神官の結末
その後──神官エルムは、行方不明扱いとなった。
なんの音沙汰もなく、姿を消し。腕の立つ者達で結成された捜索隊の手を持ってしても、彼のことを見つけることができなかったからだ。
この件には、様々な憶測が飛んだ。
帰ってこれなかった理由は、試練に失敗したから。死亡したから、だとか。
或いは恐れをなして試練から逃げ出したのだ……とか。好き勝手かつ、無責任な噂が流れた。
だが、彼の存在は直ぐに忘れさられ、語られることもなくなる。
それも、仕方のない話だった。
何故なら──……。
この時、人類は長い歴史上初めてとも言える、運命の転機を迎えていたのだから……。
晴れやかなその良き日──。
フェアリーと人間の間に不可侵の条約──〝《妖精の燐光》を提供する代わりに、フェアリーを討伐対象から除外する〟という契約が、交わされた。
これは幻竜マキナの仲介があったため、成し得えることができたと言っても過言ではない。
彼は神殿を通して、人間達に魔物達が人々を襲う理由を伝えた。
互いに互いを殺し過ぎていたけれど。それでも、人間達の中には、相手との関係性を改める必要があると考える者達も現れるようになった。
それに……人々の認識にあった知能がない獣という常識が、言葉が通じるフェアリー達の存在によって、間違いであったと理解されたのも、その一助になっていたのかもしれない。
この条約を境に──いつの日か、人間と魔物が手を取り合う日がくるのかもしれない。
そんな風に、未来は明るい方へと変わり始めているようだった──……。
◇◇◇◇◇
「エルム様が……エルム様がっ、行方不明にっ……!?」
神殿内にある竜姫候補に与えられる各々の私室にて。
カロリーナは、竜姫候補補佐達──つまりはエルムのような、竜姫に補佐役として仕える予定の神官達──をまとめ上げていた上級神官から聞かされた内容に、驚愕の声を漏らした。
まさか……護衛騎士事件の心的障害で引きこもっている間に、自分に親切にしてくれていた神官の青年が。正式に竜姫となった暁には、竜姫補佐として自分につく予定であったエルムが。行方不明になっているだなんて……思いもしなかった。
顔面蒼白になったカロリーナに……上級神官も痛ましい面持ちになる。
だが、まだ伝えるべきことが残っていたらしい。彼も辛そうな様子で、話を続けた。
「神官エルムは前世の咎を禊ぐため……《魔物の森》へ向かいました。ですが、出発してから既に一ヶ月……。彼は連絡を寄越すことも。帰ってきても、いないのです」
「そん、な……」
「よって、本日を以て──……神官エルムを竜姫候補カロリーナ殿の補佐から、下ろすことが、決定しました」
カロリーナは断ることができない決定に、そっと目を伏せながら頷く。
彼女の胸中に満ちるのは困惑と、疑問。
何が起きているのか、どうなっているのか。そんな気持ちでカロリーナの心の中はいっぱいになっていた。
(エルム様は……繰り返す人生の中で、いつも私に協力してくれた人だったわね……)
彼がカロリーナに協力してくれたのは……竜姫候補の補佐を務める神官だったからというのもあるだろうが。多分、彼が協力的なのはそれだけが理由じゃなかった。
エルムは神官として、竜の声が聞こえる自分自身を信奉してくれていたからだ。
だが、そんな彼はもういない。この人生では……竜から与えられた試練が原因で、行方不明になってしまった。
(これは一体……どういうことなの……?)
カロリーナは訳が分からなくて、心の中で首を傾げる。
五回目は今までと違い過ぎる。
大まかなルートはずっと同じだったのに、タイラーは処刑されるし、エルムは行方不明になってしまった。
それに……竜の顕現なんて、初めてだ──。
(ううん、違う……竜自体を見たのは、初めてじゃなかったわ……)
前回、彼女は竜となった。
漆黒の鱗を持つ、禍々しくも美しい竜に──。
だが、今回現れた竜は灰銀色の美しい竜だったという。
(…………もしかして……私に話しかけていた竜が……顕現、した?)
カロリーナは竜の声の主人の名前も知らないがゆえに、顕現したマキナが……その声の主人だと勘違いした。
だが、何故彼がエルムに試練を与えたのかが分からない。何故、前世の咎を祓わせたのかが分からない。
分からないことだらけで、カロリーナは泣きそうだった。
どうしてこうなってるのか?
いつも自分に指示を出していた竜に向かって、心の中で叫んだ。
(ねぇ!何か答えてよ!)
だが、彼の声は聞こえない。頭に響く声が、存在しない。
カロリーナはゴクリッと唾を飲み込む。
あの大量殺戮事件の日から……カロリーナは竜の声が、聞こえなくなってしまっていた。
繋がっている感覚はあるが……彼は反応してくれない。彼の存在も、感じ取れない。
それはある意味、竜姫の最有力候補から落ちるということだ。
竜の声が聞こえるからと、竜姫候補であったのだ。
竜姫は竜の力を使う者。
竜と繋がる者。
その力を失っているとしたら……。
このことが神殿側にバレたら……自分は、竜姫候補から外されるかもしれない。
(分からない……どうすればいいのか、分からないわっ……!)
一言で言えば、カロリーナは追い詰められ始めていたのだ。
なんせ、彼女は永らく竜の声に従って生きてきた所為で。自分で考えるということを止めて久しい所為で。自発的に行動するということも。何をどう考えればいいのかも、分からなくなってしまっていたのだから。
しかし……そんな彼女に追い打ちをかけるように。
上級神官は……最終通告を、カロリーナに告げる。
「色々と大変な時に追い打ちをかけるようで、大変心苦しいのですが……竜姫候補カロリーナ殿。貴女も、竜姫候補から下ろされることが、決定しました」
「…………………え?」
時が、止まった気がした。
カロリーナは瞬きを忘れて、その場で硬直する。
「詳しい話は後ほど、大神官から伝えられます。では、わたしはこれで。あまり悲しみ過ぎると身体に障ります。どうぞご自愛くださいね、カロリーナ殿」
上級神官は呆然とするカロリーナに深く一礼してから、部屋を退出した。
一人残された彼女は、座っていたソファにバタリッと倒れ込む。
(どうして?どうして?どうして!?)
どうして竜姫候補から除外されるのか?
まだ竜の声が聞こえなくなったことは、神殿側にはバレていないはずだ。
なのに、何が起きているのか?なんで下ろされた?
カロリーナは分からない。
どうすればいいのか、分からない。
「誰か……誰か私にっ!どうすればいいのかを教えてよっっっ!」
ずっと、竜の傀儡として動いてきた彼女は……こんな時ですら、自分の意思で動くことができない。
ゆえに、彼女は。
自分が今、どんな現状なのかを……きちんと把握できずにいる。
もし、自分の意思で動けていたら全てが。全てとは言えなくても少しは、変わっていたのかもしれない。
もっと早く動いていれば。確実に〝何か〟は、変わっていたはずだった。
だが……もう、遅過ぎたのだ。
復讐劇の幕は一度上がったら……物語が終わるまで。
簡単に降りることはないのだから────。




