第39話 1億の賞金首
女はぴくりともしない戌井を見下ろしながら、スマホを取り出してどこかに電話をかけた。
「気絶させたわ。車で路地をふさいで運ぶのを手伝ってちょうだい。ええ……たぶん当たり。私を脅してきたし、明らかにただの高校生じゃない。人狼は真っ当に生きるのが難しいから、普通の人間とは雰囲気が違うのよ。私の勘が言っている。彼は白狼よ」
女はしゃがみ込んで戌井の頬を撫でながら舌なめずりをした。
「まあ、違ってたら食べちゃえばいいし。獅子丸は細かいこと気にしないわ。記者としての勘だけど、彼も真っ当じゃないもの」
数分と経たずに、ずんぐりした体型の男が現れた。近くで待機していたのだろう。女が背後を振り向いたので戌井は両腕を上げて女の首をへし折った。
「ママ――――――」
戌井は女の手からスタンガンを奪い取り、地面を蹴った。一気に距離を詰め、何が起こったのか理解できていない男の首筋にスタンガンを押し付ける。女と男はほぼ同時に地面に倒れ伏した。
改造スタンガンはなかなかの威力だった。電気耐性のある戌井でも一瞬視界が揺らぐほどだ。これなら10分以上は目を覚まさないだろう。
電話でのやり取りを聞く限り、この2人は人狼だ。しかも親子らしい。どういうわけか、戌井が白狼だと目星をつけてやって来たようだ。獅子丸とは誰のことだろうか。
色々聞き出したいことはあるものの、相手が人狼では難しい。
まずこのずんぐり男を車に乗せる必要がある。それ自体は簡単だが、偽の運転免許証を用意していないのは問題だった。殺し屋時代は免許証を3つ持ち歩くのが当たり前だったが、普通の高校生はそんなことしないのだ。
安全運転を心がけるとしよう。それでも人気のない場所へ連れて行くまで、ずんぐり男が目を覚まさないとも限らない。運転中に獣化なんてされたら面倒だ。
また、2人の人狼が派手に争い合ってもバレないような場所を見つけねばならない。さらにその場所を見つけ、戦闘に勝ったとしても男が口を割るとは限らない。獣化した人狼を拘束する手段がない以上、日付が変わる前に喋らせる必要がある。0時を回ればまた獣化し、何がなんでも逃げようとするだろうから。それまで苦痛に耐えるだけで良いのだから、拷問もあまり意味を成さない。
やはりリスクが大きすぎる。ずんぐり男から何かを聞き出すのは諦めよう。
それに車で表通りからの通路を塞いでいるとか言っていたが、反対側から人が来る可能性も十分ある。早く立ち去った方がいいだろう。
戌井はスタンガンの指紋を拭き取り、気絶している男に握らせてから、すぐそばの地面に置いた。
路地の奥の方へ歩き出しながら、戌井は警察に通報するためスマホを起動した。日和からメッセージが来ている。後で見ようかと思ったが……
『ニュース見ましたか? 白狼に賞金をかけるって』
と、通知センターに表示されていたので見過ごすわけにはいかなかった。チャットアプリを起動し、日和のメッセージを見るとネットニュースのURLが貼ってある。内容を見ると次のようになっていた。
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白狼捕獲に1億円懸賞金
情報提供でも最大1000万円の報奨金
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実業家で人狼剥製コレクターの獅子丸慎吾氏(46)は5日、都内で記者会見を開き、清水野動物園の事件で確認された白色の獣毛の持ち主とされる人狼――通称「白狼」の捕獲に対し、1億円の懸賞金をかけると発表した。また、有力情報の提供者に対しても、最大1000万円の報奨金を用意するという。
獅子丸氏は私設博物館「獣影館」を運営し、これまでに12体の人狼剥製を収集・展示してきた。特に人狼の剥製としては世界最小となる「アマラ」が可愛いと、国内外で人気を博している。同氏は白狼の剥製を目玉展示として加えたい意向を示している。
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こいつのせいだ、と戌井は思った。発表されたのは2時間前。ちょうど戌井がバイトを始めたタイミングだった。
あの女記者とその息子は賞金目当てに白狼を追っていたのだろう。戌井が白狼だと確信を持っていたわけではなかった。あの事件についてはあまりにも手がかりが少なすぎる。そういう場合、トラを手懐けたと噂されている戌井から話を聞こうと思うのは自然なことだ。もし戌井が本気で賞金を得ようと思っているなら同じことをする。
女は記者らしいフットワークの軽さと図々しさを発揮して、いち早く戌井に接触してきたわけだが、その彼が年頃らしからぬ振る舞いをするものだから俄然怪しくなった。当然のごとく改造スタンガンなんか持ち歩いている連中だ。普段から荒っぽいことには慣れているのだろう。怪しい奴はとりあえず拉致して白狼かどうか確かめればよいし、違っていたとしても食料になるから骨折り損にはならない。
他にも似たようなことを考える人狼は出てくるかもしれない。人狼はいつだって大金を求めている。生活に余裕ができれば狩りに専念できるし、殺し屋を雇って死体を調達してもらうこともできる。しかし一番の使い道はレッドジャーキーの買い占めだろう。RJは〝人肉の干物〟を指す隠語で、人狼にとっての精神安定剤みたいなものだ。闇市場で売買されているが値段は高い。
状況は大体わかった。あの女記者の息子からはどのみち大した情報は得られまい。戌井は記事を確認した後、警察に電話をかけた。
「女性が倒れています。男が襲ったみたいで……首が、首が変な方向に」
戌井は演技が得意ではないが、精いっぱい動揺したような口調で言った。
「男も倒れていて……スタンガンが落ちています」
「それはいつですか?」
「たった今です。女性の悲鳴を聞いて駆けつけました」
「場所はどこですか?」
「えっと、青龍書店の裏側の路地で……」
戌井は電柱に書いてある住所表示を読み上げた。
「あと、男が人狼かもしれません。『喰ってやる』って声も聞こえて……STも呼んだほうが良いかと」
「わかりました。すぐに向かいますので、その場から離れて、安全な場所で待機していてください。お名前を……」
「すみません、このあと予定があるので」
戌井は電話を切った。警察が来るのと、ずんぐり男が目を覚まし始めるまで大体同じタイミングだろう。
男は自分の母親が死んでいるのを見て、警察を見て、スタンガンを見て、自分の置かれている状況を把握する。男は獣化して逃げようとするだろう。あとはSTの腕の見せ所だ。
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「また学校の近くで人狼が出たようですよ」と、日和が戌井の家の玄関で靴を脱ぎながら言った。「女性をスタンガンで襲って攫おうとしたみたいですが、自分も一緒に感電して倒れちゃったとか。おマヌケですよね」
「そいつは始末したのか?」
「ええ、かなり大暴れでしたが。通報のおかげであらかじめ一般人を避難できたのは幸いでした」
「あの2人は俺を白狼だと思って拉致しに来たんだ」
「え?」
「両方始末しても良かったが、それだと殺人事件として捜査されるだろ?」
日和は無言になり、薄手のジャケットを脱ぐこともせず、来客用の一人掛けソファーに腰を落とした。彼女は夕食のカレー用の食材を買ってきてくれたが、足元にどさりと置いて戌井の言葉の意味を考え込んでしまっている。
戌井は彼女の代わりに食材の入った袋を持って台所に置いた。カレーのルーや野菜を取り出して、まな板や鍋を用意するが次に何をすればよいのかわからず、ルーの箱裏に書いてあるレシピを眺めた。
「じゃあ……通報したのは戌井くん?」
「そうだ」
「女性の方を殺害したのも?」
「ああ」
「人狼だったのは間違いないんですよね?」
「獣化する前に殺ったから断言はできない。でも俺をスタンガンで襲ったのは女の方だ。俺が白狼じゃなければ食べるとも言っていた」
彼女はさらに一呼吸間をおいて言った。
「男性の方は確実に人狼ですし、女性がその共犯者ということなら正当防衛を適用できます。ただ当たり前のように殺したと言うので、少し驚いてしまって」
「獅子丸のせいで厄介なことになった」
「戌井くんがトラから救った紳士ですよね」
「そうだと知っていたら助けなかった」
「そしたらプラムくんが殺処分になっちゃいますよ」
「……運の良い奴め。いや、悪いのか。確かあいつはあの事件で唯一大怪我を負ったんだったな」
「あの場には多くの人間がいたのに、よりにもよって獅子丸慎吾を狙ったということです。はたして偶然でしょうか……」
「標的は獅子丸のみだったと言いたいのか?」
「その可能性はあります。恨みは大勢買っているみたいなので、特定は難しいですけどね」
「コレクターってのはきな臭い奴が多いからな。欲しいものを手に入れるためなら手段を選ばない」
「なんだか実感のこもった言い方」
「聞かない方がいい」
過去に美術品コレクターから絵を盗むという依頼を受けたことがあった。戌井は由緒正しき場所からは盗まない。他のコレクターから盗む。それも一部の美術品は違法な手段を使ってでも手に入れてきた頭のおかしいコレクターだ。
そういう輩は盗みに気付いたとしても被害届を出せないし、保険もかけられない。だから普通のコレクターより蒐集品に対する執着度が高く、必要とあらばならず者を雇うこともいとわない。そんな狂信的なコレクター達を相手にしてきたので、獅子丸慎吾に対しても良い印象は抱かなかった。
「個人で法外な賞金をかけるなんてやめていただきたいです。戌井くんだから無事でしたけど、関係ない人が巻き込まれる可能性もありますし」
「獅子丸はそんなこと気にしないんだろう」
「GWに動物園なんて行かなければ……」
「まだそんなこと言っているのか。誰があんなことになるなんて予想できるんだ? 自分の手に負えないことで落ち込むのは馬鹿げている」
「でも今日みたいに、賞金目当ての人が戌井くんのところに押しかけないか心配です」
「俺と白狼を結びつける手がかりはない。今回はあの女記者達に行動力がありすぎたし、俺も奴らの正体を確かめるために無茶をしただけだ。次はもっと普通に振る舞う」
日和は肩を縮こまらせて項垂れていた。ウォールナットの手がかりもつかめておらず、次の一手も思いつかず、捜査が行き詰まっているのだろう。
日和は預言者としての責任を重く感じており、人狼事件に貢献できないと気分が落ち込んでしまうのだ。しかも先月は人狼である戌井を見逃した上に、殺人事件を起こした人狼を逃がしてしまっている。次は何らかの成果を上げなければとますますプレッシャーを感じているに違いない。
戌井は彼女の負担を軽くする責任があると感じていた。彼は台所から彼女のそばに歩み寄り、そっと手を差し出した。
「カレーを作ろう。上着を預かるから、君は料理の準備を」
「そうですね……すみません」
「君の言う通り、ウォールナットの狙いが獅子丸なら」戌井は言った。「そのうちまた行動を起こすだろう。それまでは獅子丸の近辺を見張っていればいい」
彼女は戌井の手を取って立ち上がった。少し元気が出たのか顔を上げて微笑んでくれる。心なしか部屋中が明るくなったように感じた。
「お気遣いありがとうございます。今はおいしいカレーを作ることに集中しましょう」




