邪竜の逆鱗
翌日──。
早速王城に呼ばれたミスティは、応接室でゆっくりと目を閉じていた。
鋭くなった五感は、どうやら王宮全体の状況を把握するのも簡単にしてくれるらしい。
背後に立っていたマキナも、王城を探り終えたのか小さく息を吐いた。
「洗脳の類はなし。どうやら、王太子イオンもまだ洗脳されていないらしいですね」
「……洗脳される可能性が?」
「ラグナ様の時は洗脳がありましたので」
「そう」
暫くして、国王陛下がやってきた。
柔らかな水色の髪。婚約者であったイオンを大人にしたらこうなるのだろうと思えるほど、似通った顔。
ミスティは沸いた怒りにぎりっと歯を噛み締める。だが、それを隠して穏やかに微笑む。
彼女は恭しく一礼をしてから、国王に挨拶をした。
「ご機嫌よう、陛下」
「やぁ、ミスティ嬢。急にすまないな」
「いえ」
国王イースはミスティに向かい合うようにソファに座る。
そして、真剣な眼差しで彼女を見つめた。
「単刀直入に言おう。神殿から、イオンとミスティ嬢の婚約解消を進言された。君の父上にも伝えて──」
「ドラグーン公爵から聞きました。私もそれを受けました」
「………………は?」
その返事を聞き国王は固まった。
確かに、ドラグーン公爵に連絡をした。
この婚約は王家と公爵家のモノなのだから、当たり前だろう。
しかし、そこまで公爵が話を進めているとは思ってもなかったのだ。
少なくとも、イースはミスティにもその話をし、それから婚約解消に乗り出すつもりだった。
だが、ミスティは驚き固まる国王を無視して話を続ける。
「婚約解消は決定事項であるそうですが……毒殺の恐れがあるため表向きは私が婚約者のままで、新しい婚約者には私の異母妹が据えられるそうです」
今までと展開がかなり変わってしまえば……向こうにミスティが記憶を思い出したことやマキナの存在がバレてしまうかもしれない。
そうなると、向こうも警戒して簡単に復讐できないかもしれない。
そのため、表向きはミスティが婚約者のままでいる必要があった。
ゆえに、マキナはそうなるように誘導した。
(…………本当は嘘でも婚約者でなんていたくないけど、復讐のためだもの。仕方ないわ)
ミスティは自身の目的を言わずに、公爵がしようとしていることだけを告げる。
国王は公爵の独断を聞き、慌てて彼女に聞き返した。
「待て!待て待て!ミスティ嬢はそれを受け入れたのか!?」
「えぇ。元々、王家と公爵家の婚約。私じゃなくても問題はないかと」
ミスティは薄ら笑いを浮かべる。
そう、拒否する必要などなかった。
誰が自分を裏切り、殺した男の婚約者でなどいたいものか……。
元よりミスティが望んだ婚約ではない。
だから、断る理由はない。
(…………あぁ……復讐のためとはいえ……どうしてあいつの婚約者でいなくちゃいけないの……?あいつはカロリーナに心を奪われて、私の言葉を聞かず、理不尽な理由で殺したわ……許さない……あいつらを……殺してやりたい……殺して……壊して…………)
ミスティの笑みはどんどん歪み、酷く冷たいモノになる。
思考が先ほどとは打って変わり、怒りと憎悪に染まる。
彼女の頬に漆黒の鱗が浮かび、マキナの容姿を誤魔化す幻覚すら侵食して。
金の髪が漆黒に。
碧眼が金の瞳に。
その美しさは人外のモノへ。
だが、その威圧は人々に畏怖を与える。恐怖を与える。
その姿を面前で見てしまった、国王は顔面蒼白になった。
背筋を走る悪寒。身体が震えるほどの恐怖。
イースは目の前にいる令嬢が……姿を変えたミスティに怯えてしまう。
「お嬢様、落ち着いて下さい」
だが、ミスティが暴走する前に彼女を止めるモノがいた。
優しい手が彼女の目を隠し、温かい温もりがじんわりと滲んでくる。
ミスティはまた、あの憎悪に飲まれかけていたのだとなんとなく理解する。
パキパキと音を立てながら、漆黒の鱗は黒い粒子になって宙に消える。
マキナはそれを確認してから、優しく問うた。
「落ち着かれましたか?」
「………………えぇ」
ミスティが素直に頷くのを見て、マキナはゆっくりと手を離す。
彼女は漆黒になった自身の髪に触れ、彼に困ったように笑いかけた。
「……ごめんなさい、マキナ。幻覚が解けちゃったわ」
「構いませんよ。話が早くなっただけですから」
そこでマキナも自身にかけていた認識阻害(今回は顔が曖昧になるらしい)を解き、真っ直ぐに国王を見つめる。
イースは、今まで背後に立っていた侍従がいきなりとても美しい存在感を放ち始めたことに、目を見開いた。
「初めまして、国王イース。僕は《迷霧の幻竜》マキナ」
「なっ!?竜だと!?」
「えぇ。じゃあ、早速……この記憶をご覧下さい」
一瞬の内に国王の背後に回ったマキナは、その頭に触れ、ミスティの死の記憶を流し込む。
国王は「うがぁぁぁぁぁぁあっっっ!?」と悲鳴をあげながら、地面に倒れ込んだ。
「あぁ、いけない。痛みまで再現して送り込んじゃいました。まぁ、でも?これで真実だと分かってくれますよね?」
そう笑って言うが、彼はワザと痛みを再現していた。
痛みは脅しの役に立つからだ。
「さて、実は君の息子とその取り巻き達にちょっと復讐しますので、その旨よろしくお願いしますね?」
「あ……ぁぐっ……」
「おや……困りましたね。死の痛みでマトモな返事ができませんか。なら、《精神干渉》っと」
「うぐぁっ!?」
ビクンッ!と国王の身体が震え、目の焦点がマキナに向かう。
マキナはにっこりと微笑んで、首を傾げた。
「たかが死の痛み程度でイカれかけてしまうとは。人間というのは脆くて仕方ないですよね」
国王イースは、この状況に言葉を失くす。
マキナに与えられた、ミスティの死の記憶。
冤罪で死ぬことへの無念。
首を刎ねられる、火で炙られる、毒で苦しみ銃で撃たれ……心臓を貫かれる。
どうして狂わずにいられるのか?
一体、あのミスティの記憶は痛みは、なんなのか?
あの記憶に映っていた……者達は。
国王は震える身体を抱きながら、マキナを怯えた視線で見つめる。
「どうして記憶を見せたんだって顔ですね。君に教えてあげるためですよ?君の息子がミスティお嬢様を、冤罪で殺すことをね。君達が信仰する竜であるお嬢様を殺したことを」
「イオン、が……」
「そう、竜姫候補カロリーナ・ディスン。彼女に誑かされてね」
マキナは語る。
この世界が悪しき竜によって何度も時間を繰り返していること。
その度に竜姫候補カロリーナに誑かされた青年達が、ミスティを冤罪で殺しているのだと。
「だから、ミスティお嬢様と僕は奴らに復讐することにしたんです。多分、王太子イオンは廃嫡になると思ったので事前に教えてあげようと思いまして」
「そ、んな……」
「復讐するのは確定です。だから、お前はただソレを見てればいい。あぁ、文句は言わせませんよ?お前はミスティお嬢様が死ぬ時、救えなかった。国王であるお前だけが、ミスティお嬢様を救えるかもしれなかったのに、お前はソレを見逃した。冤罪で殺すのを許した。実際に殺してはいないけれど、お前も加担したようなモノ。さっきの痛みもその代償だと思えば、優しいモノだろう?お嬢様は四回も……いや、記憶を思い出してないだけでそれ以上殺されてるかもしれないか。まぁ、とにかく。何度も殺されているんだから」
マキナの笑顔はとても綺麗なのに、とても不気味で。
仄暗い光が、その金の瞳の奥でゆらゆらと揺れている。
国王は震える声で、彼に質問した。
「な、何故……貴方様が、復讐を……」
「僕が仕えているのがミスティお嬢様だからです。というか、さっきからお嬢様と言っているでしょう?馬鹿ですか?」
「ミスティ嬢に……」
国王イースはミスティの方を向く。
彼女はなんの感情も宿さない顔で、ただマキナと国王を見つめていて。
その顔を見て、国王は思ってしまった。
「ミスティ嬢は……復讐したいと……本当に思っているのか……?」
もしかして、あの記憶はマキナという青年が作った偽物ではないかと。
唆されて復讐をしようとしているのではないかと。
だが、国王は分かっていなかった。
ミスティが、隠している憎悪を。
「思っているに……決まっているだろうがっっっ!」
「うぐぅっっ!?」
ミスティは憎悪に染まった顔で、国王の首を絞める。
その目は鋭くなり、歯をギリギリ噛み締めながら彼女は叫ぶ。
「思わないはずがないだろう!?復讐したいと思うに決まっているだろう!?私は何もしてなかった!あいつの婚約者として、きちんと振舞っていた!例えば、向こうが婚約を解消したいと言えば素直に頷いたのに!なのに、私は虐めてもいないのに、虐めたと言われて!意味もなく、〝竜姫候補を殺そうとした〟なんてありもしない冤罪で!理不尽な死を与えられたんだ!恨まずにいられると思うのか!?向こうが先に裏切ったんだぞ!?私という婚約者がいたのに、あの女に現を抜かして!〝真実の愛を見つけた〟だと?ふざけるな!」
ミスティの肌に再び漆黒の鱗が浮かび、その手が徐々に竜化していく。
それほどまでに、国王の言葉は彼女の逆鱗に触れていた。
「許さない、許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さないユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイ」
メキメキと音を立てて、国王の意識が遠くなり始める。
だが、ミスティは止まらない。
破壊に思考を支配された邪竜は止まれない。
「殺してやる殺して殺してや────!」
「チッ……!《精神干渉・意識消失》!」
「う、ぁ………」
国王を殺す直前。
マキナは慌てて精神干渉をして、彼女の意識を刈り取る。
ぐらりと倒れる二人の身体。
だが、マキナはミスティの身体しか支えず……国王の身体はそのまま地面に倒れ込んだ。
「がはっ……!ゴホゴホッ!」
「…………はぁ……何してるんだ、お前。彼女の記憶を見ただろうに」
マキナは薄っすらと涙が浮かぶ彼女の目尻を拭いながら、呆れた顔を国王に向ける。
国王は咳き込んだまま、彼の方を見つめた。
「…………少し考えれば、わかると思ったんですけどね。お前だって、自分の妻が他の男に唆されて自分を殺そうとしてきたら、怨むでしょう?」
「ごほっ……だ、がっ……ミスティ嬢は……普通のっ……」
「力の安定化を図るために、僕が精神干渉でミスティの感情が余り表に出ないようにしてただけですよ。ミスティはまだ竜の力に目覚めたばかり。言わば、子竜だ。親が面倒を見なくては力を暴走させる危険がある。今回は僕が側にいたから止められたが……いなかったら、世界が終わっていたぞ」
マキナは今だ咳き込む国王を呆れた目で見ながら、言う。
「まぁ、これで分かりましたよね?ミスティお嬢様には今、復讐という目的があります。目的があるから逆に、この程度で済んでいるんです。でも、その目的を邪魔しようとするなら……お嬢様の内に秘めた竜の力が行き場を失くし、世界を滅ぼすでしょう。少数を取るか、多数を取るか。お前ならどうするべきか分かりますよね?」
国王という身分なら、大事なもののためになにかを切り捨てる覚悟を持たなくてはならない。
大勢の命あるこの世界か、自分の息子を含めた五人の命か。
どちらがマシかなんて、馬鹿でも分かる。
「なんで……こんなことにっ……」
「…………そんなの決まってますよ。彼らが罪もない少女を無残にも殺したからだ。この復讐はその代償だ。それにね?」
マキナは笑う。
嘲るように、笑う。
「この世界は理不尽でできているんです。どう嘆いたって、どう隠そうとしたって必ず見つけ出してその代償を払わせる。あの五人は壊れる結末しかないんですよ」
国王はそれを聞いて、言葉を失くした。
もう、彼は何も言うことができなかった。
「では、親愛なる国王陛下。貴殿のご子息がまだマトモな内に、最後の親子時間を堪能して下さいね?」
その言葉を残して、ミスティを抱き抱えたマキナは姿を消すのだった。




