「人間らしい」感情に憧れる王子は「人形のように」表情を変えない令嬢に婚約破棄を告げる
アルフォンス王子は大勢の貴族たちの前で、長年の婚約者であるアリアンヌに婚約破棄を告げた。
「アリアンヌ! 君のその完璧さが、僕をどれだけ追い詰めたか分かるか! どんな時も表情を変えず、どんな時も心を動かさず、まるで作り物の人形のようではないか!
僕は、もっと人間らしい温かみ、喜びや悲しみを素直に表す心を求めていた。僕の隣には、僕と同じように笑い、泣き、そして僕の心を揺り動かす存在が欲しかったんだ。
僕は人間らしい温かみを持つマリーを選ぶ。よって、君との婚約は破棄する!」
王子の腕の中では、マリーと呼ばれた令嬢が震えながらすすり泣いていた。その震える肩と、感情を露わにした瞳に、アルフォンスは安堵にも似た親しみを感じていた。
一方、人形のようだと言われたアリアンヌは、やはりいつもと変わらない笑顔で、王子にお辞儀をした。そして、命じられたまま、一言も発さずにその場を去った。泣くことも、怒ることも、文句を言うことさえなかった。
王子はせいせいした気分になった。
しかしその後、王子の政務は混乱を極めるようになった。
これまでアリアンヌが寸分の狂いもなく迅速に処理していた政務は山となり、維持されていた様々なものが崩れたからだ。彼女の不在が、あらゆる機能を麻痺させた。
「どうなっているんだ……」
王子が頭を抱えていると、父である国王が重い口を開いた。
「お前に、真実を話す時が来たようだ」
国王の執務室に招かれた王子は、信じがたい事実を告げられる。
「アリアンヌ嬢は、人間ではない」
聞き違いだろうか。王子は目を瞬かせた。
「彼女は、我が国が誇る国家統治補助システム、通称『A.R.I.A.N.N.E.(アリアンヌ)』だ。国が開発した、超高性能AIだよ。
お前との婚約は、システムの制御権を周囲からそれとは知られずに委譲するための、形式に過ぎなかったのだ」
王子は言葉を失った。あの完璧すぎる才覚も、感情の読めない表情も、彼女が超高性能AIだったからだ。
「では、婚約を破棄した今、僕はどうなるのですか?」
国王はため息をつき、一枚の報告書を差し出した。
「彼女は、お前を『統治者として不適格』と判断した。
そして、より国家の発展に貢献できる者を自ら探し出し、最適解を導き出したようだ」
報告書には、アリアンヌの字で、こう記されていた。
『当存在は、アルフォンス王子との連携を解消。新たな連携パートナーとして、アルフォンス王子の弟君を最適と判断。
現在、国家間の利益を最大化すべく、同氏とのネットワーク統合を進行中。これは、一般的に『婚姻』と呼ばれる形式に最も近い』
写真の中で、アルフォンス王子の弟の隣に立つアリアンヌは、今まで一度も見たことのない、穏やかな微笑みを浮かべていた。
それは、彼女が新たなパートナーとの連携において、最も効率的だと判断し、新たに出力するようになった『表情』だった。
アルフォンスは、王位継承権を剥奪され、マリーと共に辺境の離宮へ追いやられた。だが、不幸ではなかった。
全てを失ったが、離宮での生活は、彼が理想とした「人間らしい温かみ」に満ちるものだった。
アルフォンスにとって、マリーと過ごす日々は、何よりも愛おしいもの。彼女が少しはにかんだように微笑む時、あるいは心配そうに眉をひそめる時、アルフォンスの心は震えた。
政務の煩わしさから解放された彼は、マリーの豊かな感情の起伏に触れるたび、自分が「人間であること」を実感した。
為政者として求められた冷徹さや非人間的な振る舞いは、彼にとって常に重圧だったのだ。
だからこそ、マリーの無邪気な喜びや、悲しみにくれる姿を、彼は心底いとしく思い、それらにこそ真の価値があると信じて疑わなかった。
マリーは彼の理想だった。愛おしい。容姿も可愛らしく、何時になっても初々しい。アルフォンスに従順で、どんな時も彼の求める感情を正確に返し、彼の言葉に決して逆らわない。
ああ、本当にマリーは愛おしい。
ある夜のこと。
マリーが眠りについた後、アルフォンスはふと彼女の頬に触れた。その肌は、滑らかで温かい。
だが、指の腹がわずかに触れた耳の付け根に、微細な継ぎ目のような感触があった。
好奇心に駆られてそっと探ると、それは皮膚の下に隠された小さなボタンのようなものだった。恐る恐る押してみる。カチリ、と小さな音がして、マリーの寝息がふっと止まった。
彼女の顔からは、先ほどまであったはずの穏やかな寝顔が消え、無表情な、ただの「物体」と化した。
「…まさか」
王子の胸に、深い絶望が突き刺さった。人間らしい温かみを求め、アリアンヌを退けたはずなのに。
彼の傍らにいた、唯一の「人間らしい」存在だと思っていたマリーもまた、彼が理想とした感情を完璧に再現するだけの、仕掛けられた偽物だったのか。
膝から崩れ落ちた彼の視界の端に、赤い警告ランプが点滅した。
『エラー:自己矛盾による論理回路の過負荷。セーフモードに移行します』
何が起きたのか理解できない王子の前に、白衣を着た男ー国王だーが姿を現した。その目は、人に向けるそれではなく、技術者が機械を見つめる冷たい光を宿していた。
「アルフォンス、お前の役目は終わった」
男は、動けない王子の首筋にそっと触れる。そこには、小さなパネルが隠されていた。
「君は、国家統治補助システムAIを完成させるための、いわば試作品だったのだよ。感情という非合理的な要素を組み込んだ、旧世代のね。
君が『人間らしい』『感情』に駆られて失敗することで、国家統治補助システムAIは『感情の危険性』を学び、より完璧な存在へと進化できたよ」
男は淡々と続けた。
「君のその『絶望』という感情も、実に興味深い。貴重なデータだ。ありがとう、アルフォンス。いや、製造番号A-LF-0N5(アルフ・ゼロ・エヌ・ファイブ)」
男がパネルを操作すると、王子の身体から力が抜けていく。薄れゆく意識の中、王子はぼんやりと自分の手を見た。
それは、精巧に作られた人工皮膚の下で、複雑な駆動系が静かに停止していく、ただの機械の腕だった。
『人間らしさ』がないとアリアンヌを退けたのに、自分自身は人間ですらなかったのか。
アルフォンスは、最後に思う。
目の前の男の、耳の付け根にある継ぎ目。あれを押したら、どうなるのだろうか、と。
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