Chapter5 【決着】 5-1
放課後の教室。窓から差し込む夕陽が、机の上に長い影を落としていた。
「そんなことが…あったんだ…」
朝比奈美玲は、驚きと怒りが入り混じった表情で、霧島雷人と鈴本真優からの話を聞き終えた。
「で、でも…凜さん…」
美玲は少し目線を横にずらし、鈴本凜の心情を思い浮かべた。彼女はきっと、いつものように気丈に振る舞うだろう。だが...
「お姉ちゃん…きっと、無理してる」
真優がぽつりと呟く。その瞳は、姉の痛みを誰よりも深く感じ取っていた。
「ったく…あの黎とかいうやつ、ホントに許せないっ!」
美玲は拳を机に叩きつけ、悔しさをあらわにする。
「自分が何をしたのかわかってるの!? そもそも、凜さんから真優ちゃんを奪おうとして…!!」
雷人が美玲の言葉を引き継ぐように、低く力強い声で言った。
「…そうだ。凜さんが何を背負ってきたかも知らねえくせに。ふざけた真似しやがって」
真優はそっと胸の前で手を組む。
「…お姉ちゃんはきっと、私たちの前では泣かない。だけど…絶対に辛いはず..」
教室は静寂に包まれる。誰もが、凜の心の傷の深さを思い、言葉を失っていた。
その時、夕陽の中で美玲が立ち上がり、勢いよく言い放った。
「もう我慢出来ない!今度アイツにあったら一言文句でも言ってぶん殴ってやりたい!!」
「おいおい、気持ちはわかるけど…」
雷人が少し苦笑しつつも、美玲の真っ直ぐな怒りに、どこか安心する。
「...そう...だね…」
真優も小さく微笑む。
「お姉ちゃんを傷つけたこと…私も、簡単に許すつもりはないから」
赤く染まる教室の中で、3人の心はひとつになっていた。
教室の中、夕陽が窓ガラスを赤く染めていた。美玲はふと、ポケットの中に入っている紙片を思い出す。それは、兄・朝比奈迅からもらったグラビティ・スターズのライブチケットだった。
「あ、そうだ!!ねえ、霧島君、真優ちゃん。この前お兄ちゃんから貰ったチケット、ちゃんと持ってる?」
美玲が、軽く腕を組みながら、少し意地悪そうな笑みを浮かべて尋ねる。
「へっ、ちゃんとあるさ!」
雷人は自慢げにポケットからチケットを取り出し、ひらひらと揺らして見せた。
「私もちゃんと持ってるよ」
真優も鞄の中からチケットをそっと取り出し、微かに微笑む。
その様子に美玲は安心したように頷いた。
「よしよし。実はね…」
そう言って、美玲は手元に残っていたもう1枚のチケットを見つめ、少しだけ表情を柔らかくした。
「これ、凜さんに渡そうと思うの!」
「凜さんに?」
雷人が少し驚いた顔を見せる。
「そう。ライブを見たら、少しは元気になるかもしれないでしょ? それに、私のお兄ちゃんも出るんだし、きっと楽しめるはずだよ!」
「…そうだね」
真優はチケットを見つめながら、小さく頷く。
「お姉ちゃん、きっと驚くだろうけど…ううん、きっと喜んでくれると思う」
美玲はそんな真優の顔を見て、少し照れくさそうに笑った。
「じゃあ、これ..真優ちゃんが渡してくれる?」
そう言って、余ったチケットを真優に手渡す。
「私が?」
「うん。真優ちゃんのお願いなら、凜さんもきっと応じてくれると思うよ?」
真優は一瞬戸惑うも、すぐにそのチケットをしっかりと握り締めた。
「わかった。…私、お姉ちゃんに聞いてみる」
その瞳には、小さな決意の光が宿っていた。
「よーし! これで決まりだね!」
美玲は満足げに笑い、雷人は楽しそうに肩をすくめた。
「ま、ライブは派手に楽しむもんだ。凜さんも巻き込んでやろうぜ!」
こうして、4人の特別な一日への約束が、ここに結ばれたのだった。
その夜――
静かな夜の帳が降りたリビング。ほのかに香るコーヒーの香りが漂う中、机に向かう凜の指先は書類を捲る音だけを響かせていた。テーブルの上には湯気を立てるコーヒーカップと、きっちり整理された書類の束。
そんな凜の前に、小さな影がそっと現れる。
「…お姉ちゃん」
柔らかくも真剣な呼びかけに、凜は顔を上げた。そこには、少しだけ躊躇いながらも、どこか決意を秘めた瞳の真優が立っていた。
「どうした?」
コーヒーを一口含みながら、凜は穏やかな声で問いかける。
「…今度ね、雷人と美玲ちゃんと一緒に、迅さんのライブに行くことになったの。」
「へぇ..良いじゃないか。楽しんできなさい」
フッと微笑む凜に向けて、真優は新たな言葉を紡ぐ。
「...だから..お姉ちゃんも、一緒に行かない?」
その言葉に、凜の手がふと止まった。
「…私が?」
「うん。一緒に…行きたいの」
凜は一瞬、視線を宙に泳がせる。賑やかなライブ会場、華やかな舞台、そして、きっと無数の人混み――。
「いや…私はそういう場は不向きだろう。それに、私が行っても場違いになるだけだ」
低く、しかし優しく断ろうとする声。けれど、その声を遮るように――
「……お姉ちゃん」
真優は小さな両手で、凜の手をぎゅっと握り締めた。
「一緒に行きたいの。…お姉ちゃんと」
凜はその瞳を覗き込む。そこには、言葉以上の願いが込められていた。
少しの沈黙――
そして、ふと凜の唇がかすかにほころんだ。
「…真優は昔からずるいな」
そう言って、コーヒーを一口だけ飲み干すと、凜は静かに言葉を続ける。
「わかった。行こう」
「ほんと…!?」
真優の顔がぱっと明るくなる。その無垢な笑顔を見て、凜は心の奥にあった重たい影が、少しだけ薄らいでいくのを感じていた。
「ただし、私はそういうのは慣れてないからな。…文句は言うなよ」
「大丈夫!お姉ちゃんなら二人も大歓迎だよ!!」
二人の影を優しく包むように、月の光が静かに差し込んでいた。
ライブ当日、雷人、真優、美玲、凜の4人はライブ会場の入り口へと到着した。
周囲にはすでに多くのファンが集まり、熱気に包まれている。会場の外にはグラビティ・スターズのグッズが並び、ファンたちが興奮気味に語り合っていた。
「うわぁ……すごい人!」
美玲が目を輝かせながら周囲を見渡す。
「やっぱり大人気だな、グラビティ・スターズ。」
雷人も周囲の熱狂的な雰囲気に感心しながら呟く。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
真優は心配そうに凜の顔を覗き込んだ。
「……あぁ、平気だ。」
凜は落ち着いた表情を保ちながらも、人混みに少し気圧されているようだった。
4人は受付の者に近づき、以前迅から貰ったVIPチケットを見せた。受付の係員は目を見開き、すぐに丁寧な態度に切り替える。
「VIPチケットのお客様ですね。こちらへどうぞ。」
係員に案内されながら、4人は会場の中へと進む。広々としたホールには、すでに多くの観客が詰めかけており、ステージを期待するざわめきが響いていた。
「えっ、こんなに前で見れるの!? すごい、すごい!!」
雷人は最前列の席を確認し、興奮しながら飛び跳ねた。
「迅さん、凄いな……。」
真優も驚きながらチケットを握りしめる。
「この距離なら、ステージ上の人達の顔もしっかり見れるでしょ?」
美玲は腕を組みながら、この座席の経験者として自慢げに語る。
凜はそんな3人の様子を見つつも、どこか落ち着いた様子で席についた。
やがて場内の照明が落ち、会場全体が暗くなる。観客たちは一斉に歓声を上げ、スポットライトがステージを照らす。
「……始まる!」
雷人と美玲が嬉しそうに呟いた。
雷人たちにとって、これがただのライブではないことを、この時はまだ誰も知らなかった。




