第34話~廃坑の呼吸~
北方廃坑区画。
かつては良質な鉱石を産出したというその場所は、今では封鎖指定区域になっている。坑道は崩落と放棄を繰り返し、地図も完全ではない。
入口に立った瞬間、空気が違った。
冷たい。
それだけではない。
重い。
湿気に混じる、かすかな焦げ臭さ。
「……灰だ」
短剣使いが地面を指でなぞる。
指先に付着したのは、ごく薄い灰色の粉。
森で見たそれよりも、さらに細かい。
魔法使いが簡易感知を展開する。
青白い光が坑道へ滑り込むが、数歩進んだところで揺らいだ。
「魔力が歪んでいます。流れが一定じゃない」
「風は?」
「ありません」
なのに、奥から“何か”が揺れている感覚だけが伝わる。
大盾の男が前に出る。
足音が、やけに大きく響く。
坑道の壁面には、古い掘削跡と補強材の残骸。だが所々に、不自然な擦過痕があった。
鋭い爪のような線。
しかもそれは、上へ、天井へ向かって伸びている。
「登る?」
「違う」
短剣使いは首を振る。
「這い上がってる」
その言葉が、空気をさらに冷やした。
進むにつれ、灰は濃くなる。
やがて足跡が現れた。
いや、足跡ではない。
円形に抉られた跡が、一定間隔で並んでいる。
何かが“浮きながら接地した”ような痕跡。
魔法使いが小さく呟く。
「森の個体より、魔力密度が高い……」
反応が、はっきりしている。
奥へ進むほど、空気の圧が増す。
突然、壁面が崩れ落ちた。
三人が即座に構える。
だが敵は現れない。
崩落面の奥に、空洞が広がっていた。
自然洞窟。
そして中央には――
巨大な灰の塊。
脈動している。
生き物のように。
「……核?」
いや、違う。
森で見た核は、もっと凝縮されていた。
これは拡散している。
まるで繭だ。
灰が、ゆっくりと呼吸するように膨張と収縮を繰り返す。
そのたびに、坑道の空気が震える。
恐怖が込み上げる。
視界の端が揺らぐ。
だが今回は崩れない。
魔法使いが精神防護を強化する。
「これは個体じゃない」
短剣使いが灰の周囲を観察する。
「繭なら……中身がある」
大盾の男が低く言う。
「孵化前、か?」
森の灰喰いは、完成に近い形だった。
だがこれは――育成段階。
つまり、あの存在は単独で発生したのではない。
「繁殖……?」
「あるいは分裂」
魔法使いが震える声で答える。
「核を中心に魔力を集め、一定量に達すると個体化する」
森で倒した個体は、完成体に近い“収束型”。
目の前のこれは、“集積型”。
性質が違う。
ならば。
「種類があるってことか」
短剣使いの言葉に、誰も否定できなかった。
その時。
繭の内部で、光が走る。
灰の表面がひび割れた。
中から覗いたのは、暗い空洞。
そして――
複数の、光点。
「……目?」
違う。
魔力核の芽。
ひとつではない。
三つ、四つ、五つ。
数え切れない。
空気が震える。
灰が、外へ流れ出す。
「撤退だ」
即断。
戦う段階ではない。
これは“群れ”の前兆だ。
坑道を駆け戻る。
背後で灰が擦れる音が追ってくる。
だが完全な個体化には至っていないのか、速度は遅い。
外光が見えた瞬間、圧が消えた。
振り返る。
入口の奥で、灰が蠢いている。
だが追ってはこない。
「……縄張り」
短剣使いが息を整えながら言う。
「拠点防衛型か」
魔法使いがうなずく。
「森の個体は遊撃型。廃坑のは母体型」
灰喰いは単なる魔物ではない。
生態系を持つ“種”だ。
育成段階。
分化型。
核の多重化。
報告内容は、森の比ではない。
もしあれが完全孵化すれば。
個体が複数、同時に誕生する。
ギルドの想定危険度は、確実に引き上げられるだろう。
だが同時に、確信もある。
核は露出していた。
破壊可能だ。
ただし――
準備なしでは、囲まれる。
廃坑を背に、三人は静かに息を吐く。
灰は、増えている。
森の討伐は終わりではなかった。
あれは、前触れだったのだ。
廃坑の奥で、再び脈動が響く。
まるで。
世界のどこかで、別の鼓動が応えるかのように。




