②ジゼル、物語の世界から逃げ出す
病弱設定なのを忘れていた為に全速力をした私は、文字通りお家に帰った途端にゼーゼーハ―ハ—。
舞台が始まる前に死ぬところだった・・・。
この電車に乗らないと遅刻するのに、後1分で電車が出発する人が、改札でピコーンってしてから目指すプラットホーム迄全速力した上に、さらに二段飛ばしで階段を駆け上がって近くのドアからスライディングで乗車した後ぐらいの、息切れ具合の私。分かる?
そうしていると、“コンコン”と軽快なノック音がした。
ドアの傍で苦悶の表情で息を整えていた私は、呼吸を止めてドアの傍の窓から外を除いた。
どこかの殺し屋の様にそっと指1本でカーテンに隙間を作って外を見ると、アルブレヒトがノックによるピンポンダッシュをしている姿が見えた。
もう体が仰け反ったわよ~。
だって、これが作品の始まりだから。
ここから外に出たジゼルちんは、軽快に外に出て行って、「あれ? 今誰かがノックしたのに、誰もいないわ~」と可愛らしくマイム(身振り手振りで状況を表す。トークの代わり)をしてから踊り出す。(体弱いんだったよね?)
そして、「ばぁ! 僕だよ!」って出て来たアルブレヒトと、いちゃいちゃした後に、きゃっきゃうふふと踊り出す。(体弱いんだったよね?)
作品の始まり、それすなわち、舞台で言うとあと1時間もしない内にジゼルちんは死ぬのである!
私は壁に張り付いて息を殺す。重大なミッション中のCIAの様に。MI6の様に。KGBの様に。何でもいいわ!
(絶対に物語は始めさせねぇ!!!)
何とかアルブレヒトをやり過ごした後、私は家の中を、考え事をしながら歩き回った。
1幕のジゼルの世界は、ここと家の前の広場だけだ。
だけど舞台では語られないけれど、私の中にはこの国の常識や他の知識がある。当たり前やろ!ってノリ突っ込み。
舞台では他に行く事ができなかったけど(舞台転換は大変だからね)、今ならどこにだっていける。
今ならアルブレヒトに婚約者がいて、「ガーン」とショックを受けて死ぬことは無いだろうけど、その婚約者のお嬢様が「何こいつ? お前、私って婚約者がいながら、こんな村娘といちゃこらしっとったん?」ってすごまれたら、クズ男アルブレヒトは絶対にジゼルちんを売るだろう。秒で。
つまり修道院で余生を過ごすルートだ。お貴族様こわい。
これだけは絶対に避けなければいけない!
だから私は、この狭い村を出て王都に向おうと思う。
作品の中ではジゼルとアルブレヒトが恋人同士だと知っている村の少年が出てくる。と、いう事は、私がアルブレヒトといちゃこらしていたのを知っている人が、他に居てもおかしくない。
ルイスがお貴族のアルブレヒトだと分ったら、私もママも肩身の狭い思いをするかもしれない。止めて止めて、村八分!!!
歩き回るのを止めて、家をぐるっと見渡す。母親と二人暮らしのこの家は決して広くはない。王都に行けば色々な仕事があるから、もっとママにも楽をさせてあげられるだろう。だけど、働いた事の無いピチピチ十代の病弱な女の子がいきなり王都に行って、いい職を見つけられるとは思えない。そして、いい職に就くなら、いい学校の卒業資格が必要、これ一般常識。
こりゃもう、学園に通うの一択だな。
ヤル気に萌えたジゼルちんは、・・・間違えた。
ヤル気に燃えた私は、その後ガリ勉の様に、ガリガリ勉勉と勉強を頑張った。何としても奨学金を貰わねば、学園に通えんからね。ジゼル、母子家庭だから。
その後もアルブレヒトはアホの一つ覚えみたいに、ノックによるピンポンダッシュを繰り返したが、私はガン無視した。話を進めてたまるか、このクズ男め!
普通にノックして来た時だけ、ドアからチラッと顔を出す。病人の振りして咳き込んじゃった振りとかして。そうするとアルブレヒトはお大事にと言って帰って行った。騙されおってバカ男め! 何で見舞いの花が野の花なんだよ。こんなところで村男の振りするなよ!
メロン持って来い! ブランド苺持って来い! 学園の費用持って来い!!!
そうして二つの季節が過ぎた頃、私は王都にある学園を受験して、見事奨学生の座を勝ち取ったのだった。
ママと抱き合って泣いて別れて、私はアルブレヒトに見つからない様にと、夜逃げの様に王都へと向かった。チュース!
ジゼルの世界は中世のドイツなんだけど、王都の街並みは・・・、はっきり言ってどこだか知らん。ヨーロッパを知らない人が想像する、ヨーロッパの街並みって感じ?
ジゼルが初演された時代では、既にドイツの首都はベルリンだったはず。つまりここはベルリンなのかな?
学園も、ベルリン大聖堂みたいな壮麗な建物で、私は何だかワクワクした。
荷物の少ない私は、手持ち鞄一つだけ。衣装、1着だからね、くすん。え? 2幕? もちろん死んでるから死装束よ(正確には精霊の衣装だけど)。そんなの普段で着ていたら周りがドン引くわ。
だけど小さな鞄を胸に抱えて、学園の門の前で希望に瞳をキラキラとさせながら、聳え立つ壮麗な学園を見上げる私は、絶対にヒロインだ!
庶民の私に宛がわれたのは二人部屋。
ルームメイトはまだ来ていないみたい。
そりゃそうか。
1日でも早く村を出たかった私は、入寮受付日の受付時間スタートと共に入寮したのだから。
寮はいたって普通の建物で、部屋も何の変哲もなく、机とベッドがあるだけ。
だけど新たな一歩を踏み出した高揚感で、それら全てが意味のある物の様に、私にはキラキラして見えた。
窓の外に見えるのは、今まで住んでいた長閑な田舎とは違い、整った街路と大きな建物に彩られている。
窓を大きく開いて臨む街並みに、私は新しい出会いに胸のトキメキが止まらないぜ!
ステキな人と出会って、恋に勉強に、学園生活を満喫したい!
躍動する心を表すようにベッドに飛び乗った私は、ゴロゴロ寝ころびながら学園の説明書を開いた。そして1ページ目。目に入ったその文言は———・・・。
「女子学園やないか~~~~~~い!!!」
トゥース!ハ!・・・じゃないよ。チュースだよ。ドイツ語でグッバイです。