第23話 檻の中②
昨日、あの灰色のビルから戌井と雉真が帰った後に事件は起きた。
辰巳、木虎、牛永の3人は拘束したまま放置してきたが、そこに何者かが訪れた。
その犯人は戌井にそっくりな見た目に変装していた。白髪に大きな隈。
被害者達にその姿をしっかり見せつけてから、犯人は獣化した。殺されたのは辰巳を含む3名だろう。
霊媒師ブラスターは辰巳を霊媒し、死者に3つの質問をした。
『誰に殺された?』
→戌井。
『どうしてそう思った?』
→白髪に大きな隈があったから。
『どうやって殺されたのか?』
→獣化した人狼に喰い殺された。
まあ、こんなものだろう。
霊媒だって万能ではない。ルールは以下のとおり。
・遺体、もしくはその一部がなければ霊媒できない。
・能力の使用は一晩に1回のみ。
・死者に3つの質問が可能。回答は一言であり、長話はできない。
・一度霊媒すると、二度と同じ人物は呼び出せない。
まず人狼なら遺体を綺麗に平らげる。それだけで霊媒を回避できるからだ。だが犯人は戌井に疑いを向けたかったので、あえて遺体を残した。それはすなわち、もしそうしなければ疑われる可能性が高い立場にいるということ。被害者と関係の深い人物だ。行きずりの犯行ではない。行きずりが疑われる場合でも、被害者に近しい人物は徹底的に洗い出される。
しかも犯人は戌井の普段の見た目を知っている。木虎、牛永の知り合いという可能性は低い。辰巳の知り合いで同じ高校に通っている者、と考えるのが妥当だろう。
まだ容疑者は山ほどいる。
そもそもなぜ犯人は、自分に濡れ衣を着せようなんて考えたのだろう? 戌井が人狼ならそれで事件は終わる。でもそうでなかったら、どうするつもりだったのか。戌井が人狼であると確信する根拠でもあったのだろうか。
だめだ。わからない。もっと手がかりがいる。木虎と牛永を霊媒する時には、何か聞くべきことはないだろうか?
戌井は檻の中をぐるぐる歩き回った。歩くことで血流が良くなり、脳に新鮮な酸素が供給されるおかげか思考が活性化されるのだ。先ほど車の中ではちょっと諦めかけた。しかしバイト先や学校に病欠の電話をかけた時に、この状況は治る見込みのある病のようなもので、復帰の可能性はゼロではないと思えてきたのだ。
諦めるのは、死んだ時でいい。
仮に処刑されてしまっても、犯人の目星をつけておけば霊媒された時に真実をぶちまけることができる。自分をこんな目に遭わせた奴には、必ず死んでもらわねば気が済まない。
「戌井くん、ぼくだ。預言者サニー」
足を止めて見ると、フードを被り、顔全体を覆うガスマスクを付けた人間が立っていた。だぼっとしたミリタリージャケットを着ているので男か女かも判別できないが、戌井はその正体が猿渡日和だと知っている。
「大丈夫かね?」
「ああ。霊媒についてだが、辰巳への質問と回答はこの紙の通りか?」
いきなり本題に入ったので預言者サニー、もとい日和は面食らった様子だった。ガスマスクの奥でこほんと咳払いしてから気を取り直すと、戌井の話し方についてきてくれる。
「うん。ブラスターの報告と一致しているね」
「次の霊媒についてブラスターと話がしたい。もしくは君から彼に伝えてほしいんだが」
「現場はぐちゃぐちゃになっていてね。防護服を着てまず足場を作らなくちゃいけなかった。その血の海の中から適当に霊媒するから、木虎か牛永のどちらかになる。何か聞きたいことがあるんだね?」
「あの夜、あのビルで、何が起きるのか知っていた奴が他にもいるはずだ」
サニーはうんと大きくうなずいた。
「ぼくも同じことを考えていた。被害者の3人と、雉真くんと戌井くんを除いた誰か……。その誰かは戌井くんのいつもの外見をよく知っていて、辰巳の知り合いでもある」
「雉真も一応、容疑者リストに入れているが」
「ええっ!? それは可哀想だよ。友達も容赦なく疑っていくタイプなんだね」
「君もそうだろう?」
「まあ……そうだけど。でも雉真くんの可能性は低いと思うな。彼によれば昨日の君は髪を黒く染めていたんだろう?」
戌井は舌打ちした。
「ああ、そうだ。忘れてた。雉真が犯人なら、あの日に合わせて黒髪に変装していたはずだ」
「そういうこと。犯人は当時の君の髪色を知らなかった。あの現場を直接見てはいなかったが、あそこでの状況は把握していたってことだ。たぶん、盗聴器を辰巳か誰かに仕掛けていたんじゃないかな」
木虎と牛永に盗聴器が付いていた可能性は?
その可能性があれば、犯人は2人の知り合いの誰かということになる。そいつは例えば、人気のないビルで高校生たちを痛めつけるという話を2人から聞いて、人を食べる絶好のチャンスだと考えた。
人狼として人を喰っていくのに最も必要な能力は、機を見て敏であることだ。あらゆる新聞社から新聞を購読し、四六時中、詐欺の手口を考えているインテリヤクザのように、人狼もまた聞き耳を立て、常に狩りのチャンスをうかがっているのだ。
その謎の人狼は疑いを逸らすため、戌井とかいう高校生の奇抜な見た目を利用することにした。白髪のウィッグと大きな隈を目元に描き足せば、あとは帽子やマスクなどで誤魔化せる。別に戌井と関わりの深い人物でなくても、そのように考える輩はいるかもしれない。もちろん可能性は低いが、ゼロではない。
戌井は木虎と牛永との会話の中にヒントがないか、思い出そうとした。記憶はとっくに霧散していた。それでもその断片をつかみ取ろうと、無意識のうちに手を伸ばす。目の前にある鉄格子に触れると、電流が走った。戌井はその鉄格子をがっしりつかんだ。体中に強い電流が駆け巡る。
「戌井くん!?」
電気ショックで記憶が蘇った。車の中で木虎が言っていた――『黒髪か? 白髪だと聞いたんだがな』
その会話を犯人が聞いていたのなら、黒髪に変装していたはずだ。それ以降、髪色に言及した会話はしなかった。戌井は鉄格子から手を離した。びりびりと痛みが残っているが、我慢できないほどではない。
「木虎と牛永に盗聴器は付いていなかった。断言できる」
「そんなことより平気なの!? 普通はあんなに電流浴びたら死ぬんだよ?」
「耐性があるんだ」
戌井はスタンガンで自分を追い詰める勉強法に味をしめた。だんだん耐性がついてきたので、より大きな電流が流れるようにスタンガンを改造し、毎日電気ショックを与え続けたら、しまいにはほぼ電気の効かない体になってしまった。だからもうスタンガン勉強法は使えない。
「戌井くんってほんとに人間……?」
「とにかく盗聴器を付けられていたのは辰巳だ」
「わ、わかった。それじゃ、辰巳と接触できそうな人物を追えばいいんだね」
「辰巳は極道を利用して俺達を痛めつけるつもりだった。そしてそのことを他の誰かに漏らしたはずだ。霊媒では木虎と牛永にその点を聞いてほしい」
「2人が知っているかは微妙だけどね。つるんでる友達か恋人に話したんだろうけど」
「青山羊部長か……」
戌井がその名前を出したことに、サニーは驚いた様子だった。
「彼女は……何も知らない様子だった。少なくとも表面上は。今日のお昼休みにそれとなく鎌をかけてみたけどボロは出さなかったな」
「ならちゃんと取調べてくれ」
「うん、もう捜査官が動いてくれてるよ」
サニーは声を潜めて言った。
「彼女はその……君の憧れの先輩なんだろう? 疑うのは申し訳ないなと少し思っていたんだ」
「それとこれとは関係ないし、他人には何も期待してない」
しかし戌井は、できればこの予想が当たっていないことを望んでいた。
「そう……それならいいんだけれど。ある人間が死んでそいつに恋人がいたら、恋人を優先的に調べるのは犯罪捜査のセオリーだからね。まったく、ブラスターはどうして戌井くんを捕まえたりしたんだろう? さっさと檻から出すようブラスターを説得してみるよ」
「……本当か?」
「君が犯人にしてはおかしな点が多すぎるからね。逮捕するのは早計だったよ。そもそも、こうして大人しく檻の中に入った人狼は歴史上、記録がない。人狼だったら普通は入らない」
歴史上誰もいないというのはやや奇妙だ。戌井自身も自分は珍しいタイプだと思っているが、過去にも強い信念を持った人狼は何人かいただろうに。きっと人狼のイメージが良くなることを恐れて記録が消されたのだ。無抵抗で捕まることで意思表明などしてもあえなく闇に葬られるだけ。戌井もそれくらいは覚悟していたが、自分の信念を曲げるわけにはいかなかった。
「満月の夜まで待たなくていいのか?」
「ぼくは真犯人を占う。君以外の誰かだ。そうしないと新たな事件が起こってしまうからね」
人狼事件において預言者の発言権は大きい。裁判がないので預言者が白か黒かを決める。霊媒も便利な能力だが、預言者の黒出しに勝る証拠能力はない。また、預言者や霊媒師のような役職者は人狼にはならないという定説がある。本当のところはわからないが。長い歴史の中でそのような事例はなく、古く権威ある書物にもそう書いてある。
預言者サニーが味方でいてくれることほど、心強いことはなかった。
「どうしてそこまで信じてくれるんだ?」
「戌井くんのこれまでの行いが、信じたいって思わせてくれる。君が勝ち取った信頼だ。戌井くんは人狼じゃない。そうだよね?」
「……ああ、そうだ」
戌井は、これまであまり感じたことのない胸の痛みを覚えた。
「いつかは白確になってもらうけど、いい?」
「好きにしてくれ」
サニーは両手でガッツポーズを取った。
「ありがとう! 絶対に君をここから出すから、もう少し辛抱してくれ。後で着替えの服とか、歯ブラシとか持って来るから。本も差し入れできるよ。何か読みたいものある?」
「『シートン動物記』があるから」
「それは『ラギーラグ』だね。ぼくも好きだよ。全シリーズ持ってるんだ」
「おすすめはあるか?」
「『リスのバナーテイル』」
「じゃあ、それを読みたい」
「わかった。何かあれば看守に声をかけて。そしたらぼくに連絡するよう伝えておくから」
「ありがとう。本当に」
「やっと恩返しができると思えば、お安い御用さ。それじゃ、また後で」
サニーは元気よく手を振りながら去っていく。




