第31話~揺らぐ光~
均衡は、唐突に崩れ始めた。
灰の獣が再び吠える。音なき咆哮が頭蓋を震わせ、視界の端が白く霞む。
魔法使いの展開していた精神防護の光が、ひび割れのように軋んだ。
「まずい……保てない!」
光膜が波打ち、灰がその隙間から滲み込む。
胸の奥を直接握られる感覚。膝がわずかに落ちる。
大盾の男が前へ出るが、動きが鈍い。
恐怖は筋肉を硬直させ、判断を遅らせる。
灰の獣が消える。
横。
衝撃。
盾が弾かれ、地を滑る。完全には崩れないが、体勢が泳ぐ。
追撃が来る。
短剣使いが割り込む。刃が灰を裂く。
だが裂けたはずの輪郭が、即座に閉じる。
「削れてるのに……戻ってる?」
その一言が、意識を引き戻す。
確かに乱れている瞬間はある。
だが数拍で再構築される。
魔法使いが息を荒げながら叫ぶ。
「魔力の流れが……中心に集まってる!」
灰の粒子は無秩序に見えて、実は渦を巻いている。
その収束点。胸部の奥、わずかに濃く沈んだ部分。
目の錯覚ではない。
そこだけが、揺らがない。
――核。
灰の獣が再び跳ぶ。
今度は一直線。恐怖を押し付けるように、正面から。
精神防護の光が砕ける音を立てる。
光膜が一部、消えた。
冷たい恐怖が直接流れ込む。
息が止まる。
それでも退かない。
「三秒、止めろ!」
叫びに、大盾の男が応える。
盾を地面に叩きつけ、衝撃で灰を散らす。完全には止まらないが、動きが鈍る。
短剣使いが低く潜る。
足を払うのではない。誘導だ。
灰の獣の重心が、わずかに傾く。
その瞬間、魔法使いが残る力を絞る。
拘束ではない。圧縮。
周囲の魔力を一点に押し込む。
灰の流れが乱れ、核の位置が露わになる。
確信が走る。
踏み込む。
恐怖が喉を締め上げる。
それでも刃を振るう。
狙うのは中心。
灰が反応する。
守るように粒子が集まり、腕を絡め取ろうとする。
あと一歩。
刃先が、濃い闇に触れる。
確かな抵抗。
これまでとは違う、重い感触。
灰の獣が初めて“揺れた”。
全身の輪郭が激しく乱れ、森の空気が震える。
だが、刃は浅い。
核は砕けていない。
灰が爆ぜる。
衝撃波が三人を吹き飛ばす。
地面に叩きつけられ、呼吸が奪われる。
視界が揺れる。
灰の獣は、崩れかけながらも再び形を取り始めていた。
だが今度は違う。
中心部に、亀裂が走っている。
確かに届いた。
あと一撃。
灰が唸り、森全体が鳴動する。
恐怖はなお濃い。
精神防護はほぼ消えている。
それでも立ち上がる。
終わりは、目前だ。




