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1 デビュタントにて

お読みいただきありがとうございます。

「すまない、俺は番を見つけてしまったんだ! デイジー、君とは婚約解消させてくれ!」


 夜会に、高らかな声が響き渡る。人々はその声に引かれるように幸せそうな恋人たちに目をやって、番と出会えた彼らを祝福した。

 ――恋人の片割れの婚約者であったデイジーだけを置いてけぼりにして。


 デビュタントである今日の為に仕立てた、萌黄色のドレスを無意識に握りしめる。


「なんで、ですか……ライリー様」

「なんで? おいおいデイジー、のんびりしているのは君の長所だが今日ぐらいは勘弁してくれよ。分かるだろ? 番が見つかった今、君と婚約者でいる意味はないんだ」


 小馬鹿にしたように鼻で笑うライリーに、胸がチリチリと焦がされていく。


「……っだって」

「ごめんなさぁい、デイジー様」


 はっと顔を上げる。艶やかな顔つきのライリーにしなだれかかる美女が、値踏みするようにデイジーを見ていた。


「でも貴女だって祝福してくれますよね? だって、番が見つかることはとぉっても幸運なことなのですから」


 ――一生見つかるかも分からなくて、見つからなくても生きていける存在が、どうしてこんなにも幸福だと持て囃されるのだろう。


 溜め込んでいた息を全て吐けば、怒りも空気に溶けていってしまった。


 番。

 一人に一人ずついる、魂の片割れ。目と目が合った瞬間、天上の如き多幸感が押し寄せるらしい。


 ――デビュタントでライリーにエスコートされながら歩いていた時、不意にライリーがその場に縫い付けられたように立ち止まった。

 名前を呼んでも返事を返してくれず、彼の顔に手を伸ばしたら、その手を振り払われる。

 ライリーは顔を青くさせるデイジーを顧みることなく人の群れを突っ切るように進んでいき、番だという女性の手を取った。

 そこからはもうデイジーは脇役だった。ただの脇役じゃない。主役二人を引き立たせる為だけに踏みつけにされ蹴り飛ばされる脇役。


 番とはなんと恐ろしいのだろう。


「……分かりました。婚約解消を、受け入れます」


 弱々しく蚊の鳴くような声で応じれば、二人は感極まって抱きしめ合った。人々も二人を中心として集まる。

 薔薇のようだと思った。花芯を、柔らかな花弁で包み上げている。

 では呆然と突っ立っているデイジーは虫なのだろうか。幸せを害そうとした、卑しい害虫なのだろうか。


「――大丈夫か?」


 物思いにふけっていると、目の前にハンカチを差し出された。

 軽く会釈をしながら受け取れば、ハンカチを差し出してくれた男性はデイジーを、優しい瞳に映していた。

 こちらを労る表情に、鼻がツンと痛くなる。


 男性はとても美しかった。

 シャンデリアの光を纏った金髪は、前髪は撫でつけてあり形の良い額が露わになっている。

 瞳は夜の闇を煮詰めて透かした、深い藍色でぼんやりとデイジーはしばしば見つめてしまった。


 デイジーが花の周りに群がる害虫ならば、あの薔薇に交じりに行かない彼もまた害虫なのだろうか。

 ハンカチを握りしめ、デイジーの口から笑いが漏れた。


「こんな綺麗な害虫がいたら面白い……」


 ふふっ、とさっきまで暗い顔をしていたデイジーが軽やかに笑う様を見て、男性は瞳を瞬かせてから安心したように目元を緩ませた。


「思っていたよりも元気そうで良かった。だが、この場に残るのは貴女にとっても酷だろう。今日はもう、帰った方が良い」


 男性の親切に微笑みながら、デイジーは眉を下げた。


「是非ともそうしたい所なのですが、生憎夜会までの馬車は彼の家のモノなんです……」


 勝手に乗って帰って良いのだろうか、と頭を悩ませるデイジーに、男性が手を差し出した。


「それなら、私が貴女を送ろう」

「良いのですか?」

「ああ。私も、この夜会の空気に耐えかねていた所なんだ」


 その言葉と共に、険のある視線をライリーたちの方に向ける。

 それに、と置いてから冷たい表情から一転柔らかい表情を彼はデイジーに向けた。


「貴女がさっき笑っていた理由を、聞いてみたいのだ」


 目をパチパチさせてから、デイジーは右手をそっと男性の手に乗せた。


「私はリタリデット伯爵家のデイジーです。よろしくお願いします」

「私はミュリゼン侯爵家のローガンだ。こちらこそ、よろしく頼む」


◇◇◇


「ははっ、なる程、害虫か」

「い、いえ害虫なのは私だけです。ローガン様は益虫ですわ」

「虫なのは変わらないんだな……」


 また選択を間違えてしまったかとデイジーは慌てるが、ローガンが楽しそうに笑うからホッと胸を撫で下ろした。


 馬車の中。

 デイジーの話を聞き終わったローガンはまだ楽しそうに笑っている。

 もっと緊張するかもと身構えていただけに拍子抜けしてしまった。


 揺れるローガンの肩を眺めていたデイジーは、ふと彼に話しかけた。


「ローガン様は、番が要らないのですか?」

「ん? 何故そう思うんだ」

「ライリー様たちに、親の仇を見るような目を向けていたので」


 口元に手を当てたローガンは、さっきまでの笑顔は鳴りを潜めている。

 地雷を踏んでしまったかと今更ながら身構えていると、ローガンは窓の外を見た。


「……ああ、そうだな。私は番というモノをよく思っていない」


 ひたと真剣な眼差しがデイジーを射抜く。


「私の家は、政略結婚としては珍しく夫婦仲が良かった。私も父と母が大好きだったよ」


 ()()()

 過去形で語られる思い出に、心臓がドクリと嫌な音を立てる。


「だがある日、父は番を見つけてしまったんだ。そして母の許可なく、番を本邸に住まわせた」


 ――母は日に日に弱っていった。

 番は母に虐められていると嘘をでっち上げ、父は番の言葉を疑うことなく母を糾弾した。

 使用人たちは父に非難の声を上げたが、まもなくして全員クビにされた。

 新しくやって来たのは番に夢見る年若い使用人たちで、彼らの夢物語にとって邪魔な存在である母は余計に孤立し、どんどん衰弱していった。


「冬の、寒い日だった。目を覚ましたのは、雪の寒さのせいだと思う。……母を探しに行った。とても寒がりな人だったから、きっと震えているだろうと。だけど部屋に母の姿はなかった」


 デイジーの背中を、冷たいモノが伝った。

 ローガンの唇が、淀みなく滑らかに言葉を紡ぐ。


「窓から飛び降りて、自殺していた。雪に埋もれていて、私が行った時には既に冷たくなっていたよ」


 ローガンが軽く目を閉じる。次に開けた時には、薄氷が張ったような冷たい瞳は飛散していた。


「だから、私は番を憎んでいる。私は今二十三歳なのだが、この年になってようやく爵位を継ぎ、父とその番を隠居させることが出来た。今はただ、清々しいよ」


 清々しい。

 そう言葉を重ねるローガンは、とても寂しそうな瞳をしていた。

 

 けれどデイジーにはどんな励ましの台詞も思い当たらない。

 口をつぐんで揺れる馬車に身を委ねることしか出来なかった。



「門の前までで大丈夫です」

「そうか?」


 デイジーを屋敷までエスコートしようとしたローガンに断りを入れ、門の前でデイジーは深く会釈をした。


「今日は本当にありがとうございました」

「よしてくれ。そこまでされるようなことを、私はしていない」

「いいえ。ローガン様がいなければ、私はなにをしたら良いのかも分からず、夜会の隅でずっと立っていたことでしょう。ローガン様は、私を救ってくれたのです」


 僅かに頬を赤くしたローガンは、デイジーの顔を上げさせた。


「それなら良かった」

「はい」


 屋敷に入るまで見届ける、そう言って頑として動かないローガンに見守られながら、デイジーは屋敷の中に入った。


「帰ったか」


 屋敷の扉をくぐれば、デイジーの父が立っていた。

 デイジーは顔を暗くさせ頭を下げる。 

 

 彼女の亜麻色の髪に、父が持っていた硬い木の杖が打つけられた。

 声を上げればもっと叩かれることを知っているデイジーは唇を噛み締め、この時間が早く終わることを願った。

 使用人たちは顔を青くさせるが、当主である父に逆らえる筈もない。


 打ち据えられる痛みに耐えていると、ようやく父は殴る手を止めた。

 代わりに罵倒を浴びさせられる。


「この役立たずが! 婚約解消などされおって、しっかり繋ぎ止めておけと言っただろう!」

「申し訳ありません。申し訳ありませんお父様……」

「役立たずが儂を父と呼ぶなッ」


 デイジーは低い男性の声が嫌いだ。父の声に似ていて、腹の方からゾワリとしたモノが込み上げてくる。

 今日親切にしてくれたローガンは、そういえば綺麗な声だったなと思った。

 声自体は低いのだが、優しく柔らかい声はもっと聞いていたくなるような声だった。


「なに違うこと考えているんだッ」

「……! きゃっ」


 思い切り頬を張られた。

 床に転がるデイジーの腹を、父は硬い革製の靴で蹴り上げる。

 デイジーのうめき声がホールに小さく響いた。


「――父さん、なにやっているんだ!」


 そこでデイジーの兄であるヒューゴが帰ってきた。王太子付きである彼は、今王城から帰ってきたのだろう。

 ぐったりとしたデイジーを抱き寄せ、父を射抜く。


「ふん、こいつが役立たずなのが悪い。番が現れたからと、あの若造に婚約を解消されおった」

「……っ、そんなの、デイジーはなにも悪くないじゃないか!」


 痛むであろう腹を押さえ脂汗をかくデイジーを痛ましそうに見つめてから、ヒューゴは父と口論を続ける。


「そいつはもう用済みだ。リカルドレッド侯爵が確か後妻を望んでいた。丁度いい。こいつに嫁がせよう」

「なんて酷いことを……っ」


 デイジーと同じ亜麻色の髪を持つ彼は、母が亡くなってから押さえを失くした父からデイジーを、ずっと守り続けてくれた。

 デイジーとライリーの婚約を結ばせたのもヒューゴだ。

 だからこそ今、ヒューゴは強い自責の念に駆られていた。


 幼い時から桃色の瞳を緩ませ「お兄様」と懐いてくるデイジー。

 彼は妹の幸せだけを祈っている。それでライリーに託したのに、彼はデイジーを手酷く裏切った。


 無力さに唇を噛み締め、ヒューゴは怒鳴った。


「次の夜会で、リカルドレッド侯爵よりも良い嫁ぎ先を見つけます! それなら良いでしょう!?」


 父は杖で床をコツコツと叩きながら、ヒューゴを見据える。


「ふん。一度だけだぞ」


 そう言って去っていった。


 デイジーの治療をする為に、メイドに医者を呼びに行かせながら、ヒューゴは濡れたタオルでデイジーの汗を拭う。


 歪んだ顔には焦燥感が募っていた。

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― 新着の感想 ―
お兄様がいてよかったー。突然の虐待にどうなるのかとおもったよ。
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