Epilog 【未来】 6-2
そして現代へと戻る。
病室の空気が、静かに落ち着きを取り戻していた――その時だった。
コン、コン。
再び、病室の扉がノックされる音が響く。
雷人と真優、凜が一斉にそちらを振り向いた。
「どうぞ……。」
真優が少し戸惑いながら応じると、ゆっくりと扉が開かれた。
そこに立っていたのは――
朝比奈美玲と、彼女の兄である朝比奈迅だった。
「真優ちゃん!霧島君! お見舞いに来たよ!」
美玲が元気よく部屋に足を踏み入れる。
その後ろで、迅は静かに微笑みながら続いた。
しかし、真優の目は、迅の姿にすぐに釘付けになった。
彼の首には、厚手のマフラーが巻かれていた。
それは明らかに、傷を隠すためのものだった。
「……!」
真優の心臓が、ぎゅっと締め付けられる。
黎との戦いの際、迅は黎の攻撃を受け、喉に深い傷を負った。
命こそ助かったものの、歌手としての生命は、完全に断たれてしまったのだ。
「…………。」
真優は、唇を噛んだ。
「……迅さん。」
小さな声で、震えるように呼ぶ。
迅はそれを聞いて、ふっと穏やかに微笑んだ。
「久しぶりだね、真優ちゃん。」
彼はいつもと変わらない優しい声でそう言った。
その言葉を聞いて、真優はますます 自分の胸が痛くなるのを感じる。
迅さんの声は、確かに聞こえる。
でも――
歌声は、もう二度と戻らない。
彼の夢を――いや、彼の人生を、自分は 壊してしまったのだ。
「っ……ごめ……なさい……。」
真優はこぼれるように謝罪の言葉を口にした。
「……迅さんを……助けられなくて……。」
「…………。」
真優は、握りしめたシーツの上にぽたぽたと涙を落とす。
「私が……もっとちゃんと……できていれば……!」
涙でかすれた声が、部屋の中に響く。
だが――
「バーカ。」
「え……?」
真優が驚いて顔を上げると、
そこには 雷人、凜、美玲、迅――全員が、呆れたような表情で立っていた。
「お前……何言ってんだよ?」
雷人が 呆れたように腕を組みながら 言う。
「迅さんを助けられなかった?お前がいなかったら、迅さんはそもそもここにいねぇだろ。」
「そ、それは……。」
「もしお前が向かわなかったら、迅さんは確実に殺されてたんだぞ?」
「…………。」
「それを助けて、ここに生きてるだけでも、十分すげぇことじゃねぇか。」
真優は、雷人の言葉を聞きながら 息を呑んだ。
「そうだよ、真優ちゃん!」
美玲も 強く頷く。
「私たちは、お兄ちゃんが生きててくれるだけで十分なんだから!」
「…………。」
「それに、真優ちゃんのせいじゃないよ。悪いのは、黎……あいつだけだよ。」
真優の震える肩に、そっと温かい手が添えられた。
それは――迅だった。
「…………。」
迅は、優しく微笑みながら、静かに口を開いた。
「真優ちゃん、俺は……別に、後悔なんてしてないよ。」
「……え?」
「俺はさ、もともと歌よりも、ギターの方が好きだったんだ。」
真優は 目を見開く。
「ギター……?」
「そう。俺が最初に音楽を始めたのは、歌じゃなくてギターだった。」
迅は 懐かしそうに目を細める。
「でも、気づいたら歌うことの才能の方が評価されるようになって……。」
「…………。」
「気づけば、歌わなきゃいけない立場になってたんだ。」
「それって……。」
「嫌いだったわけじゃないよ。でも、どこかで ‘本当にこれでいいのかな’ って思うこともあったんだ。」
「…………。」
「だからさ、俺は――」
迅は、マフラーに手を触れながら、
「これは ‘新しい道を歩け’ っていう、チャンスなのかもしれないって思ってる。」
そう、微笑んで言った。
真優は、その言葉を聞いて、胸が 締め付けられるような感覚 を覚えた。
「……でも……歌は……。」
「うん。もう歌えない。」
迅は、静かに頷く。
「でも、それでも音楽は続けられる。」
「…………。」
「俺には、まだこの手が、足が、命があるから」
「…………っ。」
「だから、気にしないで。真優ちゃんは何も悪くないんだ」
真優の目から、再び ぽろぽろと涙がこぼれた。
「っ……ひっ……。」
今度の涙は、あの時とは違う。
それは安堵と、感謝の涙だった。
「ありがとう……ござい、ます……っ。」
涙を拭おうとする彼女の手に、雷人がそっと ハンカチを押し付ける。
「ほら、鼻水出てるぞ、真優。」
「っ!?」
「ふふっ……。」
美玲が くすっと笑う。
「ほんと、真優ちゃんってば泣き虫だなぁ。」
「う……うぅ……。」
真優は 涙を拭いながらも、微かに笑った。
こうして、少しずつ、彼女の心は 癒されていくのだった。
その時ーーー
ガラッ!
突然、病室の扉が勢いよく開かれた。
「……!」
一同が 驚いて扉の方を見る。
そこにいたのは――
この場の誰もが想像できなかった、意外な人物であった。
そこにいたのは――
車椅子に座った、一人の女性だった。
彼女の髪は、深い紫。
美しく艶やかな髪が、まるで夜空に浮かぶ闇のように揺れている。
その顔はどこか 儚げで、しかし芯の強さを感じさせる佇まい を持っていた。
「…………?」
雷人、美玲、迅は 困惑した表情 を浮かべる。
だが――
真優と凜だけは、彼女の正体を一瞬で理解した。
「……もしかして……。」
真優の手が、震える。
「……お母さん……?」
静かな、だが確かな 震えた声 で呟いた。
「え……?」
雷人と美玲が 驚いて真優の方を見る。
「お母さん……?」
「どういうこと……?」
「……久しぶりね、真優……凜。」
女性は、優しく微笑んだ。
――間違いない。
彼女は 十年前に行方不明となった、鈴本家の母親だったのだ。
病室に、沈黙が流れる。
だが、それを破るように、もう一人の人物が後ろから そっと入ってきた。
「皆様、お騒がせして申し訳ありません。」
白黒のメイド服に身を包んだ鈴本家のメイド、奏 だった。
「私から事情を説明させていただきます。」
そう言って、奏は深く一礼すると、ゆっくりと語り始めた。
「十年前、奥様――鈴本紫音様 は、行方不明となったご主人様を捜索している最中、黎と遭遇しました。」
「……黎と……?」
雷人が低く呟く。
奏は静かに頷くと、言葉を続けた。
「黎は、紫音様のご主人様に対する 深い愛情を ‘気に入った’ のです。」
「気に入った……?」
「黎にとって、強い感情を持つ人間は ‘ごちそう’ でした。」
「…………っ。」
「だから彼は、紫音様を ‘捕食’ しました。」
病室に、息を呑む音が響く。
「っ……!」
美玲が顔を青ざめさせる。
雷人も 拳を握りしめる。
「……だけど、お母さんは生きてる。」
真優の声が震えた。
「どうして……?」
奏は、そこで 僅かに口元を引き締める。
「それは――紫音様の体内に、すでに 光太郎様(真優と凜の父親)の ‘悪魔の力’ が存在していたからです。」
「……お父さん……。」
真優の胸が ぎゅっと締め付けられる。
「光太郎様も、黎に捕食されていました。」
「…………っ。」
「ですが、光太郎様の中に宿る 強大な悪魔の力が、黎の ‘消化’ に抵抗し続けたのです。」
「つまり……」
雷人が言葉を絞り出す。
「黎の体内で、ずっと ‘生き続けていた’ ってことか……?」
「……その通りです。」
奏は静かに頷いた。
「紫音様もまた、光太郎様の力に守られる形で、十年間、黎の体内で生き続けていたのです。」
病室は、静まり返った。
「…………そんなことが……。」
迅が小さく呟く。
紫音は、穏やかに微笑みながら 真優を見つめた。
「私は、ずっとあの人と一緒だったのよ。」
「……お父さんと?」
「ええ。彼は私を守るように、黎の中でずっと戦っていた。」
「…………。」
「でも……とうとう、黎の力には勝てなかった。」
「…………っ。」
「それでも、彼の ‘最後の力’ が私を支えてくれたの。」
紫音の声は、どこか 懐かしさを滲ませながら 優しく響いた。
「そして数日前――」
紫音は 雷人を見つめる。
「あなたが……黎を倒した。」
「…………。」
「その時、黎がこれまで捕食してきた人間を ‘吐き出した’ のよ。」
「!」
雷人の目が 驚きに見開かれる。
「貴方も……あの ‘骸骨の山’ の中に……?」
「ええ。」
紫音は静かに頷いた。
「私も……あの ‘骸骨の山’ と一緒に出てきたのよ。」
雷人は、思い出す。
黎を倒した直後――
大量の ‘食い散らかされた人間の亡骸’ が、一斉に吐き出された。
「……その中に……生きてる人が……?」
「黎に ‘完全に消化される前’ の状態だったの。」
「…………っ。」
雷人は 息を呑んだ。
「だから、奏に連絡を取って、こっそり病院で療養していたわけです。」
奏が静かに言う。
「……な、なんで……?」
真優が戸惑いながら聞いた。
「どうして、すぐに言わなかったの……?」
紫音は、少しいたずらっぽく微笑んだ。
「驚かせたかったのよ。」
「……え?」
「十年ぶりに ‘死んだと思っていた母親’ が戻ってきたら、どんな顔するかなって。」
「…………。」
「……でも、あなたたちがあまりにも頑張ってるのを見ていたら、すぐにでも‘本当のことを言ってもいいかな’ って思ったの。」
「…………っ。」
真優は、震えたまま、涙を流した。
「お母さん……っ。」
紫音は、車椅子からそっと手を伸ばし、娘を優しく抱きしめた。
「ただいま、真優……凜。」
こうして、十年の時を超え、母と娘は再会を果たしたのだった。




