護衛騎士への復讐の始まり
その日、一人の年老いた男の元に美しい男女が現れた。
漆黒の髪と、灰銀色の髪を持つ男女。
二人は金色の瞳を細めて、笑う。
その美しさは人外で。
だが、纏う空気は死神の如き冷たさを放っていた。
男は思う。
妻を早くに亡くし、大切な娘も自殺してしまい……守るべきものも、大切なものも何もない自分の魂を死神が回収しにきたのかと。
願わくば、どうか死後の世界で妻と娘に会えることを──。
だがしかし……彼らが告げる言葉は、違った。
「もし、どんな姿であろうと……娘に会えるとしたら……どうする?」
◇◇◇◇◇
薄暗い夜。
月と星の明かりも鈍く、街灯も消えかけているその墓地に。
ミスティとマキナ……ダイクという年老いた男が、立っていた。
「…………あの、本当に……娘に……。ターニャに、会えるのでしょうか……?」
「さぁ?それはターニャ次第だわ。もし、彼女が成仏していたら……無理ね」
ミスティはクスクス笑いながら、ターニャとだけ刻まれた墓石の前に立つ。
生暖かい風が吹き、彼女の黒髪を巻き上げる。
ダイクは信じられなかった。
人ならざる美しさを誇るこの二人が現れたかと思うと、告げられた〝娘に会いたいか〟という言葉。
娘に会いたい一心で、一、二もなく〝会いたい〟と答えたが……本当に死者に会うことができるのか?
それに、この二人の正体も分かっていない。
信用できるのか……不安だった。
「ではご説明を軽くさせて頂きますね」
マキナは、不安そうな様子のダイクに向き直り、ニッコリと笑った。
「酷なことを言いますが……ターニャ嬢は、騎士タイラーが原因で自殺なさったんですよね?」
「っっっ!…………あぁ……!そう、だ……!」
ダイクは血が滲むほどに強く、拳を握り締める。
タイラーは甘い言葉で、娘に愛の言葉を紡ぎ恋仲になった。
しかし、恋仲になったと思っていたのはターニャだけで。
タイラーにとって、彼女は数ある肉体関係のある女性の一人でしかなかった。
ターニャはそれに絶望し、自殺してしまった。
許し難かった。責任を取らせたかった。
だが、こちらは平民で、向こうは王国騎士だ。訴えたところで揉み消されてしまう……。だからダイクは、泣き寝入りするしかなかった。
「お可哀想に……。貴方も娘さんも、何も悪くないのに……何故、貴方方が不幸にならなくてはならないんでしょうね?なんて理不尽なんだ」
「っ……!」
ダイクの顔が苦しそうに歪む。
そんな彼に向かって、マキナは悪魔の囁きを続けた。
「ですから、我々は貴方の下を訪れたのです。もう一度、機会を与えるために、ね」
「機会、を……」
「はい。ですが、全てが都合良くいく訳ではありません。流石に死者を生き返らせることはできませんので。当然、それは神にだってできやしない。……それくらいはお分かりですよね?」
「…………あぁ……それぐらい、分かってる……」
「それでも。我々でしたら、死者を喚び出す程度までならできます」
「…………っ!?」
ダイクは言葉を失う。
しかし、ミスティはそんな彼に「だけど……」と話を続けた。
「さっきも言ったように、彼女本人に未練がなかったら喚び出せないの。それに、喚び出せたのなら。彼女には私の復讐に付き合ってもらうつもりよ」
「…………ふく、しゅう?」
「えぇ。まぁ、貴方に詳細を話しても無駄だもの。……早速始めましょう」
ミスティはゆっくりと目を瞑ると、その皮膚に漆黒の鱗を出現させる。
禍々しい闇色の力が墓地に吹き荒れ、その金色の瞳が妖しい光を放ち、真っ直ぐに墓石を見つめる。
(鈍く、光る青い魂……でも、グチュグチュと闇を纏っている……)
ミスティはその手を伸ばし、その魂に触れる。
そして、質問した。
(貴女が、ターニャ?)
『…………ぁ………あ……?あな…た……は……?』
(私はミスティ。ねぇ、タイラーに復讐したいと思わない?)
『ふ、く……しゅう…………?』
(私はこれから復讐するわ。だって、とっても酷いことをされたんだもの)
ミスティは自身の四回の人生を、ターニャに送る。
この世界が繰り返されている狂った世界であることと、その悲惨な死に方を見てターニャは言葉を失くす。
(酷いと思わない?あいつは、貴女や他の女達に散々甘い言葉を吐いて、貴女が自殺してしまうほどに追い込んだというのに……最後は自分だけ幸せになるの。最愛を見つけて、幸せに暮らすの。酷い人よね?)
『ぁ……、ぁ……!あぁぁぁぁあっ!』
(だからね?貴女に協力して欲しいのよ、ターニャ)
ミスティは歪んだ笑みを浮かべながら、邪竜の力を放つ。
その力は、ターニャの魂を穢し、徐々に生きていた頃の姿へと変わっていく。
「私の眷属になりなさい。そうすれば、貴女に復讐させてあげるわ」
ターニャはそれを聞いて、その顔に憎悪を浮かべる。
沢山の女性に甘い言葉を紡いで。
だけど、沢山の女性を消耗品のような扱いをしたタイラーが幸せになるなんて、許せない。
裏切られたことに絶望して自殺するほどに好きだったのに……そんなの、許せない。
ターニャはその場に跪く。
そして、告げた。
『どうか、あたしを貴女様の眷属に。お願いします、ミスティ様』
「えぇ」
ミスティは自身の邪竜の力を与えて、眷属化する。
すると、ターニャの身体が半透明ながらも確かに輪郭ある姿へと変わる。
全体的に青白い身体は明らかに人ならざるもので。
しかし、その姿は確かにミスティ達にも見えていた。
『これ、は……』
「死霊ターニャ。それが貴女よ」
『はい、ミスティ様』
「ターニャ……」
ダイクは震える声で娘の名を呼ぶ。
ターニャは自身が最後に見た記憶から、とても衰えた父親を見て目を見開き……涙を滲ませる。
『お父さん。自殺なんてしちゃって、ごめんね』
「あぁ……あぁ!お前は馬鹿だ!あんな屑に惚れて、裏切られてっ……」
ダイクはボロボロと涙を零し、その場に蹲る。
嗚咽を漏らしながら、両手で顔を覆った。
「…………死んだら……もう、どうしようもできないじゃないか……」
『…………っ!』
ターニャは自身がどれだけ短慮だったのかを思わされた。
父と二人、慎ましく暮らしてきた。
だが、ターニャが死んでからは父は一人だったのだ。
母親がいなくても……ダイクが母を愛していたことを知っている。
大切な娘であるターニャを大事にしてくれていたことを、知っている。
死んでしまってから、父を残すことがどれだけ辛いことなのかを知った彼女は……愚かとしか言えなかった。
『お父、さん……!』
ターニャも涙を流しながら、ダイクに抱きつこうとする。
しかし、彼女は死霊。既に死んだモノ。
触れることは叶わず、その手は通り過ぎてしまう。
『……………………ぁ……』
「………死霊は、物に触れることはできません。誰かに取り憑けば話は別ですけどね」
マキナはそう告げるが、竜であるミスティとマキナに彼女が取り憑くことはできない。
逆にその存在を喰らってしまうからだ。
「……………感動の再会をしているところ、悪いのだけど……ターニャは暫く私の復讐を手伝ってもらうわ」
「『…………っ…!』」
「それが終わったなら、貴女が父親と共に過ごそうが何をしようが。勝手にしてくれて構わないわ。だからひとまず、こちらの用事を済ませていいかしら?」
元々、ターニャはタイラーへ復讐するために死霊としてもらったのだ。
彼女は頷き、今だに泣き崩れる父親に頭を下げる。
『ごめんね……お父さん。全部終わったら、ちゃんと話をしよう』
「………………あぁ……あぁ……」
ダイクはミスティを見つめ、頭を下げる。
「……………確かに……娘に会わせて頂き、ありがとうございました……」
「…………生き返らせることができなくて、ごめんなさいね」
「…………いえ……いえ!そんな神の定めに逆らうこと、叶わぬと分かっております!ただもう一度、娘と会えただけ僥倖です……!ありがとう、ございます……」
ダイクの言葉にミスティは薄く笑い、マキナは彼の肩に手を置く。
「何かあれば、神殿に行って下さい。大神官に幻竜マキナに言われてきたと言えば、何かしら優遇してくれるはずです」
「幻竜……竜!?」
「では、失礼しますね」
ミスティが転移を発動させ、三人の姿がその場から消え去る。
一人残されたダイクは……やっとそこで、二人の正体が竜だと知り、再び涙を零した。
竜が起こしてくれた奇跡。
それは、ダイクという信者を生み出すには充分だった………。
◇◇◇◇◇
屋敷に戻ったミスティ達は、早速自分達が竜であり、この世界が何度も時間を繰り返していることや、ミスティがその度に殺されていることをターニャに話した。
彼女は驚きつつも……自身が死霊になっていることから、それに納得し……。
一息ついたところで、作戦会議を行った。
「という訳で……ターニャ嬢を使い、精神攻撃をしていこうと思います!」
マキナの言葉にミスティとターニャは頷く。
マキナは悪そうな笑みを浮かべて、作戦を告げた。
「まぁ、一言で言えばターニャ嬢には奴をストーキングしてもらいます」
『ストーキング、ですか?』
「はい。多分、相手はターニャ嬢が自殺したことを知ってます。だから、そんなターニャ嬢の幽霊が至る所に現れたら……?」
死んだはずの人間が、自分に取り憑いている。
それは、普通の人間なら怯え、精神がおかしくなるほど追い詰められるかもしれない事案だった。
「なるほどね。確かにそれは精神攻撃だわ」
「加えて、僕が《精神干渉》で精神不安定状態にしてやりますので、効果は倍増。で……最終的には…………」
マキナは最終的な目標を話し、ニヤリと笑う。
それを聞いたミスティも薄っすらと冷たく笑った。
「うふふふっ、それ……とっても面白いわ。もう、仕込んだの?」
「いえ、まだです。ですが、ギリギリにして……相手に知られる直前か直後ぐらいにやろうと思います」
「あぁ……それが良いわ。うん、とっても面白い」
ミスティは恍惚とした笑みを浮かべる。
主人が嬉しそうな姿を見て、マキナも嬉しくなってしまう。
そうやって蕩けるような笑みを浮かべ合う二人を見て……ターニャは呟いた。
『会話が物騒ですね……ミスティ様が復讐する理由は分かりました。でも、マキナ様はなんで復讐を?』
その質問に、マキナは「あぁ」と答える。
「君には竜の異常性を話してませんでしたね。竜はどこかしら壊れている存在です」
『壊れている?』
「えぇ。僕は主人のために犠牲になることが至福なんです」
『…………………』
「だから、お嬢様が幸せなら僕も嬉しい。お嬢様が僕を沢山使ってくれるのも、嬉しい。いつか使い捨てにされても構わない。お嬢様の敵になるものは全て排除しよう。お嬢様が復讐の道を進むなら、その傍らに。お嬢様が地獄に堕ちるなら、共に堕ちよう。それぐらい、僕はお嬢様に利用されることが幸せなんですよ」
蕩けるような笑みを浮かべ、だが狂気的な瞳を細めるマキナにターニャはぞくりっとする。
死んでいる存在が感じるのは恐怖。死すら生ぬるい、狂気。
「あぁ……言っておきますが。死霊であれど、君の基準は人間でしょう?だから、僕達と君の考えが一致すると思わないで下さい。人間の枠組みで僕達を考えようとしないことです。竜は狂っている。だから、倫理観も道徳心も、常識も。何もかもが違っている。もし、眷属となった君が少しでも裏切ろうとすれば情状酌量の余地なしで消滅させるやもしれませんから……自分の行動は考えてくださいね?お嬢様が君を死霊として喚び、眷属化したのは……復讐のためなのですから」
マキナから放たれる威圧感に、ターニャはぶるぶると震える。
彼の言葉は、きっと全部本当だ。嘘じゃない。
もし、彼女が裏切ろうとしたら……容赦なく消滅させられるだろう。
ターニャは言葉もなく、何度も何度も頷く。
「……じゃあ、早速。ターニャ嬢はストーキングを開始して下さい。常時いるんじゃなくて、最初はそれっぽい雰囲気を匂わせたり、一瞬で消えたりして……徐々に出現時間を伸ばしていく。物陰に隠れたりとか、鏡ごしで見えたりとかが効果的かもしれませんね。ひとまずはそれから始めて下さい。彼の様子次第で、随時指示を出します」
『…………わ、分かりました……』
ターニャは慌てて壁を通り抜け、タイラーの元へと向かう。
ミスティはそんな彼女を見て、マキナに質問した。
「脅し過ぎたんじゃない?」
「いえ、アレくらいが丁度いいですよ。父親の涙で復讐心が薄れてしまいましたからね。恐怖で縛りつけるのは大事です」
「………………あぁ……なるほどね」
「一応、《精神干渉・憎悪増強》をかけておいたので直ぐにタイラーへの憎悪に染まると思いますけど」
クスクスと邪悪な笑みを浮かべるマキナに、ミスティはいつの間に精神干渉していたのかと目を瞬かせる。
彼はそんな彼女の心境を察し、ニヤリと笑った。
「竜ですから、できないことの方が少ないんですよ?」
「何回も聞いたわ」
ミスティは笑う。
こうして、一人目への復讐が始まった────。




