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神官への復讐の始まり

 




 その日──。

 命の象徴ともされる赤橙せきとう色の髪を持つ神官エルムは、大神官カリオスに自分(お主)は《咎人》であると告げられていた──……。



「ま、待ってください……!どっ……どういうことですか!?わたしがっ……!?《咎人》!?」


 驚愕に染まったエルムが、声を荒げる。

 大神官カリオスは真剣な面持ちで、重々しく頷いた。


「そうだ。竜神様が現れ、お告げになられたのだ。お主は、前世の罪で穢れていると」

「なっ!?」

「竜神様は慈悲深い……。その咎が禊がれるよう、お主に試練をお与えになられた。ゆえに神官エルムよ。大神官カリオスの名において命じる。《魔物の森》へ向かい、その咎を祓いなさい」

「っっっ!?」


 エルムは動揺を隠せず、後ずさる。

 実際は人間が魔物を無差別に殺すから魔物達も殺し返すようになったのだが……人間達の中では、その森は魔物が否応なしで襲ってくる危険な場所だとされているのだ。

 彼が不安がるのも仕方ないことだった。


「…………わ、わたし……一人で、ですか……?」

「……当たり前だ。お主のための、試練であるのだぞ」


 大神官は今まで見たことがないような形相で告げる。

 ただの神官と大神官。

 その身分はとても大きく、エルムは逆らうことができない。


「…………畏まり、ました……」



 彼は顔を強張らせながら、頭を下げた──。





 ◇◇◇◇◇





 こうして……碌な準備も出来ずに、エルムは《魔物の森》へ向かうことになった。



 ざわざわと不気味な風が吹き、威圧感を感じる。

 踏み入れるのが恐い。だが、竜神から科された試練であるため、神官として逃げることも許されない。

 彼は恐怖に震える手を強く握り締めて、ごくっと喉を鳴らす。

 エルムは勇気を奮い立たせるように心の中で自分自身を励ましながら……なんとか、森の中へと足を踏み出した。



 グァァァァァァア!


 ギャギャギャギャ!



「っっっ!」


 獣達の声が響き、エルムの身が竦む。

 それでも、彼は進むしかない。

 禊ぎの試練だと聞かされたが、具体的に何をしろとは聞かされていない。《魔物の森》へ向かえとしか、言われていない。

 だが、いつまでここにいればいい?どうすればいい?

 少しでも入れば試練は終わり?

 そんなはずはない。そんな簡単に試練は終わるはずがない。

 エルムはグルグルとそんなことを考えながら、一歩……また一歩と歩を進める。


 そして……。



『グガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!』



 デッドラインを超えるや否や……彼は巨大な熊の魔物に、出会ってしまった。



「ヒィッ!」


 エルムは悲鳴を漏らしながら駆け出すが、魔物は呻き声をあげながらエルムを追う。

 逃げて、逃げて、逃げて。どこにいるかも分からなくなるほどに逃げ続けて。

 だが、今まで神殿の中でしか暮らしてこなかったエルムは森の中で自由に動けず……木の根に足を引っかからせて転んでしまう。

 純白の神官服が土に汚れようとも、そんなのを気にしていられない。



「やめっ……助けっ……!」



 熊の魔物は、その凶悪な顔に醜悪な笑みを浮かべ……彼の身体を、横に薙ぎ払った。



 バキバキバキッ!



 何かが折れるような音と共に、エルムの身体が宙を舞い……木に強く叩きつけられる。

 ズクン、ズクンと脈動するように走る激痛と、ぐにゃりと歪む視界。


(…………あ、ぁ……。わ、たしは……ここで……死ぬ、んだ…………)


 彼は死を実感する。

 ここであっけなく、この世を去るのだと。

 どうしてこんな目に遭わなくてはいけないのか。

 前世の咎は、そんなにも自分を苦しめるのか。

 エルムはボロボロと涙を零しながら、意識が消え去ろうとしているのに……恐怖を覚える。



『待ちなさい!』



 だが……薄れゆく意識の中で……。


 美しい女性の声を、聞いた気がした。





 ◇◇◇◇◇





 柔らかな、花の匂いがした。


 エルムは痛みと、その匂いをキッカケに目を覚ます。


「……………え?」


 そこは、普通の部屋だった。

 ベッドと、テーブルと椅子。それしかないが、確かにここは部屋(室内)で。

 エルムは、どうしてこんなところにいるのかが分からなくて目を何度も瞬かせる。



『あら……目が覚めた?』



 そんな困惑の中──その部屋にある唯一の扉から現れた女性を見て、言葉を失った。

 春を思わせる柔らかな緑色の髪に、琥珀の瞳。白磁の肌を包むベージュのワンピースは、彼女の清楚さをより強く感じさせる。

 仄かに燐光を放つような美しさを持つ女性。

 彼女──人の姿に化けたティターニアは、ぽかんっと口を開けるエルムに向かって、柔らかく微笑んだ。


『気分はどうかしら?』

「…………ぁ……えっ、と……」

『あぁ、動かないで。貴方、酷い怪我だったのよ?』


 彼女に制止され、エルムはベッドに身を預ける。

 ティターニアは椅子をベッドサイドに運び、そこにゆったりと腰かけた。


『わたくしの名前はニア。貴方は?』

「エルム、です……」

『エルムさんね。まずは事情を知りたいでしょう?』


 ティターニアは、熊の魔物に襲われていたところを助けたのだと。

 そして、エルムの身を担いで……なんとかこの家に運んだのだと。


 …………まるで、全てが偶然のように。


 竜によって仕組まれたコトを、語る。


『暫くは動けないと思うけれど……わたくし、回復魔法が使えるの。でも、直ぐに治せる訳じゃないわ。だから、治るまではここにいて下さって構わないわ』

「…………す、すみません……ご迷惑を、おかけしてしまって……」

『ううん、大丈夫よ。謝らないで?困っている人がいたら助けるのは、当たり前のことでしょう?』


 にっこりと微笑んだティターニアは、優しく彼の頬を撫でる。

 その笑顔はとても慈悲深く……優しい母のような優しさがあって。

 エルムは頬を赤くして、目を見開く。


『じゃあ、わたくしは隣の部屋にいるから、何かあったら呼んで頂戴ね。どうぞゆっくり休んで』


 花の匂いを残して、ティターニアはその部屋から出て行く。

 一人残されたエルムは、ドキドキと鳴る胸を押さえてながら、小さく息を吐いた。


「…………まさか……こんな場所で、あんな美人に出会うことになるなんて……」


 魔物に襲われた結果が、こんな出会いに繋がるだなんて……思いもしなかった。

 もしや……竜神はこうして助かることも見越していたのかもしれない。大神官を通じては《魔物の森》へ行くことを命じたのは、竜神の命に信徒として素直に従うか試すため?あの熊の魔物に立ち向かわせるため?

 試練はこれで……終わりなのだろうか?


「…………はぁ。もっと詳しく、試練の内容を教えてくれればいいのに──痛っ!」


 エルムの思考を遮るように、熊の魔物に傷つけられた痛みがズキズキと彼の身体を苛む。

 彼女も『回復魔法が使えるけれど、それでも治るのには時間がかかる』と言っていた。

 何事も、この身体の怪我が治らないと始まらない。どうしようもできない。


「…………ひとまずは……治すことに、専念すべきですね……」


 エルムは、回復のために身体が求める眠りに従い、目を閉じた。



 この出会いが……地獄(復讐)の始まりなのだと、知ることも。気づくこともなく──……。





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