めっちゃ後輩だと思って失礼なことしまくってたよ~。変に思われてないかな。大丈夫かな。
内心では焦りまくっているけれど、表情だけは笑顔を崩さず、何とか彼にはバレないように取り繕う。しかし、それ以上何も考えられないくらい頭が真っ白になった。
「それで、苺花さん。お家の方は?」
「あ、ああ。○○です。」
「ああ。そうなんですか。近いですね。実は僕も××に住んでいて、意外とご近所さんだったんですね。」
「そ、そうですね。」
家が近いことへの喜びと動揺が私の心のぐちゃぐちゃを更に散らかせる。その影響か少しずつ歩幅も広くなり、程なくして家へ着いてしまった。
「ここです。」
「おお、立派なお家ですね。ご両親と住んでらっしゃるんですか?」
「あ、はい。父と母と姉と...。」
年上だとわかってから話すとどうやって話せばいいかわからなくなる。どこか固い喋り方になって、どんどん自分が自分でなくなってしまうような感覚になる。
「あの、遥さん...!」
「なんですか?」
「わ、私、遥さんのこと年下だと思ってました。年下だと思って生意気なことを...。すいません。」
「ふふ。気にしてないですよ。」
頭を下げる私の耳に、透き通った川のせせらぎの様な、穏やかな声が響いた。私の自然がトクリと跳ねる。
「ほんとですか?」
「ほんとです。僕は丁寧にコーヒーを淹れる苺花さんも、僕のために背伸びしてずぅーっと頑張ってくれてた苺花さんもどっちも好きですよ。」
私の一番好きな音が「私を好き」って言っている。心臓がうるさいくらいバクバクと鼓動する。少しずつ顔が熱くなるのがわかる。
「あ、あの…!今度からはカフェ...以外の所でも会ってくれませんか。」
必死に絞り出した言葉だった。さっきまでの無敵モードはどこへ行ったのだろうか。遥さんのこの心地よさに気付いてしまったら、もう私は「お姉さん」には戻れない。等身大の恋する乙女として、私はこの人の心を射止めたい。
「それ、こっちからお願いしたかったな。」
「じゃあ...!」
「もちろん。これからはカフェでも、カフェの外でもよろしくお願いします。」
これはカフェから始まる恋物語――
「そうだ!連絡先交換しましょう。」
「あ、こんなに話してたのに、連絡先交換してなかったですね。」
それは、あのショートケーキよりも甘い味がした。




