第21話 濡れ衣
満月の夜まで、あと6日。
すっかりお馴染みになった、屋上でのお昼休み。
戌井は本を読みながら、雉真が日和の手作り弁当を持ってくるのを待っていた。今読んでいるのは『シートン動物記 ワタオウサギのラグ』。母ウサギから子ウサギへ、生きるために必要な知恵がきちんと受け継がれていくところが好きだった。どんな本も読み終わって数十分後にはほとんど内容を思い出せない。数ヶ月も経てば初見のような気持ちで読める。が、『ラギーラグ』は何度も読み返したおかげで内容をすらすら言えるまでになった。
雉真がやって来る気配がしたので、戌井は本に栞をはさんでから顔を上げた。
「さっき、青山羊先輩にばったり会ったぞ。弁当受け渡すところを目撃されちまったよ」
「わざわざ3階の廊下まで行ったのか?」
「日和さんに指定されたからな。ついでに青山羊先輩と話したかったらしい。お前が漫研部に戻れるようにって。いい子だよなあ」
戻れるかどうかはともかく日和には礼を言っておこう。今日はバイトではないから、リトリト・ラテを奢るのも良いだろう。ついでに店員の働きぶりを観察できるし、メニューの復習もできる。
戌井は言った。「辰巳については何か言ってたか?」
「特に何も。先輩はあのクソ野郎が何をしてどうなったか何も知らない様子だった」
「そういうものなのか。仲が良さそうだったが」
「仲が良いっていうか、恋人なんだよ。恋人ってわかるか? おい、明後日の方向を見るな。おーい」
戌井は青空に浮かぶ雲をぼんやり眺めてから、雉真に視線を戻した。
「何の話だっけ?」
「青山羊先輩と辰巳は、仲が良いって話。でも最近はあまり仲が良くないのかもな。あのクソ野郎に青山羊先輩はもったいねえよ。あんなに優しくて穏やかで美人なのに」
「お前に部長の何がわかるんだ?」
「へへっ、服についた埃を払ってくれたんだ。俺、ちょろいからそれだけで好きになりそう。漫研部入ろうかな~」
その後は話が変わり、昨日言ったとおり霊媒師ブラスターのゲーム実況動画を見た。彼は色んなゲーム実況者とコラボして人狼ゲームをやるのだ。昨日通話した時には、まさに傲岸不遜を地で行く人物だったが、他の実況者と絡むときの様子は全然違っていた。慇懃無礼ながらも楽しい雰囲気にしようと気遣っており、なかなか好感の持てる男だと思った。
「俺、嘘吐くの苦手だから人狼ゲームは見る専なんだよな」雉真が言った。「でもやってみたい気持ちはある。お前と日和さんを含めて、あと2、3人いたらバランスよくできそうだ。青山羊先輩は参加してくれるかな?」
「俺はやりたくない」
「え~、なんで?」
「こういうゲームは頭が疲れるから。集中力の無駄遣いだ」
「そんなあなたにお絵描き人狼~。一人だけお題知らない奴がいて、そいつを当てれば勝ち。お前、絵を描くのは好きだろ?」
「ふむ……」
「人数的には4人くらい欲しいな。次の漫研部で青山羊先輩を誘うぞ~」
戌井はあることを思い出して首を振った。
「いや、やめておけ。青山羊部長は……白鳥マリアから個別に勉強を教わっていた」
「あ……」
「人狼を題材としたゲームはやりたくないだろう」
「そうか……そうだよな。白鳥マリアは良い先生だった。人を喰ってなければな。そもそも人を喰わない人狼なんて存在するのか?」
「…………さあな」
「どこかにいるはずだ。人間にも菜食主義者がいるんだから。それなら……そいつは殺されるべきなのか?」
「まだ食べてないだけかもしれない。些細なきっかけで人を襲うだろう」
「何しでかすかわからないって意味では全人類そうじゃねえか? 人間なんて環境次第でいくらでも凶暴になるんだからよ。人狼を絶滅させる方が無理ゲーだし、建設的な対話をした方が社会全体のためになると思う……って、口だけなら何とでも言えるか。つまんねえ話しちまった」
「いや、お前と話すのは楽しいぞ」
「え、キュン……」
「たまに気持ち悪い音を出さなければな」
「伝統的なオノマトペだぞ。悪口はそこまでにしておけ」
雉真なら人狼だと打ち明けても受け入れてくれそうな気がした。しかしわざわざ明かす必要はないだろう。どうせ満月の夜には全て判明するのだから、それまではただの友人として接してほしかった。
今日も手作り弁当は美味しかった。日和に諸々のお礼と、放課後カフェに行かないかとメッセージを送る。
日和:【お誘いありがとうございます。すごく行きたいのですが……でも、今日はダメなんです。ごめんなさい】
雉真がスマホの画面をのぞき込みながら言った。
「あらら。預言者の仕事で忙しいのかな」
「何か事件が起こったのかもしれない」
「ニュースではまだ報道されてなさそうだけど。ああは言ったけど、やっぱり怖いなあ。人狼」
「……そうだな」
奇妙な感情が湧いてきた。誰だかわからないが、事件を起こした人狼に怒りがこみ上げてきたのだ。どうしてそう思ったのか、自分でもよくわからないが。
☂
放課後、昇降口で靴を履き替えながら戌井が言った。
「帰る前にカフェに寄っていかないか? 俺の奢りだ。昨日の詫びというわけじゃないが、なんというか、労いがしたい」
雉真は呆気にとられた顔をする。
「お前な……いい奴になればいいと思ってんじゃん。いい加減にしろ」
「行きたいのか? 行きたくないのか?」
「あはは。それなら来週にしてほしいな。殴られたばっかで口内炎とかできてるから、食事を純粋に楽しめねえ体でよ」
来週ならぎりぎり生きているだろう。
「わかった。来週、約束だ」
校門の外から日和が慌てた様子で戻ってきた。戌井と雉真を見つけると、立ちはだかるように両手を広げる。
「ここから出てはいけません」
「なにぃっ!?」
「どうしてだ?」
「出るなら裏口から――」
その時、校門からにゅっと人影が現れた。
「おっと、困りますよ。お嬢さん」
「ブラスターさん!?」雉真が言った。
液晶パネルを顔面にくっつけた、すらりと背の高いスーツ姿の男が校門の前に立っている。愛用のショットガンも堂々と肩に提げていた。霊媒師ブラスターはメディアの露出度も高く、動画サイトの登録者数も200万人以上はいる男だ。下校するつもりだった生徒達がキャーキャー騒ぎながら、ブラスターの周りに群がった。
「やれやれ! 私は仕事をしに来たのですよ。おどきなさい」
ブラスターは人混みをかき分けて、まっすぐ戌井の方に歩いてきた。にやにや笑いの絵文字を浮かべ、パネルの角がぶつかるくらい顔を近付けてくる。
「イカした髪色ですねえ。まさにイカのようだ! 高校デビューですかあ?」
この男は俺に喧嘩を売っているのか? と戌井は思ったが、表情には出さず淡々と答えることにした。
「病気の影響で白くなったんですよ」
「これは失敬! ではその大きな隈は? ぜェーんぜん似合ってませんよ」
「これは生まれつきです」
「ほうほう。ずいぶん奇抜な見た目をしておりますね。して、あなたのお名前は?」
「……戌井時雨」
「では時雨くん。私と一緒に車に乗って、署までご同行願います」
「なぜですか?」
「おおっと、白確に逆らうんですかあ? さてはあなた……人狼ですねえ?」
ブラスターが戌井の肩に馴れ馴れしく手を回し、邪悪な笑みをパネルに映している。
「そういうことを大きな声で言うのはやめてください」
日和が液晶パネルを押しのけて間に入ってくる。
「この私の顔に指紋を付けるとは悪い子だ! しかし困りましたねえ。私は時雨くんの安全のために、こうしてわざわざ出向いてあげたのですよ。言わば、保護しにきたのです」
「どういう意味だ?」
「じきに辰巳くんの親父殿があなたに色々と尋ねに来るでしょう。息子さんの死について」
戌井は驚いた。辰巳が死んだ? いつどこでどうやって?
自分が疑われているのだろうか?
聞きたいことは山ほどあったが、ここでは人の目が多すぎる。
戌井は言った。「わかりました。続きは車の中で」




