Chapter1 【覚悟】 1-3
「...さて、改めて話すとしようか。」
霧島雷人は珈琲を一口飲み、鈴本凛の言葉に耳を傾ける。
「まずは...そうだな..。お前は悪魔化の起源について知っているか?」
「悪魔化の起源?」
雷人の言葉に凛は頷くと、彼女は静かに語り始めた。
「今から15年前、初めて悪魔化現象が生じた人物がいる。」
「...誰だ?」
「鈴本幸太郎..私と真優の父だ。」
「.....!?」
その言葉に、雷人は思わず息をのんだ。
「彼こそ悪魔化を果たした原初の人間だ。その異名は..【先駆けの悪魔】だった。」
「【先駆けの悪魔】...随分と安直な名前だな..。」
「世間などそんなものさ。それに、初めて【悪魔化】という現象が発生したとき、世間は大荒れした。」
凛は遠くを見るように窓の外を眺める。その目は、どこか呆れとも、怒りとも取れる様子を見せていた。
「そして..血筋というものは恐ろしいものだ。」
凛はそう前置きをすると、言葉を続けた。
「今から12年前..私もまた、父の血を継ぐ者として、悪魔の力を得た。」
「凛さんは..その..暴走とかしなかったのか?」
雷人は恐る恐る気になったことについて質問した。昔、テレビで突如悪魔化が発現し、暴走するニュースを見たことがあった。
「暴走か..。私はそのような事は起こらなかったな。」
「つまり、最初から力が使えたってことか?」
「...適性が高かったのだろうな。」
凛は淡々と雷人の質問に答える。
「私が発現したのは中学一年生の頃だったが、悪魔の力が宿った瞬間、自分の力を理解し、すぐに使いこなせる事が出来た。」
「どんな能力だったんだ?」
「私の能力は【物力強化】..そう呼ばれている。」
雷人は少し考え込む。
「【物力強化】..?」
「物体に自身の力を流し込むことによって、その物の威力を飛躍的に上げることが出来る能力だ。例えば..」
凜はテーブルの上のスプーンを指でつまみ、軽く力を込めた。
次の瞬間——
「……ッ!」
スプーンの表面がわずかに歪み、まるで生き物のように振動する。そして、凜がスプーンを軽く机に押し付けると——
バキッ!
テーブルにヒビが入った。
雷人は思わず口を開ける。
「……いや、普通スプーンでそんなことできねぇだろ。」
「これが私の力だ。」
凜はスプーンを戻し、何事もなかったように話を続ける。
「物力強化は、一見地味に思えるかもしれないが、応用次第であらゆるものを武器にできる。剣や銃を持てば、その威力は桁違いになる。」
雷人は唾を飲み込みながらも、ふと疑問を抱いた。
「……ちょっと待て。」
「何だ?」
「悪魔に宿る特殊能力は、一人につき一つだけだろ?」
「……そうだな。」
「なら、さっきの空間はなんだったんだ? あれって、能力の範疇超えてないか?」
雷人が真剣な顔でツッコむと、凜は静かに微笑んだ。
「よく気づいたな。」
彼女はカップを持ち上げ、静かに話し始める。
「力を極めた者のみが辿り着く境地がある。」
「境地?」
「悪魔化を果たした人間の中でも、特に上位の実力者のみが生み出せる、自分だけの“空間”——それが、先ほどの炎渦巻く空間だ。」
雷人は、先ほどの異様な光景を思い出す。燃え盛る炎の世界、そして凜が放った圧倒的な威圧感——。
「……あの空間は、あんたが作り出したものなのか?」
「ああ。」
凜はカップを置き、指を組んで雷人を見据える。
「あれは能力とは違う。悪魔化の力を極限まで高めた者にのみ与えられる力だ。私はこの力を手にし、独自の“空間”を作り上げた。」
雷人は改めて、目の前の女性が只者ではないことを痛感する。
「……なるほどな。そりゃすげぇわ。」
「当然だ。」
凜は余裕の表情を浮かべると、再び窓の外を見つめた。
「……さて、ここまでは前置きだ。」
雷人はゴクリと唾を飲む。
「いよいよ、話してくれるんだな?」
凜は目を閉じ、静かに頷いた。
「先ほど述べたように、12年前、私自身にも力が発現したが、すぐに使いこなす事が出来た。ここまでなら良かったんだ。発現したのが私だけなら..。」
凛はそう告げると、苦悶の表情を浮かべ、軽く頭を抱える。
「そう...私だけならな...。」
「!?それって..まさか...」
「.....今から11年前..真優に...力が発現した...。」
雷人は凜の言葉を聞くと、目を見開いた。
「……真優が、11年前に悪魔化……?」
雷人は信じられないような表情で呟く。
凛は落ち着きを取り戻そうと一呼吸置き、語り始める。
「真優は公園で、いつものように友人たちと遊んでいた。その時だった。」
「……!」
「彼女は突然、悪魔の力を発現させてしまった。...しかも、タチの悪いことに、それが友人たちの目の前だったんだ。」
雷人はごくりと唾を飲む。
「……そんなの、最悪じゃねぇか。」
「そうだ。しかも——」
凜の目が険しくなる。
「一般的に認知されている通り、悪魔の力は発現した直後は制御ができない。私のようなケースは極まれで、ほとんどの者は暴走状態に陥る。」
「……つまり、真優も?」
凜は静かに頷いた。
「……あぁ。」
雷人の拳が、ぎゅっと握られる。
「……で、暴走した真優はどうなった?」
「彼女は……周りの友達を傷つけてしまった。」
雷人の心臓が、ぎゅっと締め付けられる感覚がした。
「……!」
「もちろん、故意ではない。だが、力を持たない普通の子供たちにとって、それは恐怖そのものだった。」
雷人は苦しそうに俯く。
「……そりゃ、そうだよな。」
自分だって、もし突然友人の体から角が生え、制御不能な力が暴れ出したら……怖がるのは当然だ。
だが——。
凛は雷人の目を真っすぐに見つめ、言葉を続けた。
「……だが、真優にとって一番辛かったのは、子供たちの親に責められたことでも、悪魔の力を得てしまったことでもなかった。」
雷人は無意識のうちに拳を握りしめた。
「……じゃあ、何なんだよ。」
「彼女は——周りの友達に、一人残らず見放されたんだ。」
雷人の呼吸が止まった。
「……。」
「それまで一緒に笑い合い、遊んでいた子たちは、もう二度と真優に近づこうとしなかった。彼女を恐れ、避け、疎ましく思うようになった。」
雷人の頭の中に、真優の姿が思い浮かぶ。
——真面目で、優しくて、気遣いができる女の子。
「……そんなの、ひでぇよ。」
「子供たちに悪意はなかった。ただ、怖かっただけだ...彼女が悪魔になったことがな。」
凜は淡々と言葉を続けるが、その声にはわずかな悲しみが滲んでいた。
「……真優は、それでも諦めきれなかった。」
「……?」
「彼女は毎日、昔みんなと遊んでいた公園に足を運んだ。」
雷人は息を呑む。
「誰かがまた遊んでくれるかもしれない——そんな淡い期待を抱いていた。」
「……。」
「でも、誰も来なかった。来たとしても、かつての友人たちは彼女を煙たがり、怖がった。」
雷人の胸が締め付けられる。
「それでも彼女は、待ち続けた。だが、結局——」
「……。」
「...一度も、誰も戻ってこなかった。」
雷人は拳を握りしめたまま、何も言えなかった。
「彼女は毎日、泣きながら帰った。」
凜の言葉が、胸に鋭く突き刺さる。
「……。」
「それが、真優の過去だ。」
雷人は、ただ拳を震わせながら、奥歯を噛みしめた。
「...だが、彼女には一つだけ救いがあった。」
「……救い?」
凜は微かに目を細め、静かに言った。
「——それはお前だ。霧島雷人。」
雷人の目が見開かれる。
「俺が……?」
「お前は、孤独に苦しんでいた真優のそばにいてくれた。見放され、誰にも受け入れられなくなった彼女に、お前だけは寄り添ったんだ。」
雷人は目を伏せ、幼い頃の記憶を思い出す。
確かに——あの頃、公園でぽつんと座っている真優を何度も見かけた。
「……そういえば、ずっと泣きそうな顔してたよな。」
あの頃の真優は、今とは比べ物にならないくらい寂しそうで、暗かった。
「お前は、彼女を誘って遊んだ。何度も、何度も。」
雷人は自然と微笑む。
「……そんなの、当然だろ。」
「当然?」
凜が問い返す。
雷人は肩をすくめ、少し照れくさそうに言った。
「だって、一人で泣いてる女の子がいたら放っとけねぇだろ? それが真優なら、なおさらだ。」
凜はしばし沈黙した後、ふっと微笑んだ。
「——その『当然』が、彼女を救ったんだよ。」
雷人は、何も言えずに凜を見つめる。
「お前のおかげで、真優は少しずつ笑顔を取り戻した。完全に元通りとはいかない。だが、昔ほどではないにしろ、彼女は笑えるようになったんだ。」
雷人は、真優の笑顔を思い浮かべる。
——そうか、あの笑顔の裏には、そんな過去があったのか。
「……そっか。」
雷人は小さく呟き、拳を軽く握りしめた。
「なら、これからも俺が支えるさ。」
「……お前は、本当に変わらないな。」
凜は呆れたように笑ったが、その目にはどこか安心した色が宿っていた。
「こうやって話をして良かった..。お前は紛れもなく、真優の恩人だ。」
だが、凛は途端に表情を暗くする。
「...しかし、話はこれで終わらない。」
「まだ何かあるのか?」
「十年前..父が突然失踪した。」
雷人は、凜の言葉に驚きながらも、真剣な眼差しで彼女を見つめていた。
「……失踪、か。」
「そうだ。」
凜は静かに頷いた。
「十年前、父が突然姿を消した。それに続いて、母もいなくなった。私たち姉妹は、数日にして両親を失ったんだ。」
雷人は、言葉を失った。
「母は、優しく、聡明で……何より、芯の強い女性だった。父に力が発現し、世間が彼を非難しても、母だけは変わらず彼を愛し続けた。」
凜の声には、母への深い尊敬が滲んでいた。
「母はまさしく私の憧れ……そんな母が、消える前に私に言ったんだ。」
雷人は息をのむ。
「『真優をよろしくね』と。」
凜の手が、そっと握りしめられる。
「その言葉が、私の全てになった。だから私は、真優を生涯守ると決めたんだ。」
雷人は、しばらく黙っていた。そして、真っ直ぐ凜を見つめる。
「……真優を守るのは、凜さんだけじゃない。」
凜の目がわずかに見開かれる。
「俺もいる。ずっと昔から、俺も真優のそばにいた。これからも、ずっといる。」
雷人の言葉は、強く、迷いがなかった。
「真優が泣いてたら、俺がそばにいる。笑ってたら、一緒に笑う。どんな時でも、俺はあいつの親友であり続ける。」
凜は、目を伏せ、そして——ゆっくりと微笑んだ。
「……ふふ。お前には敵わないな。」
彼女は小さく息を吐き、柔らかい笑みを浮かべる。
「ありがとう、霧島雷人。お前が真優の友達になってくれて、本当に感謝する。」
雷人は少し照れくさそうに笑った。
「そんなの、改めて言われることじゃないっすよ。」
「……そうか。」
凜は再び雷人を見つめ、その瞳には、深い信頼の色が宿っていた。
雷人は腕を組み、少し考え込んだ。
「...凛さんが説明した通りなら、真優はずっと自分の力を抑え込んできたってことか?」
「ああ。」
凜はゆっくり頷く。
「最初に暴走した時の記憶が、彼女にとっては大きな傷になったのだろう。あれ以来、真優は自分が悪魔化しないよう、常に気を張って生きてきた。」
雷人は、真優の普段の姿を思い返した。優しくて、控えめで、周りに気を遣ってばかりの幼なじみ。そんな彼女が、裏でずっとこんな重荷を背負っていたのかと思うと、胸が締めつけられる。
「でもさ、力を抑え込んでるだけじゃ、いざって時に何もできねぇんじゃねえか?」
雷人の指摘に、凜は静かに目を細めた。
「……その通りだ。力をただ封じ込めるだけでは、いずれ限界が来る。それこそ、真優の精神が崩れた時、また暴走する可能性すらある。」
雷人の表情が険しくなる。
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ。」
「……可能性の一つとして考えられるのは、彼女自身が『力を使う目的』を見つけることだ。」
「目的……?」
「私の場合は『真優を守る』という信念があったからこそ、力を制御できるようになったのかもしれない。真優も、自分が何のためにこの力を使うのか、その答えを見つけることができれば——」
雷人は、その言葉を聞いて真剣に考えた。
「——そうか。真優自身が、自分の力をどう使いたいか、はっきり決めなきゃいけねぇんだな。」
「そういうことだ。だが……」
凜は少し目を伏せる。
「彼女が力を使う決意をするには、今まで封じ込めてきた恐怖と向き合わねばならない。それが、どれほどの苦しみを伴うか……。」
雷人は強く拳を握った。
「……だったら、俺が支える。真優がその答えを見つけるまで、俺がそばにいて、何度でも背中を押してやる。」
雷人の決意に、凜は少し驚いたように彼を見つめた。そして、ふっと微笑んだ。
「……お前が真優のそばにいてくれて、本当に良かったよ。」
「当たり前だろ、相棒だからな。」
雷人はそう言って笑った。
雷人と凜の間に漂っていた緊張は次第に和らぎ、部屋には穏やかな空気が流れていた。凜はコーヒーを一口飲みながら、ふっと微笑む。
「……雷人、お前は本当に面白い男だな。」
「は? なんだよ急に。」
「いや、お前みたいに真っ直ぐな人間が、真優のそばにいてくれることが嬉しくてな。」
凜の言葉に、雷人は少し照れくさそうに鼻をこする。
「アイツは俺の大事な幼なじみだからな。当たり前だろ。」
「……そうか。」
突然の出来事により、【非日常】へと巻き込まれる霧島雷人。だが、その実態は、妹を想う一人の優しい姉が起こした出来事だった。親友の過去を知り、これからも守っていこうという気持ちがより一層芽生える。
こうして、雷人は日常に戻って——
「大変です!」
突如、使用人の鈴本奏が慌てた様子でリビングに駆け込んできた。
「奏?どうした?」
凜はすぐに表情を引き締める。
「真優お嬢様のGPSの位置が、通学路の途中で止まったままなんです!」
「……何?」
雷人と凛の顔色が変わる。
「どのくらいの時間だ?」
「すでに20分以上、まったく動いていません。」
「カフェとか、どこかの店に入ってるんじゃないのか?」
凜が冷静に尋ねるが、奏は首を横に振った。
「いえ……場所は一本道の途中です。それに、周りに店や建物はほとんどありません。」
雷人の胸に、不安がよぎる。
(真優がそんなところで20分も立ち止まるなんて……おかしい。)
雷人はすぐに立ち上がった。
「俺、ちょっと行ってくる!」
「待て、私も行く。」
凜もすぐに腰を上げ、コートを羽織る。
雷人の脳裏に、いつも控えめに笑っている真優の姿が浮かんだ。
(大丈夫だよな、真優……!)
不安を振り払うように、雷人は勢いよくドアを開ける。
Chapter1 【覚悟】 閉幕
ライムギです!最近暑くなってきたなと思えば寒くなったりと、色々騒がしい季節ですね...風邪を引かないよう気をつけましょう!!