騎士、拾われる
我が君の亡き骸を中庭に埋葬し、俺は城を出る事にした。
久しぶりに玉座の間から訪れた城内には、わずかな生き残りは居たものの、永遠を生き続けた彼らはもはや完全に言葉に従うだけの傀儡同然となっていた。
そして主君なき今、永遠の命を失った俺もただの人間となった。
七君主の加護を受けない人間は、いずれ醜く凶暴な獣と化す運命だ。それがいつなのか、どんな姿になるのかまではわからない。
己が獣と成り果てて城を穢すくらいなら、放浪の後にどこかで野垂れ死んだほうがましだろう。
しかし、俺が我が君の側付きとして召し抱えられたのは、果たしていつの頃だっただろうか。
あまりにも遠い記憶。
成人している事は確かなはずだが、己の身体の年齢がどこで止まっているのかなど、もはや俺にはわからなかった。
何百年ぶりかに見る、外の景色。
雪に覆われた街は建物の姿だけを残し、そこかしこに黒くべたべたとした生き物が這いずり回っている。あれこそが人の慣れ果て、通称“獣”だ。
神は人の醜さを憂い、相応しい姿として黒い魔物の姿を与えた。それがべたついていようが、毛が生えていようが、翼があろうが、“黒く蠢く異形の姿”はみな人から転じた獣である。
俺もいつかはあれになるのだろう。
黒い獣に理性はない。分別もない。
ただ周囲の動くものを襲い、喰らうだけの獣である。
これらが蔓延るこの世に、はたしてまだまともな人間は居るのだろうか。
あの“何度死んでも生き返る騎士”ライオネルとやらは会話は通じるようだった。
しかしなぜ俺や我が君にあれほど執拗に挑んだのかその理由はわからず、狂人ではないかと考えれば定かではない。
あの男は何者か。何故生き返るのか。何が目的なのか。
浮かんだ疑問をただ考えつつ白い雪原を歩き続ける。
考えるという事、謎があるということは新鮮だ。
ひたすらに同じ場所でただ立ち続けてきたこの錆びついた頭が、少しずつ動き出す事に俺は楽しみを感じていた。
明るかった空が暗くなり、また明るくなり、暗くなる。それを何度か繰り返す。
どのくらい歩いたかわからない。
ふと、身体が重い事に気が付いた。
腹部が締め付けられるような、痛みでもなく言いようもない不快感。
頭が回らない。舌が乾く。まぶたが重い。
なんだ、俺は、どうなっている。
俺は耐えきれずその場に膝をついた。
その時、茂みの中から何者かの影が飛び出した。
「やっと止まったなこの野郎!その高そうな鎧よこしやがれ!」
突如振り下ろされた大鎌を俺はとっさに剣で受ける。
「なんだ!?やけに反応がいいじゃないか!アンデッドにもまともな奴がいたもんだ!」
嬉しそうな声を上げる女は、躊躇なく再び鎌を振り下ろす。
いかん、力が入らない。
俺の甲冑の隙間から、刃が手首を切り付ける。
バッと血が飛び散り、そして次の瞬間その血が燃え上がった。
「ぐ...っ!?」
切られた手首が灼けるように熱い。
いや、まさに灼けているのか。
「貴様、何を...」
俺がなんとか口を開けば女は目を見開いた。
「しゃべった!?しかも赤い血...まさか、お前...人間か!」
ざっと雪の上で滑るように距離を取った女は慌てて鎌を肩に担ぐ。
俺は力の入らない唇で、「そう...だ」と答えたが最後、視界がくらりと暗転した。
パチ...パチ...と火の粉の跳ねる音がする。
熱気...これは、焚き火...?
思い瞼をゆっくりと開ければ、薄目の隙間に赤く揺れる物が見えた。
兜があるはずの顔の周りが、すうすうとなにか心許ない...。しかし後頭部が温かく、柔らかい...。
懐かしいような不思議な感覚...。
瞬きをして、ぼやける視界がだんだんと焦点が合い始める。すると俺を見下ろす美しい女の顔があった。
深い翠緑の大きな瞳。それを縁取る長い睫毛。
燃えるように赤く豊かな髪は癖があるのか、毛先の全てが外に跳ねている。
どこか野生的なその美しさに俺は目を奪われた。
「おっ、起きたか。死んじまったかと思ったよ」
女は俺を見下ろして微笑む。
ぼんやりと見惚れていれば急に顎をガッと掴まれ、女の赤い唇が俺の唇に重ねられた。
目を見開いたその瞬間、口の中に何かを流し込まれる。
「っ!?むぐぐ!もがっ!!むぐううう!!!」
どろりとした食感、謎の甘み、息苦しさに俺は手足をバタつかせて声にならない悲鳴を上げる。しかし女は容赦なく俺の喉にその謎の半液体を流し込み、有無を言わされずごくんと飲み込んでしまう。
やっと女の唇が離され、俺はごほごほと咳き込んだ。
「な...何を...」
やっとのことでそう口を開けば、女はおかしそうに唇を手の甲で拭って笑った。
「何ってお前、麦粥だよ。衰弱死寸前のお前を勘違いで襲っちまった詫びだ」
む、麦粥...?衰弱死...?
「俺は、衰弱、しているのか...?」
思わずそう零すと、女は眉を顰めた。
「何言ってんだお前。頬は痩けてるし顔は真っ白いくせに目の下は真っ黒だぞ。誰が見ても死にかけだろうが」
「ふらふらと食事も休憩もなしに歩き回ってる上等な装備の鎧が居たからてっきり生ける鎧だと思ったのに。まさか生きた人間だとはね」
そうか...、人間には休息や食事が必要な事をすっかり忘れていた...。時折感じた身体の重みは疲労、舌の渇きは脱水、腹の違和感は...空腹か。
「人間とは...不便なものだな...」
「何言ってんだお前」
女は呆れたように俺を見下ろす。
しかし、何故こんなにも見ず知らずの俺に親切にするのだろうか。そしてこの女は一体、何者なのか。
「貴殿...名は...?」
俺が尋ねると女はため息をつく。
「騎士なら先に名乗るもんじゃないのかね。まあいい、あたしの名はカーミラ。“血酔の炎徒カーミラ”なんてあだ名されてる。闇の君主と炎の君主の恩寵持ちだ」
カーミラと名乗った女の言葉から古い記憶を思い出す。
ああ、そうか。我が君以外にも君主は存在したのだった。
火、氷、風、地、雷、闇、光の七君主だったか...。
政治が意味を為さなくなり外交も無くなった為に、俺は城外の全ての事を気にもかけなくなっていた。
「さすれば、貴殿は...永遠の守り人か。しかし、君主が二人とはいかに...」
「はあ?永遠は城付きにもたらされる“加護”だろ。あたしが賜ってんのは力を授かる“恩寵”。君主が二人っつうのはまあ...上手くやったのさ。とにかくあたしは獣の運命にある只人だよ」
彼女の言葉を働かぬ頭の中で反芻して、少しずつ思い出し理解する。そうか、そうだった。
俺もかつて只人であった頃、我が君にまみえて氷の恩寵を授かり、その力で武勲を上げて側付きとして永遠の加護を得たのだ。
「...すっかり、失念していた。500年余りで、脳も凍ってしまったか...」
俺がぼそりとこぼすと、彼女は手に持っていたスプーンを取り落とす。金属製のそれはコンと音を立てて俺の鼻の上に落ち、べちゃっと熱い麦粥が頬に飛んだ。
「あっつ!」
思わず声を上げるも彼女は目を見開いたまま俺を見下ろしている。
「500年...!?まさか、お前...元、加護持ちか...!?」
「...そうだ、ついひと頃に主君と加護を失った」
俺が震える手で頬の粥を拭おうとすると、カーミラは気付いたように布で乱暴に頬を拭った。
「やけに口調が古臭くて堅苦しい上に、世間知らずだと思ったら...お前、とんでもない爺さんだったのかよ!!」
とんでもない爺さん、という発言に俺は若干傷つくが、カーミラは納得するように目を瞑ってうんうんと頷いている。
「はあ〜...そういうことか、色々合点が入ったな...」
俺がむ、と口をつぐむと彼女はまじまじと俺を見る。
「しかも...よく見りゃあんた男前だな。兜を取ったら若い男で驚いたよ。...上等なその鎧に氷の紋章入りの外套、加護持ちで気が狂ってない、とくればさぞ名のある騎士だったんだろう。そろそろ名乗ってもいいんじゃないか」
俺は彼女の微笑みに少し怯みつつ、己がまだ名乗っていなかった事に気付く。
「...ヴァリウス。氷の君主の側付き、“氷候騎士ヴァリウス”と呼ばれていた」
俺がそう名乗れば、彼女は一際大きく目を見開いた。見開いた白目の内で、彼女の瞳の大きさが際立つ。
「...氷候騎士ヴァリウス...!?嘘だろ...、あたしは伝説を膝に寝かしてんのか...」
膝で寝かし...、膝...?
俺は重い頭を少し動かして目の端で状況を確認する。
左側に見える彼女の腹部、後頭部のやわらかな感触、頭上で彼女の顔半分の視界を遮っているのは実に豊かな、ふくらみ...
「!?」
途端に顔に熱が昇るのを感じ、俺は慌てて起きあがろうとする。すると勢い余ってぼいんっとそのふくらみにぶつかり、また膝に戻されてしまった。
「き、貴殿...!うら若き乙女がこのように破廉恥な...!」
焦って口を開けば、カーミラは口元に手を当てて勢いよく吹き出し大笑いする。
「ふふっ!あははは!」
「笑うでない!」
俺がもう一度起きあがろうとすると彼女は背を支え、ゆっくりとそれを手助けした。
ようやく身体を起こせる、そう思ったものの彼女の支えを失った身体はまた倒れてしまう。
「ダメそうだな。もうちょっとここで寝とけってこった」
「いや、しかし、なぜ膝で....」
俺は慌てるが、彼女はあははとまた笑う。
「咀嚼も出来そうにない奴には赤ん坊みたいに口で移してやるしかないだろう。膝にいてくれた方がやりやすいだけだ」
「ほら、口開きな」
彼女はそう言ってまたあの麦粥を口に含もうとする。
またあれをやられるのか!?
「待て、待て待て!できる、咀嚼できるから」
「本当かよ」
「話せていると言うことは、顎も動くと言うことだ」
俺の言葉に彼女は訝しげにこちらを見る。
「ゆっくり噛めば、問題ない。俺などに口付けるなどやめてくれ。罪の意識で身が縮む...あとあれは苦しい」
彼女の目を見てそう言えば、カーミラはまたおかしそうにふふふ、と笑った。
「あれを口付けの内に入れんなよ。おかしな奴だな。まあそこまで言うなら、スプーンで入れてやるからゆっくりお食べ」
まるで子供を諭すように俺の頭を撫でて彼女はスプーンを取り、麦粥をすくってふうふうと冷ます。
「ほら、あーん」
スプーンを差し出され、彼女に見つめられる。
...これはこれで、妙に面がゆい...。しかし、彼女の施しを無碍にするのも良くないだろう。
俺は口を開いてそれを受け入れた。
甘い...。どろどろしていて、酷く甘い。
そして、麦とはこんなに癖のある匂いだったか...。
味覚というものを久しく使っていなかったおかげか、与えられる情報がどれも強すぎる...。
なんとかごくりと喉の奥に送ると、妙な満足感があった。身体がそれを求めたような...。食事とはこのような感覚だったか...。
「この甘さはなんなのだ...」
俺が口を開くと、彼女は二杯目をすくって冷ましながら答える。
「蜂蜜だよ。優しい甘さで滋養にいいだろ」
「優しい...?」
「ほんのり甘くて美味いだろ?」
これで、ほんのり...。ではやはり、俺の舌が久方振りの味覚に過敏になっているのか...。
「ほら、あーん」
「その、子供扱いを...むぐ」
言いかけた言葉を遮るように押し込まれる。
俺が眉根に皺を寄せると彼女はふふ、とおかしそうに笑ってまたスプーンに息を吹きかけた。
...女とはこのような生き物だっただろうか。
俺の記憶の限りでは、このような女は見た事がない。もっと淑やかで口数も少なく、会話もやりづらかったような気がするが...。
「何見てんだよ?ほら口開け」
変わった女も、いるものだ...。
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