騎士、主君を失う
かつて八人の英雄が混沌の世を平定し
一人の男が神となった
神は七人の友に、地上と永遠の命を分け与え
彼ら君主はそれぞれの力を手に領土を治めた
その地の名は“賽の地”
時は流れ、民衆は与えられた平和の価値を忘れ去った
信仰は薄れ、争い、奪い合い、堕落してゆく人々
いよいよ神は民を見限り、呪詛を与えた
“獣を望む者達に相応しき姿を”
かくして、人は獣と化す運命となった
氷の君主が座す玉座の間。
淡く青い光を纏い聳える城の内部、最も高くに造られたこの円形の部屋は寒々しいほど広く静寂に満ちている。
水面のように透き通る床は継ぎ目がなく、部屋の中央には一つだけ玉座が置かれていた。
そこに座す氷の君主こそ、我が君。
“氷焉の君主ゼルフィシウス”
額の中央で分たれた長い髪は光を放つほどの白さを誇り、滝のように足元まで流れ落ちる。深い青色を湛えた切れ長の瞳は温度を感じさせず、視る者の心までも凍てつかせる様だ。
この城の王たる風格を纏いし我が君は、その巨大で壮麗な氷の槍を右の手で床に突き立て、座して動くことは無い。
神によりこの北の地ゼーレンデアを与えられ、永遠の命をもたらされた我が君にお仕えして、およそ500年。
俺はその間の全ての時を、この方の側付きの騎士として生きる事に捧げてきた。
「...ヴァリウスよ」
我が君の薄い唇が、部屋に低く声を響かせる。
「如何致しましたか、我が君」
俺は少々の緊張感を持ってお応えする。
我が君が自ら口を開かれるなど、いったい何十年振りの事だろうか。
永遠の時を生きる我らは食事も取らず、眠りもしない。
かつて人が人として死ぬ事が許されていた時代。
今や吹雪に覆われた城下は人々で賑わい、ゼーレンデア君主として執務に追われる我が君は、民に慕われる名君であられた。
我が君は尊い身でありながら従者にもお優しく、側付きの騎士である俺と言葉を交わす事も、笑みを向ける事も珍しくなかった。
しかし、人が獣と成り果てる呪詛が神よりもたらされたあの日から、100年、200年...と経つうちに、君主としての治世は意味を為さなくなり、我が君は言葉や感情を表す事も次第に無くなっていった。
そんな我が君が、言葉を発したのだ。
「この城に久方振りの客が訪れたようだ」
「雛鳥...、可笑しな命を宿している」
我が君は乾いた唇の端を上げる。
どことなく愉快そうなその姿に俺は言葉を失う。
ああ、この様な表情が...まだこの方に残されていたとは...。
「...来るぞ」
一層口元を綻ばせ、我が君が呟く。
そしてその瞬間、重い鋼鉄の扉が内に向けて開け放たれた。
「こんにちはーっ!氷の君主がいらっしゃるのってここで間違いないですかー!?」
予想外の緊張感のない掛け声に俺は呆気に取られる。
声の主と思わしき人間は黄金の獅子の鎧を纏い、いかにも騎士の出で立ちをしていた。
自らの声が反響する室内で言葉を返さぬこちらを見て、男は子供の様にきょとんと首を傾げる。
「...貴殿、何用だ」
鎧に似合わぬ青年らしき声に躊躇しつつも問いかけると、その男は申し訳なさそうに口を開いた。
「あっすみません、俺...氷の君主を倒しに来ました!従者さん、ちょっと横で見ててもらってもいいですか」
まるで引越しの挨拶にでも来たような口ぶりに理解が追いつかず一瞬固まるが、どうやら敵で間違いないようだ。
俺はすらりと腰の剣を抜き放つ。
すると獅子の男はあわあわと両手を顔の前で動かした。
「えっ、まって!俺は氷の君主と戦いたいだけなんですけど...!退いてもらえないって事ですかね...」
何を言っているのだこいつは。
「無論。家臣が主君を護らずして何とする。氷候騎士ヴァリウス、参る」
俺が答えて走り込むと、獅子の男も慌てて剣を抜く。
「まってまってまって!まだ祈祷してない...っ!」
こちらの剣を地面に叩きつけ、衝撃派が男を吹き飛ばす。すかさず氷魔法の矢をずらりと宙に並べ、一斉に放った瞬間、
———予想外にも、全てが男に命中した。
「なにそれえ!?初見殺しィ!!!」
男は謎の叫び声を上げ、絶命する。
サラサラサラ...と男の身体が光となって消えて行く様に俺は驚いて立ち尽くした。
「...あやつは、いったい...」
主君を振り向いてそう言いかけたその時、またもバン!!!と大きな音を立てて扉が開かれる。
慌てて視線を向ければ、なんと今そこで絶命した獅子の男がそこに居るではないか。
「あーびっくりした...瞬殺されちゃった」
びっくりしたのはこちらである。
確かにこいつは今目の前で殺したはず。
何故もう一度この場に現れるのだ。
「貴殿...何者だ...」
その不気味さに慄きながら声をかけると、獅子の男はこともなげに両手をひらりと上げて見せる。
「それが、俺もよくわかんないんですよね。でもまあとりあえず」
「対戦よろしくお願いします!」
いきなり走り込んで来る男に俺は再び剣を抜く。全く得体がわからないが、敵である事に変わり無い。
ならばもう一度殺すまでだ。
そしてまた同じく剣を叩きつけ、氷の矢を男に向けて打ち込んだ瞬間、
...男は先ほどと変わらず絶命した。
「いやむずいって...!」
と叫びを残し、サラサラと消えていく。
俺はその姿を目で追い、完全に消えるのを確認する。
今度こそ終わりか...。
と剣を腰に収め、ため息をついたその瞬間。
またもバン!!と扉が開かれる。
「いや開幕のそれやめてくれません?ローリングで避けるの無理ですよ!」
...な、なんなのだこいつは!?
俺がぞわりと何百年振りかの鳥肌を立てると、背後の我が君がくすりと微笑まれた。
...まあいい、我が君が喜ばれるのであれば何度でも戦うまで。
しかし、俺の予想を超えて獅子の男は何度倒しても現れた。その度に少しずつ男は強さを増し、戦闘に掛かる時間も徐々に長くなって行く。
「ぜぇ、はあ...さ、再戦お願いしまーす!!」
戦って、倒し、現れ。
また戦って、倒し、現れ。
...そして何十回目かの戦闘の後。
俺は遂に、男の前に片膝をついていた。
「...やっと、やっと倒した〜!!!氷候騎士ヴァリウス!!」
獅子鎧の男は嬉しそうにぴょんぴょんとその場で跳ねている。
...ふん、やっとか...。
負けたというのに、なんだろうか、この感覚は...。まるで愛弟子が修行の後に己をやっと超えたような、妙に胸の空く感情...。
そんな想いに浸っていれば、
我が君が頷き、ゆっくりと玉座を立ち上がる。
ぶわりとその場に冷たい風が巻き起こり、数多の氷魔法を後光のように背に纏う。勇ましく槍を構えたその悠然たるお姿こそ、我が君、我が主...!
「賽の地の理を外れし者よ」
「我が凍て付きし魂、奪って見せよ」
喜びと感動にこの身が震え、全身が粟立つ。
ああ、やっとこの日が...!!
我が君が王座より解放される日が訪れたのだ...!!!
「...いや、ゼルフィシウスつっよ...」
獅子の男はそう呟き、無様に地面に伸びながら消えていく。
俺が見る限りではもう30回は対戦しているだろうか...。倒されて膝をついたまま動けないまでも、流石にこいつの死に見飽きてしまう。
なぜその訳のわからない無駄撃ちローリングを辞めないのか。盾をタイミング良く使えない癖になぜ装備し続けているのか。攻撃回数を欲張りすぎてモロに相手の攻撃を喰らっている事にいつ気付くのか。
言いたい事は山ほどあるが、主君を倒そうとしている敵に掛けるべき言葉では無い。
「面白い...。実に面白いな」
我が君は心底愉快そうに笑う。
「次の一戦で俺はあやつに倒されるだろう。...ヴァリウス、まだ息はあるな」
「...は...」
何とか返事を絞り出すと、我が君は満足そうに微笑まれた。
「...永きの献身、ご苦労であった」
我が君...、と口を開きかけたその時、
バン!!!と何十回目かの扉が開かれる音がした。
「ゼルフィシウス!!今度こそ勝ーーーーつ!!!」
—————
「...実に、有意義な終焉であった...」
「貴様の名を、訊こう...」
我が君が胸に剣を突き立てられ、息も絶え絶えに問いかける。
「...ライオネル。おそらく、放浪騎士」
黄金の獅子鎧を纏った男は、静かに答えると剣を引き抜く。
「...ライオネル...、死に産まれる、雛よ...」
我が君は満足そうに微笑まれ、ゆっくりとその場に頽れた。
ああ...ようやく。
ようやく、解放の時が訪れた...。
主君が命を絶たれた今、俺の永遠の加護も失われた。死にかけのこの身も直に後を追うだろう。
身体の力が抜けていくのを感じる。
視界が狭まり、目の前が見えなくなる。
暗闇の中に導くような光の筋が差し込む...
我が君...今、俺も其方へ参ります...
「あっ、せっかくなんでついでに回復しときますね」
ぽわ...と全身に光が纏い、みるみるうちに傷が塞がる。
「え...?...は...?」
「いや、俺の目的はゼルフィシウスであなたではないので...。死にかけの人置いてくのなんか後味悪いですし」
「じゃあ、誓いの証も手に入れたんで俺は行きますね。お城めちゃくちゃにしちゃってすみません。ありがとうございました」
獅子鎧の男は、俺が驚いて固まっている間にぺこりとお辞儀をすると玉座の間を出て行ってしまう。
その場には微笑み倒れる主人の亡骸と、回復魔法の余韻の光を放つ俺だけが残される。
「...嘘...だろう...」
口から漏らされた言葉は、広い玉座の間に反響して静かに消えて行った。
どこかで見たようなハードモードでダークなオマージュ世界で、騎士ヴァリウスが放浪するお話です。続きが気になる!面白そう!と思っていただけた方はブクマと評価をお願いいたします〜!!