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3 侯爵家にて

 その後すぐにヒューゴに会いに行き、ローガンとのことを話したら兄はすんと鼻をすすり涙ぐんだ。


「良かった、良かったなぁ……デイジー」


 ヒューゴの涙に、デイジーの瞳にも涙が再度込み上げる。


「侯爵閣下、妹をどうかよろしくお願いします」

「ああ、大事にする。……それで、一つ提案があるのだが」


 真っ直ぐなローガンの瞳を、兄妹揃って見返した。


◇◇◇


 ローガンの提案とは、デイジーを侯爵家に住まわせることだった。


「お父上からの暴力から逃れさせる為にも、この方が良いだろう。名目上は、そうだな。侯爵夫人になる為の教育も兼ねているとでも言っておけば良いだろう」


 その提案に一も二もなく頷いたデイジーは、只今侯爵家で――神のように崇められる生活を送っている。


「坊ちゃんは人間不信で、使用人一同としても、いつお嬢さんを連れてくるかとヤキモキしていたのですよ」


 父を追い出した後使用人も一掃したらしく、デイジーに悪感情を向ける使用人はいない。

 むしろローガンの婚約者として愛でられる日々を送っている。

 単純にお嫁さん嬉しい、というのもあったのだろうが、理由はもう一つある。


 初めて侯爵家に行った日。ドレスを新しいのに着替えましょう、とデイジーの服が剥かれた時に()()は露呈した。


「デイジー様。お腹のその痣は……」


 父に蹴られ出来た痣。治りかけですっかり油断していた彼女は、指摘され思い出したのか慌てて腕で隠した。


「嫌なものを見せてしまって、ごめんなさい」

「いいえ、いいえ。謝ることなんてありませんわ。――ねえ、誰か軟膏を持ってきて頂戴! デイジー様、今日は締め付けのないドレスにいたしましょうね」


 怯えた目を向けるどころか、こちらを気遣うメイドたちにデイジーの心も解れる。

 この日。ふわふわのドレスを着せてもらいながらデイジーはメイドたちを大好きになり、またメイドたちにはデイジーを大切にしなければという使命感が芽生えた。

 ちなみにお腹の痣の報告を受けたローガンは持っていた硝子ペンを怒りで握りつぶした。




 侯爵家に来てから一週間。痣も綺麗に治ったデイジーは、侯爵夫人としての勉強も区切りをつけ今は本を読んでいた。

 目が疲れてきて栞を挟み、のんびりとソファに背を預けたデイジーに、メイドの一人が声を掛ける。 

 

「デイジー様。水菓子はいかがですか? 我が庭で育てられているオレンジが冷やしてあるのです」


 侯爵家の敷地は広く、お茶会などに使用する庭と果物などを栽培する庭と二つに分けられている。

 そこでとれたオレンジはつやつやと甘くきらめいていて、口に含めばジュワリと果汁が口いっぱいに広がった。


「あ、甘くてとっても美味しいわ」


 父の下では水菓子のように高価なモノを食べるなんて到底許されなかった。

 一口一口味わって食べるデイジーを、メイドたちが頬を緩めながら見守る。


「ふふ、今日のお夕食はオレンジソースを絡めて焼いた鶏肉だそうですよ」

「わあ……美味しそうね」


 涎が垂れそうになるのを必死に抑えるデイジーを、メイドたちは内心悶えながら見守っていた。



 ローガンとの取り決めで、夕食は一緒に摂ると約束しているデイジーは鏡を見て気合いを入れながら歩く。


「デイジー」

「ローガン様っ」


 ローガンはもう椅子に座っていて、自身の横に置いてある椅子を指差した。

 デイジーは母がいない為よく分からないが、夫婦はこうして隣で食べるものらしい。こんなに広いテーブルなのに、なんだか勿体ないと思っているのは内緒だ。


「今日のご飯は、鶏肉にオレンジソースを絡めたものらしいですよ。楽しみですね」

「そうか。……その様子だともうオレンジは食べたのか?」

「はい頂きました」

 

 美味しいご飯に舌鼓を打ちながらローガンと話す。日中はお仕事や勉強などお互い忙しくて会えず、だからこそ夕食の時間がデイジーにとってなによりも楽しみだった。


「そういえばデイジー。近々デイジーのお披露目も兼ねて夜会に行く」

「わ、分かりました」


 小さくムンと腹を括る。


「ドレスはもう作らせていて明日届く予定だから、着てみてくれ」

「はい、ありがとうございます」


 どんなドレスなのだろうか。思いを馳せながらご飯を食べ進めた。


◇◇◇


 届いたドレスは、ローガンの瞳と同じ深い藍色のドレスだった。かといって重くなり過ぎないよう白いフリルが丹念にあしらわれており、裾に縫われた金の刺繍も美しい。

 パフスリーブもふわりと膨らんでいて可愛いくて、ついつい鏡の前で回ってしまう。


「ローガン様、可愛いと思ってくれるかしら」


 ――せめて恥ずかしい婚約者だと思われないようにしないと。

 決意新たにムンと気合いを入れたデイジーは、その日から夜会に向けて頑張った。礼儀作法は勿論、話が尽きないようなネタもこしらえておかなければならない。その他にも美容に気を遣ったりダンスの練習をしたりと、忙しい日々を送った。


 当日は朝から準備して、髪を整えられた所でローガン様が現れた。


「いつも綺麗だが、今日は一層綺麗だな私のデイジーは」

「ありがとうございます。ローガン様も素敵です」


 普段は髪を下ろしているが、今日のローガンは初めて出会った日のように撫でつけてあった。

 服はデイジーと対になる藍色で、胸元に桃色の光を放つブローチが飾られている。


「そんな美しい君に、私から贈り物をしても良いだろうか?」

「もう沢山貰ってますのに……?」


 ローガンは軽く苦笑した。


「デイジーにはいくらあげても足りないんだ」


 そう言って、デイジーの後ろに立つ。ソワソワしながら待っていると、ネックレスがローガンの手によって付けられた。


「これは……」

「私の瞳の色の宝石だ」


 黄色の光を帯びた宝石は、見る角度によってきらめきを変える。

 息をするのも忘れ見入ってから、ローガンにお礼を告げた。


「ありがとうございます、ローガン様。とても嬉しいです」

「それは良かった。では行こうか」


 差し出された手に自身のを乗せ、デイジーたちは馬車に乗り込んだ。



 夜会に着いたデイジーたちに待っていたのは、怒涛の挨拶だ。

 貴族たちにデイジーを紹介しながら、当たり障りのない会話を繰り返す。


「大丈夫か、疲れていないだろうか」


 デイジーに果実水を渡したローガンの、労りの眼差しに微笑みを返す。


「全然平気です。体力だけは昔からあるんですよ〜」

「確かに、ダンスも筋が良いと褒められていたな」


 褒められ慣れていないデイジーは、ローガンから少し褒められるだけでとっても嬉しくなってしまう。

 えへへ、と照れを隠すように笑っていると、ローガンが手を差し伸べた。


「そんな素敵な君と踊る名誉を、私にくれないだろうか」


 躊躇うことなくデイジーは手を取った。


「踊りたい人なんて、ローガン様以外いません」

「良かった」


 腰を抱かれ、ホールの中央へと連れて行かれる。

 ゆったりとした音楽と共に、デイジーたちは踊りだした。腰に結ばれたリボンの端が動く度に波打ち、刺繍が施されたドレスの裾も花が綻ぶようにふわりと揺れる。


「とても楽しいですね。ローガン様はとても踊りやすいです」

「光栄だ。きっと私の体は、君と踊る為に誂えられたのだから」


 そう言ってローガンが目を細めた。鎖骨で揺れ輝きを放つ宝石よりも、とろりと蕩けた藍色の瞳に反射したシャンデリアの光の方が美しいとデイジーはふと思う。

 本当に美しいのは、ローガンの瞳なのだろう。


 思えば、ライリーの瞳を特別美しいと思うことはなかった。

 何故かと問えば、答えは明白で。きっとライリーがデイジーを見つめる眼差しに、なんの愛情も灯っていなかったからなのだろう。

 デイジーなりに、この婚約は上手くいっていると思っていた。しかしライリーからしたら、既に綻びを見せ始めていて、番は口実に過ぎなかったのかもしれない。


 ――ライリーを、ちゃんと愛していたのに。

 婚約解消の後、兄のヒューゴに何度も謝られた。人を見る目がなくてごめん、と。

 苦笑が漏れる。きっと人を見る目がないのはデイジーも同じだと。


「どうした、なにを笑っているんだデイジー」


 ローガンを見上げる。

 彼はずっとデイジーを愛してくれるのだろうか。

 もし満天の星々のように美しいこの瞳を向けられなくなったら、どうすれば良いのだろうか。


 ――今考えた所で、答えなんて出ない。


「いいえ、なんでもありません」


 そっと首を横に振ると、ローガンは訝しみながらも引いてくれた。


 曲が終わる。

 もう一曲踊ろうか、と話している二人に誰かが割り込んできた。


 ひゅっと喉が詰まる。


「――ライリー様」

「久しぶりだな、デイジー」


 デイジーの肩を無遠慮に掴むライリーの手を、ローガンがはたき落とした。


「彼女に婚約解消を突きつけた奴が、今更なんの用だ」

「――おい、どうしてあんなに慰謝料を支払わなければならないんだ!」


 ぼんやりとライリーの言葉を聞く。

 父は、自分の名声に傷が付いたと酷く怒っていて、多額の慰謝料を請求していた筈だ。


「そうですよぅ! あれは()()()()だから双方同意の筈じゃないんですか!?」


 ライリーの番も、彼の腕に掴まりながら甲高い声でデイジーを非難する。


 なにを言おうかと悩んでいると、先にローガンが口を開いた。


「責はそちらにあるのだから当然だろう」

「く、くそッ。おいデイジー、だったら俺ともう一度婚約を結べ! それなら、慰謝料も無しだろ!」

「――はい?」


 あんまりな言い分にあんぐりと口を開ける。

 ライリーは呆気に取られるデイジーとローガンの様子に気づかず、二人にビシリと指をさした。


「だが勘違いするなよ。俺が真に愛するのはお前じゃない! 番であるミアだけだ!」

「ライリー様、あったま良い! ……デイジー様。自分が愛されているなんて勘違いしちゃ駄目ですからねッ」


 今名前を知ったミアも、嬉々として賛同している。

 その恐ろしい提案に、デイジーは顔を引き攣らせた。


「無理に決まっていますでしょう? そもそも私は今、ローガン様と婚約を結んでいます」

「な……ッ」

「そういう訳だ。――おい衛兵。彼らを摘み出せ」


 信じられないと言いたげな顔をしたライリーとミアが衛兵に捕らえられる。

 押さえつけられながら、ライリーがデイジーを憎々しげに睨みつけた。


「もう新しい婚約者を見つけたのかッ、俺と婚約を結んでいる時から繋がってたんじゃないのか!? 見損なったぞ、デイジー!」


 心臓が痛くなった。

 背を丸めるが、ローガンに腰を抱かれ、デイジーは顔を上げた。


 婚約解消を告げられた日。言いたい言葉があった。

 デイジーはのんびりゆっくり生きているけど、ちゃんと考えて生きている。

 ――悪しきように扱われて痛まない心なんてない。ずっとずっと、デイジーは怒っていた。


「……私は、ライリー様が好きでした。ずっと、貴方だけを見ていました。一緒にしたいこと、行きたい所、沢山あったんです。――そんな私を振り払ったのはライリー様です。私が責められる謂れはありません。金輪際、私の前に現れないでください……!」


 ライリーがぽっかりと口を開けた。

 デイジーがちゃんとライリーを愛していたなんて、そんなこと、今初めて思い至ったというように。

 何処までもデイジーの気持ちは伝わっていなかったのだと、悲しくなった。


 ライリーが、声を震わせる。


「なあ、デイジー。俺たちミアが現れなかったら、今も上手くいっていた、かな」


 ――ミア()が、現れなかったら。

 デイジーの隣にいたのは、ライリーだっただろうか。


「……いいえ。番が現れなくても、きっとライリー様とは上手く行きませんでした。――だって私たち、言葉足らず過ぎましたもの」


 ライリーと、婚約を結んでから穏やかに過ごして来た。それは言葉を変えれば、波風を立てないよう暮らしてきたということ。

 結局は、同じ場所に行き着いただろう。


「さようなら」


 ズルズルと引きずられていくライリーに、デイジーは消えてしまいそうな声で別れを告げた。


「……大丈夫か?」

「ええ、元気いっぱいです」


 笑えば、ローガンも顔を緩めた。


「少し、お腹が空いてしまいました。軽食を取りに行きませんか」

「ああ、そうしよう」


 ローガン腰を抱かれたまま歩き出した。

 だがすぐに、ローガンが歩みを止める。


「――ローガン、様?」


 嫌な予感に、心臓が早鐘を打つ。

 服の裾を引っ張っても、彼の瞳はデイジーの方を見ない。

 こんなことは初めてではなかった。一度目は、ライリーが番を見つけた時。

 ブワリと汗が噴き出る。


 ローガンの視線の先には、愛らしい桃色の髪を持つ女性がいた。彼女もローガン同様その場に立ち止まり、こちらを見ている。

 否、デイジーなど彼女の目には映っていないだろう。彼女が見ているのは、一つだけ。


「……彼女は」


 そこでローガンは口を閉じてしまったけど、彼がなにを言おうとしていたのか、デイジーには痛い程分かってしまった。


 ――彼女は、私の番だ。


「帰ろう、デイジー」

「ですが……」

「良いからっ」


 初めてローガンが声を荒げ、デイジーはビクリと肩を震わせた。だが彼はそんなデイジーの様子にも気づかず、ただズンズンと進んでいく。

 焦るような瞳は前だけを見据えていて、こちらに向く気配はない。


「……ああ」


 星空が遠い。


 大股で歩く彼の背を必死に追いながら、そんなことを取り留めもなく思った。

 涙がすうと、頬を流れた気がした。

 

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