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2 婿探しの夜会にて

「すまない、デイジー……」

「謝らないで、お兄様。お兄様が庇ってくれるだけで私、とっても嬉しいの。本当よ?」


 そんな会話をしたのが一週間前。


 今日デイジーは、新たな婚約者を探す為に夜会に赴いていた。

 ヒューゴにエスコートされながら、デイジーは胸の前で手を握りしめる。

 誰も婚約者になってくれる人が見つからなかったら……、そう思うだけで喉が渇いた。

 不安そうに眉尻を下げる妹に、兄は努めて明るく声をかける。


「心配するな、デイジー。もし今日婚約者が見つからなかったら、父さんが隠居するまでの間俺がデイジーを隠す」

「そんなことしたら、お兄様が酷い目に遭うわ……。私、それは嫌よ」


 健気な言葉に、ヒューゴは胸を打たれた。

 本当に、どうしてライリーはデイジーに婚約解消を突きつけたのだろうかという沸々とした怒りで顔が歪む。


「大丈夫。デイジーが辛い思いをするくらいなら、兄様は全然平気なんだ」

「…………ありがとう」


 下がっていた口角を上げ、ヒューゴに礼を告げる。


 デイジーの瞳には、色濃く諦めの色が乗っていた。


◇◇◇


 会場はきらびやかで、男女問わず皆が思い思いに夜会を楽しんでいる。

 その中でこんなにも沈痛な面持ちをしているのは、デイジーたちだけだろう。


「……どうしましょう」

「お、俺の友人の所に行くか!」

「お兄様のご友人は、皆さん婚約者がいらっしゃいます……」


 略奪、絶対駄目。

 妹に間髪入れず断られた兄は、顔を俯かせた。


 ヒューゴの知り合いに、まだ婚約者がおらずデイジーと歳が近い者もいるにはいる。しかしヒューゴが選んだライリーが、可愛い妹を裏切ったのだ。

 もうヒューゴは、自分の人を見る目が信用できなくなっていた。


「デイジー、その、お近づきになりたいと思っている方がいたりしないか?」


 聞いておいて、いないだろうなとヒューゴはため息をついた。

 デイジーは真面目だ。それにライリーを大切に思っていた。そんな彼女が、他の男にうつつを抜かすとは考えづらい。


 謝ろうと妹を見ると、デイジーは顔を真っ赤に染め上げていた。


「いるのか!?」

「え、えっと、その、」


 かくかくしかじか。ローガンという男性に夜会で助けてもらったことを、デイジーは頬の火照りが収まらないまま話す。

 真剣な顔で話を聞いていたヒューゴは、妹の愛らしい姿に頬を緩めた。


「ローガン侯爵か……確か彼は、婚約者がいなかったな。今日の夜会にも訪れている筈だ。挨拶だけでも行ってみよう」

「い、良いのでしょうか。ただ一度助けてもらっただけで好きになりました、なんて」


 不安そうに顔を俯かせるデイジーに、ヒューゴは笑いかける。


「最初は皆そんなものだろう。大事なのは二回目からだと思うぞ」

「お兄様……」


 頬を緩めたデイジーがやる気になったのを感じ取り、二人でローガンに挨拶に行くことにした。



 目当ての人物は、すぐに見つけた。

 だが令嬢方に囲まれていて、とてもじゃないが挨拶できる雰囲気ではない。


「どうしようか」


 ポツリと呟くヒューゴの隣で、デイジーはムンと気合いを入れた。


「私、あの中に交ざってきます」

「人混みが苦手なデイジーが!?」 


 妹の成長に目に涙を浮かべ、ヒューゴはデイジーを見送った。

 ヒューゴに白いハンカチを振られながら、デイジーは令嬢方の群れに交ざりに行く。


 ――今は私が花弁で、ローガン様が花芯ですわね……。


 そうぼんやりと思いながら、人波に溺れるように前に進む。

 確かにローガンは、顔も良く侯爵家の当主なのだ。引く手数多じゃない方がおかしい。

 それに彼は、容姿と身分だけじゃない。あの日の夜会。寄る辺のなく立っていたデイジーに手を伸ばすような、優しい人で――


「おい、道を空けてくれ。迷惑だ」


 彼の周りには、雪が吹雪いていた。

 あれ、彼には兄弟がいただろうか。剥き出しの腕を擦りながら首を傾げていると、令嬢方を軽く睨みつけていたローガンの視線がデイジーと交わる。


「デイジー……?」


 頬を緩めた彼の視線の先にいるデイジーに、令嬢方から殺意が向けられ彼女の顔がヒクリと歪んだのは、しょうがないだろう。


◇◇◇


 今日も今日とて美しいローガンによって会場の外――庭園にまでデイジーは連れ出されていた。


「また会えるとは思っていなかったよ。久しぶり」

「お久しぶりです。その節はありがとうございました」

「いやいや、気にしないでくれ」


 穏やかな猫のように目を細めながらデイジーの話を聞いてくれるローガンに、胸がキュンと音を立てる。


「……それにしても、さっきとても怖い顔をしていらしたので驚きました」

「――ああ、あれか」


 ローガンが深いため息をついた。


「令嬢方から香る香水が、どうにも合わなくてな。邪険に扱う気はないのだが、少しばかりきつい……」

「なる程。そういうことだったのですね」


 確かに、令嬢は皆香水をつける。一つだけでも匂いが強いのに、ああも囲われたら色んな匂いが一緒くたになって余計に辛いのだろう。


「幻滅、したか?」


 ぼんやり考えていると、ローガンが心配そうな顔をしてデイジーを覗き込んだ。


「いいえ。人には得意不得意がありますから。それにですね、私も強い香水の香りは苦手なんです」


 父が香水を嫌った為か香水をそこまで嗜まないデイジーにとっても、令嬢方の香りは少しきつい。

 内緒話をするように小声で話すデイジーに、ローガンも顔を綻ばせた。


「そうか」

「はい。だから私は、あまり香水は使わないんですよ。なので、ローガン様が側にいても気持ち悪くならないと――」


 はたとデイジーは固まった。

 これではまるでプロポーズではないか、と。


「ごめんなさい! 全くそういう意味ではないんです」 

「……そうなのか? 残念だな」


 顔を真っ赤にさせ弁明するデイジーに、顎に手を当てながらローガンが意地悪く笑う。

 一歩、デイジーに体を近づけた。


「デイジー」

「な、なんでしょう」


 ローガンの肩よりも身長が低いデイジーは、ローガンの影にすっぽりと収まる。

 それに気を良くしたのか、一歩、また一歩とローガンが迫ってきた。


「ローガン、様……?」

「君が嫌でなければ、私と――」


 デイジーの背が木の幹に当たった。

 油断していたデイジーは、軽く頭を打つける。


 刹那、父に殴られたことによる鈍痛が響き、その場に蹲った。


「デイジーっ?」


 様子のおかしいデイジーの背を、ローガンが断りを入れてから触る。

 デイジーは浅く息を吐きながら、痛みを上手く逃がそうと四苦八苦していた。


「……頭が痛むのか?」


 デイジーが頷くのを見届けてから、ローガンはもう一つ質問をした。


「その痛みは、今打つけたせいか?」


 今度は横に振られる。


 辺りの空気が冷える。ローガンの瞳には、ありありと怒りが乗っていた。

 ようやく落ち着いてきたのか呼吸が穏やかになってきたデイジーから体を離し、ローガンが彼女を真剣な面持ちで見た。


「君に、なにがあったんだ。良ければ私に話して欲しい」

「……駄目です」


 眉根を寄せ、いつになく強情なデイジーにローガンも眉を顰めた。


「何故だ」

「話したら、ローガン様はきっと私と婚約を結ぼうとします。だって、ローガン様はとっても優しいから……」


 出会ってから日が浅いデイジーでも分かる。

 ローガンは本来情に厚い筈だ。そんな彼が、デイジーの話を聞いたらどうなるか。

 きっと同情して、婚約を結んでくれるかもしれない。でもそれは嫌だった。


 ――あの日、バラバラに壊れてしまいそうだったデイジーの心を拾い集めてくれたローガンに恋に落ちたから。好きな人に同情で付き合ってもらう程、悲しいことはなかった。


「だから、ごめんなさい。お兄様の下に帰りますね」


 スルリとその場を離れようとしたデイジーの白くて細い手を、ローガンが掴んだ。

 触れる手は優しくて、涙が込み上げる。もうこれ以上好きにさせないで、とデイジーの中にいる小さなデイジーが悲鳴に似た声を上げた。


「待ってくれ。デイジー、君の話を聞かせて欲しいんだ」

「……っ、だから、話をしたらローガン様は、」

「好都合だ」


 簡潔な言葉に、デイジーは顔を上げた。


「婚約解消を告げられた君に出会った日から、頭を離れないんだ」


 ゆっくりデイジーはその言葉の意味を咀嚼しようとする。ゆっくりゆっくり、間違わないように。


「……あの、どう考えても、私に気があるみたいな」

「ああ、私はデイジーに懸想している」


 サラリと返される。

 デイジーの顔が真っ赤に染まった。


「まず気になったのは、婚約解消された後君が笑ったからだ。普通なら泣き腫らすか偽りの表情を貼り付けるだろうに、デイジーは屈託もなく笑った。そこで思ったんだ。笑顔が可愛いな、と」

「ちょ、ちょっと単純過ぎませんか……?」


 唇を引き攣らせるデイジーに、


「始まりなんて皆そういうものだ」


 とこともなさげにそう返した。


「次に、会話を楽しいと思ったんだ。デイジーは言葉をゆっくり紡ぐ分、それら全てが温かくて心地よい」


『はあ……。デイジー、もう少し速く話してくれないか? 君に会わせていたら、日が暮れちゃうよ』


 ライリーの言葉と真反対のローガンの言葉に、透明な釘で真っ直ぐ胸を打たれたように息が止まる。


「あと見た目が好みだ」

「え、えぇ……?」


 自慢ではないが、デイジーは平凡だ。

 亜麻色の髪はふわふわと波打っていて、聞こえは良いが毎朝信じられない程にうねる。

 桃色の瞳は珍しいが、一重なせいで桃色の価値などないに等しいだろう。

 顔立ちだって、兄に「こちらまで穏やかになる」と評された生粋のぼんやり顔だ。兄は優しいからストレートに言わないが。


「私の見た目が好みだなんて、そんな嘘には騙されません」

「嘘ではない。柔らかそうな髪はついつい触りたくなるし、君の笑顔は見るだけでこちらも穏やかな気分になれる」

「こ、こんなぼんやり顔がですか?」

「そう自分を卑下しないで欲しい。デイジーの顔はぼんやりではなく希少なる癒やし顔だ。胸を張ってくれ」


 真っ赤になって口をパクパクさせるデイジーの手をローガンが取った。

 嬉しさで泣きそうになりながらデイジーは尋ねる。


「私、胸を張っても良いのですか?」

「ああ、是非そうしてくれ。素晴らしい癒やし顔だ。荒れ狂う海を支配する神ですら、君の前では頬が緩むだろう」

「そんなに……!」


 おかしくって笑いが止まらないままふと思った。

 この人に話したい。

 私の話を聞いて欲しい。


「――ローガン様。私の話、聞いてくださいますか? ……聞いたら最後、私と婚約を結ぶかもしれないという呪い付きですが」

「呪いではない、それは祝福だ。受けて立とう」


 父のことを、誰にも話すつもりはなかった。

 だからどう話したら良いのかもわからなくて、手探りで言葉を引き寄せる。

 

 父が厳しいこと。

 今日の夜会で新しい婚約者を見つけられなければ、後妻として嫁ぐこと。


 ローガンは真剣な顔で、時折相槌を打ちながらデイジーの話に耳を傾けた。


「――娘に暴力を振るうなど、あってはならない」


 話し終わって最初にローガンが発した言葉はそれだった。

 ローガンはコホンと咳払いをした。


「どうやら君の祝福は正しく作用したようだ。どうか私と、婚約を結んで欲しい」


 きゅ、と唇を噛み締める。

 好きという想いが次から次に溢れ出す。


「はい。不束者ですが、よろしくお願いします」


 ポロポロとデイジーの頬を涙が伝った。

 そっとローガンが抱き寄せる。


「服が……」

「濡れても良い。私が君を抱きしめたいんだ」


 その言葉に安心するようにローガンの胸に顔を寄せ、デイジーは嗚咽を漏らした。

 ローガンの体温が心地良くて、これが幸せなのだと目を閉じる。


 ――二ヶ月後にローガンの番が現れるとも知らずに、デイジーは微睡むように微笑んだ。

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