Epilog 【未来】 6-3
「お母さん……っ!!」
真優は、堰を切ったように涙を流しながら母である紫音に抱きついた。
「ごめんなさい……っ。今までずっと……! ずっと……!!」
会いたかった――。
その言葉を、真優は 涙に溺れながら 紡いだ。
紫音はそんな娘を優しく抱きしめた。
「泣いていいのよ、真優。」
「っ……!」
母の温もりが、腕の中にあった。
柔らかく、包み込むような懐かしい感触 に、真優の嗚咽はますます大きくなる。
紫音は、真優の背を優しく撫でながら 囁いた。
「ごめんなさいね、今まで寂しい思いをさせて。」
「……ううん……っ。お母さんが無事でよかった……! それだけで……っ。」
「ええ。私も、あなたたちにもう一度会えてよかった。」
紫音の 穏やかな微笑み が、涙に滲んで見えた。
そんな母娘の姿を見ていた雷人は、ふと 凜の方に視線を向けた。
――彼女は、黙って立っていた。
一見すると冷静に見える。
だが、その瞳の奥は、揺れていた。
雷人は、彼女の 強張った肩、僅かに震える指先、伏せたまつ毛の影 を見て、すぐに察した。
(凜さん……。)
彼女も、本当は母に甘えたいのではないか?
だが、彼女は大人として、真優の姉としての立場を貫こうとしている。
そんな凜の心情に気づいた雷人は、何気ない 演技 をすることにした。
「……っく、なんか急に喉渇いたわ。」
雷人は 唐突に呟く。
「え?」
美玲が 怪訝そうな顔 をした。
「ちょっと、飲み物買ってくるわ。なあ、美玲、迅さん、それと...奏さんも付き合ってくれね?」
「え? いや、別にいいけど……。」
迅も 首を傾げる。
「わ、私も?」
奏も 少し困惑した顔 をする。
しかし――
雷人が ほんの少しだけ、目で合図を送った。
それに気づいた三人は、一瞬 何のことか分からないような表情 をしたが、雷人の意図を察したのか、すぐに彼の演技に乗った。
「そ、そうね! なんか甘いものでも買いに行こうか!」
美玲が 妙に明るい声 で言った。
「そうだな、病室にずっといると気が滅入るしな。」
迅も 軽く肩をすくめる。
「では、私もご一緒しますね。」
奏は 静かに頷いた。
こうして、雷人、美玲、迅、奏の四人は病室を後にした。
病室の扉が閉まる。
静寂が、戻る。
そこに残されたのは、紫音、真優、そして――
凜。
紫音は、じっと凜を見つめた。
「……。」
凜は 何も言わない。
紫音は、柔らかく微笑んだ。
「凜。貴方も、甘えていいのよ。」
凜の 肩が僅かに揺れた。
「……私は……。」
静かに言葉を紡ぐ。
「もう ‘子供’ ではない...」
「ええ。」
紫音は 頷く。
「でも ‘私の娘’ でしょう?」
「…………っ。」
凜の 指先がかすかに震えた。
「私は、貴方の ‘母親’ なのよ?」
「……。」
「抱きしめられたいでしょう?」
凜は、言葉を失った。
紫音は、優しく微笑みながら 手を広げる。
「いいのよ、凜。」
「…………。」
「貴方も ‘母親を必要とする’ ただの娘なのだから。」
凜は 目を見開いた。
その瞬間、これまで押し殺してきた 膨大な感情が、堰を切ったように溢れ出した。
「お母さんっ……!」
凜は、駆け寄った。
紫音の胸に、飛び込むように抱きついた。
「お母さん……っ!!!」
「ええ。」
紫音は、しっかりと 凜を抱きしめる。
「ずっと……ずっと、会いたかった……っ!!」
凜の 声が震える。
「本当に……本当に、ずっと……っ!!」
――会いたかった。
どんなに探しても、どんなに手を伸ばしても、届かなかった母の姿。
「十年も……ずっと……!!」
「……分かっているわ。」
紫音は 凜の髪をそっと撫でた。
「貴方がどれほど頑張ってきたか、私は分かっているわ。」
「私は……っ、私は……っ!!」
凜は、声を詰まらせながら、母の胸の中で泣き続けた。
ずっと 自分は長女だから、強くなければいけないと思っていた。
ずっと 自分が真優を守らなければいけないと思っていた。
母がいない間、父もいない間、自分が鈴本家を支えなければいけないと。
そうやって――
ずっと、ずっと、耐えてきた。
だが、今、紫音の温もりに触れて、初めて知る。
――本当は、自分も母に甘えたかったのだ。
紫音は、そんな凜を優しく抱きしめ、そっと囁いた。
「もう、頑張らなくてもいいのよ。」
「…………っ。」
「貴方は、もう十分 ‘強くなった’ わ。」
「…………っ。」
凜の 涙が止まらない。
紫音は、彼女の 背を優しく撫でながら、ずっとその涙を受け止めていた。
病室には、母と娘の 十年分の感情が流れていた。
病室の外の廊下。
雷人、美玲、迅、奏の四人 は、静かに扉の外に立っていた。
――中の様子を、聞きながら。
「……お母さんっ……!!」
凜の、震える声。
「……。」
雷人は、腕を組んだまま目を閉じた。
その声が、どれだけ感情を押し殺してきた少女のものか、よく分かる。
普段の凜は冷静で、毅然としていて、決して弱音を吐かない。
だが――
本当は、母に会いたくてたまらなかったのだ。
甘えたくてたまらなかったのだ。
それを、彼女は ずっと耐えてきた。
「ずっと……ずっと、会いたかった……っ!!」
「……。」
美玲は、涙をこらえながら口元を覆った。
「っ……。」
隣にいる迅も 静かに息をついている。
「凜様……。」
奏は、そっと胸の前で手を組み、目を閉じていた。
「…………。」
雷人は 黙っていた。
しかし、その表情は どこか満足げだった。
――よかった。
そう思った。
今、この瞬間、凜は長女としての役割を忘れ、ただの ‘娘’ に戻れたのだから。
ようやく、彼女の十年間の孤独が終わったのだから。
「……よし。」
雷人は軽く手を叩いた。
「目的は果たしたな。」
「……うん。」
美玲が 涙を拭きながら頷く。
「……すっごく良かった……。」
「本当ですね。」
奏も 微笑む。
「そんじゃ、'演技通り' 飲み物’買いに行くか。」
「……フフッ、そだね。」
美玲が 涙を拭いながら微笑む。
迅は クスッと笑い、マフラーを直しながら歩き出す。
奏も 静かに微笑んで、それに続いた。
雷人は 最後にもう一度、病室の扉を振り返る。
――中では、まだ 母と娘の再会の時間 が続いているのだろう。
「……また、帰ってきたら ‘知らん顔’ しとくか。」
そう呟きながら、彼は 仲間たちと共に歩き出した。
向かう先は、病院の すぐ近くにあるコンビニ。
いつもと変わらない日常の一コマのように、四人は 自然な足取りで 病院を後にした。
病院近くのコンビニ。
店の外にあるベンチで、霧島雷人はポケットに手を突っ込みながら待っていた。
夜の静けさが、ほんのりと肌に心地いい。
自動ドアの開く音がして、美玲がやってくる。
「霧島くーん!」
「ん?」
振り向くと、美玲が缶ジュースを片手に持ってこちらへ駆け寄ってきた。
「一緒に待ってよーよ、せっかくだし。」
「……別にいいけどよ。」
雷人は ベンチの端に腰を下ろし、美玲も隣に座る。
――店内では、迅と奏がレジの前で支払いを済ませていた。
「ねぇ、霧島君。」
「ん?」
「……真優ちゃんのこと、どう思ってるの?」
「は?」
唐突な質問に、雷人は 思わず眉をひそめた。
「いや、だからさ。……相棒,,だっけ? それとも……それ以上?」
「……お前、何言って――」
言いかけた雷人だったが、美玲の表情は真剣だった。
「だって二人とも……コンサート会場でキスしたでしょ?」
「っ……!」
雷人の 眉がピクリと動く。
「……あれは、アイツが俺に力を分け与えるために必要だったんだ。深い意味なんてねぇよ。」
「……本当にそう思う?」
美玲の青色の瞳がまっすぐ雷人を射抜く。
「……?」
「私はね、真優ちゃんは 霧島君のことが好きなんだと思う。」
「っ!」
雷人の 心臓が、一瞬だけ跳ねた。
「そんなこと……ねぇよ。」
「ほんとに?」
「……」
「好きじゃなかったらさ――キスなんて、しないよ。」
「……っ。」
雷人は 口を開きかけて、言葉を詰まらせる。
(……そんなワケ、ねぇだろ。)
(アイツは、俺の ‘相棒’ だ。)
(小さい頃から一緒にいて、隣にいるのが ‘普通’ だった。)
(そういう ‘好き’ なんじゃねぇよ。)
(たぶん。)
(……たぶん?)
雷人の脳裏に、あの時の真優の表情 が蘇る。
泣きながら、力強く彼の手を掴み――
そして、唇を重ねた。
(……アイツは、どんな気持ちで……)
「……」
「ねぇ、霧島君。」
美玲は 優しく微笑んで いた。
「……焦らなくてもいいんだよ?」
「……っ。」
「...でも、気づけないまま ‘当たり前’ だって思ってるとね――」
「……?」
「手遅れになっちゃうこともあるんだから。」
「……」
雷人は、少し 空を見上げた。
暖かい風が、そっと肌を撫でる。
「……分かってるよ。」
美玲は 目を細める。
「……ふふっ。」
「……いつか、ちゃんと考えるさ。」
「その ‘いつか’ って、いつ?」
「……分かんねぇ。」
「もう、男らしくないなぁ。」
「うるせぇよ。」
雷人は 小さく息を吐いた。
そして、静かに 目を閉じる。
「……その時が来たら、ちゃんと アイツに答えを告げる。」
「……そっか。」
美玲は、それ以上は何も言わずに微笑んだ。
――ちょうどその時、店の自動ドアが開いた。
「おーい、お待たせ。」
迅と奏が 買い物袋を手にして出てくる。
「ほら、雷人のジュースも買っといたぞ。」
「サンキュ。」
雷人は 受け取ると、軽く缶を振る。
――炭酸の感触。
「じゃ、戻ろっか。」
「おう。」
四人は、病院へと歩き出した。
雷人は ジュースを開けながら、ふと心の奥で呟く。
(……‘相棒’ か。)
(……もし、‘それ以上’ だったら……どうなるんだ?)
だが――
今の彼には、まだ 答えを出す準備ができていなかった。




