Chapter1 【覚悟】 1-2
霧島雷人は警察官によってパトカーに乗せられ、どこかへと連行されている。事態を飲み込めずぼんやりと窓の外の景色を眺めていると、見慣れない住宅街が見える。
(なんだってんだよ、マジで...)
そうこうしているうちに、パトカーは高級住宅街の奥にそびえ立つタワーマンションの前へと到着した。
「着いたぞ。降りるんだ。」
警官に促され、雷人は車から降り、エントランスへと案内される。そこで彼らを待っていたのは、一人の少女だった。
「...お待ちしておりました。」
彼女は緑色の髪をしており、メイドを彷彿とさせる黒い制服に身を包んでいる。年は大学生ぐらいだろうか。穏やかながらもどこか冷静な雰囲気を持ち、警察官から雷人を受け取ると、軽く会釈をした。
「確かにお引き取りしました。ご苦労様です。」
「いえ、あのお方のお役に立てて何よりです。」
警官はそう言うと、パトカーに乗り込んで去って行った。雷人は呆然とその光景を眺める。
「..なぁ、俺、誘拐されたとかじゃないよな?」
「..ご安心ください。」
心なしか、少女は少し微笑んだような気がした。彼女はエントランスを通り抜け、雷人をエレベーターへと誘導した。静かに扉が閉まると、雷人の方に向き、軽く頭を下げた。
「初めまして、霧島雷人様。私はとあるお方に仕える使用人の者です。」
「いや、『初めまして』じゃなくてさ、俺は何でここに連れてこられたんだ?」
「実は..ある方が、あなたと話をしたいと仰っているんです。」
「ある方?」
「...すぐに分かります。」
不安と興味が入り交じる中エレベーターの扉をじっと見つめていると、エレベーターは静かに停止する。
「..たけぇ。」
雷人は思わず呟いた。最上階から見える景色は、まるで雲の上にいるかのようだった。普段、地に足のついた生活を送っている彼にとって、この高さは異世界のように感じた。
そんな雷人の様子を一瞥し、使用人は無言で持っていた鍵を取り出す。重厚な扉の前に立つと、鍵穴に差し込み、静かに回した。
カチリ
音と共にドアが開く。その向こうには長い廊下が続いていた。静寂に包まれた空間は広く、磨き上げられた大理石の床が僅かに照明の光を反射している。
「..こちらへ。」
「..いくら何でも広すぎじゃないか?」
「最上階は部屋が一つしかありませんので。VIPルームという物です。」
使用人が先導し、雷人は戸惑いながらもその後をついていく。廊下の奥には、一つの大きな扉。その扉の向こうに、”ある人物”が待ち構えているのだろう。
雷人は無意識のうちに、息を呑んだ。
扉の向こうに広がるのは、洗練された広いリビングだった。奥には最新式のキッチンがあり、生活感を感じさせないほどに整えられている。何より目を引かれたのは、大きな窓から見渡せる夜景だった。遙か下には無数の光が輝き、まるで星の海を逆さにしたように美しい。
雷人は想わず「すげぇ..」と呟きかけたが、すぐに口を止めた。なぜなら、そのリビングの中心に、一人の女性が立っていたからだ。
彼女は窓の外を眺めたまま、背を向けていた。長く流れる紫色の髪が、室内の照明を浴びて艶やかに輝いている。女性の中では背が高く、その堂々とした佇まいが威厳を感じさせた。
使用人の少女は、そんな彼女に向かって静かに礼をすると、恭しく報告する。
「霧島雷人様をお連れしました。」
「.....来たか。」
そう言い、彼女はゆっくりと振り返る。
紫色に輝く瞳が雷人を捕らえ、その整った顔立ちが明らかになる。鋭い眼差しには威圧感がありながらも、どこか冷静で、揺るぎない自信を感じさせた。
「突然の事に、さぞ困惑しただろうな。」
重々しくも、落ち着いた口調だった。雷人は一瞬その圧力に押しつぶされそうになるが、すぐに口を開く。
「そりゃあ、いきなり警察に連れてこられたんだ。驚くに決まってるだろ。」
「無理に連行したことはまず詫びよう。申し訳なかった。」
女性はすっと頭を下げた。その仕草には無駄が無く、形式としてきちんと整えられているもののように感じた。
雷人は戸惑いながらも、彼女の次の言葉を待つ。
「..私は鈴本凜。鈴本真優の姉だ。」
「..真優の姉?」
雷人は思わず聞き返す。確かに、どことなく面影はあるような気がする。しかし、真優の穏やかで控えめな雰囲気とは対照的に、この凜という女性は威厳に満ちた存在感を放っていた。
「そうだ。君とは、少し話がしたい。」
凜の瞳が真っ直ぐに雷人を見つめる。まるで雷人という人間を試すかのような視線だった。
「奏、お茶の準備を頼む。」
凜が静かにそう言うと、使用人の少女は軽く一礼し、キッチンへと向かっていった。その足音はほとんど響かず、まるで影のように音もなく消えていく。
改めて、雷人は凜の姿を確認した。彼女には確かに威厳がある。しかし、それだけではない。言葉では説明できないが、まるで普通の人間とは違う“何か”が彼女の周囲に漂っているように感じられた。
(この人、ただものじゃねぇな...)
直感的にそう思う。彼女の威圧感に、気圧されそうになった。
「自己紹介を続けようか。」
凜が口を開く。彼女はゆったりとした動作でソファに腰を下ろし、足を組んだ。その仕草ひとつひとつに無駄がなく、洗練された雰囲気が漂う。
「私は、巡査部長を務めている。」
「.....は?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「巡査部長....って、あの警察の?」
「ああ。君たちが住む朱葉町において、私は治安を守る役割を担っている。そして、先ほど君を連れてきた警察官は、私の直属の部下だ。」
雷人は思わず額に手を当てた。
(真優の姉ちゃんが..警察の偉い人だと..!?)
確かに、その堂々とした態度は納得できる。だが、それにしたって巡査部長とは随分と高い立場だ。
「いや、待てよ……そんな人が、なんで俺なんかを連れてきたんだ?」
雷人はまだ状況を完全に理解できていなかった。だが、凜の目的がただの雑談ではないことだけは、はっきりと分かる。雷人は背筋を伸ばし、次の言葉を待つのみだった。
「その前に、一つ言っておかなければならないことがある..」
凜はそう前置きをすると、頭に被っていた帽子に手をかけ、ゆっくりと外した。
雷人の視線が、凜の頭部へと向かう。そして、彼の目が大きく見開かれる。
「っ……!」
そこには、黒く滑らかで異形の光沢を放つ角が生えていた。根元からゆるやかに後方へと湾曲し、鋭い先端を持つその角は、まさに“悪魔”を思わせるものだった。
「....なるほどな。」
雷人は息を呑んだ。彼は知っていた。この角が何を意味するのかを。
【悪魔化】——
それは15年前、突如として発現した異常な現象だった。一般人に突如として“悪魔の力”が芽生え、社会は大混乱に陥った。【悪魔化】した者たちには必ず“角”が生える。そして、それぞれが強化された身体能力や特殊な能力を持つことになる。
(真優の姉ちゃんが...悪魔..!?)
雷人は驚き、拳を握りしめた。警察の巡査部長でありながら、悪魔の力を宿す人間——それがどれほど異質な存在であるかは、言うまでもなかった。
「これでフェアな状態になったな。」
凜は帽子を横のテーブルに置き、堂々とした態度で雷人を見つめた。
「私は悪魔化を果たした人間だ。君と話をする以上、隠し事をするわけにはいかないからな。」
雷人はゆっくりと息を吐き出す。そして、目を逸らさずに言った。
「それで? 俺をここに呼んだ理由ってのは何だ?」
凜は目を細め、その重々しい口を開いた。
「単刀直入に聞こう。君にとって、鈴本真優とは何だ。」
「.....は?」
突然の質問に雷人は一瞬動揺する。しかし、迷うことなく即答した。
「決まってるだろ。アイツは俺の幼なじみで、一番の親友だよ。」
雷人の言葉には、迷いがなかった。
凜はその答えに一瞬目を細めた。
「そうか……。君はそう言うのだな。」
「何だよ、何か問題でも?」
「いや、それで良い。」
凜は淡々と言葉を続ける。しかし、その紫の瞳は鋭さを増し、次の言葉を発する。
「では、君は真優の過去をどれほど知っている?」
「……え?」
雷人はそこで初めて言葉に詰まった。
真優の過去——。それは、雷人が深く考えたことのないことだった。幼なじみとしてずっと一緒にいた。だからこそ、特に過去について詳しく聞くこともなかった。
だが——改めて考えると、自分は真優の過去をほとんど知らないのではないか?
「……いや、正直言って、アイツの過去なんて詳しくは知らねぇよ。」
素直にそう答えると、凜は静かに目を閉じ、ため息をついた。
「——やはりな。」
そして、次の言葉を発する。
「それを知らずに、君は本当に“親友”と呼べるのか?」
凜の問いに、雷人の心が揺れた。
(真優の過去....俺が思っているよりもずっと大事な事なのか..)
だがその迷いを振り切るように、雷人は凜に言い放った。
「……だからって、それと親友でいることに何の関係があるってんだよ?」
雷人は奥歯を噛み締め、凜を睨みつけるように言い放った。
「過去を知らないからって、俺と真優の関係が変わるわけじゃねぇ。親友ってのは、そんなもんじゃねぇだろ!」
だが、凜は雷人の言葉を受け流すようにゆっくりと立ち上がった。
「そうか。」
その瞬間——
ゴォッ!!
突如、空間が歪んだ。
雷人の視界が一変する。
先ほどまで広々としていたリビングルームは、炎渦巻く荒廃した場所へと変貌していた。足元には焼け焦げた大地。空を見上げれば、禍々しい赤黒い光が脈打ち、まるでこの世界そのものが怒りを抱いているかのようだった。
「……っ!!」
雷人は咄嗟に身構える。そして——凜の姿が、変わっていた。
彼女の角は一層鋭く、漆黒に輝き、その瞳はまるで地獄の業火を宿しているように紅く燃えていた。背中には黒い霧のようなものが渦巻き、まるで“異形の王”がそこに立っているかのようだった。
(……すげぇ圧力だ……!)
雷人の心臓が握られるような感覚が襲う。
「霧島雷人。」
凜の声が響く。それは重く、冷酷な裁きの言葉のようだった。
「お前が考えているよりも、真優の過去は恐ろしいものだ。」
その声が、雷人の全身に突き刺さる。
「お前にその過去を受け入れる覚悟はあるのか?」
雷人は拳を強く握りしめた。
「さらに言おう。」
凜は一歩、雷人に近づく。その一歩だけで、雷人の背筋が凍るような威圧感が襲ってくる。
「その過去を知った上で、それでも真優と親友でいられる覚悟があるのか?」
鋭く、強く問われる。
雷人は、心臓が締め付けられるような感覚に襲われた。呼吸が浅くなる。全身が重くなり、まるでこの場に立っているだけで魂を削られるようだった。
(クソ...こいつ、これほどやばいのかよ...。)
だが——雷人は拳を握り、しっかりと踏みとどまる。
「……お前が何を言おうと、俺の答えは変わんねぇよ。」
息を整え、凜の燃えるような瞳を真正面から見据える。
「真優の過去がどんなに恐ろしかろうが、どんなに悲しかろうが……それが何だってんだよ!」
雷人は声を張り上げた。
「俺にとって真優は幼なじみで、一番の親友なんだ! そんな簡単に覆るわけがねぇ!」
彼の瞳には迷いがなかった。
「俺は今まで真優のことをよく知ってるつもりでいた。だけど、お前の言葉を聞いて、それがただの思い込みだったって気づいたよ。たぶん、アイツは俺が想像もできないような過去を抱えてるんだろうな。」
雷人は唇を噛み、拳を強く握る。
「……だけど、だからってどうした!? それを知ったら、俺は真優と親友ではなくなるとでも思ってるのか? 違うだろ!」
雷人は堂々と胸を張り、凜に宣言した。
「どんな過去を持っていようが、アイツは俺にとって変わらねぇ大事な仲間だ! もし真優が苦しんでたんなら、俺が助ける! 過去がどんなに重くても、アイツがそれを抱えたまま生きていくなら、俺は隣に立って支える! それが親友ってもんだろ!」
雷人の声は、炎渦巻くこの異質な空間に響き渡った。
「だから、覚悟ならとっくに決まってる。俺は真優を見捨てたりしねぇし、絶対に手を離さねぇ! それが、俺と真優の“絆”だ!!」
雷人の瞳は炎に負けないほど熱く燃えていた。
この空間がどれほど異質でも、この”悪魔”の威圧感がどれほど恐ろしくても——
雷人の覚悟は、決して揺らぐことはなかった。
雷人の叫びが響いた瞬間——
パァンッ!
まるで弾けるように、辺りを覆っていた炎の世界が霧散し、気づけば彼は元のリビングルームに立っていた。
「……!」
雷人は一瞬目を瞬かせる。先ほどまで荒れ狂っていた空間が消え、ソファやテーブル、窓から見える夜景——すべてが元通りになっている。そして目の前には、さっきまで禍々しい姿をしていた凜が、元の落ち着いた姿で立っていた。
「……お前を試したつもりだったが、試されていたのは私の方だったか。」
凜は静かに呟いた。その瞳には、これまでの威圧感とは違う、どこか悟ったような光が宿っている。
雷人は、息を整えながら睨むように彼女を見た。
「……それで、満足したか?」
「……ああ。」
凜は微かに笑うと、椅子に腰掛けた。
「お前の覚悟は確かに受け取った。お前になら話してもいいのかもしれない……真優の過去をな。」
雷人は真剣な表情で頷いた。
「……だが。」
凜は彼を制するように手を挙げる。
「その前に、少し休憩しよう。私は少々疲れた。お前も、きっと疲れただろう?」
言われてみれば、雷人は全身にじんわりと汗をかいていた。精神的な疲労がじわじわと押し寄せてくるのを感じる。
「……まぁ、そうかもな。」
凜は軽く手を叩く。
すると、キッチンの方から足音が響く。
「失礼いたします。」
トレイを持って現れたのは、先ほど雷人をここまで案内した緑髪の少女だった。
トレイの上には、湯気を立てる珈琲と、シンプルながらも上品に盛り付けられたケーキが乗っている。
「そう気を張らずに、是非座ってくれ。珈琲を飲みリラックスした状態で話すのが、私なりのコミュニケーションの一環なんだ。」
雷人は促されるまま椅子に腰を下ろし、目の前に置かれた珈琲の香りを嗅ぐ。
(……すげぇ、いい香りだ……)
凜はカップを手に取り、一口含むと、満足そうに目を閉じた。
「……やはりお前の淹れる珈琲は格別だ。」
使用人は、微かに口元を緩めた。
「光栄です。」
「そういえば、お前のことをまだ紹介していなかったな。」
凜がふと気づいたように言うと、使用人は雷人に向かって静かに一礼した。
「……私は鈴本奏です。以後、お見知りおきを。」
「鈴本?」
雷人は一瞬、驚いたように奏の顔を見た。
「鈴本ってことは……真優の親戚か?」
「いや、そうではない。」
凜がカップを置きながら答える。
「彼女は、私が養子として迎え入れた者だ。」
雷人は思わず目を見開いた。
「養子……?」
「そうだ。」
凜の声には、いつものような重みがあった。
「奏は、数年前に起きたある事件で両親を失った。本来なら保護施設に引き取られるはずだったが……その事件の担当だった私が、彼女を引き取ることにした。」
雷人は奏を見る。彼女は静かにカップを手にしながら、表情を変えずに話を続けた。
「私は、凜様に拾っていただかなければ……きっと今頃、行く当てもなく彷徨っていたでしょう。」
「……。」
「そして、真優お嬢様にも、私は感謝しています。」
奏の瞳が、どこか遠い記憶を映すように細められた。
「私のような者を、何の偏見もなく受け入れてくださった。……それがどれほど救いだったか。」
彼女は一礼し、静かに言った。
「だから私は、凜様と真優お嬢様に忠誠を誓っています。」
雷人は彼女の真剣な瞳を見つめながら、そっと息を吐いた。
「……そうか。」
彼はカップを手に取り、ゆっくりと珈琲を口にする。
深みのある苦みと、かすかな甘みが口の中に広がった。
(……うまい。)
雷人は少し目を細めながら、カップを置いた。
「それで..話してくれるんだよな?」
彼は、真剣な表情で凜を見る。
凜は静かに頷いた。
「……ああ。」
そうして、雷人は真優の過去を知ることになる——。
ライムギです!ようやく、作品の世界観を伝えられる部分まで来ました。悪魔の力は...一種の超能力として考えていただければ大丈夫です。