Epilog 【未来】 6-1
病室の窓からは、穏やかな春の陽射しが差し込んでいた。静かな病室の中、鈴本真優はベッドに横たわりながら、本を片手にそっとページをめくる。
その隣で座っているのは、彼女の姉、鈴本凜。
「……お姉ちゃん。」
真優は、控えめな声で呟いた。
「何?」
凜は、ベッドの横に置いた椅子に腰掛けたまま、リンゴを剥いていた。しかし、もう何個剥いていたのか覚えていない。
「……警察の仕事は?」
ぴたり。
凜の手が止まる。
「……」
沈黙。
「……ねえ、お姉ちゃん。」
「……」
「いつからずっとここにいるの?」
凜の眉がわずかに動いた。
「……別に。」
「“別に”じゃないよ。」
真優は困ったように微笑みながら、ベッドの上でゆっくりと身を起こした。
「私がここに入院してから、ずっとお姉ちゃんがいるの、知ってるよ。警察の仕事、ちゃんとやらなくていいの?」
「...私の分は、今は部下に任せている」
「お姉ちゃん、あんなにいつも“責任感がどうの”って言ってるのに。」
「……言ってない。」
「言ってるよ。」
真優は、くすっと微笑んだ。
凜は小さく息を吐き、手に持っていたリンゴを皿の上に置くと、静かに真優の方を見つめた。
「……お前がこんな状態なのに、仕事なんてしていられるか」
「でも、お姉ちゃんにはやらなきゃいけないことが――」
「ない。」
凜の声が 少しだけ低くなる。
「……ないわけないでしょ。」
「...今はお前のそばにいることが、一番やらなきゃいけないことだ。」
真優は、一瞬だけ驚いたような表情を浮かべた。
「……お姉ちゃん。」
「……何だ。」
「ありがとう。」
「……っ」
凜は、一瞬だけ視線をそらし、顔を伏せた。
「……まったく、お前はほんとに……」
呆れたような、でもどこか優しい声。
真優は、そんな姉の表情を見ながら、ふっと安心したように目を細めた。
病室に穏やかな空気が流れていた。
窓から差し込む春の光がカーテン越しに柔らかく広がり、白いベッドの上にいる鈴本真優の輪郭をほんのりと照らしている。
そんな静寂の中――
コン、コン。
病室のドアが 二回 ノックされた。
「はい……」
真優が控えめに応じると、ゆっくりとドアが開く。
「よっ! 真優、元気してるか?」
そこに立っていたのは、松葉杖をついた霧島雷人だった。
包帯で巻かれた額、袖の下からのぞく 絆創膏、そして左足に添えられたギプス――彼の身体は、まだ完全には回復していないはずだった。
だが、それでも雷人は、いつものように 朗らかな笑顔 を浮かべていた。
「雷人……!」
真優の顔がぱっと明るくなる。
彼がこの病室を訪れてくれたことが、心の底から嬉しいのが表情に出ていた。
「お前も大変だったんだな。」
雷人はそう言いながら、ゆっくりと松葉杖をついて部屋の中へと入る。
「そりゃあ、あれだけ派手に闘ったんだから、しばらくは寝てろって先生に言われたけどさ……」
そこで、病室の一角に座っていた鈴本凜と目が合った。
「……お、凜さんも居たのか。」
「私がいなくてどうする。」
凜は、やれやれと肩をすくめた。
「……で、お前。」
雷人の全身を見渡すと、ふっと眉を寄せる。
「そもそもお前は、お見舞いする側じゃなくて、お見舞いされる側だろうが。」
「ははっ、そう言うなって。」
雷人は笑いながら、松葉杖を器用に扱い、真優のベッドのそばに腰掛ける。
「どうしても、真優の様子が気になったんだよ。」
「……そっか。」
真優は、ほんのりと 頬を赤らめながら、そっと目を伏せた。
雷人が自分のことを心配してくれた。
それだけで、胸の奥がじんわりと温かくなった。
しかし――
「それにしても……」
凜が、じっと雷人を見つめる。
「お前、あれだけの戦闘をしておいて、その回復速度は異常だろう。」
雷人は一瞬、「ん?」と首を傾げる。
「いや、そんなもんだろ?」
「普通はそんなもんじゃない。」
凜は 腕を組みながら、冷静に指摘した。
「お前、骨折してたはずだろう。確か肋骨と、左足の骨にひびが入ってたと聞いたが。」
「まぁ……そうだったな。」
「それが数日で、松葉杖ありきとはいえ歩いてここまで来れるのはおかしい。」
「……言われてみれば。」
雷人は少し考え込んだ。
確かに、戦闘直後は全身に激痛が走っていて、まともに動ける状態じゃなかった。
だが、今こうして 自分の身体を動かしてみても、痛みはほとんどない。
「まあ、俺、タフだからな!」
「そういう問題じゃない。」
凜は 鋭い目つき でじっと雷人を見つめる。
「何か思い当たることはないか?」
「……」
雷人は、一瞬 真優の方をちらりと見た。
――あの時、真優が倒れる直前に、自分に流れ込んできた 強大な力。
あの時、何かが変わった気がする。
(まさか……)
雷人は、自分の手を ぎゅっと握り込んでみる。
感覚は、いつもと同じ。
でも――
「……わかんねぇな。」
「そうか。」
凜は、じっと雷人の表情を読み取ろうとするように しばらく彼を見つめていた。
しかし、やがて小さく息をつき、目を伏せる。
「まあ、何かあれば、すぐに報告しろ。」
「おう!」
雷人は 快活に笑い、病室の空気が少し和らいだ。
真優は、そんな二人のやりとりを見ながら、そっと微笑んだ。
病室の空気が、ふっと落ち着きを取り戻す。
雷人は真優のベッドのそばに腰を下ろし、改めて彼女の顔をじっと見た。
「……真優、体の方は大丈夫か?」
彼の声はいつもより少し低く、どこか真剣さを帯びている。
真優はそんな雷人の気遣いに少し驚きながらも、小さく頷いた。
「……うん。ちょっと疲れやすいけど、普通に話せるし、大丈夫……。」
実際、真優の顔色はまだ少し青白い。
戦闘の際、悪魔の力を制御するために相当な負荷がかかり、その影響で彼女は激しく消耗してしまっていた。
「……本当に、よく頑張ったな。」
雷人はぽん、と優しく真優の頭を撫でる。
「お前がいなかったら、俺、絶対あの時負けてたよ。」
「っ……」
真優の頬が、ふわっと朱に染まる。
「そ、そんなことないよ……。」
「いや、ある。」
雷人は真っ直ぐな目でそう言い切った。
「お前が俺に力を貸してくれたおかげで、最後まで戦えたんだ。」
「…………。」
真優は少し視線を落とし、シーツを指でつまむ。
「……でも、私は……またみんなの足を引っ張ってしまった……。」
その言葉に、雷人の表情が一変する。
「え?」
真優は俯いたまま、ぽつりぽつりと続けた。
「暴走して、結局、私は戦えなくて……最後は倒れちゃって……お姉ちゃんにも、雷人にも、助けられてばかりで……。」
そう言った直後、
ぽんっ!
「……え?」
突然、雷人の指先が真優の額を軽く弾いた。
「いっ……!」
真優は驚き、思わず目を丸くする。
「ばーか。」
雷人は、いつものように屈託のない笑顔を浮かべながら言った。
「誰が足引っ張ったって?」
「え……?」
「お前、ちゃんと戦ってたじゃねぇか。」
雷人は 真優の肩をがしっと掴み、真剣な目で言葉を紡ぐ。
「自分の力で、ちゃんと悪魔の力を制御して、俺を支えてくれた。お前がいなかったら、俺は黎に勝てなかった。」
「…………。」
「だからさ――」
雷人は、にっと笑って、親指を立てる。
「もっと自信持てよ、相棒。」
その言葉に、真優の胸の奥が じんわりと温かくなる。
「相棒……。」
真優は、そっと呟いた。
彼の言葉は、まっすぐで、強くて、優しくて――まるで光のようだった。
「……うん。」
真優は、小さく頷く。
すると、雷人の向かい側でそれを見ていた凜が、ふっとため息をついた。
「まったく……。」
雷人と真優が きょとんとした顔 で凜の方を振り向くと、彼女は腕を組みながら 少し呆れたように言った。
「お前、最初に言ったくせに、自分の事は勘定に入れないのか?」
「自分?」
「黎を倒したお前こそ、一番感謝されるべき人間だろう。」
「…………。」
雷人の表情が、少しだけ引き締まる。
黎との戦い――
その激しさ、緊張感、そして……黎の最後の言葉が、ふと頭をよぎる。
「……俺が勝てたのは、俺だけの力じゃねぇよ。」
雷人は、静かに言った。
「真優の力も、凜さんの指揮も、みんなの支えがあったから……だから、俺は最後まで立ってられたんだ。」
「…………。」
「だから、俺は……」
雷人は、少し照れくさそうに頭をかきながら、
「俺の方こそ、ありがとな、真優。凜さん。」
と、はにかんだ笑顔 を見せた。
その笑顔を見て、凜は わずかに目を細める。
「……ふん、まあ、お前がそう言うならいいが。」
凜は小さく息をつき、
「ただ、黎の力を消したとはいえ、奴はまだ生きている。油断はするな。」
と、冷静に忠告を残した。
「……だな。」
雷人は、少しだけ真剣な表情に戻る。
黎の一件は終わった。
しかし――
「...結局、連れ去られてしまったもんなぁ...」
雷人は、ベッドの上の真優と、彼女を見守る凜の顔を交互に見ながら、あの時の光景を思い出す...
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時は黎との決着直後へと遡る。
雷人が胴上げされ、会場全体が歓喜に包まれていたその時――
――ドゴォォォン!!!
突如として、会場の床が砕け、大きな穴が開いた。
「な、なんだ!?」
煙と瓦礫が舞い上がる中、重々しい機械の駆動音が響く。
――ゴゴゴゴ……!!
瓦礫の中から、 一台の巨大なゴーレムが姿を現した。
そのゴーレムの上に立つ人影。
それは、黎に最も忠実な側近、千秋であった。
「っ!?あの時のゴーレム!?...と、人?」
雷人が驚愕の声を上げた。
その時、突如会場のスピーカーの一つから、愉快な声が聞こえる。
「やあ、楽しい宴の最中に邪魔して悪いね」
――ブシュウウウウ!!!
ゴーレムの胸部が開き、そこから白い煙が一気に放出される。
「くっ……!!」
観客たちが慌てて煙から逃れようとする。
すると、遠くから響く 璋の声。
「この煙はね、引火性があるんだ。
……つまり、今ここで僕がゴーレムの火炎放射機能を使えば……どうなると思う?」
――ピタッ。
観客も、警官も、雷人も 一瞬にして動きを止めた。
「く……っ!!」
美玲が悔しそうに拳を握る。
「下手に動けば、一瞬で火だるまに……」
「っ……!」
警官たちも 銃を構えるが、下手に撃てば引火する可能性がある。
完全に璋のペースだった。
その隙を突いて――
――ドン!!!
「ぐぁっ……!!」
千秋が、驚くほどの速さで警官たちをなぎ倒していく!
「なっ……!?」
「速い……っ!」
雷人が 慌てて前に出ようとするが――
「……っ!?」
身体が 鉛のように重い。
――先ほどの黎との死闘のダメージが抜けていなかった。
「くそ……っ!!」
動けない雷人を、千秋は冷静に見つめる。
「――悪く思わないでください。」
たった一言。
それだけで彼女の圧倒的な実力を悟った。
そして――
雷人の視界が一瞬、揺らいだ。
――ズドンッ!!!
「ぐはっ!!」
雷人の身体が宙を舞い、壁に叩きつけられる。
「霧島君!!」
美玲が叫ぶが、雷人は起き上がれない。
千秋は、気絶した黎のもとへ歩み寄ると、 その身体を抱え上げた。
「……黎様、お迎えにあがりました。」
スピーカーから、璋の声が再び響く。
「さて……我々のボスは奪還したし、僕らは撤退するとしよう。」
千秋がゴーレムの背中に飛び乗る。
――ガシャァァン!!
ゴーレムが ゆっくりと動き出す。
そして、最後に――
「……あ、そうそう。」
璋はニヤリと笑ったように言葉を続ける。
「さっきの 引火性の話、あれ嘘だよ。」
「……っ!?」
「ははっ!じゃあね、霧島雷人くん!」
そう言い残し、ゴーレムは夏凛と黎を乗せ、会場から去って行った。
雷人は、歯を食いしばりながら、その背中を睨みつけることしかできなかった・・・・・




