第35話 入学祝い ※ブラスター視点
時間は少し遡り――
霊媒師ブラスターは高層マンションの窓から満月を眺めた。
液晶パネルにニヤリとした顔文字を映し、猿渡日和に電話をかける。いつもなら1コールで出るのに、今夜は10コール目でやっと出た。
「はい……」と返事をする日和は今にも泣き出しそうな声だ。ブラスターはそんなこと構わずに快活に言った。
「それで? 結果はいかがでした?」
「………………」
日和の沈黙がもどかしかった。ブラスターはじっと待った。パネルの熱がいつもより息苦しく感じ、もう外してしまおうと思ったところで日和の声が聞こえた。パネルに手を当てたままぴたりと止まる。
「い、戌井くんは……白、でした」
「白? 今、白とおっしゃいました?」
「はい……」
今度はブラスターが沈黙する。しばらくすると彼は狂ったように笑い出した。
「あ、あの……?」
戸惑う日和をよそに大笑いしながら電話を切った。真預言者が真っ赤な嘘を吐いているのだ。これが笑わずにいられるだろうか?
ブラスターは戌井時雨が人狼だと知っている。なぜなら戌井を育てたのは彼だからだ。鰐淵恭也――裏社会で影響力を持つために作り出したもう1つの顔で。
始めは渋々だった。やりたくてやったわけではない。霊媒師が人狼を育てるなどありえないし、子育てなど柄じゃなかった。しかしブラスターにとって無視できない《《ある人間》》からの頼みだ。それでも手に余るようならすぐに殺すつもりだったのだが……
最初こそ大暴れしたものの、戌井には底知れない強さがあるとブラスターは気が付いた。身体能力も異様に高いが、真に驚くべきは精神の強さだ。闘病の経験があるからか恐ろしく我慢強く、地道な努力を怠らない。戌井は完璧に自分自身をコントロールできた。殺しのやり方を教えた直後、機械のようにやってのけた時には末恐ろしさを感じたものだ。
だがその一方で、彼は豊かな内面を持っていた。元々体が弱かったので弱者の気持ちに寄り添えるし、どんなに強くなっても謙虚さを失わない。自分のことをやたらウサギに例えたがり、弱者の戦略から学ぼうとする。医療従事者への感謝の念も忘れず、怒りや憎しみよりも小さな幸せに目を向けて、ひたむきに前進していく。
戌井には何か期待を抱かせる魅力があった。ブラスターにとっては認めたくない感情だが。未だに釈然としていない。少なくとも殺し屋の才能はあるし、裏社会で成り上がるのには役立つだろう、と無理やり自分を納得させて、戌井を育てることに決めたのだった。
戌井が新しい身分を手に入れ、堅気になった後もブラスターは彼を信用していなかった。ブラスターは誰も信用しないし、他人には何も期待していない。彼が信じているのは霊媒した死者だけ。死者は嘘を吐かないからだ。
裏社会では気に喰わない奴はぶちのめせばいいが、堅気の世界ではそうもいかない。表社会の方がずっとストレスがたまるだろう。戌井が極限まで追い詰められた時、裏社会に戻るのか、それとも最後まで筋を通すのか、ブラスターにもわからなかった。
だから戌井を試す必要があった。ブラスターが何かするまでもなく、高校入試の日に預言者を助けて疑われるわ、極道と揉めるわ、濡れ衣を着せられるわ、と立て続けにトラブルに巻き込まれていくのはさすがに呆れたが。しかしこの程度の難局も乗り越えられないようなら、それまでの男だったということだ。
自分で育てておいて何だが、戌井が悪の道に堕ちれば甚大な被害が出るだろう。理不尽な運命すら跳ね除けるくらいやってもらわねば、こちらも安心できないのだ。
いやはや、しかし、まさか本当にやり遂げるとは!
猿渡日和は真面目で責任感の強い預言者だったのに。もし嘘の預言をしたとバレたら社会的な死は免れない。そうなってもよいと思えるほどの覚悟を抱かせたのだから素直に驚嘆に値する。
ブラスターは自分が思った以上に興奮していた。漆黒の夜空に一際明るい流れ星が現れたように、心に光が灯った。愉しげな足取りで台所に行き、冷蔵庫からプリンを取り出した。戌井に渡したのと同じものだ。液晶パネルの仮面を取って、テーブルの上に置き、窓辺に立って満月を眺めながらプリンを食べた。
別にこれですっかり戌井を信用したわけではない。今後も戌井には目を光らせておかねばならない。ブラスターの態度は変わらないし、正体を明かすつもりもない。だがひとまずは合格としよう。
「プリンは入学祝いだぜ、クソガキ……いや、時雨くんよ」
<第1部 完>




