第26話 盗聴器
放課後、戌井は学校で勉強してから帰宅した。日和も一緒に勉強すると言ってくれたが断った。
戌井はわずかしかない集中力を維持するために学校中を移動しまくりながら勉強する。かなり頻繁に場所を変え、廊下や階段の踊り場でも周りの目を気にしない。それに付き合わせるのは気が引けるというものだ。
家に帰ってからは絵を描いていた。軽く散歩へ行こうと立ち上がった時、電話がかかってくる。雉真からだ。
「もしもし」
「あ、俺だけど……」
スマホの向こうから溜息が聞こえてくる。その息遣いから、焦り、不安、緊張の色を感じ取った。戌井は言った。
「何かあったのか?」
「わからない。まだ何も起きてないと思いたいけど……」
「辰巳の件か?」
「あ、ああ……昨日、日和さんから聞いたけど、青山羊部長が怪しいんだよな? 今のところ」
「ああ」
「しかも辰巳に盗聴器を仕掛けていた可能性がある。そうだよな?」
「ああ」
雉真はまた溜息を吐く。早く要件を言ってほしかったが、戌井は静かに次の言葉を待った。
「それでふと思い出したんだ。今日、帰った後にそういえばって。青山羊部長に埃を取ってもらったことをさ。お前が捕まった日のお昼休みに」
「それで?」
「たぶん、盗聴器……だと思う」
状況がわかった。戌井は言った。
「制服に盗聴器が付いていたんだな? 埃を取るふりをして仕掛けられた」
「そうだと断言はできないけど……なんとなく気になって調べてみたら、首の後ろに黒いSDカードみたいなのがあって」
「それは今どこにある?」
「えっと……とりあえずいつものようにハンガーにかけたよ。気付いたことに気付かれたらまずいと思って。この電話も絶対に声の届かないところでかけている」
「いい判断だ。そのままにしておけ」
青山羊葵はなぜ雉真に盗聴器を仕掛けたのだろう?
戌井はメモ帳アプリを開いてこの事件に関するメモを眺めた。青山羊葵は辰巳を通じて、あの夜あのビルで何が起こったのか把握している。霊媒師ブラスターを頼ったこともだ。切羽詰まった状況で、ブラスターと連絡を取れると言い切った雉真の声を聞いていた。普通の人間はそんなことできるはずがない。
ひょっとすると青山羊葵は雉真を何らかの役職者か、その関係者だと推測したのではないか。そこでその動向を探るため、彼に盗聴器を仕掛けることにした。
戌井は言った。「お前は日和さんと事件のことを話した。青山羊葵は自分が疑われていること、占われる予定だと知ったことになる。日和さんの正体も知っている。そうだな?」
「そう……そうだよな。これってかなりヤバい状況だよな」
「警察には連絡したか?」
「いや……早く連絡しろよって気がしてきた。ごめん、お前に話しても困らせるだけなのに」
「待て。まずは日和さんの安否を確かめる」
警察が戌井や雉真の話をどれくらい真剣に聞き、どれくらい慎重に動いてくれるかわからない。まず現状を確かめて、それから身の振り方を考える。
「あとは俺が何とかするから、お前はいつも通りに過ごしてくれ。制服のある部屋でいつもやっていることをだ。そうでないと、青山羊部長が不審に思って予想もしない行動に出るかもしれない」
「わ、わかった」
「何が起こってもお前のせいじゃない」
「ありがとう、戌井。お前も気を付けてくれ」
雉真との通話を切った後、戌井はすぐに日和に電話をかけた。コール音が鳴り響く。留守番電話に繋がる。ピーッという音の後に、戌井は言った。
「戌井だ。辰巳の事件で話がある。メッセージに気付いたら折り返してくれ」
さて、どうしようか。
日和はすでに死んでいるかもしれない。あまり考えたくない可能性だが。その覚悟はしなければならない。
今、この事件には2人の有力な容疑者がいる。戌井時雨と青山羊葵。
青山羊葵にとって一番都合の良いシナリオは、日和を殺害し、その罪を戌井に被せることだ。確実に戌井のアリバイをなくしたいなら、日和を殺害する前に戌井を誘き出そうとするはずだ。たとえば、指定された場所に来なければ日和を殺すとか。
それならどうしてさっさと連絡をしてこないのか?
戌井がどれだけ日和を大切に想っているか、青山羊葵にはわからない。戌井の手強さは辰巳を通じて知っているだろうし、そんな人情で彼が動くなどとは想像もできないかもしれない。実際はそうするのにだ。
戌井は30分ほど待った。日和から折り返しはない。メッセージも未読のままだ。
日和はすでに誘拐されていると考えてみよう。だがそうしてみたところで、青山羊葵は途方に暮れているかもしれない。戌井に罪を被せたくても相手が強すぎるのだ。
彼女は日和のスマホを使って戌井に電話をかけ、どうにかして彼を罠に掛けねばならないのに、その自信も度胸もないのだろう。彼女は素人だ。プロの行動なら予測しやすいが、素人はどんなこともしでかす。青山羊葵はおそらく追い詰められている。落ち着きもなく分別もない。パニックに陥り、日和を殺してしまうかもしれない。
今、日和のスマホのそばで怖気づいている青山羊葵の姿を思い浮かべた。戌井にも弱点があるということを、彼女に教えることができれば、日和の生存率も上がるかもしれない。
戌井は再び日和に電話をかけた。虚しいコール音。留守番電話に繋がる。ピーッという音の後に、戌井は言った。
「青山羊部長は君の正体に気付いている。もし無事ならすぐに安全な場所へ行って、STに連絡するんだ」
戌井はタブレットを起動して、オムライスが描いてある絵を眺めながら、その時のことを思い出した。
「君とはまだ出会ったばかりだが、大切な友人だと思っている。君と雉真で、一緒にゲームをしたのは楽しかった」
戌井はゆっくりと台所の縁にもたれかかり、言葉を続けた。
「それに君の手料理はすごく美味しい。また一緒に料理をしようと言ってくれたのも嬉しかった」
戌井は目をつむって、さらに言った。
「何より……預言者として頑張っている、君のことを尊敬している。頼む、無事でいてくれ」
通話を終了した。戌井は待った。これで何の連絡も来なければ、非常にまずい状況だ。




