第26話~扉の前の足踏み~
遺構調査の受諾書に判を押したのは、翌日の昼だった。
まだトロル戦の疲れが身体の芯に残っている。剣を握る手のひらには薄い豆、肩には鈍い痛み。それでも不思議と足取りは軽かった。
「本当に行くんですね」
受付の女性が書類をまとめながら言う。
心配半分、興味半分といった声色だ。
「推薦されたから、というだけじゃないんでしょう?」
問われて、少しだけ言葉を探した。
「……確かめたいことがあるだけです。ライセンスのこととか、いろいろ」
曖昧な返事に、受付はそれ以上踏み込まなかった。ただ小さく頷き、注意事項の説明を始める。
遺構はダンジョンと似て非なる場所。魔物の生態も不規則で、地形はしばしば変化する。何より――ライセンスの発動が不安定になる可能性がある。
その一言だけが、やけに重く耳に残った。
酒場では仲間がすでに集まっていた。
大盾の男は装備の手入れ、短剣使いは罠道具の点検、魔法使いは分厚い本を抱えて何やら書き込んでいる。
「正式に受けてきた」
そう告げると、三人は同時に顔を上げた。
「まぁ、そうなるとは思ってたがな」
盾役は笑い、革紐を締め直す。
「場所は? 深さは?」
魔法使いはすぐ実務の顔だ。
「入口から三層まで。奥には踏み込むなって条件付き」
「賢明ですね」
短剣使いが頷く。「未知を一度に食べると腹を壊す」
言い回しに思わず苦笑が漏れる。
前のパーティでは、こんな軽口すらなかった。皆どこか余裕がなく、ただ“うまくいくはず”という根拠のない期待だけが漂っていた。
――あれは、もう二度と繰り返さない。
準備の話は自然と具体に移った。
「ライセンスが鈍るなら、技に頼りすぎない戦い方だな」
盾役が机を指で叩く。
「魔法も最小限にします。補助中心で」
魔法使いは自分のメモに線を引いた。
「罠は現地判断。発動しない可能性も考える」
短剣使いの声は冷静だ。
そのやり取りを聞きながら、自分の手を見下ろした。
斬撃のライセンス。これまで何度も助けられてきた力。けれど遺構では、それがただの“素振り”に戻るかもしれない。
「もし、俺の斬撃が使えなかったら」
ぽつりと漏れた言葉に、三人がこちらを見る。
「その時は普通に斬ればいいだけだろ」
盾役があっさり言った。
「ライセンスは道具です。人そのものじゃない」
魔法使いも続く。
短剣使いは小さく肩をすくめた。
「できない前提で組めばいい。それだけ」
拍子抜けするほど単純な答えだった。
だが胸のつかえが、ほんの少しだけ溶ける。
出発は三日後。
それまでに物資を整え、連携をもう一度詰めることになった。
酒場を出たあと、ひとりギルドの掲示板を眺めていた。無数の依頼票、その一枚一枚の裏側に誰かの生き方がある。
以前の自分なら、きっと派手な討伐ばかり目で追っていただろう。
けれど今は違う。
生きて帰ること。
それが何よりの成果だと知ってしまったから。
「継承者、か……」
昨日の言葉が頭をよぎる。
意味はわからない。だが、焦って答えを探すつもりもなかった。
まずは目の前の一歩。
遺構という名の、新しい扉へ。
掲示板から視線を外し、静かに歩き出した。
次の物語は、もう始まっている。




