Epilog 【未来】 6-5
雷人が椅子に腰掛け、真優や紫音と穏やかに会話を交わしていたその時、凜がふと立ち上がった。
「雷人、少し付き合え。」
彼女はそう言って、雷人の袖を軽く引いた。
「……俺?」
「他に誰がいる。」
言い方こそ淡々としていたが、その眼差しはどこか普段よりも柔らかく、それでいて真剣だった。雷人は一瞬戸惑ったものの、「まぁいいか」と立ち上がる。
「ちょっと出てくる。」
真優たちに軽く手を振り、雷人は凜の後をついて病室を後にした。
廊下を並んで歩く二人。凜は無言のまま歩き続け、雷人もそれに従うように歩調を合わせた。やがて、病院の屋上へと続く階段に差し掛かると、凜はそのまま扉を押し開いた。
昼の光が降り注ぐ屋上。街の風景が一望でき、心地よい風が吹き抜けていた。
凜は手すりの前で立ち止まり、しばらく景色を眺めた後、ゆっくりと口を開いた。
「……雷人、お前とこうして二人きりで話をするのは、何度目になるのだろうか」
唐突な問いかけに、雷人は少し考える素振りを見せた。
「んー……そうだな。最初は、凜さんに誘拐(?)されたときか?」
冗談めかして言うと、凜はふっと小さく笑った。
「そうだな。……私が、お前を攫った。」
「いや、怖えよ。字面だけで言うと余計に。」
「ふふ……。」
珍しく凜が微笑んだ。雷人は驚いたように彼女を見つめたが、すぐに彼女の真剣な表情に気づき、口を閉じた。
「雷人、お前とは短い間で色々なことがあった。」
凜はゆっくりと視線を遠くに向けたまま、言葉を紡ぐ。
「お前を初めて攫った日。私はあの時、黎が真優たちに危害を加えようとしているのを止めるために、お前に力を貸してほしかった。」
「……ああ。」
雷人もあの日のことを思い返していた。強引に連れ去られ、そこで初めて凜と本当の意味で向き合った日。
「そしてしばらくした後、お前は奏に誘拐された。」
「……あれはマジで最悪だったな。」
雷人は苦笑する。拘束され、身動きも取れず、ただ無力感だけを噛みしめた時間。しかし、その時に助けに来たのは――
「真優と凜さんだった。」
「そうだ。私と真優で、お前を助けに行った。」
凜は静かに言った。雷人もまた、その時のことを鮮明に思い出していた。
あの日、真優がどれだけ必死になって自分を助けようとしてくれたのか。凜がどれだけ冷静に、的確な判断で行動していたのか。
「……そして数日前。」
凜は、再び雷人を見つめた。
「ライブ会場での一件。」
「……。」
あの壮絶な戦い。真優が悪魔の力を制御し、お陰で黎を打ち倒すことが出来た。しかし、その代償として彼女は今もこうして病院で療養している。そして――
「お前が、黎を倒した。」
雷人は目を閉じる。確かに、自分は黎を打ち破った。
「……なぁ、凜さん...」
彼はゆっくりと目を開け、凜に向き直った。
「なんか、濃すぎるよな。この短期間に起こったこと。」
「……私も、そう思う。」
「でもさ……これだけのことがあったのに、俺たちはまだここにいる。」
雷人はそう言うと、少しだけ笑って見せた。
「俺も、凜さんも。真優も、美玲も、迅さんも。」
「……ああ。」
「だからさ……もう少しだけ、俺たちは前に進める気がするんだよな。」
そう言って、雷人は屋上から広がる景色を見渡した。陽射しが心地よく、風が穏やかに吹いていた。
凜はそんな雷人の横顔を見つめ、そっと目を閉じた。
「……そうだな。」
その言葉は、まるで自分自身に言い聞かせるように、静かに紡がれた。
雷人が遠くの景色を眺めながら、穏やかに風を感じていたその時、凜は静かに彼の前に立ち、ゆっくりと向き直った。
彼女の瞳には、いつもの冷静な光が宿りながらも、その奥には確かな感情が揺らめいていた。
「……雷人。」
名前を呼ばれ、雷人は振り向く。
「ん?」
凜は一瞬言葉を選ぶように唇を噛み、それから深く息を吐き出した。そして、まっすぐに雷人の目を見つめ、静かに語り始める。
「黎という脅威が迫る中で、お前はずっと真優を護り続けてくれたな。」
雷人は少し驚いたように目を瞬かせた。凜がこうして真正面から礼を言うのは、珍しいことだった。
「……あぁ。まぁ、当然だろ?」
「当然か……。」
凜は少し微笑んだ。
「お前にとっては、そうなのかもしれないな。」
彼女の声はどこか優しく、それでいて、深い想いが込められていた。
「だが、私は知っている。お前がどれだけ危険な目に遭っても、決して真優を見捨てなかったことを。」
雷人は言葉を返せなかった。
それは事実だった。黎がどれほどの脅威であろうと、真優がどれほど危険な状況に陥ろうと、雷人は彼女のそばにいることを選び続けた。それが、"相棒"だから。
「お前は、何度も自分の身を顧みずに戦った。あのライブ会場でもそうだった。お前がいなければ、今頃真優も、美玲も、迅も、そして私も――無事ではいられなかったかもしれない。」
凜の言葉は淡々としていたが、その一つひとつが雷人の胸に染み渡る。
「……俺は、ただやるべきことをやっただけだよ。」
そう呟くように言った雷人に、凜は少し目を細めた。
「……そうか。」
「そうだよ。」
雷人は軽く肩をすくめてみせる。
「俺は特別強いわけじゃねぇ。ただ、真優や皆を放っておけなかっただけだ。」
「……それが、お前の強さだ。」
凜はそう言って、静かに雷人の肩に手を置いた。その動作には、確かな温もりがあった。
「雷人。たとえ、お前に何があっても――私はお前を信じる。」
雷人は思わず目を見開いた。
「……いきなり何言ってんだよ。」
「私は、お前を信じ、守り続ける。」
凜の声は揺るぎなく、そしてまっすぐだった。
雷人は戸惑いながらも、彼女の瞳をじっと見つめる。そこには、迷いも恐れもなく、ただ純粋な意志が宿っていた。
「……俺は、別に守られるような人間じゃねぇぞ?」
「関係ない。」
凜は即答した。
「お前が真優を守るように、私もお前を守る。それだけだ。」
雷人は一瞬、言葉を失った。しかし、次の瞬間――
「……ははっ。」
彼は、吹き出すように笑った。
「なんだよ、それ。」
「笑うな。」
「いや、なんか意外でさ。」
雷人は笑いながら、屋上の柵にもたれかかる。
「凜さんって、基本的にクールで冷静だし、こんなこと言うタイプじゃねぇだろ。」
「……自分でも、そう思う。」
「でも――ありがとうな。」
そう言って、雷人は照れくさそうに鼻をこする。
凜は何も言わず、ただ小さく頷いた。
昼の光が、二人を優しく包み込んでいた。
雷人と凜は並んで歩きながら、病室の扉の前でふと足を止めた。
「……戻るか。」
雷人が何気なく言うと、凜は静かに頷いた。彼女の表情は、さっきまでの硬さが少し和らいでいるように見えた。
雷人が扉をゆっくりと開けると、部屋の中には真優と紫音の姿があった。
「おかえりなさい。」
紫音が穏やかに微笑みながら迎え入れる。
「遅かったね、どこに行ってたの?」
真優が首をかしげながら尋ねると、雷人は苦笑しながら頭をかいた。
「ちょっと、凜さんと話してたんだよ。」
「ふぅん?」
真優は少しだけ興味深そうに雷人と凜を交互に見たが、それ以上は何も言わなかった。
雷人と凜は病室のソファに腰を下ろし、自然と談笑が始まる。
紫音は優しく微笑みながら、時折娘たちの話を静かに聞いていた。
「真優、雷人くんは小さい頃からこんな感じだったの?」
紫音がふと尋ねると、真優は小さく吹き出した。
「うん、ずっと変わらないよ。昔から、どんなことにも真正面から突っ込んでいくし、無茶ばっかりして……。」
「おいおい、言い方よ。」
雷人が苦笑しながら抗議するが、凜も静かに頷いた。
「確かに、無茶をするところは今も変わらないな。」
「凜さんまで!?」
雷人が肩を落とすと、紫音もくすくすと微笑んだ。
「でも、それが雷人くんのいいところなのよね。真優を守ってくれて、本当にありがとう。」
紫音が深く礼をすると、雷人は少し照れたように目をそらした。
「……まぁ、当たり前のことしただけだし。」
そんなやり取りに、真優は優しく微笑んだ。
「雷人は、私の大切な人だから。」
その一言に、雷人は少しだけ息をのんだ。
真優の言葉には、以前のような迷いがなかった。彼女はまっすぐに雷人を見つめ、微笑んでいた。
「……ったく、お前はもう……。」
雷人は少しだけ頬をかきながら、それでもどこか安心したように微笑んだ。
その様子を見ながら、凜も紫音も静かに笑みを浮かべた。
窓の外では、穏やかな陽射しが病室に降り注いでいた。
静かで、穏やかで、それでいて確かな温もりがある時間。
この数か月の間に起こった激動の日々を思えば、このひとときがどれほど貴重なものか、誰もが理解していた。
けれど、それを特別に意識することはなかった。
ただ、ここにいる大切な人たちと過ごせることが、今は何よりも幸せだった。
雷人はふと、病室の天井を見上げながら、そっと息をついた。
「……さぁて、これからどうなるんだろうな。」
彼の言葉に、誰もすぐには答えなかった。
でも、誰もがきっと、これからも続く未来を信じていた。
そして、また何かが始まるのだろう。
雷人も、真優も、凜も、紫音も――それぞれの想いを抱えながら、今日という日を静かに終えていった。
物語は、ここでひとつの幕を閉じる。
だが、それは終わりではなく、新たな始まりなのかもしれない――。
ライムギです!これにて本シリーズは一旦終わりとなります。リアルがかなり忙しく、復活出来るかは分かりません...。何にせよ、ここまでのご愛読、ありがとうございました!!