第51話 日本史とロシアン・ルーレット
正面入口からキャバクラの中に入った。
黒で統一された落ち着いた内装で、広々としていた。T字の革張りのソファにカモメちゃんが座り、長いツインテールを手に持って震えている。
その後ろにリンと思しき男が立っていた。ショットガンをソファの背もたれに乗せて、しっかりとカモメちゃんの後頭部に押し付けている。9歳の女児とはいえ、獣化すれば厄介なので全く油断していない。
戌井と鳩貝ウツロが入ってくると、リンが言った。
「1人で来いと言っただろう。お前は誰だ?」
「鳩貝ウツロの被害者だ」戌井は言った。「お前と同じ」
「ええ!?」
カモメちゃんは戌井を見るなり目をキラキラさせた。
「レインお兄ちゃん!」
戌井は彼女に大人しくするよう目配せをした。
リンが言った。「そこで止まれ。被害者だと? どういう意味だ?」
戌井は鰐淵恭也と話したことを思い出した。鳩貝ウツロは人脈の広さを活かした情報の入手やモノの調達には定評があるが、なぜあんなに人間関係のトラブルが絶えないのか、という話題で雑談したのだ。
『奴は自己肯定感が異常に低いのさ』と、鰐淵恭也が言った。『ある程度関係が深まると不安を感じて距離を取ったり、関係を終わらせたりする。そのくせ、寂しがり屋だから誰彼構わず手を出すんだ。親と折り合いが悪かったと聞いたが、その影響だろう』
『よくわからないな』
『お前は母親に愛されていたからだ。奴の気持ちなんか一生理解できねえだろうよ』
『どうして母さんのことを知っているんだ?』
鰐淵恭也は答えなかった。その記憶には色々と思うところがあったが、今は目の前のことに集中しよう。
戌井は言った。「あんたは鳩貝ウツロを愛していた。上手く行っているように見えたのに、こいつは突然、何の理由もなくあんたを振った。そんなところだろう? あんただけじゃない。こいつは何十人に同じことをしている」
鳩貝ウツロは気まずそうに顔を俯けた。
「……今回は相手が悪かったな。俺は弄ばれるのは好かない。人狼だって秘密も話してしまったしな。落とし前は付けてもらうぞ」
「この馬鹿のせいでカモメちゃんが危険な目に遭うのは耐えられない。俺とこいつの腎臓を1つずつくれてやるから、それで手を打とう」
「腎臓どころか体の余す所なく貰ってやる。俺は徹底的にやる性質でな。おい、小娘。テーブルの上にある拳銃とビデオカメラを思い切り滑らせろ。妙な真似をすれば撃つからな」
カモメちゃんは緊張した面持ちでリンの言う通りにした。リヴォルヴァーとビデオカメラがテーブルから落ち、床の上を滑ってこちらの足元にやって来る。
「レインとか言ったな。お前は拳銃を、ウツロはビデオカメラを拾え」
戌井はリヴォルヴァーを拾ってシリンダーを開いた。薬室は6つ、弾丸は1つ。
「ロシアン・ルーレットか」
「シリンダーを回して撃鉄を起こせ。ウツロはビデオカメラを回せ。お前のような綺麗な顔の男が、恐怖に顔を歪めるさまを見るのが好きな連中は一定数いる」
「役割を逆にしよう」ウツロが言った。「ボクが拳銃を持つ。全部ボクが悪いんだし、ボクも顔は綺麗――」
「ダメだ。まず、お前の大切な人間を目の前で奪う」
「回数は?」
戌井が落ち着いた調子で聞くのでリンは眉をひそめた。
「お前、なぜそんなに余裕なんだ?」
「回数を言え」
「チッ……小娘。今いくつだ?」
カモメちゃんは声を震わせながら言った。
「……さ、さん――」
「嘘を吐いたら撃つ」
「きゅうさい!」
「なら、9発だ」
「しかし薬室は6つしかないんだぞ」ウツロが言った。「確実に死んじまうじゃないか」
「3発撃ったらシリンダーを回せ。運が良ければ生き残れるだろう。生き残ったパターンの方が大衆向けの映像になる。ま、頑張ってくれ」
戌井はスマホを取り出し、アプリ『ユイシロ・マスター』を起動した。
「命の危機を感じると脳が活性化して記憶力が高まる。せっかくスリルを味わえるんだ。勉強に役立てるとしよう」
戌井はウツロにスマホを投げて渡した。
「日本史の問題を読み上げろ。俺が口頭で答えを言う。間違えたら1発撃つ」
「この状況で勉強だと……?」ウツロは冷や汗を流した。「最後の言葉が三内丸山遺跡になってもいいのか?」
「答えを言うんじゃない。問題を言え」
「自然物に霊異が存在するという考えの名称は?」
「アニミズム」
「男性の生殖器を表現したと思われる土製品の名称は? なんじゃこりゃ? 下ネタか?」
「石棒」
「縄文人とは仲良くなれそうだ」
「お前の感想は聞いてない」
「じゃあ時代を飛ばすぞ。603年に定められた冠による位階制度の名称は?」
「……わからん」
「バカ! 冠位十二階だろうが!」
戌井はテーブルの上に置いた拳銃を手に取ると、銃口を自分のこめかみに当てて引き金を引いた。ウツロは目をぎゅっと瞑って顔をそらす。
カチリ。
「次の問題だ」と、戌井は言った。
「なぜそこまでやる? なぜ他人のために命を懸けられる?」
リンは本気で不可解そうな顔をしている。
「自分のためだからだ。カモメちゃんを助けたいというのも自分の欲だ。欲しいものすら手に入れられないなら、そんな人生はいらない」
戌井はもう一度、引き金を引いた。撃針が薬室を叩く。
カチリ。
「なんで今2発撃ったんだ!?」
「問題を言え」
「わ、わかった。さっきは時代を飛ばしすぎたからな。少し遡ろう。邪馬台国の女王の名は?」
「卑弥呼」
「卑弥呼は預言者だったという説がある。くそっ、預言者め。人狼にも良い奴はいるのにその秘密を暴くなんて最低だ!」
「預言者は自分の役割を果たしているだけだ。そして、預言者の中にも良い奴がいる」
「ふうん……なんで預言者の肩を持つんだ?」
「黙って次の問題を読め」
「6世紀、百済から渡来した五経博士が伝えた思想は何か?」
「儒教」
「次は難しいぞ。倭の五王の名前を全員言え」
戌井は首を振った。
「讃・珍・済・興・武だぞ」
「覚えられるわけがない。もっとスリルが必要だ。弾丸をもう一つ寄越せ。シリンダーに2発込める」
「何だと?」
リンは驚きの声を上げた。
「それではもはやウツロも小娘も関係ない。ただ勉強のためにスリルを楽しもうと言うのか?」
「お前もきちんと勉強していたら、小さな子にショットガンを向けるような生き方をしなくて済んだだろう」
「ガキが……俺にハッタリが効くとは思うなよ。いいだろう。弾丸をもう1つくれてやる。ただしこっちに向けて撃ってみろ。俺は死んでもこの引き金を引いて小娘の頭を吹っ飛ばすぞ」
「女の子の後ろに隠れて脅し文句とは、恥ずかしい奴だな」
リンは苛立ちをあらわに、乱暴に弾丸を投げて寄越してきた。戌井は空中で弾丸をキャッチした。
「弾丸を込めたらシリンダーをよく見せろ。ちゃんと中に入れたか確認する」
戌井はシリンダーを開いたまま見せた。リンは注意深くこちらを凝視していた。背後から忍び寄る、猫のようなトライカラーの獣にはまるで気付いていない。
「薬室に2発……間違いない。イカサマはなしだ。シリンダーを閉じろ」
リンの意識を最大限、こちらに惹きつける必要がある。戌井はシリンダーを回してこめかみに銃口を当てると、焦らすようにゆっくり引き金を引いた。確率は3分の1。薬室が回り、撃鉄が落ちる。
カチリ。
音が鳴った瞬間、トライカラーの獣が大口を開けてリンをショットガンごと丸呑みにした。骨を砕く音が響く。トライカラーの獣は口をもごもごさせるとショットガンの部品をぺっと吐き出した。それから満足そうに目を細め、手を舐めて毛づくろいを始める。




