第44話 トライカラーの獣②
※冒頭は別人の視点
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「勝手に戌井を襲撃するなんて正気か? 俺がそれとなく奴を探るって言ったじゃないか!」
黒鶴ナギは車を運転しながら文句を言う。彼の年齢は16歳だが、偽造した免許証の上では成人男性ということになっている。黒鶴ナギという存在自体、何もかもが嘘っぱちだった。彼は今、ウォールナットの人狼――松鷹を迎えに行くために車を走らせている。
「いいから早く来い。ちくしょういてえ……あの野郎ぶっ殺してやる……」
助手席に置いているプリペイド式携帯電話から松鷹の声が響く。
「不法侵入者だからっていきなり刺すかよ普通」
「奴はただ者じゃない。これでよくわかっただろ? 戌井を捕まえるなら慎重にやらないと……」
「てめえが尻込みしたから俺が代わりにやってやったんだ」
「尻拭いするこっちの身にもなってほしいな。中間テストが終わるまで待てと言ったはずだが?」
「何が中間テストだ、良い子ぶりやがって」
「成績を良くするのは少ないリスクで大きなリターンを得られるからさ。少なくとも今の社会システムではコスパが良いんだよ。良い子になりたいからじゃない」
松鷹は単に動物園で邪魔をされた恨みを晴らしたかっただけだろう。戌井のジャージのにおいを嗅がせた時には危うく引き裂かれるところだった。気持ちはわからないでもないが。首に大怪我を負わされ、手持ちのRJを全て失くしてしまったのだから。黒鶴だってRJを摂取しなければまともに生きていけない。
そうはいっても松鷹は感情的に動きすぎだ。いつだって怒りに任せて行動し、結果が悪ければ人のせいにしてくる。
「ふん、戌井を捕まえなきゃ俺達は2人とも終わりだ。成績の心配よりまずこっちだろうが」
「……わかってるさ」
黒鶴は運転しながら下唇を噛んだ。松鷹にとやかく言われるのは腹が立つが、自分がのっぴきならない状況に陥っていることは間違いなかった。
松鷹はオトハ公園のトイレの中にいた。上半身裸で汚い床にだらしなく座り込んでいる。片目からは血が流れ、戌井に脇腹を刺された傷は深く、着替えのために用意していたYシャツで止血しなければならなかった。代わりに黒鶴がタオルと包帯、縫合糸と着替えを持ってきていた。それを無造作に投げて寄越す。
「なんだあ? 手当てしてくれないのかよ」
「うるさい」
黒鶴はトイレの入口近くで背中を向けて待機した。
「チッ、RJもないとは気が利かねえ野郎だな」
「無駄口叩いてないでさっさとしてくれ。検問が解けるまでしばらく身を隠す必要はあるが、こんなトイレの中は嫌だ」
「せめてよお……立ち上がるのを手伝ってくれよお……」
「自分でなんとかしろ」
松鷹はぶつくさ言いながら壁に手をつき、ふらふらと立ち上がる。すると突然、トイレの中に2名の警官が駆け込んできた。背中から血を流している松鷹を見て素早く拳銃を抜き、黒鶴の方へ向けてくる。
「動くな! 逃亡した人狼を捜索中だ、少しでも怪しい動きを見せれば発砲する!」
理解が追いつかなかった――なぜ警官がこんなところに駆け込んでくるのだ?
STがウォールナットを追って検問を敷くのはわかる。戌井のアパート周辺が捜索範囲になることもわかる。だがどうしてこんなに早く、こんなにピンポイントでやって来るのだ? まるでここに人狼がいる可能性が高いと、誰かに教えられたようではないか。
「た、助けてくれ! 人狼だ! 喰われるところだった!」
松鷹が叫んだ。黒鶴の方を指差しながら。
その主張には説得力があった。怪我をしている男がいれば、もう一人の男を怪しむのは必然。警官達はここへ来た時から黒鶴に銃口を向けている。松鷹の叫びが引き金になった。
黒鶴は反射的に獣化していた。黒、白、茶色のトライカラー。普通の人狼より一回り小型だが猫のようにしなやかなフォルム。トライカラーの獣は変身と同時に跳び上がり天井に爪を立てて張り付いた。警官が天井に向けて発砲した時には壁に跳び移り、さらに壁を蹴って警官を押しのけ、トイレから脱出した。
なんで、なんで、なんで。
松鷹のやろう裏切りやがった!
いやそんなことは後だ。とにかく身を潜める場所を見つけろ。
着替えはある。もしものために着替えを持ち歩くのは人狼のたしなみだ。
トライカラーの獣は人気のない場所を目指して走り続けた。途中で何人かの人間とすれ違うが構わない。すばやく隠れ、すばやく着替えて立ち去ればいい。
ちょうど良さそうな裏路地を見つけた。トライカラーの獣はそこに飛び込むのと同時に変身が解けた。
人間に戻った黒鶴はくわえていたバッグを地面に落とし、着替えを取り出して急いで身につけた。帽子をかぶって振り返った時、路地の入口に女が立っていた。
「よお。運が悪いね、あんた」
赤髪の女は不敵な笑みを浮かべる。日本に住む人狼なら誰もが知っている人物――STの赤熊隊長だ。
黒鶴は絶望した。本当に運が悪い。どうしてゆく先々で警察やSTが現れるのだろう? 人狼が隠れられそうな場所をマークしたかなり精巧なマップでも持っているのか。
しかも今度はよりにもよって赤熊だ。逃げられるのか? もう今日は獣化できないんだぞ?
黒鶴は何の武器も持っていなかった。人狼が出現するとその周辺では職務質問と所持品検査が強化されるため、武器を持つのはむしろリスクが高い。黒鶴にできるのは両手を挙げて言い訳を試みることだけだった。
「えっと、あの、人違いだと思います。ぼくはただここを歩いていただ――」
赤熊隊長が一気に距離を詰めてきた。刀身が閃くのを目の端でとらえ、思わず飛びすさってしまう。帽子のツバが舞い上がり、黒鶴の素顔があらわになった。
「いい反応じゃないか。もう普通の人間だなんて嘘は吐けないね」
黒鶴の額から冷や汗が流れる。無理だ、勝てない、斬り刻まれる!
「そんな顔されると張り合いがないぞ。ま、大人してくれたら楽に死なせてあげるよ。一応聞いておくが、あんた、ウォールナットの情報持ってるかい?」
別にあんな裏切り者のことは喋ってもかまわない。だが松鷹の情報と引き換えに見逃してくれるわけではないだろう。捕まれば搾り取るだけ搾り取られて、殺処分されるだけ。松鷹はどさくさに紛れてどこかに身を潜めているだろうから、なかなか見つけられないと、嘘を吐いているのではと拷問されるかもしれない。そんな苦しみを味わうくらいならひと思いに殺してもらった方がマシだ。
「ははは……」
黒鶴は力なく笑った。
「ウォールナットなんて小物さ。本当の悪は他にいるのに、あんた達は人狼にばかり目を向けている」
赤熊は眉をひそめた。「お前達の裏に誰かいるのか?」
「獅子丸慎吾。奴は……麻薬ディーラーだ。しかも人狼を部下にして邪魔な人間を始末させている」
「ふうん……獅子丸慎吾がねえ……証拠は?」
「証拠はない。俺は末端で、ただ言われた通りにしていただけだから……」
「それじゃ話にならん。しかし動物園の事件で獅子丸慎吾が襲われたのは偶然じゃなかったってことか」
「そうだ! 俺達はあいつから自由になりたかった! ただそれだけなんだ」
「そのために罪もない人々を巻き込んだ。動物園には親子連れが多いんだぞ。煙幕の影響で気分が悪くなったくらいだが、場合によってはもっと被害が出ていたかもしれない」
「それは……悪いことをしたと思ってる。だが獅子丸を殺すチャンスはあの時しかなかった。あいつのガードは固いから、ああするしかなかったんだ」
赤熊の視線は冷たかった。
「話したいことがあるなら署まで来てもらおうか。人狼専用の檻に入れば、お互いに腹を割って話せるだろう」
「…………無理だ」
「なら、話し合いなんて無駄だ。動くんじゃないぞ。楽に首をはねてやる」
黒鶴は拳を握りしめた。どうせ殺されるなら背を向けるのではなく、戦って死のう。死を待つなんて耐えられない。
彼は叫びながら赤熊に向かって行った。ただ恐怖を紛らわせるための叫びだ。赤熊は居合いの構えをしている。刀が鞘から抜かれる。浮遊感。首がはねた。
――――そう思った。
黒鶴が目を開けると黒いレインコートを来た人間に組み敷かれていた。フードを目深に被っているが、黒鶴のすぐ目の前に顔があったので誰だかわかった。
「いぬ、い……?」
戌井は人差し指を唇に当てた。さっきの浮遊感は戌井に突き飛ばされたせいだ。黒鶴の後頭部を大きな手で支えていたが、ゆっくりと手を引き抜く。黒鶴はなぜだか涙が溢れてきた。
「おやおや仲間がいたか。さっきの話は時間を稼ぐためかな? 人狼はやはり信用ならんなっ」
赤熊隊長は闖入者の登場にも怯まず、瞬時に刀を振り下ろしてきた。




