第3話 雉真とツバメ
合格発表の日が来た。合否照会サイトにアクセスすれば自分の合否を確認できる。
重要な結果を確認する前は誰でも緊張するものだ。戌井はまず部屋を暗くした。暗い環境は人の興奮を抑え、リラックスする効果がある。それから深呼吸をした。戌井は緊張すると拳に力が入るので、それを意識的に広げたり、閉じたりして徐々にほぐしていく。
そして不合格だった場合の対処法も考えておく。できれば結城高校に行きたいが、選択肢は他にも沢山ある。人生はいつでも軌道修正できるのだから。
準備は整った。戌井は合否照会サイトにアクセスした。
画面に表示された結果を確認すると、彼はゆっくりと立ち上がった。表情は変わらないが、深く息を吐き出した。窓辺に立って外を眺め、朝日に照らされた街並みをしばらく見つめていた。
それから書き物机に向かう。そこには額縁に入れられた結城高校の漫画研究会の冊子がある。表紙には夕暮れの美術室で絵を描く生徒の風景が描かれており、戌井は一度も学校に通ったことがないのにどこか懐かしさを覚えるのだった。普通は漫研の冊子を額縁に入れたりはしないが、彼はこの表紙のおかげで自分が高校生になるというイメージを持つことができたのだ。
戌井はその表紙を手にとって眺め、机の上に戻した。スマホのメモ帳を開き、「合格した場合のToDoリスト」を確認する。彼は外出の準備を整えて制服を注文しに向かった。
☂
「お、おい。何してんだよ……!」
戌井は声のした方に視線を向けた。小さな駐車場に4人の男どもが群がっている。3人は小石か何かを駐車場の天井に向かって投げており、もう1人はそれを止めに入っているようだ。
四角い黒縁メガネを掛けたどこにでもいそうな少年だった。3人の方は制服をだらしなく着たいかにも不良といったおもむき。3人はげらげら笑ってメガネの少年を無視している。
入学式を終えて今日は初の登校日だ。受験当日といい、なぜどいつもこいつも静かにしていられないのだろうか。
「惜っしぃ~」
「もうちょい狙い左じゃね」
「次は俺な。当たったらお前らお昼奢りな~」
よく見ると駐車場の天井にはツバメの巣があった。不良3人組はその巣に向かって石を投げているのだ。メガネの少年はおろおろしていたが、意を決したのか不良たちの前に立ちはだかった。
「やめろよ、お前ら!」
先ほどの第一声はへなちょこだったが、この声はよく通る低音でドスが利いていた。
「ツバメがなんで駐車場の入口に巣を作るか、知ってっか?」
「ああん……?」
予想外のことを問いかけられて不良たちは困惑した。
戌井は少し興味を持った。彼は動物が好きなのだ。特に東京の野生動物が。人間が日々急激に変える環境に適応しようと必死に生き抜く様には共感を覚える。確かに、なぜツバメは駐車場の入口に巣を作るのだろうか? もっと目立たない場所の方が良いだろうに。
「カラス避けのためさ。入口付近ならこうして歩道に人間が通ってくれるから、自然とカラスへの牽制になる。ツバメは俺たち人間を信じているんだ。お前らみてえな社会のクズでもな。ツバメにご利用いただいていることに感謝しろよ」
チンピラよりチンピラみたいな喋り方をするので、声だけを聞くとどちらが不良かわからない。その挑発で3人の不良たちはツバメではなく、メガネの少年に注目した。彼はターゲットを自分に逸らすために声を上げたのだ。
「うるせえなあ」
不良のうち2人がメガネの少年に近付き、両腕を羽交い締めにする。
「ちゃんと押さえてろよ。メガネ割ってやる」
「やだあっ」
「こらっ。暴れんな」
先ほどの威勢はどこに行ったのか、メガネの少年は情けない悲鳴を上げた。戌井は足元の石を拾い上げると、不良の1人にぶん投げた。石は正確にまっすぐ飛んでいき後頭部に激突する。不良は頭を押さえながら地面にうずくまった。メガネの少年を押さえつけていた不良2人は呆けた顔をしている。戌井はさらに石を投擲し、少年の左側にいる不良を倒した。
メガネの少年は石が当たらないように反射でしゃがみ込んだ。戌井は石を片手で軽く上に放り、キャッチするのを繰り返しながら最後に残った不良を睨みつけた。
「な、なんだてめえ」
不良も慌てて石を投げてきたが戌井は首を傾けて軽々と避けた。戌井が一歩踏み出すと不良は尻もちをつき「や、やめてくれ」と言った。かまわず石を叩きつけようとすると、メガネの少年が間に入ってくる。
「ま、まあ。やめなよあんた。そこまでにしておきな」
「やるなら徹底的にだ」
「もうしないって。次やったらどうなるか十分思い知ったはずだ。こいつ、人殺しの目ぇしてるぞ。逆らったら死ぬ。わかったな?」
メガネの少年が不良を振り返ると、そいつは一瞬屈辱に顔を歪めたが、戌井に睨まれると「あ、ああ……」と答えた。
「だからその石、地面に置けって。早く登校しないと遅刻しちまうぞ」
それもそうだ。もう遅刻は許されない。戌井は石を手放した。
「ほらほら、行こう行こう」
メガネの少年に急かされながらその場を離れ、学校へと向かう。少年は胸に手を当てて深々と溜息を吐いた。
「怖かったあ~。何が怖いって、動物を何の意味もなく傷付けようって思想が怖えよ。助けてくれてありがとな、戌井」
「……なぜ名前を知っている?」
「ええ? お前と同じクラスだぞ。しかも隣の席。覚えてねえのか?」
「ああ」
「ひっどお~。入学式の日に話しかけたのに塩対応だったし。軽くトラウマになりかけたぞ? でも助けてくれたから良い奴だな。俺、雉真怜。次は覚えておけよ」
今後の高校生活のためにも誰が誰かくらいは覚えておいた方が良いだろう。戌井はスマホのメモ帳に雉真のことをメモした。『メガネ。ツバメはカラスの牽制のために人間を利用する』。
「え、何メモしてるの?」
「忘れっぽくてな」
「ふうん……俺の情報メガネしかねえじゃん。ツバメと同じ行に書くんじゃねえよ。ちょっ貸せ。『好きなものは漫画とゲーム』……もうちょいなんか欲しいな。『低音イケボ。小物風チンピラ風味の喋り方』これで忘れねえだろ」
「……抹茶のにおい」
「えっ?」
「お前のにおいだ。付け足しておけ」
「俺、抹茶のにおいするの? なんか嬉しい」
「いや違う。青汁のにおいだ」
「やだね、抹茶の方がいい」
雉真は勝手にメモ帳へ自分の情報を打ち込むとスマホを返してくれた。
「そういや受験当日に人狼事件あっただろ? 白髪の男が女の子を助けたやつ。あれお前か?」
「いいや」
「ほんとにぃ~? でもお前、受験に遅刻しただろ? それでも許されてるのはあの事件で人助けをしたからじゃねえの?」
なかなか鋭いやつだ。
「で、助けた女の子は日和さんなんだろ?」
「なんで彼女の名前が出てくるんだ?」
「悪ぃ。さっきメモ帳見た時、『猿渡日和』って名前見ちまったんだ。彼女も受験の日遅刻してたし、もう特定完了な」
「吹聴するなよ。騒がれたくないんだ」
「口は堅いから安心しろ。日和さんと何か話したのか?」
「彼女とは何もない」
入学式の日も特に話すことはなかった。いや、日和は何かを話したがっている素振りを見せたが、戌井が話しかける隙を見せなかったのだ。
「昔からこう言うだろ。男は助けた女に惚れ、女は自分を助けた男に惚れる。これって男女逆転しても違和感ねえけど。お前、日和さんのことどう思う?」
「どうって?」
「恋愛的にって意味さ。受験当日に人狼から身を挺して守ったなんてロマンチックだよなあ。あんなの惚れちまうよ」
「何を言ってるんだ?」
戌井は謎の言語で喋りかけられているかのように不可解な表情をした。
「あ、もしかして恋バナ苦手だったか?」
「そもそも何の話をしているのかわからない」
「え、何? 恋愛って知らない?」
「……」
学校の門の前に着いていた。
戌井はつと立ち止まり、つまらない冗談を言われたかのように冷ややかに雉真を一瞥した。そして自分だけさっさと昇降口へ向かった。
雉真は後頭部を掻いた。「もうっ、何なのアイツ」