第53話 ブラスターと赤熊②
赤熊隊長は警察署に男を引きずりながら入ってきた。
「やあどうも!」
ブラスターが声を掛けると彼女は露骨に面倒くさそうな顔をする。
「お前と話している暇はない。忙しいんだ」
「暇なくせに。人間の犯罪者を捕まえるのはあなたの仕事じゃないでしょ。ウォールナット事件の捜査が進まないから、その無力感を払拭するために別の活動に過度に没頭している。バウムクーヘン食べて落ち着きなさい。私の手作りです」
「いらん。このひったくり犯に食わせるか」
「殺して霊媒すれば楽なんですけどねえ。死者は真実しか言わない」
ブラスターはいつもショットガンを持ち歩いていた。赤熊隊長に引きずられていた男は銃口を向けられて悲鳴を上げる。
「やめろ。今から取調べするんだから。脅したら証拠能力が低くなるだろうが」
「だーかーらー、それはあなたの仕事じゃありません。そこのあなた!」
ブラスターは近くにいた警官を呼び止めた。
「ひったくり犯を取調室へ。赤熊隊長は私とこちらへ。近くに行きつけのバーがあるのでそこでお話しましょ」
「なんでお前なんかと……」
赤熊隊長は何か罵倒の言葉を投げようとしたが、こめかみを押さえて少しふらついた。
「いや、ちょっと飲みたい気分だ」
「あなたがこうも取り乱すとは珍しい。いったい何があったんです?」
「……負けたんだ」
「誰に?」
「黒いレインコートを着た謎の男にだ。この私が! 人の形をした奴に負けた!」
「………………ほーう?」
ブラスターには心当たりがあった。
「戦った時のことを詳しく教えて下さい」
「奴はトライカラーの人狼を助けに現れたんだ。レインコートのフードを目深に被っていたから顔は見えなかった。奴は私の目を見もせず全ての攻撃をかわしてみせたんだ。信じられるか?」
赤熊隊長は悔しそうに顎をさすった。
「顎に1発喰らって、怯んだ隙に逃げられたよ。まったく情けない……」
レインコートを着た男は戌井で間違いないだろう。彼なら赤熊隊長を完封するくらいやりかねない。
トライカラーの人狼を助けるためだと? 何のために?
ブラスターには戌井を監視する責任がある。戌井に殺しの技術を叩き込んだのは彼だからだ。短期間で猿渡日和の信頼を勝ち取ったことは高く評価しているが、この世に完全に信用できる人間など存在しない。不穏な動きをしているならば見過ごすわけにはいかなかった。
ブラスターは思わず舌打ちした。
「何やってんだアイツ……」
「何か言ったか?」
「べっつにぃ~。しかしそのレインコートの男には心当たりがありますよ」
「何だと? いったい誰なんだ?」
「まあまあ。続きはバーで1杯飲んでからにしましょう」
★★★
ブラスターはバーのマスターと仲が良かった。死んだ父親を霊媒し、3つの質問で生前話せなかった本音を引き出し、親子のわだかまりを解いたことがあるのだ。持ち込み飲食は本来ならば不可だが、ブラスターに限り許可されている。2人きりで話したいと言うと、マスターはラム酒入りのカフェオレを作った後、奥の部屋に引っ込んでくれた。
「バウムクーヘンのお味はいかがです?」
赤熊隊長はむっつり顔で頬張りながら言った。
「レインコートの男について話せ」
「料理をじっくり味わえないような人には教えませーん」
「おい、ふざけるな。さっさと教えろ。私は早く事件を解決したいんだ」
「何か心や体に不調をきたしている時にはそれが治るまで全力で休むべきです。適切な休息を取らないと最大40%も生産性が落ちる。それにあなたが燃え尽きてしまうとチーム全体のパフォーマンスが下がります」
「ただ横になって何もしないなんて耐えられない」
「リラックス方法は人それぞれですから、適度に働くのはいいんですよ。ただあなたの場合はやりすぎです。せめて食事の時間くらいゆっくり楽しんだらどうなんです?」
「……チッ。わかったからそのニヤついた笑みでこっちを見るな」
ブラスターはカウンターに肘をついて、液晶パネルにニコニコした顔文字を映していたが、赤熊隊長にそう言われて前を向く。しばらくの間、彼女は無言でバウムクーヘンを食べた。少量ずつ口に運んではラム酒入りのカフェオレを飲んで、口内で2つの風味を味わっている。
「……美味しい。このラム酒入りカフェオレに合う」
「それは良かった! やはり手料理を振る舞うのは楽しいものですね」
「お前はいつも飄々として掴みどころがないから、言葉通りに受け取っていいのかよくわからん。だが今回は礼を言っておこう。ありがとな」
「もうツンツンしちゃってぇ。もっと頼ってくれてもいいんですよ?」
「調子に乗るな。で、レインコートの男は何者なんだ?」
「おそらく殺し屋レインでしょう」
赤熊隊長は聞き慣れない言葉に顔をしかめた。
「殺し屋レイン? 裏社会じゃ有名な奴なのか?」
「ええ。主に犯罪組織や違法なコレクターを相手にしている殺し屋です。いつも黒いレインコートを着ているからレインと呼ばれています。素性は一切わかりませんが、裏社会じゃ最強と謳われる実力者です。負けたとしても悔しがる必要はありませんよ」
「そいつは人狼なのか?」
ブラスターは液晶パネルの目を一瞬いたずらっぽく大きくした後、すっと目を細めてすっとぼけた。
「さあ。今話したこと以上のことはわかりません」
「なんでそんなに裏社会のことに詳しいんだ?」
「犯罪組織に喧嘩を売るのが趣味でしてねえ。最近はどいつもこいつもビビって張り合いがありません」
「ならず者の恨みを大勢買ってそうだな。お前と関わりたくない理由が1つ増えた」
「ハッ、あなたなら人質にされる心配はないでしょう? そういう意味では、安心して絡みに行ける数少ない友人です」
「相手にするのは人狼だけで十分だ。私はただひたすらに人狼を狩る。そうすればいつか……兄貴に辿り着けるかもしれないからな」
「ああ、あなたの兄は人狼でしたね」
「……」
赤熊隊長はコップを握りしめ、ラム酒をぐいと飲んだ。
「殺し屋レインが人狼かどうかはわからないが、少なくともトライカラーの人狼には加担している。それなのに奴は私を殺さなかった。人型の相手に全く歯が立たなかったのも悔しいが、何より心をかき乱されるのは、人狼側に情けをかけられたことだ。まったく腹立たしい!」
「レインは独自の信念を持って活動しているようですね」
「だからといって私は人狼に同情したりなどしないぞ。ウォールナット、トライカラー、白狼。この中の1人でも始末できれば、またいつもの調子を取り戻せるだろう」
「なるほど。では私も手伝いますよ。ウォールナットが時雨くんの家を襲撃したそうですが、彼はどうやって生き延びたんです? まだ報告書にきちんと目を通していなくてですね」
「家に侵入してきたから先手必勝で包丁を突き刺したらしい。戌井くんには驚かされてばかりだ。正直なところ人狼じゃないかと疑ったこともあるが、正式に人間だとわかってホッとしたよ。ぜひともSTに入ってほしいものだ」
「ずいぶん彼を買っているようで」
「実績があるからな。彼が共有してくれた地図を見たか? 人狼が隠れそうな場所をほぼ全て網羅してある。これのおかげでトライカラーの人狼を見つけられたから、なかなか精度は高いと言えるぞ」
戌井はそこら辺の犬より散歩が好きだ。散歩は科学的に集中力を向上させる効果があるので、ブラスターはまず真っ先に散歩を習慣化するよう彼をしつけた。
江戸時代の飛脚みたいに長距離を歩き回るとは思わなかったが。そのついでに人気がなく獣化後に服を着る最適な場所を点検するようにも教えた。その場所をSTに開示するとはほとんど自殺行為だ。
「ほう! この地図を時雨くんが? 自分から言いだしたんですか?」
「日和ちゃんを通して共有してくれたから、あの子がそうした方がいいと促したんじゃないかな。あの2人、仲が良くて可愛いよね」
「今可愛いって言いました?」
「これまで日和ちゃんが学校の話を積極的にしたことはなかった。口を開けば人狼事件のことばかり。私も学生時代は人狼をぶちのめすことしか考えてなかったからなあ。でも大人になるとあの一瞬しかない青春をただ無為に子供らしく楽しめばよかったって、眩しく感じちゃうよね」
「さあ。私には学校に行きたがる人間の気持ちはわかりませんね」
「意外にも中卒だったっけ」
ブラスターは夢の国のネズミのような裏声で言った。「おっとそれ以上はいけない」
「人狼ゲームの配信で自分でいじってるくせに」
「おやおや配信を見てくださっているとは! ふーん……」
「預言者サニーが出てる回だけだ。お前に興味はない。日和ちゃんは妹みたいなもんだから、存分に青春を楽しんでほしいな。彼女、戌井くんとお弁当を作りあいっこしてるらしいよ。可愛いよね」
「いささか仲が良すぎるのでは?」
「まあ、男の家で夕食を食べているのは少し心配だが。戌井くんなら馬鹿な真似はしないって信じてるよ」
男女がくっつくといつも物事をややこしくする。日和の存在が戌井に良い影響をもたらすのかどうか、まだわからない。ひとまずブラスターは話を事件のことに戻した。
「サニー君はウォールナット襲撃の時も彼の家にいました?」
「ああ、クローゼットに隠れていたらしい。戌井くんが包丁で刺した後、ウォールナットは窓を割って逃亡した。この辺がどうも要領を得ないが、怪我が深かったので逃亡を優先したんだろう」
「それで?」
「戌井くんの地図をもとに捜索したところ、オトハ公園のトイレに2名の男を発見した。1人は脇腹と片目を負傷していて、もう1人はトライカラーの人狼だ」
「その負傷した方がウォールナットでは?」
「ああ。当時はトライカラーに襲われた被害者だと思っていたが……あの後すぐに行方を眩ませたから、仲間を囮にして逃げたんだろう。で、トライカラーの方を見つけたはいいものの、殺し屋レインに邪魔されて始末できなかった」
「ウォールナットは片目を負傷していたと言いましたが、それも時雨くんが?」
「いや、刺したのは腹だと日和ちゃんから聞いた」
「なら、なぜ片目を負傷しているのか」
「確かに妙だな……でもそれが何だと言うんだ?」
猿渡日和は本当のことを話していない。戌井は白狼になってウォールナットに応戦したはずだ。しかしそれを話すわけにはいかないので、赤熊隊長には大幅に省略した話を聞かせている。
実際のところ、日和はクローゼットの中で大人しくはしていなかった。白狼を援護するために拳銃を発砲したのではないか。片目の負傷は銃弾によるものと考えると――
おいおい。あのバカ。こんな肝心なことに気付いていないのか。どうせ忘れているんだろうが。
仕方ない。今回は手伝ってやるとしよう。
ブラスターは勢いよく立ち上がった。
「今すぐSTを結城高校へ向かわせなさい。サニー君が危険だ」
「なぜそんなことがわかる?」
「ウォールナットはサニー君の姿を見た可能性がある。奴の狙いは時雨くんです。理由は不明ですがね。しかし時雨くんが見つからない以上、次に目をつけるのは――」
赤熊隊長も立ち上がった。
「そうか、戌井くんと親しい人間を人質に……今までは怪我が治るまで動きがなかったが――」
「そろそろ動き出す頃合いでしょう」
「くそっ!」
ブラスターと赤熊隊長は急いでバーを出た。




