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騎士、目覚める



「おーい、起きろー」


 ゆさゆさと肩を揺さぶられ、瞼を開ける。

おぼろげな視界に映るのは、燃えるような赤毛の...そうだ、カーミラ。彼女はそう名乗ったのだった。


 いつの間にか寝かされていた身体には大きな毛皮がかけられていた。黒く厚い、密度の高い毛...熊のものだろうか。香が焚き込められているのか、ほのかに甘い香りがする。

 恐る恐るゆっくりと腕に力を入れれば、なんとか起き上がることが出来た。おそらく休息とあのどろどろと濃い麦粥のおかげだろう。


 あらためて辺りを見回す。昨夜の暗さでは分からなかったが、ここは打ち捨てられた荒屋らしい。かろうじて家の形を保った壁からすきま風が絶えず吹き込み、寝る前と変わらず煌々と火を焚き続けている。それでもこの毛皮がなければ、おそらく凍えていただろう。


 俺を揺り起こしたカーミラは、なにやらごそごそと荷物を整理しているらしい。念入りに床に並べた鞄の中身を数える彼女に、ためらいがちに声をかけた。


「...これを、掛けてくれたのだろう。かたじけない」


 俺の声に顔を上げた彼女は「ああ」と答えて笑い返す。


「いいさ。“獣”の皮に怯えないだけ上等だ」

「獣!?」


 慌てて見下ろしてみれば、確かに熊より一回りは大きな漆黒の毛皮。よくなめしてあるが、まさか“獣”の皮だったとは...。


「貴殿、あの獣を剥いだのか」


 姿を変えたとはいえ、元は人だ。

その毛皮を剥ぎ、あまつさえ毛布代わりにするとは...この女、情緒や倫理観はどうなっているのか。


「来る時に唯一の羊毛を喰われちまったから、お返しにね。これがなきゃあたしは凍死してた」


 からりと彼女はこともなげに笑う。

な、なんと豪胆な...。いや、理由が理由なら、そうなるか...?なにしろこの豪雪の中だ。生き延びるにはこれしかなかったのだろう。命を救われておきながら文句を言うのは無礼というものだ。


「...そうか」


 俺は言葉を飲んで、毛皮を畳む。

その様子にくすりと笑った彼女は火にかけていた鍋から何かを汲み上げ、木の杯をこちらによこした。


「生姜湯だ。身体あっためとけよ」


 受け取った杯の中身は白い湯気をもくもくと立てている。なんとも刺激的な嗅ぎ慣れぬ匂い。おそらく生姜なのだろう。

俺は杯をぐ、と煽った。


「あふうッ!?」


 口内に広がった猛烈な感覚。

俺は思わず杯を取り落としかける。


「〜〜〜ッッ」


 焦って口元を押さえ悶絶し、同時に瞳からじわっと何かが溢れた。


「何やってんだお前...。熱いに決まってんだろ」


 呆れ返った顔で寄った彼女が杯を受け取り、革袋から水を注いで俺に手渡す。


「ほら冷やせ。ったく世話が焼けるねえ」


 すぐさま受け取った冷水を口に含み、言い返すことも出来ぬまま俺はまた口元を押さえて震える。

しばらくして口内の感覚が落ち着き、ごくんと飲み込んで、はー...とようやくため息をついた。


「...湯が熱い事を失念していた...」

「ここまで来たらもはや赤ん坊だな」


 カーミラは呆れつつもくすくすと肩を震わせる。

俺は羞恥心に目を逸らしつつ、「面目無い...」となんとか言葉を返した。


「いいか?熱いものはふーふーしてから、すすって飲むの。こう、ほら」


 実際に目の前でやって見せながらもう一度杯を渡され、幼児扱いにますますむず痒くなりつつ受け取る。だが感覚を忘れていたのはこちらの落ち度。言われた通りに息を吹きかけ、ず、とこわごわ口を付けた。


 温かい。甘い。そして...


「か、からい...」


 ひりひりとした刺激が口の中を刺す。

永らく眠っていた味覚に、生姜の刺激が強すぎる...。

また口元を抑えうずくまる俺に、彼女はくすくす笑って腹を抑えた。


「ふっ、ふふ!ほんっとに赤ん坊みたいだな。...貸しな、薄めてやるから」

「......」


 あやすように柔らかく微笑まれ、もはや情けなくて返す言葉もない。

ぬるま湯で半分に薄められた生姜湯はようやく飲める刺激となり、少しずつ慣らしながら湯を口に入れた。



「ところで、あんたの主...デルフィシウスは倒されたんだよな?相手はどんな奴だった」


 カーミラは点検が終わったのか、並べていた荷物を革の鞄へ詰め込みながら尋ねる。

俺は生姜湯をちびちびと啜りつつ、言葉を返した。


「金獅子の鎧を纏った騎士だった。確か名は...」

「ライオネルか」

「なぜそれを」


 知っていたように名を言われ、俺は目を見開く。

カーミラは「やっぱりあいつか」と小さくため息混じりの笑みを溢した。


「先を越されたな。何度も生き返って驚いたろ」

「先...?何故あやつを知っている。貴殿は何者なのだ」


 訝しんだ目で見れば、彼女は鞄の蓋をパチンと留める。


「ちょっとした知り合いでね。ともなりゃあいつは街道かな...。こうしちゃいられない、移動しながら話そう。飲んで身支度しな」


 


 鎧を纏い兜を被って出てみれば、小屋の外には馬が繋がれていた。

 どっしりとして大きな赤毛の馬は主人であるカーミラにブルル、と鳴いて頬擦りをする。よしよし、と首元を撫でた彼女は馬に荷を括り付けると、ひらりと鞍へ乗り上げた。


「木箱に近づけてやるから、登って後ろに乗れ。落ちるなよ」


 言われるがまま乗り上げれば、視界がずいぶん高くなった。かつての愛馬を失ってから、乗馬などいつぶりであろうか。懐かしい感覚にいささか気分が高まるのを感じる。


「しっかり掴まっとけよ」


 いきなりそう言われ、俺は慌てて掴まれそうなところを探す。しかし持ち手もなければ、目の前にあるのは彼女の身体一つだけ。


「い、いや。どこに掴まれば」

「はあ?腰でも持っとけばいいだろ」

「なっ...!貴殿、慎みはないのか!?」


 いくらマントを羽織っているとはいえ、この細腰に手を触れろと!?若い女にしがみつき腰に腕を回すなど、騎士にあるまじき痴態...!!そもそも男女が密着するなどと、ほとんどまぐわいではないか!?

などとわなわなと慄いていれば、いきなり馬は走り出す。


「ま、待て!まだどこも...っ!」

「なにしてんだ落ちるよ!」


 焦った俺の手をぐっと握って引き寄せると、彼女は自分の腰へと回す。かあっと顔が火照るが文句を言っている暇もない、さもなくば振り落とされる...!


「〜〜〜ッ、...面目無い...!」


 結局彼女へしがみつく形となってしまい、羞恥と申し訳なさに耐えかねて俺はぐっと目を瞑った。

途端にじわりと伝わる布漉しの体温、引き締まっているのに柔らかな触感、髪からのぼる甘い香。

まるで吸い寄せられるように、勝手に感覚が集中してしまう。


 なんだこれは、胸が激しく脈打つというのに、頭が酷く朦朧とする...!?もしやこれが女の使う“誘惑”というものか...!?


 いや待て、俺はなんと罪深い事を考えているのだ。彼女は命の恩人だぞ。何も考えるな。そもそもこの数百年、俺はそうしてきたのだから。

 

 そうしてしばらく多大なる罪悪感に打ち震えながら、心の内でひたすら無念無想と唱え続ける。


 己が鎧と兜に身を包んでいて幸いだった。これがただの衣服であったなら、耐えられなかったかもしれない...。

 

 カーミラはそんな事を知ってか知らずか、振り向かぬままこちらに声をかけた。


「これからライオネルに会いに行く。あいつは馬がないから、おそらくまだこの国から出ていないだろう」


 馬を駆りながら俺の前でそう言う彼女は、あのライオネルとやらの事をよく知っているらしい。

いかにも高価そうな金の獅子鎧に身を包んだ、声からしておそらく中身は青年。貴族の令息にしては妙に飄々としていて、間の抜けた男だった。


「おかしなやつだったが...親しいのか」


 俺が尋ねると、カーミラはくつくつと笑う。


「んー、まあ、商売相手かな。あたしの狩った装備品を買い付けに来る変なやつさ」

「商売相手...」


 彼女が「変なやつ」というからには俺の彼奴への違和感は間違っていないのだろう。生き返ることはなおのこと、あやつ自身が妙に浮世離れした、この世の人間とは思えぬ雰囲気を纏っていた。


「あいつは神出鬼没でね。狙ったように目の前に現れる事もあれば、さっき会ったのにいくら探しても見つからないこともある。だから馬を飛ばしても会えるかどうかはわからない」


「ただ、あいつには“導き”とやらが見えているらしい。前回会った時、氷の次は風だと言っていた。おそらくこの方向で間違いないだろう」


 氷が我が君の事を指すならば、風の王国は我が国の東だったか。しばし吹き荒ぶ風に耐えつつ、俺は視界に流れる雪原をただ見つめた。



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